あらすじ
戦後70年という節目を迎える2015年は、憲法改正論議が、より活発になっています。しかし、条文ばかりが俎上にあげられ「そもそも憲法とは何か」を見失ってはいないでしょうか。本書は、明治維新後、近代的な立憲国家をめざし、憲法を起草した伊藤博文らの逐条解説書である『憲法義解』を現代語訳したうえで、わかりやすく解説しました。明治の世の政治家や学者が、どれほど高邁に精神をいだいていたかも読み取れます。憲法改正を考えるにあたって大きな指針となる「日本人として読むべき1冊」です。
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Posted by ブクログ
大日本帝国憲法起草者の一人伊藤博文が憲法の解説書を残してくれていたのは非常にありがたい。本書はその『憲法義解』の現代語訳と訳者の解説で成り立っている。大日本帝国憲法は日本国憲法と比べ国民の権利が制限されている非民主的な憲法と一般的に思われて、学校教育でもそのように教わるが、そうではなかった。正直私達の今の生活は、大日本帝国憲法施行時代と何も変わらない。基本的人権も言論の自由も信教の自由も所有権の保障も不当に逮捕されない権利も居住と移転の自由も、議会制度も裁判制度も国家予算も税制も全部大日本帝国憲法時代に確立され保障されていた。それは大日本帝国憲法3条と4条で統治権に歯止めがかけられていた天皇によって保障された。
・誤解1
大日本帝国憲法の誤解1と言えば「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」。これが、ほらみろ統治だって、天皇絶対主義だ、と言われる。これはそういうことではなく「統治ス」は日本独自の統治方法である「知らす」を意味している。知らすというのは天皇が国民がどういう生活をしているのか、また国民の心を知るということで、そこに天皇個人の私利私欲はない。天皇の統治は私的なものではなく、全ての国民の利益のためになされる公共的なものだ、という意味である。この第一条こそが政体がどれだけ変わろうと不変だった国民と天皇の関係を要約したものであり、これこそ訳者の相澤理氏の言う通り、日本の伝統、日本人の精神に根差して作られた憲法と言える。起草者の一人井上毅は「しらす」を採用すべきと主張したが、伊藤博文は漢文の統治にしたというただそれだけのことだった。この大日本帝国憲法第一条は天皇絶対主義とか天皇主権を定めたものではない。あれはちゃんと計算されてできあがったものだ。ただ日本国憲法の第一条はそうではないのかというと、それは違って、天皇が日本の象徴であるのは別に昭和から始まったわけではない、それで日本国憲法の第一条も日本の歴史を踏まえているといえる。
・誤解2
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
これも誤解が非常に多い。まるで天皇が一神教のゴッドみたいな地位にされているように思われる。憲法で天皇を神様にしてたんですよ!とこうだ。神聖不可侵とは神という意味ではなく「尊厳や名誉を汚してはならない」という意味で、それを法的に説明すると君主である天皇は法的に責任を問われない、という意味になる。法的に責任を問われないということは「政治的な実権を有しない」ということを意味する。国政は各国務大臣が担当し、その全責任を負う、天皇はその埒外にいるのでいつまでも汚れのないままでいられる。平たく言えば次の第4条と合わせて立憲君主制のあり方を明記したものといえる。大日本帝国憲法には天皇大権が色々明記されているが、現実には全部3条と4条で制限が加えられている。よって明治天皇・大正天皇・昭和天皇は専制君主のように振舞うことはなかった。神聖とは聖なる神という意味ではないし、同様の条文は当時の欧州の君主制国家に存在していた。
・誤解3
第二十二条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
日本国憲法は基本的人権が侵すことのできない永久の権利として認められていたが、大日本帝国憲法は居住や移転の自由といった基本的人権が制限されていたと言われるらしい。これはひどい。確かに日本国憲法11条に基本的人権が保障されているけど、しかし次の12条に、この権利は濫用してはならず「公共の福祉に反しない限り」で認めると釘を刺されているではないか。実際現在の私達の社会でも具体的な諸々の法律で既に基本的人権は制限されていて、法律ノ範囲内ニ於テ成り立っているのは戦前と同じである。いくら自分が住みたい土地だからって他人の土地を占拠して勝手に家を建ててはい引っ越しましたなんて今でも認められるわけがない。大日本帝国憲法の法律ノ範囲内ニ於テという文言は、日本国憲法の公共の福祉に反しないように先手を打って諸々の法律で制限を加えられている状態と何も違いはなく、これをことさら非民主的な憲法だったと批判するのは不正確だろう。
大日本帝国憲法下の社会と現行憲法下の社会に違いはなく、今私達が有している権利や義務も、議会制度も裁判制度も予算制度も税制も大日本帝国憲法で初めて定められた。日本人の現代的な生活は全て大日本帝国憲法施行から始まったことは疑いがない。これについて殊更戦前と戦後で分断を強調するのはどういう意図からだろう。分断というなら江戸時代の社会と大日本帝国憲法下の社会の分断の方が大きい。相澤氏の言う通り、非民主的の出来損ない憲法などではなく、世界一優れた憲法だったというのは首肯できる。これは自慢とかではなく、日本はある意味優位な立場にいたというだけである。それは憲法制定に対しては後出しジャンケンができた。既に欧州各国の優れた憲法があったので、それをそれぞれ吟味して、長所と短所を分析し、長所を取り入れかつそこに日本の伝統をも織り込むというかなり自由自在な立場にあった。『憲法義解』にはたびたび欧州の法律や議会の話が出てくるが、伊藤らはよく研究していた。28条の信教の自由についての解説など、今でこそ聞く価値のあるものだと思う。何を信じようがその人の自由だが(信教の自由)、それを外部に向かって礼拝したり布教したりするならば、人々に迷惑がかからないように法律で制限を加えますよ、国が特定の宗教をえこひいきするのも禁止ですよ、ということ。要するに公共の福祉に反しないよう制限を加えるということで、これも日本国憲法下の社会状況と全く同じ。信教の自由と宗教の自由の違いを伊藤は理解していた。彼らは邪な心で君主剣が強くなるように陰謀を働いていたのではなく、真摯な気持ちで国民の自由が保障され、議会政治が軌道が乗るように願い憲法を起草した。
ほぼ完璧な大日本帝国憲法にもいくつか欠陥があった。それは相澤氏も指摘してる通り、内閣制度の規定が憲法になかったこと。これは建前であった君主大権を主張した井上毅に伊藤博文が妥協したためと言われている。内閣に強い権限を持たせたくなかった。しかし昭和になると、自分らは天皇に直属する大臣だから内閣総理大臣の指図に従う必要はない、という理屈を軍部の国務大臣が持ち出した。つまり軍のことに政府が口出しできなくなってしまった。リーダーは建前上は天皇になってるだけで実際は不在だった。明治の元勲が存命中なら彼らが実質的なリーダーだったのでそれでも問題はなかったけど、彼らが皆世を去っていくと問題が浮き彫りになってしまった。
問題点のもう一つは、訳者の言う通り、条文が簡潔すぎてあらぬ誤解を生んでしまったこと。