あらすじ
オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件から20年。あの頃、教祖・麻原彰晃の後継者としてメディアを賑わせた、ひとりの女の子を覚えているだろうか。アーチャリー正大師、当時11歳。社会から隔絶された地に育った彼女は、父の逮捕後も、石もて追われ、苦難の道を歩んだ。本書は、アーチャリーとしてではなく松本麗華として歩むために、父の逮捕の日から止まっていた時計を、自らの手で動かそうとする苦闘の記録である。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
あるフォロワーさんが、オウムは色々な視点(幹部、信者、松本家など)から本が出ていてなんもわからない気持ちになる、と言っていたが、この本を読んでその通りだなと思った。
三女から見ると、麻原彰晃は悪くない父親だったんだな。
そりゃ家族ではあるけど宗教のトップだから普通の家族とはちょっと違い、明らかに父親を神聖化していて(本人も自覚していると書いてるけど)引く部分はあるけど、子どもから見るとそういうものなのかというのが素直な感想。しかし彼女は父親の神格化を自覚的だと思っているけど、本人が思っている以上に神格化している印象がある。
麻原なんて絶対に子育てしてないのに(船橋時代は家にほぼいなかったと書いてあったし)娘は父親を良い思い出として記憶し、実際に子育てした母親はやや疎ましく書いてあってそういうもんだよな、と思いつつやや切ない。
当時この本が出たばかりの頃は被害者の気持ちを考えろ的なバッシングがあったように記憶しているが、そう言われても仕方がないだろうなとは思った。私も読んでいる途中にはそう思った。ただ彼女にとっては麻原は優しい父親で実行犯の幹部は遊んでくれた優しいお兄さんだから、こういう視点にはなるよな。
第8章の事件と父の中で、オウムの科学技術庁が修行に使う機械を配り、信者たちが科学技術庁にしてはマシなものを作ったな〜と言って使ったらすぐ壊れ、やっぱりオウム産だね〜と嬉しそうに笑った、という話が出てくるが、すごい眼に浮かぶというか末端はこんなもんだよなぁと悲しくなった。自分の所属する集団をちょっとこけ下ろしながら笑う健全な楽しさは存在はしてたんだな。
そして彼女が「アーチャリー」の名前を自分の知らないところでいいように利用されて苦しんだ経験から、父親である麻原もそうだったのではないかと想像するのだが、それが全てだとは思わないが、実行犯幹部たちが高学歴の真面目な人たちではありつつも、欲望や野心や狡さを捨てずに自分の都合のいいように麻原を利用した面はあるのかもなとは思った。他の本では実行犯も被害者であるという側面が強調されがちだけど、彼女は少し見方が違うのだなと思った。子供の彼女は幹部が嘘をついたり麻原の言ってないことを尊師の意思だと言いふらしているところを見ているというのはちょっと説得力があるなとは思った。
だからこそ、冒頭の通り、なんもわからない〜〜になる。視点が違えば、同じ人物、同じエピソードでも全然違うものになってしまう。