あらすじ
「私たちはまだ呼ばれているのかもしれない。あの土地にしみついた死の匂いに」――それぞれの母親を自殺で失った大学生のまことパン職人の嵯峨。まこは日々、喪失感に怯えては嵯峨の子を欲しがり、そんなまこを嵯峨は、見守っている。お互いにしか癒せない傷を抱えた二人。少しずつ一歩ずつ、捕らわれていた過去から解き放たれ、未来へと飛び立っていく。大人になる直前の恋と、魂の救済の物語。
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Posted by ブクログ
久しぶりにばなな作品を読むと、彼女の言うところの「魂の充電」ができるような気がする。率直で美しい言葉に揺蕩い、じんわりと広がる温かみに回復しながら、心が擦り減っていたということに気づかされるのだ。
タイトルがとても好きだ。私も鳥のように自由なれたら。
お金や将来への心配、焦り、他人との摩擦が絶えない現代社会では、いとも簡単に切羽詰まった生き方へと流されてしまう。「大きな気持ち」で物事を捉え、幸せを一つ一つ噛み締めながら生きれたら。陰や深淵を遠ざけるのではなくそばに従えながら、人生の輝きを丁寧に抱擁するような、そんな大人になっていけたらとつくづく思うのだ。
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あとこれは大事なことに感じたから書き残しておくのだけれど、「水野さん」たちのような「ギラギラとした」大学生の描写は、主人公のそれと対極的な「普通の」姿であると見せかけて、全くそうではない。むしろ「変わった」まこに一定の理解を見せるところに私は成熟性を感じるし、開かれない限り相手に想いを馳せないまこの方が、異物を認めるキャパシティの無さと幼さを感じる。実は私の理想の大人というのは、そのキャパシティや成熟性を備えた人物でもあって。
彼女や彼女の親たちが持つ幼さは、良く捉えればピュアだし、悪く捉えれば夢見がちで他者を受けつけない。その均衡が取れないのがばなな小説における偏りではあるし、彼女も何か正解を示そうだとかそんな想いで書いている訳ではないと思うので、あくまで一つのスタイルだ。
いずれにせよ私にとってはこの甘美な世界が時に必要で、逆に私の中の偏りを均してくれるように思うのです。
Posted by ブクログ
トーンはずっと暗いのに、読み終わるころには心がふわっと晴れて生きる勇気を貰える物語だった。
アメリカのセドナの雰囲気や描写は、行ったことのないその場所に居るような感覚になった。
少し前から、よしもとばななさんの小説の世界に没入するのに時間がかかるようになった。
昔は瞑想しているような気持ちで読んでいたから、今の自分の頭や心がクリアでなくなってきたからかもと思う。
それでもやっぱり、途中から読まずにはいられなくなり、フレッシュだった自分の気持ちを思い出せるくらい心に効く小説だった。
Posted by ブクログ
生かされたいのちの物語。
超現実な設定を少し歪にして、そのまま強引に繰り広げられるばなな節。
とても身勝手でろくでなしな登場人物たちなのに、こんなにも美しいのはどうしてだろうか。
清く透き通った美しい世界。
ヒリヒリする世界。
みんな、鳥なんだ。
☆本文引用ありーーーーーーーーーーーーーーーーーー
p48 行き場がちゃんとある人なんてきっとほんとうはいないんだから。
Posted by ブクログ
特殊な環境…親たちのユートピア…で育ち、親を特殊な状態で亡くした まこ と 嵯峨。
残された二人が互いに求め合い、生きていく事を肯定していく物語。
自分を生きる…大切だと思った。
Posted by ブクログ
いつものばなな作品とは随分ちがった重苦しい一冊。
禍々しいような、怨念のような、
何とも言えない空気が全編に漂っている。
そして、まこちゃんは、
とにかく人よりずっと辛い経験をして
周りの子たちよりひどく大人であるような感じで
毎日をようやっと生きている。
でもほんとうは、ひどく幼いままでもあることを
終盤で見つけなおしていく。
他にも増して会話での説明文が延々と続くのが
現実的でないような気もするけど、
本当はこのくらい人は言語化して
コミュニケーションを取っていかないと
お互いのことなんてわからないのかもしれない。
嵯峨のすがすがしいところは
なんだか1番救われたように感じた。
明るい、未来への気持ちで
幸せに赤ちゃんを授かってほしい。
Posted by ブクログ
スピリチュアルなことに興味があるので、よしもとばななさんが書く世界観がとても好き。本作は、過去に生きていたふたりが未来に向かって歩き出す、希望の物語。
Posted by ブクログ
鬱々とした気持ちで読んだら、なにかがすこし救われた気がした。よしもとばななの文章は重いテーマを大きく包み込む優しさがあって読みやすくて大好き。
Posted by ブクログ
単行本で読んだこと、覚えておらず。
よって、新刊を読むような気持で読む。
あいかわらず変わった主人公。
いつも以上に背負っているものも重いし、
考え方も重い。
私が苦手なばななさんかなと思っていましたが、
最後のほうでぱーっと開けた。
ばなな作品の中では、
ステキな大人が出てきて、
主人公に良いことを言うことが多いのだが、
今回の末長先生にセリフが私にも染みたのだと思う。
Posted by ブクログ
よしもとばなな氏は1987年に『キッチン』でデビュー。
その後ヒットを連作。父親は批評家の吉本隆明氏。
なお本作は2014年の作品。
・・・
主人公の女子大生まことは、彼氏の嵯峨の子を宿すことを夢見つつ演劇に没頭する。
まことと嵯峨はどちらも親を自殺で亡くした遺児。彼らはいわゆる新興宗教のような共同生活を米国で送っていた。そのトップが亡くなり、それを追うように嵯峨の母親が後を追い、そしてまことの母親も、ある日ふつっと自死してしまう。
彼らはその後日本に送還され、施設を経て世に出るが、その経験の衝撃の大きさ故周囲からは浮いてしまう。
まことは子どもより死を選んだ母親への複雑な気持ちを克服できずにいるが、嵯峨との会話や大学の担当教員の末長教授との会話などから徐々に過去ではなく将来へ目を向けるようになる。
・・・
やや重苦しい雰囲気の作品、というのが印象でした。
そして章立てがなく、数行の空白を区切りとして置く以外には特段切れ目がない構成となっています。
このため、読者は常に主人公まことの視点で、日常が日常故にだらだらと続くような感覚が読んでいてありました。
なお、日常というのは、学校での演劇のこと、級友や面倒な先輩のこと、彼氏の嵯峨のこと、そして母親の死とそのわだかまった気持ち・それを起因とする悪夢のこと。
また、このまことというのが、過去の親の自死を精神的に克服できていないため、嵯峨に強くあたったり、時に上から目線で同級生を眺めたり、やや必要以上に「自分は周囲と違うんだ」感を出すような記述になっていました。
私なぞは、読んでいて感情移入がどんどん解けてゆき、むしろ冷静に数歩下がってこの女性主人公を見るような気分になりました。とりわけ筆者自身によるあとがきがややファンタジー的な書きぶりで、これを読んだあと、本作の感想はちょっと揺らいでしまったのは事実。あとがきは読まなかった方がよいかも、と密かに思いました。
ただ、自死遺族の気持ちを綴るという意味では貴重な作品だったと思います。
私の高校時代の友の一人も、奥さんと子ども一人を残して、自死してしまいました。かれの子ども、妻、両親はこの主人公と似たような気持ちになるのかもしれない、と思いつつ読み進めました。
・・・
ということで、よしもと氏の作品でした。実は初めてだったかもしれません。
本作後書きを読み、更にwikipediaを読むと、大分印象が変わったのは事実です。
優先度はやや下げたうえで、今後もトラックしてみたいと思います。
Posted by ブクログ
「よしもとばなな」と名乗っていた時代の、最終盤のころの作品か。
先日読んだ、宮本輝との対談のなかで触れられたいた作品。
その後の「ふなふな船橋」「不倫と南米」といった作品より、より昔読んだ、ばなな作品のトーンをまとっていて、懐かしい。
まこと嵯峨、信頼関係でむすばれた若い二人、近親の死が身近くただよう雰囲気もデビュー当時の作品を思い出させる(もう、かなり遠い昔で、かすかな記憶だが)。
ストーリーも、あまりない。というか、物語の起伏もあってないようなもの。
設定と、会話、彼らを包み込む世界の空気感を楽しめれば、ばなな作品はOKだ。
「ここに出てくる人たちは脇役も含め、みんな「鳥たち」なんだと思って、このシンプルなタイトルにしました。」
と、著者あとがきに記されている。
鳥に、どんなイメージを抱いているか、個々人で差がありそうだけど、自分は、主人公のふたりは、作中でも、すこし触れらた、「ニーム」のようだと思った。
「ニームは寒さに弱いから、冬は当然家の中で育てる。」
そんな植物のような二人だった。
見事な、言葉遣いに絶えず感心しながら読んだ。
どんな形容詞も、ただ使ってない。「優しい」も、そのままでもいいのに、どんな風に優しいのか補ってある。うまいなあ、そういうところ。
Posted by ブクログ
身内の自死が与える影響。
遺された側は何かメッセージを受け取らないといけないと思ってしまう。
何かに心を侵食される前に光を見つけないといけない危うさがあった。
緩やかだけど不安を感じる作品。
Posted by ブクログ
よく言えば、よしもとばなならしい、らしさ全開の作品。
スピリチュアル苦手な人はそもそも吉本ばななの作品は読まないと思うけど、これはひときわその傾向が強いかな。
最初から最後まで重苦しい空気に満ちていて、わたしはこの二人の未来が明るいものになるとは思えなかった…
暗く狭い世界をこのまま二人きりで生きていくような未来。
吉本ばななの作品はいつも救いがあって、ほんのりあたたかい気持ちになれるから好きなのだけど、このお話からはそれを感じ取れませんでした。
Posted by ブクログ
『どんなに明るい気持ちで、どんなに私たちを愛して去っていったとしても、もしくは生きるのがどんなに困難であったとしても、私たちはやっぱり悲しい。最後の最後まで私たちに一日でも多く会おうとしてくれなかったことが。』
最終的には、いつものばななさんの言葉達に救いあげてもらえたけれど。
ひたすら続いている出口のない暗いところを彷徨っている感覚で、ここ数年ずっと考えている命についてドンピシャな内容だったからか、
もう読むのを辞めてしまいたいと思うほど、冒頭から途中まで苦しくて、痛々しくて、つらくて、何より腹立たしかった。
人間の数だけ命や生き方や死に方への考え方はあるかもしれないけど、何があろうとも自殺に対しての批判的な強い考えが私の中にある。
大人たちが自分たちの生き様や死に様を美化していることもないけど、どこかそう取れて、残された2人もどこか達観しているような、
まさに、周りの人間とは違うオーラを放っていて、なんでそんな感じなの?とモヤモヤというか理解できない世界を見せつけられてる感覚だった。
が、それはやっぱり『若さ、未熟さ、行きすぎた悲しさ』から来るもので、途中から感情が溢れるような言葉達がすごく印象に残っている。
【いてほしかった。死よりも私を選んで欲しかった。】
で、ハッとした。素直にど直球に、これが主人公の本心。
それを、聞けて
あぁ、、よかった。と漠然と感じた。
生きていた素敵な時間を思い出すことも、
愛されていたことを慈しむことも、
最期が自殺だと、その過去に対して、
そうじゃなかったのかな。、と残された人は思ってしまうんじゃないだろうか。
未来だけではなく、過去さえ変えうるのが自殺だなと個人的に思う。
『いつかはあんな風に完全に死ぬのだろう。
でも今ははっきりと生きていて、触ることが許されていて、温かい。よかった、とわたしは思った。この時間こそが、私が確かに持っているものだ。だれにも奪うことはできない。』
生きている2人が、生きている2人の未来があることに気がつけたことに圧倒的に救われました。読み終えたときのこの感覚は忘れられないです。
Posted by ブクログ
昔からよく読んでいるよしもとばななさんの作品の中でも、とりわけスピリチュアル色が強い作品だったように思う。私は自分の思想と読書は切り離せる方だけど、苦手な人はとことん苦手のような気がした。
よしもと作品によく見られる設定の「若い主人公だけど親が既に亡くなっている。しかも普通ではない死に方で」は今回も同じくで、たまに見られる「新興宗教にはまっていた家族」の設定が今回は加わる。
美人で浮世離れしたところのある母親が新興宗教のようなものにはまり、最終的に自死を選んだ。そういう共通の経験とともに幼いころから一緒に生きてきた、まこと嵯峨の物語。
まこは大学生であり、その独特な存在感を生かして演劇もしている。嵯峨はパン職人をしている。若い2人は当たり前のように一緒にいて、これからずっと一緒であることも当たり前のように受け入れている。強烈な過去を持つ同士だからこそ、解り合えるのはお互いだけだということを恐らく子どもの頃から知っていたような関係性。
ストーリー性はそれほど無く、親たちもいたセドナでの2人の過去と、親を亡くした今現在の暮らしの中で2人が思うことが中心となって進んでいく。登場人物もそこまで多くないけれど、それぞれが個性的で強い印象を残す人ばかり。
ここまで解り合える誰かとともに生きるということは、心強く、だけど凄惨な過去のことから逃れられない恐ろしさも孕んでいる。解らないくらいがちょうどいい、と思えることも人生にはたまにあるから。
だけどやはり、よしもとばなな作品に出てくるこういう関係性、羨ましいなとも思う。絶対であること、って、普通に生きていてそんなに感じることがないから。
読むと必ず「よしもとさんの作品だなぁ」とまるで故郷に帰ったような感覚を覚える。それぞれ違うんだけど、変わらないという強さがある。
Posted by ブクログ
小さい頃に本当に気の合う人に出会って、いいものも悪いものも共有したのは悪い事ではない、っていう言葉がとても印象的で、自分はまこちゃんみたいな境遇の人にどんな言葉をかけてあげれるのかとかどうしたら救ってあげれるのかとかそもそもその思考の時点で優位に立ってるんやろなぁとか考えた。
私は女の子とのおしゃべりが大好きやし15歳から家族を増やすことなんて考えへんし、ましてや母親は弱くないから何もかも合わへんのやけど、まこちゃんとは。
でも何でもいいから未来について話してみたいなと思った。
Posted by ブクログ
過去に囚われて苦しむ2人に
ゆったりと少しずつ、
現在、未来が見えてくるお話。
子供の頃、特別な経験はしていないので
共感するのは難しかったけど
2人の強さ、強くなろうとする姿は
かっこいいなと思いました。
好みの問題だと思いますが
短い期間の中での成長を
ゆっくりじっくり描いているようで
展開が薄い感じはありました。
Posted by ブクログ
よしもとばななの世界観ってすごい。出てくるのは日常的な世界の中にいる人たちなのに、すごく非日常的に感じるような特別なストーリーを持たせていて、何百頁もかけて、その特別なところを紐解いているという感じ。運命の人と出逢うとか誰かが死ぬとか、非日常的なことが起こるところを物語にするのではなくてその後その人たちがどう生きてるか、どう考えてるのか、みたいな内面的な話でしかないような。
それなのにすごく優しい気持ちで読めるんだからすごいよね。やめられない。
Posted by ブクログ
幼い頃から家族の様に暮らしてきた、嵯峨とまこ。ひょんな事で親を亡くしお互い共存しあっているが、強い哀しみという過去の呪縛に囚われている。純粋すぎるのか、共存し過ぎるのか、たどり着ける場所はあるのか?発言全てにスピリチュアルな匂い強く、内容は結構重い。
Posted by ブクログ
過去を見つめてばかりだった2人が未来を見つめ始めるまでをゆっくり描いてあった。
・餌で魂を卑しく養うと、減ってしまうのに。魂は汚い餌で生きていると餓鬼になって、もっとごみをあさりたくなる。
という水野さんたちとのやり取りの場面のシーン、忘れずに心に刻んでおこう。
そして末永教授の、墓守として愛した人たちを悼みながら今の自分たちの物語を普通に営んでいいと思う、という話も、まこちゃん同様胸を打たれた。まこちゃんの中での過去が初めて光をうけた気がした。
Posted by ブクログ
あとがきにあった、
『多分この小説は、昭和の偏屈なおばさんから
平成の偏屈なおばあさんへと移行していく過程での
私が全身で見聞きした
「日本が病んで終わっていくことに抗う表現を
細々と続ける」全ての表現者への「応援そして評論」
のようなものなんだと思っています。』
という筆者自身のこの言葉に尽きる小説。
自分はばななさんほどには多分、今の日本が
そこまで病んでいるとは思っていないのだと思う。
そして、オカルトチックな精神論に嫌悪感はないけれど
距離は保っているのだと思う。
だから登場人物たちに共感ができない。
特にまこちゃんやその周囲の女性たちの
他人との距離感が気持ち悪いとさえ思う。
いきなり妊娠だの人の生死だののデリケートな話題を
初対面だったり男性だったりの前でさくさく言うのは
自分の中ではあけすけを飛び越えて非常識で
デリカシーが無いと感じるからだ。
美紗子は頭が良い感じがするのでまだ
仲良くなれそうな気はする。
末長教授も良い人だ。
ただ、実際に自分の近くにいたらどうだろうか。
この本の中ではまだしも、という程度かもしれない。
ハードな人生を送ってきたからと言って
自分個人としては、それは人より『足りない』のであって
既に経験して自分が勝っているとは思えない。
だから、まこちゃんが同年代の友人に対して
かわいい、若い、無邪気と感じること自体が
どうも上から目線に感じてしまう。
寂しい、と留まっているように見えるまこちゃんだけれど
実は私よりも余程自分に自信がある幸せな人なのかもしれない。
寂しさが重くも淡々と綴られる中で
最後にふっと軽くなれた気がするのはほっとする。
嫌なことはできるだけさくさく終わらせて、
残りの時間でしたいことをするというのは本当にそう思う。
したいことだけをして生きていくのは
特に現代ではもう無理だと思うから、せめて
できるだけしたいことに時間を多く割くように努力するしかない。
教授が言っていた、本の命が繋がれていく感じは好きだ。
自分も本に呼ばれることがあるし、そうして
なぜだか引き合い遺すことに関われたら素晴らしいだろうと思う。
まこちゃんが言っていた、
女の人が恋しくてたまに無理してでも会う、というのは
まこちゃんと唯一共感できるところかもしれない。
正直会うとぐったりすることもあるけれど
男友達では埋められないなにかが女性と会うことで
埋まる感じはよくわかる。
魂は汚い餌で生きていると餓鬼になってもっとごみをあさりたくなる、というのも
そうだろうなと思う。
多分本人は気がついていないのだろうけれど
どんどんそっちの方へ進んでいってしまうのだ。
寂しいことがいつかただ楽しい思い出に変わる
というのはとても慰められるし
事実でもあると思う。
一言でいうなら日にち薬なのかもしれない。
人はそうして生きていくのだと思う。
Posted by ブクログ
アリゾナの地で家族のように生きてきた2人の、過去と共に生きていくの話。他の家族を亡くした後もお互いが唯一の人とし、日本の地で新たな人生を生きている。
日本の平和的な日常も、その人の過去や経験によって、こんな風にも重く感じることがあるんだろうなと思った。
Posted by ブクログ
生きているかぎり、傷つくことからは逃れられないけれど、その程度は、どんどん酷くなっていると、作者はかんじているのではないか。弱いものが犠牲となる(でもちゃんと、強い)閉塞感は、前を向いて深呼吸するという、ちいさな歩みからしか、打破されない。
Posted by ブクログ
前回読んだのは2015年らしい。
当時といまで気になったセリフの場所が違っていて
そういう気づきが出来るのが
読書のいいところだなと思う。
はたからみると突飛な環境を
無理やり認めるでも、納めるでもなく、
一周回っていまここにいるんだなという感じがした。
まこちゃんの訴えが切実で沁みた。
嵯峨のパン屋さんの女の子と、
まこちゃんとの会話が
率直ですき。
Posted by ブクログ
こういう人生を送っている人が、きっと世の中にはいるのだろう。
あまりにも重い。
けれど、2人が前向きに、過去を受け入れて、進んでいこうとしている姿が素敵だった。
まだ若いから、10年後、20年後はもっと素敵な大人になっていることでしょう。
Posted by ブクログ
時を別にしてまた読みたい。そうすると、また違った感想があるだろう。
遅々として前進していくので、正直読む方は変化に乏しいし、ずっと同じところにいるような感覚。でも、人間なんてそんなもんだし、同じことで思い悩んだり、似たような事でまた悩んだり。ある意味、そういう「平凡」な日常の心模様を描いていると言えるだろう。
Posted by ブクログ
色鮮やかな表紙に惹かれた一冊。けれど、読んでみたらとてもずっしりな本で読み終えるのにとても時間がかかった。
一気に読める感じではなくて、少しずつゆっくり消化しながら進めていくのがいい本。
2人のことはどこか他人事のようで、でも葛藤している姿は自分と重なることもあった。
過去から未来へ。