【感想・ネタバレ】マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生についてのレビュー

あらすじ

1964年にデュシャン宅で行われた伝説のインタビュー、その全貌が初めて公に。終始リラックスした雰囲気で交わされる3つの対話篇は、彼の生き方のまったき新しさを明らかにする。

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

2079円

マルセル・デュシャン
(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス生まれの美術家[1]。20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。ローズ・セラヴィ(Rrose Sélavy)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨン(Jacques Villon, 1875年 - 1963年)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp-Villon, 1876年 - 1919年)も美術家。1955年、アメリカ国籍を取得した。近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・詩人の女性、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が制作したとされている[2][3][4]。


カルヴィン・トムキンズ
(Calvin Tomkins II、1925年12月17日 - 2026年3月20日)は、アメリカ合衆国の作家であり、『ザ・ニューヨーカー』誌の美術批評家であった。



「C T  何年かしてからだったと思います。というのも、そのインタビューのすぐあとに『ニューズウィーク』を辞めて『ニューヨーカー』に入ったんです。『ニューヨーカー』に書いた最初の長い記事は、一九六二年のジャン・ティンゲリのプロフィールでした。ティンゲリはスイスのキネティック・アートの人で、 MoMAの中庭で《ニューヨークへのオマージュ》というすばらしい作品をつくっていた。でっかい機械で、唯一の目的は自分自身を破壊すること、これを実にうまくやってのけていました。ティンゲリと話していると、しょっちゅうデュシャンのことが話題になるんです。《オマージュ》をつくりにこの国に来て、ティンゲリが最初に会ったのがデュシャンでした。でデュシャンはいろいろと彼の助けになってあげた。 MoMAの人はみんな知り合いでしたから。アルフレッド・バー( ★ 9)とは昔からの友だちで、デュシャンはあれ〔 =《ニューヨークへのオマージュ》〕を実現するときに肝腎かなめの役割を果たしたひとりだったと思います。ティンゲリについてはボブ〔 =ロバート〕・ラウシェンバーグにもインタビューしました。ティンゲリは彼に、その中庭の機械に何か貢献してくれと頼んでいたので。ボブの貢献は小銭を投げる機械仕掛けというものでした。」

—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著

「M D  そう、絵というのは見物人との相互作用で出来ていく、ということ。それなしには、屋根裏にしまい込まれて消えてしまうでしょう。じっさいにアート作品が存在するということはなくなるでしょう。いつもふたつの極が基本にある。見物人と、つくる人。その双極作用が散らす火花が、何かを産み落とす──電気みたいに。アーティストが思考を生産するからといって、アーティストは偉大な思考者だ、なんて言っちゃあいけない。見物人が「何かしらすばらしいものをつくりましたね」と言うまでは、アーティストは何も生産していない。決め手のひとことを吐くのは見物人なんです。」

—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著

「M D  うん、おもしろかったですね。そういうときは本物の遊び心がありましたよ。あと、そこにいる人たちが感じよくてね。つまり当時、シュルレアリストのあいだの内輪もめはそんなになかった──もっと団結していた。いまじゃあそんなのムリでしょうな。いま現在、若い世代はシュルレアリスムをクソマジメに扱ってるから、おかげでシュルレアリスムは退屈になってきてる。創意だの想像力だのがない。見たり聞いたりした思いつきは何でも利用して、金科玉条みたいに再利用するし、そのうち研究書でも書くんじゃあないか。[含み笑い] C T  ダダイストたちからはちょっと距離を取っておられましたが、シュルレアリストたちとは積極的に関わられたみたいですね。 M D  まあ、ダダのころは、わたしはまたここ、ニューヨークにいたわけです。パリに帰ることがあっても一、二か月ぐらいしかいなかった。連中〔 =ダダイスト〕の表現行動には加わらなかった。わたしは大根役者ってな態度を取ったことはないんだが、ダダであろうっていうんならそういう態度を取らんといかんかった。ひっきりなしに舞台に上がってパフォーマンスして、まったくバカげた朗読なんかするんだからね。[笑]  それにわたしは表立った場所に出るのは大嫌いだった。そのあと勢いがつきました。いまじゃあ講演もできます。そういうようなことができる。好きじゃあないが、かまいやしない。シュルレアリストたちはそこまで芝居がかってはいなかった──動かない装飾みたいなもんです、シュルレアリスムの展覧会にあった表現形式みたいに。最後にやったのは三年前、ニューヨークのダーシー( ★ 17)のところ。あれはご覧になった?」

—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著

「C T  なるほど。科学を、言ってみればアートを目的とした手段として使っておられるわけですね。

M D  そう。他のものを避けるための。ひとつのゲームだった。」

—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著

「C T  アートでいっぱいの人生を過ごしてこられました。でもあまりアートを信じてはいらっしゃらないみたいですね。 M D  わたしはアートってものを信じない。アーティストってものを信じてます。」

—『マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ アート、アーティスト、そして人生について』マルセル・デュシャン, カルヴィン・トムキンズ著

0
2026年09月18日

Posted by ブクログ

20世紀初めからその時々で変化するマルセル・デュシャンのアートへの態度の変化、あらゆるモノを疑い、あらゆるドグマを拒絶し、自由とユーモアを求めた。
その上で「わたしの言うことを信じちゃあいけませんよ」と食えないことを軽々しく言ったりする。

こんなミステリアスなおじさんいたら誰だって気になる。アート界は彼の言葉に100年近く囚われたまま(?)である。そんなことは本書には載っていないが。

現代アートの思考様式の源流を、デュシャン本人の言葉で辿っているような、自然な口語訳がとても気持ちがよい。

0
2021年01月24日

「ノンフィクション」ランキング