あらすじ
貴子(きこ)と永遠子(とわこ)。葉山の別荘で、同じ時間を過ごしたふたりの少女。最後に会ったのは、夏だった。25年後、別荘の解体をきっかけに、ふたりは再会する。ときにかみ合い、ときに食い違う、思い出。縺れる記憶、混ざる時間、交錯する夢と現。そうして境は消え、果てに言葉が解けだす――。やわらかな文章で紡がれる、曖昧で、しかし強かな世界のかたち。小説の愉悦に満ちた、芥川賞受賞作。
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ラジオで朝井リョウが「文章全てがクリスタル」と評していた。
本当にその通りで、全てが美しくて儚い。
葉山に行ったこともなければ、別荘に通う経験もない私が、夢を見たあとのように薄ぼんやり記憶と交差してしまうほど素晴らしい。
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きました、The芥川賞作品。二人の女性が再会することで生まれるコミュニケーションと気持ちの移り変わりという言い表すのが難しい感情を汲み取る表現はまさに芥川賞。ドップリとハマれる作品は休みの日には嬉しく仕事の日は避けたい。気持ち持っていかれるから。
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多分「楽しむ」よりも「感じる」小説なのかもしれない。
貴子(きこ)と永遠子(とわこ)が葉山の別荘で同じ時を過ごし、別荘の解体に伴い25年後に再会する。簡単に言えばそんな話。
冒頭の「永遠子は夢をみる。貴子は夢をみない」という一文があるのですが、最後まで読み、これは貴子の夢だったのでは?とも思いました。過去と現在が行き来したり、重なり合ったり重なり合わない記憶、「髪」の表現の妖艶さ、生と死・・・。生々しい官能的な世界に、私自身、彼女らの夢の中に連れ込まれてしまいそうな危険な感覚を覚えた。魅力的な作品。
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25年ぶりに再開した貴子と永遠子。
2人の記憶が絡まり合いながら、25年を埋めていく。
過去と現在、夢と現実が溶け合う世界にとぷんと浸かりながら読み進める不思議な感覚。曖昧で、浮遊感がある独特な文章。
絵画のような小説、という表現がしっくりくる。印象派の絵を思い浮かべながらページをめくりました。
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正直、言葉が甘ったるくて気分じゃなくて、前半はいつ読むの辞めようかと言う感じだったけど、そのノイズみたいな、表面的な触感を押し撫で浮き出てくる形が凄く面白かった。てかこの体験が良かったのかも。聞きたいのは、わが星好きですか?月の話があったから繋がったんだけど、それ以上に夢に見て、遠くから眺めているより、実物を目に入れたい。想像上より生きてるって感じたいみたいな。あと解説の町田康がやぱパンク
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この方の作品のファンになってしまいました。
独特な文学的な文体で、現実なのか夢なのか、ひらがなもあえて多くしてるんだと思うんどけど、また違った懐かしい描写に成功している。とにかく描写が懐かしいというか、なんとも芸術的な気分にさせる。
今月表参道の山陽堂書店でで個展もやってるらしいので行きたいとお思いました。
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僕にはとても読みづらい作品で、125ページの中編で読むのに6日間もかかった。もちろん時間の合計ではなく、かかる期間のことだ。
知らない言葉だらけで、調べたら源氏物語で使用されたとか、とにかく通常に使う言葉の代わりに普段使われない言葉に置き換えて使用されている。
教養の高さは感心するが、読む側のレベルが問われる。ひらがなも多く使われ、漢字で意味を感じ取るのに慣れた僕にとってこれもまた苦労した。
とこんなに文句を言うけど、やはり文学として評価されるべき作品だと感じた。知らない言葉を知っている言葉へ、ひらがなの一部を漢字へ置き換えたら、雰囲気そのものも変わってしまうかもしれないので、この雰囲気を出したいからこそこのような書き方になっているのも納得出来たし、主人公2人の裏にいる記憶にしか出てこない2人のお母さんもまた主人公で、短い数日間の話だが、4人の女性のそれぞれの人生、親子の関係性、文章としては軽く触れるのみだが、その度考えさせられる内容ばかりで、読んでいるうちに、なんか不思議な感情になれるという技術力も凄いと思う。
ある方の書評を見ると、ジブリの映画のような気持ちになれると。まさにそれ!と、とても共感した。時間というテーマをこのような形で表現出来るという発想も、短いからこそ決して簡単ではない構造が崩れずに出来たところも素晴らしい。
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2011年芥川賞受賞作品。現在と過去、現実と記憶がないまぜになって「いま・ここ」の自己が希薄化し、二人の女性の身体は境界線を失って混濁する。他者は異物として対置されず、それどころか自己の一部となる。女性性を際立たせるための男性の介在はもはや必要なく、男性の主要人物たちはアブストラクトな背景と化す。同じことが男性の身体で可能なのか。文学における男性の身体は依然、他者=女性という支持体を必要とするのだろうか。
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記憶のあいまいさ。
過去の積み重ねが今であるなら、
今ある自分のいかにあいまいなことか。
人から教えてもらって、好きになった
アーティストのポスターが
急に目に付くように感じる。
人間は、脳のキャパの問題から、
目に入る情報のほとんどを
切り捨てている。
同じ道、同じ時間を共有してるはずなのに、
全く違う記憶を生きている。
人はよく、過去は変えられないが
未来は変えられる、という。
実は、過去も変えられるのだ。
全ては、今ここにいる自分に
引き寄せられる。
過去も未来も、今の自分の手の中にある。
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千と千尋の神隠しのような、
日本古来の時間の流れかたを感じた。
効率化、時短、資本主義そんな現代を生きるためのワードをちょっと横において読みたい一冊。
時の流れはいつも取り止めもなく掴めないけれど、この本の中に少しだけ閉じ込めてくれている気がした。
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4,5年前の芥川賞作品です。
著者は若くてきれいで話題になりましたよね。
さて、
表層的には、言葉遣いの趣味がいい文学作品という印象。
知らない言葉や、頭の奥に眠っていて
これを読むことでそこから起こされた言葉などが多くありました。
よくそんなに言葉を知っているなぁと感嘆しました。
さらに、そういった言葉を使うことで、
うまく言い得ているために、表現の奥行きが深まっています。
難しい言葉には難しい言葉なりに、
こめられた意味の深さがあるもんなんですねぇ。
内容に関しては、
他愛なく、おしなべて言えば、平板なのですが、
一様ではないんですよね。
品がよくて、驚きの無い小さな万華鏡みたいな変わり映えのし方かなぁ、
あんまりうまく言えていませんけれど。
濃密だけれど、むせることはない空気感、
時空の濃密さをできるだけとらえた、みたいな文章です。
5秒刻みで知覚しているのがふつうの人だけどすると、
この著者は2秒刻みで世界を表現しているというように
感じられるところもありますね。
主人公の貴子と永遠子の二人がひとしい扱いで、
ヒロインとして両立しています。
そこらへんは、二人が一緒に出てきた時にもそうなので、
うまく書いているなと思いました。
二人の主観がからみあうからこそ、
この作品のさらっとしているんだけど濃密という感覚を
作り出せているのではないか。
しりすぼみにならずに、
ちゃんと最後まで表現をあきらめていない。
汗臭くではない感じで、全力を尽くしている。
だからこそ、言葉の勉強になる作品だと思いました。
小説を書く人にも、勉強になるでしょう。
130ページ弱の中編ですけれども、
さらさらっと読み飛ばせない言葉遣いなので、
それなりに読むのに時間はかかりますし、
負荷もありますが、
そこは作品の方に身をゆだねて、
文学の世界に浸ってみるのがよろしいのではないでしょうか。
Posted by ブクログ
第144回芥川賞
著者、朝吹さんの経歴と家系に恐れおののきながら読む(福沢諭吉と遠縁で父親実業家の母親名翻訳家てどゆことなの)
現実と夢が交差しながら進む物語
人の夢の話って、本当に興味ないじゃないですか
でも(恐らく)ものすごい文章力で紡がれているのでむしろ、文字から自分の経験へと回帰しながら物語を読むことができてしまう
これ、多分芥川賞の中でもそうとう上位の作品なのでないでしょうか
別荘とかそういうアイテム1つ1つに著者の幼少期の体験が少なからず混ざっており、それを小説として昇華させている
大変高度で嫌味を感じるわけでもなく(そこが僕は1番すごいと感じた)文章量の割に読書時間がかかりました
何故かと言うと自分の体験を思い出せと言われた気がして、その時間が読書中にあったから
果たして読み方合っているのかわからないですけど
結局、わかることしか「書けない」と思うんですよ
先日の加藤シゲアキでも思ったけれど、わかることを書いている時の作家ってパワーが違う
この朝吹さんも恐らくわかることしか書いていない
それが地上より1段上の空気なのに、読む側は不快感なく読むことができる
人によっては「!」となる作品な気がします
ただ、慎太郎の選評の方が愉快さで言うと僕は上かな
あ、あと解説の町田さんやりすぎ
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2011年第144回芥川龍之介賞
“きことわ”は、貴子(きこ)と永遠子(とわこ)
の二人の女性の名前から
きこが、小学3年生の8歳
とわが、高一の15歳 まで
二人は葉山の別荘で共に夏を過ごしていた
そして、25年後別荘の解体で久しぶりに再会
ふたりの思い出、記憶違いを会っていなかった時間を埋めるように文章が流れていく
目は文字を文章を追っているのに
自分の幼児期の記憶が溢れてくる
しかも私は嫌な方の思い出ばかり
きことわは決してそんな流れではないので
私の心情がそんな状態だったのだと思うのです
偶然にも最近友人と年甲斐もなく 8歳くらいの時の家庭の思い出を愚痴りあったからかもしれない
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海沿いの避暑地を舞台にした物語。ややこじんまりとしているが、空気感が良い。時間軸を取り払ったような構成が面白いんだけど、現在の登場人物が魅力に欠ける。現実ってそんなもんなんだろうけど、もっとセンチメンタル、ノスタルジックのほうに振って欲しかった。
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きこ、と、とわこ。
2人の、現実感のないふわっとした言葉たち。
全体的に、言葉が言葉の形をなさないような、ふわっと浮遊してる感覚。
正直よくわからなかった。
物語を読む、というよりも、文体を味わう本なのかも。
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144回(2010年下半期)芥川賞受賞作
純文学ってこういう作品のことをいうのかな
絵画のような文学
泉鏡花を読んだ時
光がきらきらと輝いている
風景が脳裏に浮かんだ
ゆめとうつつ
現在と過去
あなたとわたし
の境界線が消失していて
でもその境界線を探さなくてもよくて
ただ描写を味わいながら読み進んでいく感じ
Posted by ブクログ
第144回芥川賞受賞作
夢と現、過去と現在を混在させた曖昧な世界を調和させる表現力がすごい。子どもの頃の不確かな淡い記憶や微睡むような感覚。誰しも感じたことがあるけど、言葉にできない塵芥が物語になっている。
末尾の町田康さんによる解説が秀逸。
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「永久子は夢を見る。貴子は夢を見ない」という出出しが凄く魅力的で、その後の展開に大きな布石と仕掛けがなされていたのが素晴らしいと感じました。
記憶というあまりにも不確かなものを、ひととき共に過ごした二人の女性が共有し合う様子をそばで見させて貰った様な感覚を持ちました。
初めは永久子側が夢と現実の境界が曖昧なのを貴子の記憶が補正する話かと思っていましたが、物語中盤で、非現実的なことが起こるのが貴子であったり、いるはずのない永久子を服装まで言い当てたりと、貴子が夢を見ないのは、見ている自覚がないだけなのかもしれない、という展開になって驚くと共に、自分の読解力が追いつかず混乱させられました。
通しで2回読みました。
改めて読んだ感想は現実、記憶、夢、が折り重なって展開されていた様な気がします。どこがどれかというのは分かりませんでしたが、それこそが作者が使えたかったことかもしれません。
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2010年度第144回芥川賞受賞作。
別荘で出会った二人の少女が25年後に別荘の解体をきっかけに再会する。二人のかみ合うようなかみ合わないような記憶とこの25年の間に起きた出来事、夢と現実の狭間を通して二人の心は再び通い合っていく。そんな姿を描いた作品。
現実的な作品とは違うため、そうした作品に慣れている人は本作の世界にはなかなか入りにくい部分があるかもしれない。じっくり読まなければ、この小説の世界観には浸れない。
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綺麗な作品だなと思った。幼い頃の夏、限られた日数を共に過ごした永遠子と貴子の二人が、その夏の思い出の残る家を解体することをきっかけに再会するという大きなストーリーの中で、それぞれの今と記憶の中の心情や会話が織り重なって、まさに人が記憶を呼び起こす時の思考のちぐはぐさ、過去の感情と今の心の声が重なるような感じが表現されているなと思った(人によって少し記憶がずれているのもリアルだなと)。幼い頃の夏の思い出というのは大人になっても残り続けるもので、私も一時帰国で訪れた旅館の近所のお祭りでとった金魚を旅館に預けたことや(思い返すとだいぶ迷惑だな)、今は亡き母方の祖父とカードキャプターさくらの劇場版を見たこと等思い出したり。朝吹真理子作品の匂いがしてくるような表現がすきなのですが、自分の幼い夏の匂いと、作品中の表現から想起される匂いとが混ざって不思議な感覚になりました。
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貴子と永遠子。二人は7歳違い。25年前に葉山の別荘で同じ時を過ごした。それから25年、再開した。柔らかい文章で不思議な感覚になる。あれは夢だったのか現実だったのか錯綜する。懐かしく切ない子供の頃の話に胸がキュンとなった。
Posted by ブクログ
さらさらした文章
朝吹真理子さんの本を読むのは初めて。松濤美術館の同じ企画展を同じ日に見ていたり、わたしが根津美術館に行った日に、朝吹真理子さんが日経の日曜版に根津美術館周辺エリアに関するエッセイを書いていたり、何かと縁があるように思えて気になっていた。
場所と記憶の関係について、わたしも幼い時期に住んだ社宅を頭の中でありありと思い描けるのに、もうとっくに取り壊されて低層高級マンションになっていることを不思議に思ったことを思い出しながら読んだ。
なんでもないことがさらさらと重厚に描かれている。
不思議な描写の部分を咀嚼しきれなかった。
鉄線柄の浴衣いいなあ。
Posted by ブクログ
芥川賞作品ということで手に取る。大学在学中の作品のようで20代でこのような文章を綴れる語彙力と描写力にこの方がまだ短い人生の中で一体どれだけの本を読んだのだろうと感嘆していました。幼い頃毎夏葉山の別荘で過ごした「きことわ」のそれぞれの記憶が25年を経て同じ別荘で鮮明によみがえる様がこれでもかと綴られる。記憶というのは五感に刻まれ深い場所にあっても何かの刺激と共に再び目の前にひっぱりだされるもの。同じ風景を見ていても人により記憶されるものは違う。一時濃密な時間を過ごした相手と何十年先に再会すると私ならどうなるだろうと考えて余韻を楽しみました。
因みに話の中に現在の北極星はこぐま座だがずっと後の北極星はそうではないと記載されていて死ぬほど驚いた(これってみんなが知ってることなの?)
芥川賞、私設図書にて
Posted by ブクログ
読書開始日:5月1日
読書終了日:5月2日
所感
難しかった。
全体通してずっと貴子、永遠子の夢の中にいるようだった。
安定しない。
綺麗な表現と難しい漢字もあいまり、常に朝靄がかかっているような感じだった。
解説が欲しい。
Posted by ブクログ
曖昧の美学か。過去のことは美化する。
親しい人が亡くなったら引越すのか。
夢の中の記憶と過去の記憶が交差して今が動き出す。なにも起きない日常。
Posted by ブクログ
ふわふわとゆったり時が流れていく不思議な感じ。
繊細で丁寧な言葉遣い。
自分の夢と母の夢が繋がったこと、一度あったな。
小物も同じで驚いたけど、すごく怖かったから百花の気持ちが分かる気がする。
月は地球から
「年間、約三.八センチ地球から遠くなるの。」