【感想・ネタバレ】経済で読み解く 織田信長 ~「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する~のレビュー

あらすじ

中世を終わらせた、英雄・信長は何と戦ったのか?
“お金の流れ”から室町・戦国時代の政治経済を解く!

織田信長の活躍が「日本」を救った! !

信長の「経済政策」、その歴史的意味とは?
日明貿易から室町幕府の経済政策とその衰退、
応仁の乱、一向一揆、寺社勢力の金融ビジネスまで、
室町・戦国の世を“経済的視点”で描く―。
「経済」がわかれば、「歴史」がわかる!
信長の“本当の業績”を考察する、著者渾身の書下ろし! !

● 「マネーストック」と景気の関係
● 「出土備蓄銭」は現在の「タンス預金」
● 巨大荘園主としての寺社勢力
● 「恐ろしき山かな」―蓮如のつぶやき
● 室町幕府の将軍交代劇
● 「応仁の乱」を経て確立した、細川京兆体制
● 信長は本当に宗教を弾圧したのか
● 意図せざる経済の変革 etc.

【目次より】
序に代えて ~お金の流れで歴史を読み解く
第一部 中世の「金融政策」と「景気」
第1章 明の景気が日本経済を左右した時代
第2章 室町幕府の財政事情
第二部 寺社勢力とは何なのか?
第3章 老舗「比叡山」vs.新興「京都五山」
第4章 京都五山のビジネスと本願寺の苦難
第三部 武将と僧侶の仁義なき戦い
第5章 信長の先駆者たち
第6章 「一向一揆」とは何か
第四部 信長は何を変えたのか?
第7章 信長の本当の業績
第8章 信長の活躍が日本を救った!

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Posted by ブクログ

織田信長が 出てくる背景説明が とても 詳しく
楽しく読めました。

残念なのは 信長の部分が 少なかった。

でも その分野は いろいろな方が 書いているので。

作者の ほかの 本も 読んでみようと思います。

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2020年03月19日

Posted by ブクログ

この本、著者曰くシリーズの中では最速でタイトルに合った人物が出てきたらしいけど、シリーズのコンセプトとしてそこに行きつくまでの周囲の事象と経済的な流れを丹念に描こうとしているってな事なので、なんだかんだで織田信長の登場は最終章です。

そうは言っても、そこまでの流れが面白い。 寺社勢力の強大さや怖さ、どのようにして経済的にそれまでの権力に関わってきたかがよくわかる。 教科書読んでるだけじゃこの時代の面白さは判らないね。 経済だけがすべてではないけど、各勢力の行動原理の中に確実に経済問題は関わっていたのだろう。 

意図的に信長を盲目的に称賛するのを避けているので、信長の有名エピソードも理論的に何がよくて何がダメだったかを解説しているので新鮮味がある。

あぁおもしろい。

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2018年04月19日

Posted by ブクログ

 織田信長に関する本は何度も読んだことがありますが、どれも政治だったり軍事の視点が多かったように思います。考えてみれば、同じ歴史でも、庶民や経済、宗教にスポットを当てれば、全く違う景色が見えるはずです。

 この本はタイトルのとおり、織田信長を経済で読み解こうという意欲的な本です。ただし、織田信長の話はほとんど出てきません(笑)。室町から戦国時代の経済を詳しく説明することで、織田信長の経済的活動の意味を浮き彫りにしようとしていますので、1~6章までは、織田信長前の時代が描かれています。

 7~8章は、さすがに織田信長について書かれていますが、この章だけ読んだのでは、残念ながら織田信長を本当に理解することはできません。ですので、織田信長の登場を待ちながら、6章までしっかり読み通すことをお勧めいたします。

 この本を読み終わると、奇異に映った信長の行動が、実は緻密に計算されたものだということが分かります。世の中を変えてしまうほどの力を持っていた信長のことです、単に奇異で終わるはずがありません。歴史好きの方はもちろん、経済にお詳しい方もぜひ一読をお勧めいたします。

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2017年11月15日

Posted by ブクログ

戦国時代を経済的視点から読み直すというのは面白かった。各時代で書けるという1粒で2度も3度もおいしいネタだ。

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2018年08月31日

Posted by ブクログ

上念氏による「経済で読み解く歴史シリーズ」の第三弾です。今回は私が長年興味を持ち続けている「織田信長」を経済の面から解説しています。

中高で学習した、かすかな記憶では彼は先駆けて、楽市楽座の導入(既得組織の座の解体)、関所の廃止等があったと思いますが、この本ではなぜそのような政策をとったのか、また果たしてそれに独自性はあったのかが事実とともに解説されています。

信長といえば「比叡山の焼討」が有名で、宗教弾圧を行ったイメージがありましたが、その時代に比叡山をはじめとする宗教勢力の既得権益を保持する体制が世の中にどのような影響を与えていたかもこの本では解説されています。現代人の感覚からすれば、私たちが目にする宗教はすべて歴史のあるものですが、歴史の浅い宗教を「新興宗教」といって色眼鏡をかけて見てしまうように、当時も同様だったようですね。

信長の時代には、本願寺の一向宗や親鸞の浄土真宗も新興宗教と見なされていたということに、この本を読んで気づきました。歴史を振り返る時には、現在の常識や考え方、さらには気候や地形も含めて、当時のことを思い浮かべる大切さを感じました。

以下は気になったポイントです。

・財源には、1)増税、2)予算の組み替え、3)国債発行がある、国債発行には、中央銀行による買い取りと、民間金融機関による買い取りがある、トランプは減税と、巨額の財政支出を公約としたので、市場は民間金融機関による国債買取を予測して、ドル高が進んだ(p7)

・室町時代から戦国時代にかけて戦乱が多かったのは、経済がデフレであったから、デフレは景気悪化、停滞により人々を困窮させる(p12)

・ワルラスの法則と言われるマクロ経済学の恒等式によれば、モノとお金のバランスで経済の先行きが決まるというもの。お金が不足すると物価が下がる、さらにモノは毎年自然に増えていく、そのレベルは2%程度(p25、26)

・世の中全体にあふれるお金を「マネーストック」と称するのに対して、その根幹をなす日銀がコントロールするお金を「マネタリーベース」という、マネーストックが断然大きい(p31)

・室町時代においても、土倉(とくら)や酒屋が金融業に勤しみ、その元手となる資金は自社勢力が提供、そして支那との貿易をしていた(p32)

・平均的な金利は月利8%、年率96%と高いが、農民は種籾1粒から、米粒を何十倍も収穫できることを考えるとそれほど無理な金利でもなかった(p32、117)

・室町時代が始まる300年も前の987年11月に、国産貨幣は利用停止となり市場から消えた、そして物納(米、絹)で決済するようになった。国産貨幣が登場するのは、1588年(天正16)の、秀吉による「天正菱大判」から、流通の観点では1601年(慶長6)の慶長小判である(p34)

・鎌倉時代の、米との交換レートについて、支那では銅銭1貫文(=1000文)当たり、米0.5石で交換されていたが、日本では1石という固定レートを採用していた。当時の日本は国際貨幣を発行せず、実体経済の発達に比べて貨幣が不足気味であったため、銅銭の価値を7倍くらいに調整しないと国内のモノとお金のバランスが取れなかった、これが危険な航海も顧みず支那と交易した理由(p38)

・支那では1368年、元朝がモンゴル高原まで撤退し、代わって明朝が成立する。紙幣発行による激しいインフレが原因(p41、49)

・明朝は国際貿易秩序を通じて自国で鋳造した銭貨を大量にアジア地区へばらまいた(基軸通貨)、2016年のSDR入りを果たしたが、明朝は自国通貨をそのレベルのポジションに押し上げていた(p44)

・朝貢貿易において、従属国から宗主国への朝貢であったから関税は無し、使節・商人の滞在費など一切の費用は明朝の負担、朝貢品に対しては、賜与という名目で価格以上の代価が払われた(p45)

・応仁の乱(1467)は寒冷化の大底、織田信長が台頭する1500半ばも寒冷化が進み、江戸時代が始まる前まで続いている(p46)

・足利義満の時代に北山文化が栄えたのは、日明貿易により大量の銭貨が流入するマネタリーベースの増加があったから、日便貿易を押さえるとは、貨幣の発行権を把握すること(p67、68)

・足利6代将軍(義教:1428)のころは、天台宗(比叡山)は当時の日本の政治、経済、学問におけるスーパーパワーであった、これに立ち向かったのが五山(臨済宗)、日明貿易を再開するものの、1433年から宣徳要約という条約で貿易に制限(頻度、人員、船数、積載量)が加えられた(p71、92)

・箱崎は朝廷直轄の神社のある貿易拠点であったので、刀伊入寇、文永の役では攻撃目標となった、博多は平清盛や新興貴族勢力の拠点であり、民営港湾であった(p99)

・栄西や臨済宗の僧達は仏教を学びに行くついでに、支那で交易してたんまり儲けてきた。そこから幕府に銭貨を献上し彼らの政治闘争を経済面で支えていた(p100)

・沈没した船が属した船団が、80-160億円の銭貨を持っていた、14世紀当時の日本のGDPは724億円程度であり莫大である(p104)

・興福寺のすごいところは、藤原氏が政治力を失ったのちも領地支配システムを継続した、鎌倉・室町時代を通して、幕府は守護をおけなかった、宗教団体というより地方軍閥であった、鎌倉幕府の発展と臨済宗の発展は両輪であった(p110、112)

・京都五山(臨済宗)のヒエラルキーは、トップが南禅寺、五山は、天龍・相国・建仁・東福・万寿寺、その下に十刹などがある。13世紀には鎌倉五山が建てられている(p111)

・比叡山(天台宗)の主な収入源は、関所と金融、荘園であった(p115)

・当時の寺院では、宗教活動をメインにする禅僧集団を西班、自社の経理・財務・荘園経営をする禅僧集団を東班と呼んでいた。(p129)寺社の持つ荘園は、基本的に幕府からの徴税は免除されている、その代わりいざという時には幕府の財布として財政面をバックアップしていた(p130)

・信長の136年前に比叡山延暦寺を焼いた足利義教、事実上室町幕府を取り仕切った細川政元、信長よりも先に天下人となった三好長慶など、信長の先駆者はいた(p146)

・足利義満自身は五山(臨済宗)とべったりだったが、子供は比叡山に二人、高野山にひとり、五山にひとりとバランス良く配置している(p151)

・経済的に困窮した人々は普段は見向きもしない狂った考え方に憑りつかれる。(p161)

・応仁の乱の勝ち組は、細川氏と大内氏である、本国で内紛が絶えなかった四職家(山名、一色、赤松、京極)とは異なり、細川氏は堺商人、大内氏は博多商人の利益代表であり、支那との交易を通じて力を蓄えられた(p164)

・応仁の乱により幕府による畿内支配に変化はなかったが、幕府の保護を受けて経済的な栄華を誇っていた京都五山が壊滅的な打撃を受けた、これは荘園の解体につながり、これと入れ替わりに北陸地方に本願寺が浸透した(p165)

・本願寺は比叡山や京都五山と異なり、荘園を持たずに信徒からの喜捨によって資金を集めた。領地を支配して年貢をとるのではなく、関所を設けて通行税をとるのではなく、経済成長に合わせて寄付金を集めた(p190)

・奈良は比叡山と並ぶ寺社勢力の老舗で、興福寺が平安時代から統治していたが、一向一揆(本願寺)の攻撃で興福寺は全焼した、三好討伐に本願寺を利用した細川晴元は、対抗するために日蓮宗を利用した(p204)

・日蓮宗は、地方で食べていけなくなって都会へ流れてきた京都の新住民たちに受け入れられた、これは地方出身者を中心とした都市の新住民に創価学会が爆発的に広まったのと似ている(p207)

・信長は歴史上の大きな存在ではあるが、信長の短い生涯のうち大半は中小企業の経営者、大企業になったのは本能寺の変の3年前くらいから(p230)

・中央銀行と不動産デベロッパーと、商工ファンドを兼任して巨大な力を持っていた寺社勢力から経済政策の主導権を奪い返した点は信長の高く評価できる点である(p232)

・信長は義昭を将軍に任官させ、義昭側近らを巧みに三好三人衆の旧領国に配置、ただ、大津・草津・堺を直轄都市としては一大名の管轄から切り離した(p236)

・楽市楽座令を最初に出したのは、六角氏(1549、近江石寺)、次は今川氏真(1566、駿河富士大宮)信長はその次で1567に美濃加茂において、またこれは本願寺の寺内町と同じ政策でもある(p241、243)

・織田信長は多くの焼き討ちを行っているが、対象は天台宗・浄土真宗本願寺派・日蓮宗・真言宗・臨済宗と多岐に渡っている。(p256)

・悪銭の実勢レートを幕府や大名が追加で公認することを「撰銭令」という、信長も上洛後に盛んに発令した、これは貨幣量全体が縮小することになりデフレを招くことになった(p268、272)

・信長は比叡山を焼き討ちし、石山本願寺包囲戦を戦ったことで、結果的に物流の主導権を寺社勢力から武家勢力に取り戻すことになった(p282)

・信長の凄いところは、歴史に学び同じ過ちを繰り返すことなく、徹底的に成功事例を取り入れることに徹底したことである(p288)

2017年3月19日作成

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2017年03月19日

Posted by ブクログ

中世経済をマネタリーベースの観点から分析するなど、着眼点は非常に面白かったものの、途中経済の話ではなく政治や個別の歴史上の人物の話に終始したりなど、一貫性が見られず、残念だった。

この本にある参考図書を読みつつ、中世経済についてもう少し理解を深めたい気持ち

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2024年11月28日

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