あらすじ
天保6年、76年に一度現れるほうき星が江戸の空に輝いた夜、気鋭の絵師・黄泉と、日本橋の鰹節問屋の娘・さくら夫婦の間に、さちは生まれた。深川に隠居所を構えた祖母・こよりも加わり、家族の愛情をいっぱいに受け、下町の人情に包まれて育つさちを、思いがけない不幸が襲う。両親の突然の死、そして、慈しんでくれた祖母の死。しかしやがて、絵師としての天分を発揮してゆく。苦難を乗り越え、凛として生きた娘の感動長編!
※本電子書籍は「ほうき星 上」「ほうき星 下」の2冊を合わせた合本版です。
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季節の描写に違和感
話はまあまあ面白かったので最後まで読んだが、作者が旧暦を理解していないと思わせるところが多々あって残念な作品だった。
出だしで八月二十日を夏のように書いてあるが、天保六年八月二十日は新暦では1835年10月11日頃なので違和感があった。
物語の中にあちこち日付と季節の描写があるが季節感がおかしく作品を楽しめなかった。
例えば、天保九年八月晦日(二十九日、新暦1938年10月17日頃)の午後4時台に幼い主人公が行水するくだりがあるが、かなり寒いと思う。
師匠が主人公が家紋をすべて習得する期限を五月三十一日としたが、旧暦には三十一日は無い。
嘉永元年に「川開きすると間もなく梅雨入りをむかえた」とあるが、川開きの嘉永元年五月二十八日は1848年6月28日なので梅雨入りが遅すぎる。文中には梅雨入りは例年より早くも遅くもなかったとあるのでますます不可解だ。そもそも川開きは夏の盛りの始まりだ。
物語の重要な要素である富岡八幡宮の例祭は八月十五日で元来秋の祭りだが夏祭りのように描写している。
また、後の藪入りは七月十六日であるのに八月としているなど明らかな間違いがある。
関東では、ひな祭りも七夕もお盆も旧暦から新暦にそのまま日付を移したので江戸の頃と季節感がかなり変わっている。
作者は新暦の感覚で江戸を舞台とした小説を書いているが、いくら作り話でも暦を無視するのはいかがなものか?山本一力氏の見解をぜひうかがいたい。