【感想・ネタバレ】新装版 海と毒薬のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

大岡昇平の野火を読んだ時にも思ったけど、自分がそういう場所に立たされたときに自分ならどうするんだろうが常に付き纏う。そして解説で「日本人とはいかなる人間か」っていう問いには、安易ではあるけど「同調圧力」「派閥」ってものに弱いんだなと感じてしまった。
上田ノブという看護婦さん、25歳で嫁き遅れと感じていて、この男でいいから子供がほしいと結婚する描写…戦後70年経っているのにこういう焦燥感みたいなものが今でも残る日本、やはり同調圧力みたいなものは相当根深いのでは?って思う。
そこからの上田さんの人生はたしかに哀しみが深いものだ…お腹の中で子供が死んで、自分がこれから子供を産めないってなったら、放っておいてもいつか殺される捕虜の生体実験を手伝うことに心が揺り動かされるかと言われるとそんなことないだろうな。

このお話に出てくる人たちは戦争によって深く傷つけてられているか、そもそも人間的感情を持たないことに苦悩している人たちで、すでに生きる意味を見失った上で、さらに人間としての尊厳を失くす行為をしていっている。そんな心情のまま極限の状態でそれを断る避けるということは出来ないだろうし、それをやってしまってなお良心の呵責を感じるのであれば、むしろとても清廉な人だし、生きづらいだろうなと思ってしまった。

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2022年10月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「ドクターM  ポイズン」を読んだ後、急に読みたくなる。
多分、高校生くらいの時に一度読んでいると思うのだけれど、その時の記憶は無い。
1986年の映画は観ていない。

1945年、米軍捕虜に対して九州にある医大で実際に行われた生体実験が題材。

戦後に、新しい土地に引っ越してきたサラリーマンの語りで始まる。
彼は結核を患っており、「気胸」の治療を行う必要があった。
近所に一軒だけある「勝呂(すぐろ)」という医院。
無口で風変わりな医師は、気胸の腕前は確か。
しかし、ひょんなことから彼が、太平洋戦争末期の、捕虜への生体実験に関わっていたと知る。

この物語は、事実をもとにしたフィクションなので、実際に事件に関わった人たちの心情がどうだったかは分からない。
医療モノではあるが、神を持たない日本人の倫理観、人間の本質を描くことが最重要だったと思われる。

捕虜の扱いに対する倫理。
医療倫理。
人としての良心。
・・・のなかった人々の過ち。

戦時中、次々と空襲で人の命が失われ、病院であろうとその他の場所であろうと、人は毎日死んでいく、という時代の特殊性があった。
空襲で多くの日本人の命を奪ったアメリカ兵で、銃殺が決まっていたのだから解剖しても構わないのでは無いかという(へ)理屈。
アメリカ軍捕虜に対する実験によって、結核の手術の基準ができ、患者を救う指針ができるという、大義名分。

しかし、解剖の執刀教授はその前に医療ミスによる死亡事故を起こしており、医局長の選挙に向けての自身の点数稼ぎのため、軍に媚を売るための捕虜の解剖であった。

教授の傘下にあった医学生(当時)の勝呂は、助手を務めないかと誘われる。
ここで彼は、その「実験」の是非をよく考えずに、長いものに巻かれるように参加してしまったのである。

この作品では、その後の裁判の模様などは描かれない。
代わりに、裁かれる人々の、来し方や事件に至るまでの心情が手記のような形で描かれる。

解説では、「神を持たない日本人」の、「良心のありか」について書かれているとある。
この「神」は、人の行いを厳しく見張る、規律を持った神である。
日本人にも神はいるが、ほぼ、自分達に都合のいい「ご利益」をもたらしてくれるものであり、お布施さえしておけば人間の行動に何ら口出しして来るものではないという認識だ。

勝呂医院に通うサラリーマンは、当時の裁判の記録などを調べる。
気胸に通うことに恐怖を覚えるが、勝呂医師の腕は良い。
私が一番驚いたのは、事件の後様々な経験を経て、流れ着いた街で医院を開いている勝呂二郎の言葉である。
捕虜の生体解剖という事件に対して、後悔をしていることは想像に難くない。
取り返しのつかないことをしてしまったという思いも事実だろう。
しかし、勝呂は
「仕方がないからねえ・・・これからも同じような境遇に置かれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない・・・アレをねえ・・・」
と言うのだ。
どんな経験をしても、人間の本質というものは、こうも変わらないものなのかと思った。
生体解剖の場面で、勝呂は怖気付き、何も手伝わずに後ろで見ていただけだった。
参加を断ることもできたのに、ズルズルと付き合った挙句「自分の人生をメチャにしてしまった」と言った。
自分のしたことへの罪の意識よりも、まず自分の人生の心配が重要なのである。
一見、勝呂とは正反対のタイプに見える同僚の戸田の、「やがて罰せられる日が来ても、恐怖は世間や社会の罰に対してだけで、自分の良心に対してではないのだ」という考えと何ら変わることはない。
しかも、戸田のような自覚もない。

現代の小説やドラマではこういう場合、己の立場が悪くなろうとも、倫理に照らして間違っているものとは断固として戦う、というのが主人公だろう。
しかし、遠藤氏の作品には、そういう英雄はあまり出てこない。
人間は、正義を貫き通せない弱い存在として描かれることも多い。

他の作家の小説には、人間的な弱さを、むしろ愛おしいものとして見つめている場合もある。
この小説もそうなのだろうか?
いや、「仕方ない」と言わせつつも、それを肯定はしていない。
転んでしまう弱い人間に対しての、やや厳しい目(やや・・・である)、そして微かな嫌悪感も感じられる。
宗教を持つ、遠藤氏ならではの見方かもしれない。
だからと言って厳しく批判することもできないのは、自分もそうであろう、という自覚があるからにしての、同族嫌悪なのかもしれない。
読者としての立ち位置も同じである。

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ちなみに、同じ事件を題材とした作品の原作で、
『しかたなかったと言うてはいかんのです』
というドラマが去年放送された。
事件の後、死刑を宣告された主人公の妻が、減刑を求めて奔走する姿が描かれる。

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2022年08月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

あなたにとっての「良心」とはなにか。

生体解剖がどれほどいけないことだったのか、私には分からない。
ましてや戦時中で捕虜を生きたまま解剖するとは!という声が出版当時は聞こえてきそうだが、現代のわたしがこの本を読んだとしても、そのような感想は出てこなかった。
現在でも病理解剖と言うのも行われているし
生きたまま行うのはうわ、っと思ったが麻酔はかけられていたし、描写であったようにどうせ捕虜として戦争で死ぬならば今後の生きる人のためになるならいいんではないか?っという様なことに納得してしまう自分が嫌になった。

なにか、自分が正しいと心を律するために誤魔化すような能力だけ秀でてしまい本当に考えなければいけないことを考えれていないと思った。
誰かに意見を言われたら「確かにそうだね」とすぐに意見を流されてしまい「良心」が変わってしまうような日本は今そんな世の中になっている気がする。

誤ったニュースが報道されたとしても自分で真意を調べずにすぐに自分の意見を主張する。悪いと思ったら徹底的に批判する。
その後、本当のニュースが流れたとしても前回の自分の意見を撤回することなくまた意見を変えて流される。
そういう自分にならないように意識していかなければならない。

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2023年10月25日

Posted by ブクログ

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戦争犯罪に対し心の迷いを抱く勝呂にフォーカスを当てている物語だが、描写がとてもリアルで目を背けたくなる部分も多々あった。しかし、心情描写を強く読み取れる箇所が少なく、物語としての起伏は少ない印象だった。

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2023年06月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ラストは突然終わる感じ。

戦時中の大きな流れや心が破滅に向かう抗えない状態をタイトルの海に例えた感じなのかな。

アメリカ捕虜を人体実験に参加した勝呂は
現在もその罪の狭間で揺れている状態。
けど、本人も今またやれと言われたらアレをやってしまうだろうと。

人体実験といえばナチスドイツのイメージだったから
日本人のこれは信じられなかった。
まさか生きたまま…あんなことこんなこと…

本当に罪と断絶できるのかなー。
もうその時の環境に置かれないと、誰も何も答えは出せないよ。


その場にいたら、私もねー…
なんで参加したの?断れなかったの?
っていうのは今だから感じれる正常な感情。

続編の『悲しみの歌』も読もうかな。




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2022年09月09日

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