あらすじ
「人間は何度も何度もこの世に生まれてくることはできない。この大切な一生を、何の願も立てずに空しく過ごしてしまうということは、まことにもったいないことである」──「絶対のめでたさ」とは何か。「自己に親しむ」とはどういうことか。安直な自己肯定を戒めながらも、仏教を決して高尚なもの、多くの人の手の届かないところにあるものとはしない。時代を超えた迫力の説法。
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Posted by ブクログ
本書が説くのは、座布団の上に留まらない「生活そのものが坐禅である」という徹底した生き方だ。道元禅師のいう「只管打坐」の精神を日常生活にまで押し広げた本書の主旨は、この一言に凝縮されている。
「今日を見失わぬ、今を見失わぬ、自己を見失わぬ。ここを見失わぬように、よく踏みしめて行くこと」
本書を読んで私が強く感じたのは、「今・ここ」を踏みしめて生きることの力強さである。私たちは普段、過去への後悔や未来への不安に振り回され、目の前の現実を見失いがちだ。しかし澤木禅師は、損得や評価にとらわれず、ただ今の自己を生きることを説く。
そのために本書は「回光返照の退歩を学すべし」と教える。外へ外へと向かう心をいったん引き戻し、自らの内側に光を向ける。そして「心の贔屓」や「眼の歪み」といった自己中心的な見方を離れ、ありのままの現実に向き合うのである。
私はこの教えを、自分と世界との隔たりを小さくしていく実践として受け取った。
「手を拍てば下女は茶を酌む鳥は立つ 魚は寄りつく猿沢の池」
この歌が示すように、一つの出来事は決して孤立して存在しているのではなく、周囲との関わりの中で成り立っている。私たちもまた、その関わりの中で生かされている存在なのだと感じた。
そして、そのような現実に深く入り込むことこそが「三昧」の姿なのではないだろうか。なりきる、食べきる、歩ききる、自分をやりきる。この「しきる」ことが重要である。目の前のことに徹底して取り組んでいるとき、人は不安や迷いに振り回される暇を失う。
本書は、特別な悟りや安心を求めるのではなく、今日・今・自己・ここを見失わず、一歩一歩を踏みしめて生きることの大切さを教えてくれる一冊であった。
Posted by ブクログ
1965年に亡くなった禅僧である澤木氏が残した仏教に関するエッセイ集。
この本も一度1997年に刊行された後、2018年に再刊されているので人気ぶりがうかがえる。
テーマは
・最高の幸福
・文化人の宗教
・願の話
・和の話
・武禅一味
・少欲と知足
・回光返照
・食堂の宗教
・お袈裟の話
・蝕処生涯随分足
・座禅の本領
・修証一如
・座禅の秘訣
など多岐に渡る。
1880年生まれという事で、日露戦争にも兵として参戦し、禅僧であると同時に柔術(汲心流)の使い手でもあったという異色の経歴。
なので、その経験したところから出る言葉なので個性があり面白い。
しかしながら時々、話が飛ぶのでちょっとわかりづらかったのが難点。