あらすじ
耽美主義の人気作家・美倉洋介(みくら・ようすけ)が駅で出会ったみすぼらしい少女バルボラ。酒びたりで自堕落な彼女が家に居着いてからというもの、美倉のインスピレーションは冴え渡り……。はたして彼女は悪魔か女神か!? 芸術家の栄光と苦悩をめぐる、不可思議きわまる幻想譚! <手塚治虫漫画全集収録巻数>手塚治虫漫画全集MT145~146『ばるぼら』第1~2巻収録 <初出掲載>1973年7月10日号~1974年5月25日号 ビッグコミック連載
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Posted by ブクログ
読むべき作品。
読み始めるときは、時代背景をきちんと脳内に設定してから読み始めないと
この作品のメッセージは伝わらないように思う。
読み手の性別の違いによって、この作品から受け取るものは、質も形もまったく違うものになるだろう。
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『デパートの女』
『女と犬』
『黒い広場』
『秘密』
『砂丘の悪魔』
『黒い破壊者』
『狼は鎖もて繋げ』
『複製』
『狂気の世界』
『ブードゥー』
『黒ミサ』
『回帰』
『宣告』
『霧の中のパトス』
『大団円』
Posted by ブクログ
ばるぼら
ジャンル青年漫画
漫画:ばるぼら
作者手塚治虫
出版社小学館
その他の出版社
掲載誌ビッグコミック
発表号1973年13号 - 1974年10号
『ばるぼら』は、手塚治虫の大人向け漫画である。『ビッグコミック』(小学館)で1973年(昭和48年)13号(7月10日号)から1974年(昭和49年)10号(5月25日号)まで連載された。『ビッグコミック』での連載としては、『奇子』の後、『シュマリ』の前となる。
2019年に手塚眞監督により実写映画化され[1]、2020年11月20日に公開された。
あらすじ
小説家・美倉洋介は耽美派の天才として名声を得ていたが、異常性欲の持ち主であることに日々悩まされていた。ある日、新宿駅で彼はアルコール依存症のフーテン娘・バルボラと出会い、彼女をマンションに居候させることとなる。バルボラはことある毎に美倉のマンションを出るが、そのたびにまた彼の家に居ついてしまうのだった。やがて美倉は、ミューズの末妹かつ現代の魔女であるバルボラと、彼女の母ムネーモシュネーを通じて、黒魔術世界とかかわりを持つようになっていく。
バルボラの魅力を認識するようになった美倉は、黒ミサ式の結婚式を挙げようとするが、儀式の途中で警察に踏み込まれて美倉は逮捕され、バルボラは行方不明となる。大阪でバルボラを見かけたという話を聞き、会いに行くが、バルボラそっくりの女は美倉を覚えておらず、ドルメンと名乗った。
5年が経ち、結婚して子供もできた美倉だったが、小説のほうはさっぱりだった。ついには、画家の元にいたドルメン(バルボラ)を誘拐し逃走するが、バルボラが交通事故にあってしまう。瀕死のバルボラを連れ、作家仲間である筒井の別荘に姿を隠すが、バルボラはそのまま死ぬ。美倉はその状況で長編「ばるぼら」を書きあげる。
更に数年が経ち、美倉が残した「ばるぼら」は大ベストセラーとなっていた。 しかし、美倉の姿はどこにもなかった。
以上ウィキペディアより引用。
感想
絵柄がちょっと永島慎二風。永島さんは手塚先生のアシスタントを務めたこともあるらしいが、当時「フーテン」で売れている作家だったと記憶する。フーテンを描くので絵柄を寄せたのかもしれない。
映画版ホフマン物語に手塚先生がインスパイアされた作品らしい。この映画、手塚夫人とその息子の真家族3人が大好きな作品らしいが、私は観ていないので類似性は指摘できない。
途中から黒魔術世界に入っていったりと話が破天荒になってしまう作品だが、手塚先生の芸術観を表した作品であることが登場人物のセリフからうかがい知れる。
美倉洋介「小説か!しょせん二十世紀の小説はマスコミの消耗品さ」
ばるぼらの母ムネーモシュネー「芸術というのはまずしいものさ。ぜいたくにつくるもんは芸術じゃない。商品というものだよ」
「...何百年もたってからきゅうに最高芸術としてみとめられてもてはやされることもあるし、芸術品としておもわれていたものがきゅうに飽きられて価値がダウンすることもあります。芸術とはしょせんそういうものですよ」
スランプ期にあった手塚先生にとってつくつく感じた芸術観だったのではないだろうか。
作家というのは人生のどん底にいる時ものすごい名作を生む。ブラックジャックで再ブレイクするまで青年コミックを描いていた時代は暗中模索のスランプ期だったせいもあり、人気が出ずに早々に打ち切られてしまったがゆえに話が尻切れトンボで終わった作品も多い。が、このスランプ期に今読みかえすと名作が多い。AIに本当に描きたかった手塚先生の結末を描かせたら面白いと思うのは私だけだけだろうか。満足度★★★+0.5
Posted by ブクログ
映画化を受けて再読。こんなお話だったかー。前半と後半で明らかにムードが違って、手塚先生ご自身があとがきで書かれているように、主観的・観念的なものからオカルトへの転換がなされてますね。個人的には前半のミステリアスな雰囲気が好きでした。現代ではもう、こういう作品はなかなか発表しにくいだろうなぁ。作家性の強さとともに、時代を感じる作品でした。
Posted by ブクログ
ばるぼらといふギリシャ語が、あるんだか何だか。
バーバリーの系統でいいと思ふが、さういふ、ムネモシュネ―の娘にそんなんをらんはー、でなくて、
ブラックマジックの辺とか、適当に「人形へなんか刺す」のはどっちかと言へば、あまたあるやつの内の日本向けで、若干ナショナリスムの、ブードゥーとか魔女術とかを紹介するんでなくてただ資料をぱっと見てざっと捨ててるぽいのだが、
かつ、それでも、実は変態で(小説家さんならその辺 アレだぞ三島由紀夫先生は「男の娘時代」を公表してるぞ一応)売れっ子の小説家先生宅へ、ミューズ、ムサ、なんでもいい、とにかく物語、文化、なんかさういふのをもたらすなんぞが現れる。この辺はアート(魔法とか 藝術)の基本の筈。
『ホフマン物語』といふイデオロギーでエンターテインメントをあげるのは良い。
Posted by ブクログ
あえて平仮名で書かれたタイトル。
聞き覚えのあるような言葉。
しかし作者はさほど重要な意味をあてたわけではないらしい。
手塚先生はあとがきに、この作品は軽めの話だというようなことを書いていたけれど、どうしてどうして。
アーティストの心を揺さぶる様々な誘惑。
誘惑のように見える様々な思い出やトラウマ。
何かにとりつかれた人間がいかに、そのために疲弊し、すり減ってゆくか。
しかしその一方でどんなに満たされた瞬間を持つことができるか…
そんなことをつらつらと考えた。