あらすじ
戦後、圧倒的な支持を受け、大きな影響力を持ちながら、急速に忘れ去られた思想家・清水幾太郎。著者は、彼の栄光も凋落もその戦略ゆえとする。「正系」知識人にラジカルに挑戦し続けた清水の戦略とは。その詳細を読み解き、現在にも通じるメディア知識人の姿を明らかにする。
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Posted by ブクログ
戦後の進歩的文化人の代表として、またE.Hカーの「歴史とは何か」の訳者として有名な清水幾太郎。清水の戦時中の評論の本音と建て前の分析や、著者が得意とする所謂文化人の大衆観の解説に読みごたえを感じた。
清水が著名な割に現在ではあまりピックアップされない理由がわかる。戦後思想界をリードする進歩的文化人の顔や、80年代に入って核武装の可能性を説くタカ派の顔など多彩な顔を持っていた。著者は清水をただの変節漢としてみていない。山の手に屈性した感情を持つ下町出身者として。東大教授の道を中途で断たれた挫折者として。それゆえに、大衆との距離感に執着する芸人として自らの立ち位置を規定せざるをえなかった。芸人の行動原理は主張の一貫性ではない。何を発言すれば大衆に迎合することができ、また何を発言すれば大衆の耳目を集めるかという問いを持つ者である。
戦前に大学の職を失ったため、多かれ少なかれ時局に迎合する論評を文芸誌に書くことで生活しなくてはならなかった。言論の必要から逃れることのできた職業大学教授に対して、世に発言し続けざるを得なかった立場である。戦後はそれまでの言論が批判にされされ、鬱屈するものがあったであろうことを思えば、清水への同情を禁じ得ない。
本書は清水の原像に、今に通じるテレビのコメンテーターと似たものを見る。そうか、彼らも亜流。そうであればこそ、あれほど声高に感情を表出して雄弁に語るのか。テレビ前の聴衆と超えられないインテリを意識しながら。