あらすじ
刀剣の試し斬りと鑑定を家業とし、生き肝から作った「霊薬」で富を築いた山田浅右衛門を軸に、屍でたどる江戸のアンダーワールド。人斬りの家・山田家の女性たちに関する論考を増補。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
・氏家幹人「[増補]大江戸死体考」(平凡社ライブラリー)の 第一章は「屍都周遊」である。歌舞伎がらみでエピソードを抜き出す。まづは砂村隠亡堀である。「東海道四谷怪談」の戸板返し、民谷伊右衛門がお岩と小仏小平を打ち付けた戸板にばつたり遭遇する場面である。ここで伊右衛門は戸板を再び川へ押し流す。私は自分の殺した2人を見たくもないから川へ押し戻したと思つてゐた。「この場面に、今日の観客の多くは伊右衛門の悪逆非道を感じてしまうことでしょう。なんて残虐な、と。」(19頁)私もかういふこともあらうかと思ふ。ところが江戸の実態に即すと、この場面は別の様相を帯びるらしい。つまり、当時の観客は「このシーンを“普通の情景”と見たのではないでしょうか。すくなくとも、伊右衛門が『川へつき出した』行為に残忍さや非道を感じはしなかった」(同前)のではないかといふことらしい。現代の演出者にとつてそ れではおもしろくないと言へさうであるが、しかし、当時の「江戸の町は水死体で溢れていた」(18頁)のが実情で、いくら伊右衛門でも、そして見つけたのがお岩や小平であつても、そんなのには一々かまつてゐられないといふほどに水死体に溢れてゐたらしい。これは下々のみのことではない。真山青果の有名な 「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」は御殿内のみの物語で時代的にも古い。本書には天保6年(1835)、11代将軍家斉のエピソードが載る。家斉の乗つた船 が正に御浜御殿に着かうとする時、「縄でグルグル巻きにされた男女一対の水死体がポッカリ浮上しました。……押し黙ってしまったおそばの人々。一方、公方 様は見て見ぬふり。何事もなかったかのように御茶屋の座敷に上がられました。」(17頁)現在の浜離宮は家斉の時代にできたらしい。東京湾の海水を引く潮 入の池といふのが浜離宮恩賜公園の特徴である。潮入りの池、そして地、つまり園内に東京湾の海水が入るのである。家斉の時代は川も海も死体に溢れてゐた。 だから園内に海水が入るのであれば、死体が紛れ込むことぐらいは当然ありえよう。「そんなに恐縮しなくてもいいのだよ。私はこの目で確かに男女の浮き死骸を見たが、見たと言って事を荒立てては関係者の責任問題になるから、見ぬふりをしていたのだーー。」(17~18頁)さう、家斉はそんな事情を知つてゐたのである。それほど江戸は上から下まで、真ん中から外れまで、どこにでも水死体が漂つてゐた。だからその処理も実態に即して行つたらしい。例へば「水死体が流れ着いても、『汐入』の堀では突き流しても良い。」(16頁)のであつた。一々片付けない。潮の流に任せるといふわけである。御前に将軍様のゐる御浜御殿ではさうはいかなかつたのかもしれないが、しかし、実際はさうではなかつたか、将軍不在ならば同様に処理されたのであらう。第一章の初めだけでも、歌舞伎がらみでこんなのがある。水死体に限らず、江戸は死体に溢れてゐた。正に屍都であつた。
・本書の中心は、実は死体の種々相を語るものではない。試し切りである。刀の切れ味を試す試し切り、これを行ふ人々がゐた。第一章の終はりの方に「据物師 山田浅右衛門」といふ節がある。この浅右衛門が「罪人の死体などで刀剣の切れ味を試す据物(居物とも)の技。」(38頁)の言ふならば家元である。以下、本書の大半はこの試し切り事情である。これはもちろんおもしろい。私は時代劇を読まないのでかういふのを全く知らない。いかなる人々がいかなる事情で据物師になるのか、据物の具体的な内容はとか、いろいろなことがある。だから本書は、本当はほとんど「大江戸試し切り考」なのである。