【感想・ネタバレ】「認められたい」の正体 承認不安の時代のレビュー

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Posted by ブクログ 2021年05月22日

数年前に読んだ本だけど、メモを見返しての感想。

就活に苦しんでいる自分に響く内容だった。まさに“承認と自由の葛藤”に悩んでいた。
つまり、
「大企業や名の知れた企業、ホワイト企業に入り、親や恋人、指導教員、同期から承認を得たい」という気持ちと、
「一般的な企業で働くことが絶望的に向いていない(イン...続きを読むターンが全て苦痛だった)ので、無名で給料も低いが自分の適正に合った仕事をしたい」という気持ち
の2つで葛藤していた。
自分の中にいる“一般的他者”の視野を広げることで、承認と自由の両立が可能であるという言葉に励まされた。

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Posted by ブクログ 2013年07月10日

面白かった。

現代社会は、価値観の多様化に伴い共通の価値観が揺らいでいる。そのため社会承認よりも身近な人の承認を重要視するようになり、承認を得る可能性が狭まり承認不安に満ちてしまっている。見知らぬ他者を排除するという危険にある。

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Posted by ブクログ 2012年12月12日

【「空虚な承認ゲーム」からの脱出】

承認欲求の話です。
心理学的なことばかり書かれているかと思っていたので、こんなにわかりやすいとは驚きました。
社会学の知識が少しある方はさらにわかりやすく感じるかも知れません。

昔は特定の価値観が共有されていたので、承認欲求は割りと低めだったらしいのですが、近...続きを読む代社会は宗教的な価値観の絶対性はゆらぐし、交通が便利になってしまって海外からの考え方もたくさん手に入るようになってしまって、何を信じればいいのか分からないと言った状況らしいんです。
だから、新型うつ病などと呼ばれる新しい症状が出たりすることから顕著なように承認不安の時代となってしまって、他人の承認を得ることに必死になってしまっている。
といった感じの内容です。

僕は浅野いにおさんの書いた『ソラニン』で承認欲求の例を解説しているところが一番印象に残りました。

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Posted by ブクログ 2012年07月26日

承認への欲求がかつてないほどに高まっている。そんな時代である。しかも人々が欲する承認は「見知らぬ他者」からのものではなく「身近な他者」によるものであると著者は説く。自らの生きる意味・存在価値を常に希求する人間の根底には、無意識にせよ常に誰かに認められたいという潜在的な欲望が横たわっている。身近な他者...続きを読むからの「親和的承認」を得ることに奔走する人々の背後には、近代社会の到来における価値観の多様化によって「自由への欲望」と「承認への欲望」の両立に苦しんできた近代人の姿がある。最終的には親和的承認へと傾斜していく欲求を自覚し、「自己了解」と「一般的他者の視点」の獲得に能動的に取り組むことでこの「自由と承認の葛藤」の問題を解消できると著者は言う。個人的には「一般的他者の視点」の獲得するためのヒントとして著者が挙げているのが道徳的行為であり、それのみを原点として果たして肥大化した承認不安を乗り越えられるのかは疑問に感じたけれど、人間の根源が結局承認への欲求にあるということを多面的にあるいは経時的に考察し、その本質を掘り下げることができるという意味で非常に参考になる一冊でした。

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Posted by ブクログ 2012年05月21日

「承認欲求」について、親和的承認、集団的承認、一般的承認の3段階で説明され、承認の不安はどこからきているのか、その不安を軽減していくにはどうしたらいいのかの提案がされています。

固い本かなとしばらく積ん読にしていましたが、読み始めたらおもしろく、一気に読み終えてしまいました。

自己分析や対人援助...続きを読むの際、この知識があると役に立ちそうだなと思いました。
この視点をもって、しばらく世の中を観察してみようと思います。

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Posted by ブクログ 2012年03月13日

今は承認不安の時代である。個々が自由な価値観を持ち、核家族化、単身世帯化が進む昨今は地域や職場でのコミュニティも薄れ、身近な人の承認さえも得ることが難しくなっている。著者はこういう時代を鑑み、まずは一般的他者への承認を得るような行為、そして内省から自己承認への新たな可能性を示している。なるほど、相互...続きを読む価値の時代に生きるからこそ、道徳的に見ても一般他者から賞賛される行為は一般承認を得やすい。しかし、他方で一般承認さえも、「いいカッコしい」は弾かれるような社会ではどうするのか? それは改めて内省による自己承認に置き換わるのだ。

宗教や地域文化の力も希薄化し、一般的価値が失われ、相互承認の時代に移った昨今は本当に生きにくい社会だと思う。しかし、その社会の中でも生きていく術を、この本は示している。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2020年05月03日

 現代は承認の不安に満ちた時代である。自分の考えに自信がなく、絶えず誰かに認められていなければ不安で仕方がない。ほんの少し批判されただけでも、自分の全存在が否定された絶望してしまう。そんな人間があふれている(P8)。仲間の承認を得るために自分の本音を抑え、仲間の言動に同調した態度をとり続ける若者は少...続きを読むなくない(P10)。
 他の考え方を持った人々の意見にも耳を傾け、書籍やテレビ、インターネットを介してさまざまな価値観を理解し、なぜそのような考え方をするのか、その理由を考えるようにすること。そして、そこに共通了解を見出そうとすること。その繰り返しが、「一般他者の視点」による判断力を培ってくれるだろう(P213、P214)。「見知らぬ他者」の承認を確信することで、また自分の意思で行為を選択することで、自由と承認、両方の可能性を切り開くことができる(P216)。

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Posted by ブクログ 2022年06月06日

日本人は宗教的観念も他国と比べて低いため、周囲の人たちの承認により、自分の必要性を感じようとする。あまり好きではない人との飲み会も、嫌われたくない、嫌な噂を立てられたくない、そう思っていたら断れず、だからといってそこで自分の承認価値が高まるわけでもなく、不服な気持ちを抱く悪循環。しかも交際費が重なる...続きを読むだけ。無意識に思ってしまう「しなければならない」という感情を(自己ルール)=過剰な自意識に気づいて自分を理解する。言い換えて、自己了解していくことで空虚な承認ゲームから脱出できるひとつの方法である。snsなどの発達によって親しい人からの本物の承認を得られにくくなっていく現代において、刺さる一冊!!ゆあてゃに憧れる人たち。まさに空虚な承認ゲーム

共依存の本質は「人に必要とされることの必要です。自分にとって大切な人から「あなたがいないとわたしは生きられない」と言われることで、自分の存在がはじめて「承認」されたように感じることから、共依存者的な生き方が始まります。(p.120)


なぜ知的な人々ほど神経症に苦しんでいたのか。

しかし、知識人層のように、自由の意識が芽生えた人間、伝統的価値観に違和感を抱いた人間においては、たとえ承認を得るために伝統的価値観に準じて行動しても、そこに納得感は乏しく、どこか無理をしている感触が付きまとう。 p.144



本当の自分が抑圧される原因は、周囲の人間の評価に対する過剰な自意識なのである。p.163

空虚な承認ゲーム=同調行動が、功を奏して、承認が維持されているうちは、承認の不安を一時的に遠ざけることはできる。だがそこには、価値ある行為や知識、技能を承認される場合に生じるような充足感はない。p.165

日本人の承認基準は、周囲の人々。
欧米人の自我は神に支えられているから、対人恐怖にはならない。

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Posted by ブクログ 2022年04月12日

正解のない多様性だから 承認に飢えてSNSにすがる まずは身近な人へのリスペクトと承認から始めようぜ

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Posted by ブクログ 2021年03月07日

人の承認欲求には3段階があるという。⒈親和的承認、⒉集団的承認、⒊一般的承認 ということらしい。
⒈は肉親や親しい間柄で成立する無条件の承認、⒉は自分が所属する集団内で役に立つことを認められるもの、⒊は社会一般にとって(普遍的に)認められることなんだそうだ。価値の普遍性を失った現代社会では一般的他者...続きを読むの視点から自らを測ることは難しい。だから誰かの承認を求めたくなるらしい。確かに、自分の中に価値基準を持っている人間は、他人の評価なんて気にしない。けど普遍的な価値基準をどうやって持てばいいのだろう。

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Posted by ブクログ 2021年02月07日

おもしろかったー。最近、勉強することで自由になるけど不自由だなと思ったのは、色んなことを知って自由になればなるほど、その自由な自分を承認してくれる場所がなくなっていく感覚があったからなのかもなー。
成長過程のところは、親や先生、職場のリーダーなど、誰かを教育する立場の人にぜひ読んで欲しいと思ったかな

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Posted by ブクログ 2019年12月13日

承認欲求は基本的な欲求⇒どう満たされるか,満たされてきたか,その経験で行動様式を作る
手近な他者からしか承認を受けられない(と思う)状況が絶え間ない承認欲求行為と承認されないことへの不安を引き起こす。その範疇を超えた承認に気づけるか。
自由であろうとすれば承認が得られないわけではない。自由をどのよう...続きを読むに捉えるか。

読みかけで放置していたけど,これは良書。
承認欲求を皆が持つことを前提に世の中を眺めてみよう。

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Posted by ブクログ 2017年08月20日

現象学の観点を織り交ぜながらなのできちんと読み込もうとすると私には難しい。でも、現代特有の心の病の構造や、いいね!(承認)を過剰に欲しがる現代人の心理が端的にわかる。生きづらさを解消するためのヒントになるし、心を病んでしまった人が深く自分を見つめなおす手ほどきもしてくれる良書だと思う。

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Posted by ブクログ 2016年08月28日

承認欲求を
親和的承認と
集団的承認と
一般的承認の
3つに分けて論じてくださっているのが分かりやすい。

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Posted by ブクログ 2015年07月11日

タイトルに惹かれて読んでしまった。

どうしても仕事の場面で「認められたい!」と思うことがあるので、その理由が分かれば、と。

色々気になるキーワードがでて来て、あぁ、だからそうなのか、と。

こういう風に理解したらいいのか、と少し気が楽になった。

集団の中で、自分の立ち位置を見失いかけている人に...続きを読むは読んでもらいたい、お薦めの本。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2014年12月14日

2014年の68冊目です。

私には、顕在化、潜在化した承認欲求があります。
ここ数年来の自分のテーマでした。そんな時、リサイクルBookストアーの新書コーナで見つけた本です。
本の前半では、人間の承認欲求について解説されていますが、「これは、ほとんど自分の事を分析して書かれている」と思うほど、合点...続きを読むのいくものでした。
第1章「認められたい」の暴走の中に次の一節があります。「他者の承認は自分の存在価値に関わる、最も人間的な欲望であり、長期にわたってそれなしに生きていける人間はほとんどいないだろう」 それって私のことですと言いたくなるような文章ですね。ところで、承認を与える他者とは誰か?本書では、他者を自分との関係性から3つに分けています。「親和的他者」「集団的他者」「一般的他者」だそうです。「親和的他者」とは、家族・恋人・親しい友人など、愛情と信頼の関係にある他者のこと。ありのままの自分を受け入れてくれる他者でもあります。「集団的他者」とは、所属する組織・会社などで、共有するルールや価値観に見合う行動をすることで認めてくれる他者です。「一般的他者」とは。あったことも無いネット上の知り合いやほとんど知らない人達であり世間とか社会一般といえる。自らの行動が、社会全般に渡って認められる価値に見合うかどうかが認められるかどうかということになる。
現代は、誰もが「認められたい」という欲望を抱く以上、そこには大勢の人間が共通して了解し得る意味(本質)があるはずだというのが、著者の論の中核に置かれています。すなわち自己了解と「一般的他者の視点」による内省ができれば、親和的承認や集団的他者承認に執着せず、「見知らぬ他者」の承認(存在承認の本質)を確信することで、また自分の意志で行為を選択することで、自由と承認の両方を切り開くことができると述べている。

私の場合、「親和的承認」を、「集団的他者」の中にも得たいという部分があるように思える。また、現代において、「集団」に共通する価値観自体が不明確になりつつあるため、どういった行為に価値があるのかを見定めることも難しくなっている。人事考課とか賃金などがその行為の価値を測り評価を反映したものだったが、昨今の私の所属する組織ではそのような傾向は極めて希薄になっている。ここでの承認を得ずして、一般的他者の承認へシフトしていくことには、同意しづらい。価値観やルールが変動する中で「集団的他者の承認」を確実に得ていくかという課題について改めて考えて見たいと感じました。

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Posted by ブクログ 2014年05月08日

親和的承認,集団的承認,一般的承認と承認欲求にも3つの場面が存在する。意識したことはなかったが,確かに山竹先生のおっしゃることはよくわかる。
一般的な価値判断がしにくい現代では,一般的な価値の判断がしにくく,一般的承認が得られにくい。また,親和的承認ですら得られないこともあり,その結果,集団的承認を...続きを読む過度に求めてしまうことになる。
勉強になりました。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年11月18日

親和的承認、集団的承認、一般的承認の3つに承認を分け、
人間の成長段階における各省尾人の役割について論じていた。
また、近年の「空虚な承認ゲーム」の原因・本質についても論じている。
共通の価値観の崩壊、がキー。

共通の価値観が崩壊した今だからこそ、昔は両立できなかった「自由」と「承認」の両立を目指...続きを読むすことが可能になったと言っている。
それにより、どうすれば人に認められるのか、何が世間様から見て正しい事なのか、ということを画一的に示すことが難しい生きづらい現代社会に対し、光のありかを示している。

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Posted by ブクログ 2013年09月23日

自己承認と近い人からの承認の話。価値観の相対化とイメージとしての他者からの正しさの認識が情報化とともにわけがわからなくなる。どうすればいいのかなあ。引用が多くて話についていくのが大変。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2013年02月03日

承認不安からの脱出について著書は、場当たり的なコミュニケーション力の向上ではなく根本的な解決策を提示している。

自己了解と一般的他者の視点だ。

自己了解によって自分自身の欲望に気づくことが出来れば、その欲望からかけ離れた行動をやめるにせよ、欲望を抑えて行動するにせよ、自分なりに吟味したうえで納得...続きを読むのできる判断(自己判断)をすることができる。自己決定による納得感は自由の最も重要な本質契機。

一般的他者の視点はアダム・スミスの言う公平な胸中の観察者にほぼ相当する。

これは経験により培われる。他の考え方を持った人々にも耳を傾け、ネットや書籍を通じて様々な価値観を理解し、何故そう考えるようになるのかその理由、動機を考えること。その繰り返しが、一般的他者の視点による判断力を培う。

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Posted by ブクログ 2012年12月12日

「認められたい」の正体は、人間としての本能。自己価値への欲望。と第二章で結論付け、最終章である第五章でそこからの脱出方法を考察している。二章で結論付けられたことについて、三章でそうなる過程を詳しく説明。

個々の価値観の多様化によって、どうしたら認められるのか、つまり「認められるためには何をしたらい...続きを読むいのか」が不明瞭になり、その結果承認不安が強くなる、というのが現代。
もともとは親和的欲求としての親の承認を得ようとし、それが学童期から集団的欲求としての友人の承認、壮年期からは一般的承認への欲求と変わっていく。その過程で「一般的他者の視点」も成熟していく。それぞれの欲求は互いに補完し合う関係性にある。「一般的他者の視点」が成熟しないと、承認不安からの脱却が難しくなる。
自分の決定に納得するように考えてから行動することで、自分の意思で決定したことになり、自由の意識は保たれる。

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Posted by ブクログ 2012年09月17日

認められたいという気持ちに振り回されてる人は多いけど、気持ちの大きさに負けて目の前のことがきちんと分析できてないからなのでは?と思う今日この頃。
承認欲求の強さから、冷静になれない人におすすめ。

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Posted by ブクログ 2012年05月08日

社会の価値観に絶対的なものがない中、承認を受けたい気持ちの充足が生きていく中で大切。
心理学者の学説等は眠くなるが、それなりに筋の通った論理にそれなりの納得感。
ただ、最終章のどうすれば承認不安から脱出できるか、という点についてはすっきりしない。無論、これがすっきり記載されているようであれば、世に悩...続きを読むむ人がいなくなるのでしょうけど。

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Posted by ブクログ 2012年04月03日

認められたいの正体/山竹伸二 一日一冊の本には向かない。一週間じっくり読みたい。なぜ「認められたい」と思うのか。自由な社会になったことにより、自己価値を認識するための基準が不透明になった現代について、、など。浅野いにおの「ソラニン」も例として取り上げられてる

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Posted by ブクログ 2022年09月24日

承認欲望(承認欲求)は、「親和的承認」、「集団的承認」、「一般的承認」の三種類あるとされている。 現代社会は、「大きな物語」が崩壊したことにより、「共通の価値観」というものがなくなった。 また、親和的承認を手に入れることが難しくなってきた。 それ故、身近な集団的承認を求めるようになった。 だが、それ...続きを読むは精神的もあまりよろしくない。 だから、一般的承認(道徳的に良しとされていること)を求めるような生き方を奨励する。

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Posted by ブクログ 2019年11月23日

 さまざまな承認の場面を想像してみて即座にわかるのは、「認められたい」という欲望の充足に不可欠なのは、何といっても他者の存在である、ということだ。あたりまえではあるが、承認欲望は他者がいなければ決して満たされない。
 だが他者といってもいろいろある。家族や友人のようなごく身近な存在もいれば、学校の同...続きを読む級生や会社の同僚など、一定の目的を共有する仲間もいる。近所の顔見知り、会ったこともないネット上の知り合い、そしてほとんど知らない人々まで、実に多様な他者が承認欲望の対象となる。そこで私は、これらの他者を関係性の違いから三つに分け、それぞれ「親和的他者」「集団的他者」「一般的他者」と名づけようと思う。また、各々の他者による承認を、「親和的承認」「集団的承認」「一般的承認」と呼ぶことにしよう。
 「親和的他者」とは、家族、恋人、親しい友人など、愛情と信頼の関係にある他者である。彼らが親身に話を聞いてくれるとき、優しく受け入れてくれるとき、私たちは自分が相手にとって価値ある存在であることを実感し、「この人と一緒だと、〈ありのままの自分〉でいられる」と感じることができる。こうした愛と信頼の関係にある相手(親和的他者)を対象として、「ありのままの私」が無条件に受け入れられている、という実感をともなう承認が「親和的承認」である。

 だが現在、一般性のある価値、普遍的な価値そのものへの疑義が増幅し、価値相対主義が蔓延している。こうなると、表面的には保たれているように見える社会規範や社会共通価値観も信頼できず、自己価値にもゆらぎが生じざるを得ない。社会が共有する大きな価値を信憑し、それに準じた行動を取れば自己価値も保証される、という状況はもはや崩れつつあるのだ。
 こうした社会では、自己価値を確認するための価値基準が見えないため、身近な人々の承認だけが頼りになる。そのため、親の影響下に形成された自己ルールや価値観は、一般性のあるものに修正することが難しくなり、親の承認に執着し続けることになりやすい。あるいは、自分の価値観・自己ルールに自信が持てず、仲間の承認を維持するために同調し続ける人もいるだろう。他者の承認を無視して自己中心的に自己承認する場合もあるが、大抵は一時的なものにすぎない。
 いま、多くの若者が強い承認の不安を感じ、「空虚な承認ゲーム」に陥っている背景には、こうした現代特有の心理が潜んでいる。価値観の相対化という時代の波のなかで、多くの人が自己価値を確認する参照枠を失い、自己価値への直接的な他者の承認を渇望しはじめている。そして身近な人々の承認に拘泥したコミュニケーションを繰り返した結果、極度のストレスを抱えたり、その承認を獲得することができず、虚無感や抑うつ感に襲われている。

 現代は承認への欲望が増幅した時代、というより承認されないことへの不安に満ちた時代である。人々は他者から批判されることを極度に怖れるあまり、自然な感情や欲望を必要以上に抑制し、周囲への同調と過剰な配慮で疲弊している。

 しかし、社会共通の価値観が存在しなければ、人間は他者の承認を意識せざるを得なくなる。誰でも自分の信じていた価値観や信念、信仰がゆらげば、自分の行為は正しいのか、近くにいる人に聞いてみたくなるものだ。自己価値を測る規準が見えなくなり、他者の承認によって価値の有無を確認しようとする。こうして、もともと根底にあった承認欲望が前面に露呈し、他者から直接承認を得たいという欲望が強くなる。
 現代社会はまさにこのような時代である。宗教的信仰は大きくゆらぎ、政治的イデオロギーへの信頼も失墜し、文化的慣習も流動的になっている。社会に共通する価値規準は崩壊し、価値観は多様化しているため、自己価値を測る価値規準が見出せない。一方で、自分らしく生きるべきだ、という考え方も広まっているが、なかなか「自分はこれでいい」と思えない。そのため、身近にいる他者の直接的な承認にすがるよりほかにすべがないのだ。
 現在、身近な他者の承認が強く求められるようになり、承認不安による「空虚な承認ゲーム」が蔓延している背景には、こうした社会状況の変化がある。

 しかし、納得のいく自己決定をするためには、まず自分自身をよく知る必要がある。自分の欲望や不安を知らなければ、納得のいく判断などできるわけがないからだ。
 仕事で疲れているにもかかわらず、毎晩のように仲間に誘われて飲み会に顔を出し、夜明けまで付き合わされることも多い人がいたとしよう。決して強制されているわけでもないのに、仲間の前ではいい顔をしてしまうので、よろこんで付き合っていると思われている。しかも付き合っている間は仲間に過度に気を遣うため、自分の自由をまったく感じることができず、心身ともに疲労の極みに近づきつつあるが、それでもなぜか、毎晩の付き合いを断ることができない。
 このような人間は、仲間の承認に不安を感じ、仲間はずれにされることを極度に怖れている可能性がある。そのため仲間の要求を断れず、期待に沿うことばかりをニコニコしながらやってしまう。その上、自分の承認不安に気づかないため、「たまには家で休みたい」という自分の欲望が強く意識されず、自分の本音を見失っているのである。
 彼が毎晩の付き合いを断り、家で休むためには、まずこうした自分の不安と欲望に気づく必要があるだろう。それによって、自分のしている行為が本当の気持ちに見合ったものかどうか、過度に感情や欲望を抑制していないかどうか、自ら省みることができるようになる。
 先に述べた「自己了解」とは、こうした自己への気づきのことだ。
 自己了解によって自分自身の欲望に気づくことができれば、その欲望からかけ離れた行動をやめるにせよ、欲望を抑えて行動するにせよ、自分なりに十分吟味した上で、納得のできる判断をすることができる。そこに、「自分の意志でやっていることだ」という自由の意識が生じるのだ。

 このように、感情から欲望と当為を自己了解し、当為の分析へ歩を進めることは、「欲望と当為の葛藤」を克服する可能性を持っている。当為の分析は、その根底にある身体化された価値観・自己ルールに焦点を当て、その形成過程(特に過去の親子関係)に眼を向ける作業であるため、強い承認不安がともないやすい。だからこそ、先入観を排してこの分析を進めるためには、「ありのままの自分」を承認してくれるYさんのような、親和的他者の存在が必要だったのである。
 Aさんの「欲望と当為の葛藤」(「休みたい」と「働かなければならない」の葛藤)は、「自由と承認の葛藤」を本質としている。彼は承認のために自由を犠牲にしていたのだが、それは歪んだ自己ルールのもたらした無駄な犠牲であった。しかし自己分析の結果、理由のわからない苦しみから解放され、彼は必要以上に働いたり、過剰に気を遣ったりするのをやめ、承認を維持できる範囲で自由を取り戻すことができた。また、歴史サークルの活動をはじめたことで、「自分のやりたいことをやっている」という自由の感覚、そして価値の共有に基づく集団的承認を得ることができたのだ。

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Posted by ブクログ 2019年09月23日

P42 アイヒマン実験 ユダヤ人を収容所に送る ミルグラムが実験した 内容間違えたら電気流す
P144 自由と承認の葛藤 フロイト

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2014年02月19日

<メモ>
・ 身近な人間だけに認められたい若者
・ 今は社会の価値観が多様化してきているため、何をしたら認められるかわからなくなっている…コミュ力重視の社会

不可欠な「他者」の存在
1.親和的承認・・・ありのままの私、無条件の愛 ex.家族・友人・恋人
  存在そのものへの承認、自分ではどうにもな...続きを読むらない(片思いなど)
2.集団的承認・・・集団への貢献、知識・技能
  集団の人間が評価する行為、求められる役割を果たすなど努力で手   に入れられる ex.学校・会社
3.一般的承認・・・見知らぬ大勢の人
  献身的な人も無意識に「一般的他者の視点」から内省している

家族で疎外されている人が仕事を頑張ったり、仕事がうまくいかない人が恋人に甘えたり。


自由への欲望と承認への欲望の葛藤
自由を捨てれば自己不全感に陥り、自由に生きても承認を捨てれば生きる意味を見失ってしまう
   ↓
両立するためには「自己理解」と「一般的他者の視点」が必要。

自由とは「自己決定による納得」
 他者への同調を辞め、まず自分がどうしたいか考える。納得のいく自己決定のためには、自分をよく知る必要がある。
「~ねばならない」「~すべきだ」という義務感で自己不全感が生場合、そこに承認不安はないか、親への承認不安に基づく自己ルールが存在しないか分析する必要がある。

一般的他者は、利害関係のない中立的な他者。身近な人間だけでなく、様々な価値観を持った他者を理解する。「見知らぬ他者」からの承認を確信して自分の行動に自信を持つ。

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Posted by ブクログ 2012年07月09日

承認不安について。あまり人に話して共有することではないけど、おそらく人間が等しく気になっていること。なるほどがたくさんあった。ただ繰り返しが多くて、ちゃんと省けば本半分ぐらいになるんじゃないかな?(笑)

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Posted by ブクログ 2012年04月26日

心理学的な記述が多く、ぼけっとした頭にはあまり入ってこなかった。バブル以降、就職がままならないフリーターや非正規の人は集団的承認の機会も減り、結婚できないことで親和的承認を得る機会も難しくなり…という負のスパイラルになっているために苦悩する人が多い。

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