【感想・ネタバレ】ガザに地下鉄が走る日のレビュー

あらすじ

イスラエル建国とパレスチナ人の難民化から70年。高い分離壁に囲まれたパレスチナ・ガザ地区は「現代の強制収容所」と言われる。そこで生きるとは、いかなることだろうか。ガザが完全封鎖されてから10年以上が経つ。移動の自由はなく、物資は制限され、ミサイルが日常的に撃ち込まれ、数年おきに大規模な破壊と集団殺戮が繰り返される。そこで行なわれていることは、難民から、人間性をも剥奪しようとする暴力だ。占領と戦うとは、この人間性の破壊、生きながらの死と戦うことだ。人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで人間らしく生きること、それがパレスチナ人の根源的な抵抗となる。それを教えてくれたのが、パレスチナの人びとだった。著者がパレスチナと関わりつづけて40年、絶望的な状況でなお人間的に生きる人びととの出会いを伝える。ガザに地下鉄が走る日まで、その日が少しでも早く訪れるように、私たちがすることは何だろうかと。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

YouTubeにて「アラブ、祈りとしての文学」の著者がパレスチナを伝えているーーこの報せが、映像は(感情を揺さぶられすぎるために)見られない私にこの本を手に取らせた。
先日ネットニュース号外で拾い読んだばかりの、イスラエル側が「ハマスの拠点」と主張して攻撃した病院の名が、文章の中に載っていた。この本が書かれた時点では治療が、資源が払底しながらも行われていた場所だ。同名の病院でなければ、ここがいま爆撃され、襲撃され、侵入されている。
しかしその地獄は、パレスチナの人びとが1940年代から、残酷度をこれでもかというほど上塗りにされて受けさせられ続けているものだ。
ひと(いのち)を、想像の天秤において自分と等価値に置く。世界のあらゆる地域でひとりひとりによってそれが行われなければ、イスラエルはパレスチナを焦土にしてしまうだろう。……そして、高みの見物を決め込むごく少数の、大金を持ったウィンディゴが、次の標的を探しはじめるだろう。

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2023年11月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

エッセイ、と括っていいのかわからないけれど。感覚的にはエッセイと学術本の間。辛かった、きつかった、それでも読ませる力があってあっという間に読んでしまった。順番は前後するが、『アラブ、祈りとしての文学』を次読もうと思う。

あまりにも知らないことが多すぎて、読めば読むほど、なぜこんなことが起きているのか?なぜこんなことを終わらせることができないのか?なぜ世界は沈黙しているのか?なぜ私は知らなかったのか?なぜ?という悲しみと怒りが溢れてきて、言葉を失う。

1948年、パレスチナに「ユダヤ国家」を掲げるイスラエルが建国された。その過程で、この地に住まっていたイスラーム教徒とキリスト教徒のパレスチナ人70万余名が民族浄化され、難民となった。パレスチナ人を襲ったこの民族的悲劇をアラビア語で「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。

エピグラフ的に挿入されたナクバの説明から。まず「ナクバ」から初めましてだった…。そこから、でした。

読み進めていく道中、何度胸が締め付けられただろう。
学生の感想の一文、「ガザ、世界最大の野外監獄、無期懲役ときどき死刑、罪はパレスチナ人であること」、ここに集約されている。

【彼ら彼女らを取り囲む不条理・不正義について】
…これまで家族や友人を誰も失ったことがないという人に会ったとしたら…人を殺す塔や戦車や武装した「入植地」や巨大な金属の壁に囲まれていない世界の現実を体験したとすれば…そうしたら、この子供たちははたして、世界を許すことが出来るでしょうかー(p70)
岡は続ける。
「この子たち」は許せるだろうか。私たちは許せるだろうか、こんな世界を。許せるはずがない、いや、許してはいけないのだ。許していいはずがない、こんな不条理を。許していけないのなら、どうするのか。答えは明らかだ。私たちは変えなければならない、この世界を、私たちの手で、非暴力の手段によって。…私たちは無関係なのだろうか。罪はないのだろうか。ミサイルや白燐弾で殺す代わりに、私たちは、ガザを関心の埒外に打ち捨てることで、日々、殺しているのではないか。(p71-72)

境界侵犯の暴力という点で、占領と拷問は本質を同じくする。占領が、私/たちの土地に対する私/たち自身の主権を剝奪するように、拷問は、私のからだに対する私自身の主権を奪い去るのだ(p214)

【「人間」であり続けるということ】
世界の無知・無関心・忘却という暴力の中で人間性を否定され、世界からノーマンとされてなお人間であり続けること。人間の側にとどまり続けること。この許しがたい世界をわが身もろとも破壊してそれに終止符を打つのではなく、自らの人間性を決して手ば佐須、自分たちの手で、非暴力の手段によって、世界を変えていくこと。…《ガザ》に生きるとは、人間がそのような闘いを闘うということだ。(p74)

…パレスチナ人がパレスチナ人であることを引き受けるということが人間にとっていかなる闘いであるのか、そのことを、それを果敢に闘っている者の姿を通して教えようとしたのだと思う。(p151)

人がこの世界で何者であるかは、決して自明なことではない。…パレスチナをその目で見たことも訪れたこともない難民二世の若者たちが、解放戦士(フェダーイーン)として「祖国」の開放を求める闘いに続々と参与したのは、彼らがパレスチナ人に生まれたからだけではない。その難民的生の経験を通して、彼らは人生のいずれかの時点で、自身の生をパレスチナ人として生きることを自らの意志で選びとったのだ。…『ハイファに戻って』とは、同胞のパレスチナ人に対し、「パレスチナ人であること」とは何かを、このような思想的地平で開示した作品である。カナファーニーはこれを「人間とはその一人ひとりがひとつの大義(a cause/qadiyya)なのだ」ということばで表現している。(p188-189)
…真の人間とは、どの時代、どの場所にも属さない。…真の人間とは一人ひとりが、ひとつの大義であり、ひとつの国であり、ひとつの時代である…(エマソン)。(p206)
図らずもカナファーニーを読んだ後だったので、文中に引用される話の数々がしっかりわかってよかった。

【私への、世界へのメッセージ】
「訊きなさい!」「私たちには答える義務があるのよ!」(p114)

それでも、私たちは証言しなければならないのです、とズフールさんなら言うだろう。これは、私たちが人間としてこの世界に存在するための闘いなのですから、と。(p132)

「パレスチナに行ったこと、ある?」「ええ、何度か…」その答えを聞くや、ホダーとイブティサームさんが間髪入れずに、口を揃えて訪ねたのだ、身を乗り出して、目を輝かせながらー「ヘルウ・フィラスティーン(パレスチナは美しかった)?」(p155)
「ヘルウ・フィラスティーン?パレスチナが美しいだって?こんな、日々、暴力と流血にまみれた土地の、どこが美しいっていうんだ?…このあいだも取材中、友人がイスラエル兵に射殺された。その遺体の傍らで、ぼくはカメラを回せばいいのか、泣き叫べばいいのか分からなかったよ。ここには抑圧と暴力しかない。ぼくたちは自由を求めて闘っている。平和を求めて闘っている。だけど、ぼくたちはこの占領の元で生まれ育って、暴力しか知らないんだ。きみは平和から来たんだろ、日本は平和なんだろ、きみたちは自由なんだろ。じゃあ、教えてくれないか、自由とはどういうものか、平和とはどういうものか」(p176)
…イスラエル軍に占拠されたスターホテルのロビーで、アウニーたちがなぜ、あんなに引きも切らず冗談を言っては笑い転げていたのか、今ならよく分かるような気がする。生を破壊する暴力、パレスチナ人の人間性を否定する暴力のただなかで、二人の青年たちは、生を愛し、今、この瞬間の生を精一杯、享受するという根源的な抵抗を遂行していたのだ。それはまた、ロビーの奥にたむろしている同年代のイスラエル占領軍の若者たちに対する抵抗のメッセージでもあっただろう。僕たちは何があろうと、生を愛し、人間であり続ける、お前たちに僕たちの魂を破壊することはできない、というメッセージだ。(p227)

読んでいて何度も、なぜイスラエルはそんなことができるのだろうかと思ったかわからない。アウシュビッツを経験したユダヤ人がどうして、パレスチナ人にこのようなことができるのか。民族を根絶やしにしようなどという行為ができるのか。

地獄とは人が苦しんでいる場所のことではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所のことだ。
マンスール・アル=ハッラージュ

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