あらすじ
食のメカニズムを理解すれば、この世の理もわかると説いた道元。精進料理の誤解を解きながら、仏教に秘められた食の知恵から「禅の食」の効能・取り入れ方までをやさしく指南する本。
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Posted by ブクログ
日本の精進料理の考えと原始仏教(お釈迦様の考え)に違いがあるのかどうかこの本を読むと解ってきます。
精進料理の本を読むと動物性食材は使わないとはいえ、牛乳やバターなどの乳製品を使ったレシピがあることもあります。
玉ねぎやにんにくなどの五葷(ごくん)を使わないのが精進料理との考えもありますが(生姜、山椒などの五辛を禁止する事もある)、実際は五葷を使うレシピも存在しますね。
仏教はインドを始めタイやスリランカのアジアや日本でもあるわけで食べ物の考えも多様化していると思われます。
精進料理の事を書かれた道元禅師の「典座教訓」は少々難しいかもしれませんが、この本は比較的わかりやすく解説されています。
著者の千葉公慈さんは曹洞宗の住職でありますが、もともとは初期仏教やインド仏教理学を専攻されていたようなので今の日本の大乗仏教のみならず大局的に仏教を見られていると思います。
そんな著者独自の解釈もありますが、乳製品、五葷を使用する理由も書かれています。
仏教徒の完全菜食のビーガン食である戒律はお釈迦様の死後に確立された仏教で作られた戒律のように思います。
修行僧の食事としては臭いのきつい五葷は修行の邪魔になるとのことや、精が付くとのことで性欲を抑える意味もあります。
しかし、お釈迦様が現存の時は、ネギやにんにくは体調不良や病気の際には治療食として用いられたと経典に書かれているそうですので、お釈迦様自体はそこまで禁止してはいなかったということです。
乳製品に関してはお釈迦様がスジャーターのミルク粥を食べた後に悟りを開いたという話は有名であります、またお釈迦様が亡くなる前に食べたものは托鉢でいただいたキノコだっという説もありますが、実はこれは日本訳での話でして『マッド・スーカラ』と書かれていて「ミディアム(生焼け)の豚肉」だったそうです。
托鉢は基本的に頂いたものは全て頂くきますので乳製品にしても、豚肉にしても頂いたわけです。
但し、どんな肉でも食べても良いという訳ではなく、三種浄肉という戒律の設定ががあり、生物(動物)が「自分が食べる為に殺されているところを見ていない」「自分が食べる為に殺されたと聞かなかった」「自分が食べる為に殺されたと知らなかった」の三つ以外は禁止されていたのです。
(この解釈に疑問を持つ人も多いかもしれませんが)
現在でもタイやミャンマー、スリランカなど(上座仏教ですね)の出家者はこの伝統を守っているそうです。
厳しいとか厳しく無いとかいろいろありますが、現在の日本の仏教の僧侶の方はかなり肉食をされている方は多いようです(禅宗であっても)。
そもそも仏教自体が形骸化されているのも事実で、お釈迦様の教えというものが伝来や年月にともに変化し多様化しているので、食事に関しても多様化しているのも不思議ではありませんね。
精進料理を確立されたのは道元禅師ですが、何を食べて良いのか悪いのかという以外にも道徳的、心理的に大切な「食べるにふさわしい行いをしたのか、それを食べた自分は何をすべきか」
ということも同じように重要だと説かれており、食べ物は体の栄養よりも心の栄養とも書かれています。
原始仏教の『増一阿含経(ぞういつあごんきょう)』には人間の食には【世間食】(せけんじき)と【出世間食】(しゅっせけんじき)の二つに分類されています。
【世間食】は日常生活の営みのこと、【出世間食】は日常の先にある、修行者の悟りを意識した生活の営みのことだそうです。
お釈迦様はこの二つを九食(くじき)という9つの概念に分類されていました。
内容はここでは省略しますが、驚くことに9つのうち8つは精神作用、「心の味わい」であるということなのです。
精進料理とは基本的には“修行僧における食事”の事ですので、『何を食べるか』という事と『どういう思いで食べるか、どう食べ物と向き合うか』という精神面、そして『食べるときの所作』が合わさった仏教ならではの思想哲学に基づいた料理、調理法、食事法といえるのではないかと思います。