あらすじ
幼い頃亡くなった父への思いに囚われ続ける幸也は、恋人と新しい「家族」を作ることに怯え、混乱していた。その父への暗い思いに重なるような姉の死の謎を追ううちに、辿り着いた真相は……。
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Posted by ブクログ
言葉を投げつけられた場所に立っている者が、酷く曖昧模糊としていてそれが自分なのかよくわからない。
…ずっとこんな風に己を未知の他人のように感じながら生きるのだろうかと、ぼんやり思いながら呟いた文字を打ち込んで、幸也は幼なじみに送信した。(p.20-21)
行きたい場所にふらりと出掛けて、遠くの国に居着いてしまいたい。この町を離れて、誰も自分を知らない場所に消えられたらと、それはいつからか幸也には大きな夢だ。(p.31)
7年前、大学生だった幸也は今座っている席で、こんな都会の一体何処で羽化するのだろうと不思議に思いながら蝉の声を聞いていた。(p.35)
言葉にされたら、疑いは真実に成り変わるしかない。(p.39)
「簡単に嘘を吐くわ。言葉だけなら簡単に嘘を吐ける。それは誰でも同じよ」(p.60)
その底の僅かに、自分の欠片が映った気がした。いつでも実態の見えない、自分の姿が。(p.66)
さよならを言わないまま人と別れることは自分の人生にままあった…(p.86)
権利や義務や遠くの人道を語る人間は、隣人を思わない者が多いと幸也は目を伏せる。
遠くを見ていて、近くが目に入らない。誰だかわからない人間の話ばかりしていて、自分が隣人を救っていないことに気づきもしない。(p.100)
思い出さないように思い出さないように厳重に封をしていたら、とうとう幸也の父はほとんど跡形もなく消えかけていた。(p.167-168)
いつの間にか、人と愛し合うということを自分もできていたのかもしれないと、気づく。
薄情だと、酷薄だと幸也はずっと自分をそう思っていた。自分なのに、まるで理解してやれていなかったことを今、思い知る。そうではないのに、耐えていた。自分の中にある、人を求め乞う感情と決して目を合わせてはいけないと、それを禁じて知らないふりをしていた。
普通に誰かを愛そうとする己を、無理だからあきらめろと説き伏せた。(p.221)
自殺をする人や、心に闇を抱えて生きる人たちの物語はいくつか読んだ読んだことがあったが、自死遺族のお話は初めてだった。自死した本人も苦しみを抱えた末の選択だったが、遺族もまた、自分の言葉、行動がいけなかったのかと塞がらない穴と対峙し、生きていた。大切な人ができても愛せるのか分からない、自分というものが不透明で実態が全く見えてこない。爆弾を抱えて生きるようであり、生との境界線も薄くなってしまって、生き方を見失う。幸也の仕立ての良いスーツを脱げない窮屈さが痛いほど伝わってきた。智美のまっすぐに気持ちを伝え、一緒に分かち合おうとするところ、幸也が打ち明けるまで待っているところ、とても素敵な人物で、こんなにも自分と向き合ってくれる人と出会えたらどんなに幸せだろうと思った。自殺なのか事故なのか分からない死に方をした姉の訪れた地で幼なじみと過去を少しずつ振り返りながら姉の死の真相に近づいていき、やがて父との思い出とともに自分を取り戻していく主人公。桜の湯呑みが智美と幸也を結びつける一つの橋のようで素敵だった。