あらすじ
2012年、「宇宙から来たブッダ」というタイトルで、シュトゥットガルト大学のグループが、学会誌「隕石学と宇宙科学」に論文を発表した。それによると、アーリア民族のルーツ調査のため、かつてナチス親衛隊(SS)長官ヒムラーが、第二次世界大戦前夜の1938年にチベットへ探検隊を派遣した。その折、かれらが発見し、持ち帰った仏像が隕石製であったという、驚くべき鑑定結果が報告された。胸に「卍」が刻まれたこの仏像の真贋と秘められた現代史に、探検隊の踏査行と仏像、ナチス思想を検証することで迫る、アカデミック・ドキュメンタリー。ナチスの闇が、ここに眠る。 【目次】はじめに/第1章 秘境チベットへ派遣されたナチス親衛隊/第2章 「隕石仏像」をめぐる対立する見解/第3章 「隕石仏像」の各パートの考察/第4章 チンガー隕石の入手経路と制作年代/第5章 秘境チベットの隕石信仰、鳥葬、探検家ヘディン/第6章 ヨーロッパの人種主義の生成/第7章 ナチスの人種主義とアーリア神話の成立/第8章 狂信的人種主義者ヒムラー/第9章 ナチスのシンクタンク:アーネンエルベ(ドイツ先史遺産研究所)/終章 第三帝国の最終戦争と人種主義の破綻/おわりに/主要参考文献一覧
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Posted by ブクログ
「隕石仏像」の詳細な解析・探求に期待したが、「隕石仏像」を入口にしたナチスドイツの人種政策論に拡散した感じを受けた。
新書のボリュームでは、どれも中途半端になってしまった印象。
Posted by ブクログ
「アーリア人のルーツはチベットにあるのだぁ」
アーリア人種主義を信奉したナチス親衛隊長官ヒムラーの妄想が暴走し、
1938年にチベットへ探検隊を送り込んだ。その時、探検隊が持ち帰った
とされる仏像についての論文が発表されたのが2012年。
その素材はなんとっ!1913年にロシア連邦のトゥバ共和国チンガー川
流域で発見された隕石であった。
胸に「卍」を抱いた仏像は、逆回りのカギ十字を掲げるナチスにとっては
チベット・ルーツ説を裏付ける貴重な発見でもあったのだろう。探検隊が
持ち帰ったのが本当であれば。
プロパガンダに長けたナチスが、これを利用しない手はないではないか。
しかし、隕石仏像の発見を大々的に宣伝した形跡がない。
しかも、仏像を子細に眺めるとその造形に不自然な点がいくつもある。
素材が隕石であることは成分分析の結果から明らかなのだが、仏像と
なったのはかなり後の時代ではないのか。
仏像が実際に作られたのはいつなのかを考察した前半は興味深かった。
いくつもの説を上げて、それぞれの瑕疵を指摘している。だが、誰が
何を目的として隕石に仏像を彫ったのかは謎のまま。
後半はナチスがいかにしてオカルトに傾倒して行ったかの考察になって
いる。これはこれで面白くもあったのだが、前半の隕石仏像の謎解き
とばっさり分断されてしまっているのが残念。
確かにこの隕石仏像は私が見慣れている仏像とは随分とお姿が違うの
だよな。なんかヨーロッパ風味の仏像なのである。
「こんなん、出ました。やっぱりアーリア人のルーツはチベットに
ありました」って思いたい人が、仏像にしちゃったのかなぁ。