あらすじ
今、日本では2週間に一度「介護殺人」が起きている。老老介護、多重介護、介護離職……高齢化ニッポンで避けては通れない「介護」。肉親への献身から始まったはずが、なぜ悲劇へと変わり果てたのか――。全国で起きた事件から見えてくる、決して他人事ではない、当事者の口から赤裸々に語られる「終わりなき介護」の実態!
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Posted by ブクログ
途中から読むのが辛かった。
いつか間違いなく自分にも立ちはだかるであろう介護という問題が深刻すぎて、怖くなった。
その時に自分は耐えられるだろうか。
全てのことにおいて言えるが、国は本当に役に立たないので自分と自分の周りでなんとかするしかないのだろう。
その時までに、必要な準備と知識を蓄えておかなければ、私も介護殺人を犯してしまうかもしれないと思った。
Posted by ブクログ
読むにつれて、とてもしんどくなった。
間違いなく他人事ではなく、みずからも直面する介護。
もし自分が介護する側になったとき、本当に耐えられるだろうか。
Posted by ブクログ
「母親に、死んで欲しい」: 介護殺人・当事者たちの告白。NHKスペシャル取材班の著書。母親に限らず、家族や身近な人に死んで欲しい、早く死んでくれればいいのに、お願いだから死んでください、たとえ口には出さなくても、心の中でそう願ったことがある人は、少なくないと思う。無責任という言葉とは無縁な責任感の強い人ほどそうなのでしょう。それが介護殺人につながってしまうことは単純な不幸では済まされない。介護する人や介護される人をきちんと支えるための国の制度、社会の制度が壊れている証拠。
Posted by ブクログ
読み終わっても、あれこれと考えさせられ続けています。
それは「介護には”死ぬ”以外に明確なゴールがない」ことと同じでもあり「何をするのが正解なのかわからない」こととも通じるのかと思います。
傍からは介護者と被介護者を引き離すのが最善と思われるケースでも、当事者たちが「家族だから離れるなんて考えられない」と言って拒否。
そして最悪の結果を生んでしまった…とするとこの当事者たちにとって”最善なこと”とは一体何だったのか。
行政のヘルプに量質ともに限界がある中、極論、もしかしたら”殺める”という手段をとったとはいえ最期まで一緒にいられたことが当事者たちにとって最善だったのかもしれない。
そんなことをぐるぐると考えてしまいます。
殺人に至った様々なケースの後、現在進行形で介護に携わる方のインタビューが紹介されていました。
「介護を始めた頃は以前の生活を取り戻したいとあがき、疲弊していた。
もう戻れないと悟った今は、感情を押し殺し、何も考えないようにしている。
『自分は介護ロボットになった』
そう思えば、今の生活を受け入れられる」
当初は介護殺人に至る人とそうでない人を隔てる境界線が必ずあると思っていた取材班。
しかし、取材をすすめるうちにその境界線がわからなくなったといいます。
そして「明確な境界線はなく、事件の当事者も越えてみて初めて自分がそこまで追いつめられていたことに気づくのだと実感した」と結論づけています。
”介護ロボット”とまではいかなくても、感情を押し殺し、ジリジリと追い詰められていたならば、ふとした瞬間にこの境界線は無自覚に越えてしまってもおかしくないと思いました。
それぞれのケースを自分に置き換えてみて「思いとどまれるか」と自問してみて「100%で『思いとどまれる』と言えないかも」と感じた瞬間の怖さは、忘れられそうにありません。
Posted by ブクログ
時々ニュースを見ては
なぜ そこの手前で助けを求めなかったのだろうと
思ったりしていました。
実際に自分は 介護をした事がないので
本当の気持ちはわかりませんでした。
ニュースでは 話題性のありそうな事件のみ取り上げられていますので
実際の傾向などは わかりませんでしたが
この取材では 配偶者、子供、そして 孫 、
更に 男性も女性も 全ての人が 加害者と なりえる事がわかりました。
長年の つらさもあるでしょうけど
短期でも 急に親や 配偶者の 変化に 戸惑い
介護者が 自分を失って行ってしまう事もわかりました。
大抵は 自分がと いう感じで 家の中で終らせてしまう。
他の家族には 頼れない。
そして・・・・・
テレビで放映したそうですが
残念ながら 見ていませんでしたが
こういう 番組は 何度も再放送をして
社会に問題提起をしていって もらいたいと思いました。
不幸にも 家族に手をかけてしまった人は その後もずっと悔やみ つらい人生になってしまう。
そして つらい思いを乗り越えて 告白してくださった人々の為にももう こういう事件を 起こさせないように社会がサポートできる仕組みが 早くできる事を祈ります。