あらすじ
半世紀にわたり、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相。「わしが死んでから世に出して下さいの」という約束のもと、初めて語られた死刑の現場とは? 死刑制度が持つ矛盾と苦しみを一身に背負って生きた僧侶の人生を通して、死刑の内実を描いた問題作! 第1回城山三郎賞受賞。
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Posted by ブクログ
読み終わってからも、どう感想を書けばいいのか整理がつかずな内容だった。
被害者遺族の感情に立つと、死刑囚のことはどうしたって許せない。
けれど、人は、人との出会いで変わっていくもの。
それをどう受け入れればいいのかわからなくなってしまった。
Posted by ブクログ
死刑について考えるときに、加害者と被害者にばかり目がいきがちだけど、死刑を執行する人がいる、ということにも目を向けなくてはいけないな、と気付かされた。
以前ツイッターで安楽死の議論があるが殺すことを医者に丸投げしていることに誰も気づいていない。自分は立場的にもし安楽死が可能になったら殺す立場になるだろうけど心底嫌だ、みたいな意見を見かけて、それを思い出した。
あと、加害者は心情的に自分を被害者だと思っていて(生い立ちの不幸などから)それを取り除かないと自分が殺した人への謝罪や反省の気持ちなんて持ち得ない的な事を渡邉さんが言われていて、なるほどと思った。確かにそうかも。
でもそれがいかに困難なのかも読んでわかった。
とにかく実際に現場に立って活動している人の言葉は重たいなと思った。
渡邉さんもすごいけど、師匠の篠田龍雄さんもすごかった。
Posted by ブクログ
教誨師という言葉、仕事を知らなかった。
死刑執行のとき、僧侶が立ち会うことは知識と知っていたが、これほどのことだとは。
P98
一方で、教誨師の存在が批判されるたびに持ち出される実話。
「自分は冤罪だからと再審を請求しようとする収容者に対しても『これは前世の因縁で、たとえ無実の罪であっても先祖の悪業の因縁で、無実の罪で苦しむことになっている。その因縁を甘んじて受け入れることが、仏の意図に沿うことになる』と再審の請求を思いとどまらせるような説教をする僧侶がいる。こんな世の因果をふりかざして、再審請求を妨げる僧侶が少なくない」
冤罪が確定して釈放された免田栄獄中記の中の文章。
P188
つまり教誨面接では、二度と外の社会に出て気分転換さえ叶わぬ死刑囚たちに、精神的な広がり(空間)を与えるように務めるべきだという。
半世紀もの間、死刑囚と対話を重ね、死刑執行に立ち会い続けた教誨師・渡邉普相。
「わしが死んでから世に出して下さいの」という約束のもと、初めて世間に知らされた死刑制度の現実。
その矛盾と苦しみを一身に背負って生きた僧侶の人生を通して、死刑の内実を描いた作品。
死刑囚に向き合う、ただ一人の民間人である教誨師は、その職務上、他言厳禁。
だからこそ知らなければいけないのに知られていない。
ご苦労が、悩みが多いと思う。
いつか分からない執行の日まで、死刑囚の精神的安定と自殺防止などの大変さが、教誨日誌で垣間見ることができる。
この本を読み、死刑反対、死刑囚に対しての同情が出てくる。その同情してしまう死刑囚の最後を見守る宗教者とは、なんと気持ち的に負担のある仕事であろうか。
スイスにある安楽死をできる施設のように点滴を入れてスイッチを自分で押す、もしくは医者が押す、そのような形に変えていくことはできないのだろうか。
今の形式では、まず見た目にも悲惨さがうかがえる。
渡邉が初めて恩師の篠田龍雄と執行に立ち会った日のこと。
何度も面会を重ね、仏教の教えを学び、写経や読経をし被害者の命日を弔ってきた死刑囚がついに
執行されることとなる。
刑場に立たされた死刑囚が直前になって、上半身をよじり「先生!私に引導を渡してください!」
と篠田に乞う。
浄土真宗に「引導」などない。
しかし篠田は迷いもせず、それを引き受ける。
「よぉっし!!行きますぞ!!死ぬるんじゃないぞ!生まれ変わるのだぞ!」
「喝ーーー!!!」
死刑囚の表情から恐怖が消え、「生まれ変わるんですね」と救われた表情を見せる。
「あんたが先に行くけど、わしもあとから行きますぞ!」
今世では死刑囚だったが、次に生まれ変わるときには、必ず人様のお役に立てる人間に
と願っていたのか・・・。
渡邉も何度も壁にぶつかり、お堂にひっくり返って
「阿弥陀様、わっしは、また(死刑囚に)可哀想なことをしましたぜ・・・」と涙している。
後半、渡邉は自分がアル中であることを告白する。その事実は思いの外、死刑囚たちに受け入れられた。
人は神ではない。
好きで飲んでいる、とは言っているものの、それでなければやっていられないのだろう。
どんな形であれ、人が人の命を奪う(やらされる)ことに深く考えさせられる。
これは、ぜひ多くの人に読んでほしい。
Posted by ブクログ
「この話は、わしが死んでから世に出して下さいの」
教誨師という仕事をご存知だろうか。
死刑囚と唯一自由に面会することを許された民間人。対話を重ね、最後はその死刑執行の場に立ち会う。報酬もなく、精神的にも肉体的にも過酷なボランティアである。
生とは、死とは。
法の裁きとはいえ、寿命がまだあるものに強制的に死を与える。
これを「人殺し」と呼ばずして、何と呼ぶのか。
約50年間 教誨師の職を担った渡邉普相(わたなべ ふそう)の遺書的作品である。
☆構成がえぐい
ニュースだけでは伝わってこない死刑囚1人1人の性格を丹念に描き、教誨師との何気ないやりとりで読者を和ませ、親近感を覚え始めたところで死刑執行の現場を克明に記す。
読者は読み進めるうちに知らず知らず場に引き込まれているため、教誨師と死刑囚の絆が無情にも引き裂かれる瞬間 精神的に大ダメージを受ける。
特に第5章「娑婆の縁つきて」の篠田龍雄と桜井の最期のやりとりは涙なくして読むことができない。
☆読みやすさ◎
小説を読むような気持ちで最後まで読める作品。
ノンフィクション初心者にオススメしたい本。
ただ、渡邉の少年時代の話は若干集中が切れる。
☆テーマ
生と死