あらすじ
人の思考の枠組みのひとつである「物語」とはなんだろう? 私たちは物語によって救われたり、苦しめられたりする。その仕組みを知れば、人生苦しまずに生きられるかもしれない。物語は、人生につける薬である!
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Posted by ブクログ
人間が物語、ストーリーの枠組みで世界を解釈しがちである、ということ自体はわかっていたつもりであったが、具体的にどのように、ということについて解像度が上がった気がする。
特に、公正世界の誤謬(中村文則作品で結構出てくる気がする)というフレームワークはまさにそうだな、と。自分が良いことをすれば、良いこととして自分に返ってくるはずである、悪いことをすれば悪いこととして返ってくる。そういう基本的な因果認識。
それがあるから逆に、悪いことが起こった時に、「自分が何か悪いことをしたのが原因なのだ」というストーリーの捏造をしてしまい、自分を苦しめる。
また逆に、一生懸命努力した自分には良い未来がくるはず、という物語予測に合わない現実に苦しむ。
そういうストーリー認識のフレームワークに気付き、手を離すことの価値を教えてくれる本。
また、夜と霧の「自分が人生に何を期待するかではなく、人生が(生きることが)自分に何を期待しているかである」という視点の転換が、ストーリー理解という視点で見ると味わいがまた出てきて興味深い。
誰しもストーリーから完全に自由になることはできないけれど、そんな自分をまずは認識するところから、なのだなあ。
Posted by ブクログ
私たちは、「世界」をストーリーの形で認識している。雨が降った、遠足の前に熱が出た、など思い通りにいかないことだらけの人生。それは、自分には他者や環境を変える力があるという幻想による苦しみかもしれない。コントロール可能なのは、できごとに対する自分の態度ただひとつ。感情にまかせて衝動的に動いてしまうことが多い私だが、この本を読んで感情の赴くままに行動することは実は「自由」とは程遠いものだと知った。その時選択肢はなく感情の奴隷になっているからだ。支配的な物語から脱出し自分のストーリーを描いていきたい。
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近頃の僕が漠然と考えていた疑問に答えてくれる内容で、付箋貼りまくりでした。
なかなか簡単にまとめられないのですが、人間には出来事を「物語」として把握する能力があり、独立した前後の出来事を因果関係で結びつけてしまうと。
むしろ「物語」として把握するために個人的な出来事にも理由や意味を求める(「なぜ」このような悲劇的な出来事が「私」の身に起きたのか)。
嘘でもいいから説明が欲しい(因果応報)。
そして何らかの決着をつけて新しい平衡状態に辿り着きたい。
現実世界の理解もフィクションも物語化の構造は同じ。
著者が引用、言及する分野が幅広くて、その圧倒的な読書量に感銘を受けました。
Posted by ブクログ
ひとが物語を求めるのは、「感動や共感がほしいから」といったあまーいことが書かれた本とおもっていたら、実際は正反対のシビアな科学的な内容でした。
脳に関する本と併読していたのですが、ようするに脳が情報を処理しやすくするために、いちいちコトとコトをつなげて、わかりやすいよう物語していたのですね。本来コトとコトには因果関係はなにもないのに。コトとコトをわけてとらえるには、イマコノトキと向き合うことが肝心と強く感じました。逆に会社で説明するときは、物語化してあげるといいんだなとも勉強になりました。
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物語は世界を認識する方法の一つでしかないのですが、強力なのでそれに囚われてしまいがち。僕の周囲ですと、ドルオタと自称する人はその傾向が強いです。本書を読んで物語の呪縛から解き放たれると、少し幸せになれるかもしれません。
Posted by ブクログ
物語学(ナラトジー)の入門。世の中を理解するのに物語が必要であり、出来事を述べることには何かもっともらしい理由がないといけない。時系列で起こったことにはそれぞれに理由があるべきであると考え、無理やりにでもでっち上げる。べき論は概ね感情的なものであり、さらに、それが一般論と一致すると納得感が増す。自分のしたことでさえ、説明的な一般論で納得してしまう部分がある(実際は何の理由すらないかもしれない)。
期待という放物線の予測はありがちなものであり、これをなくすことで物語から自分が解放されうる。
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webちくま「人生につける薬 人間は物語る動物である」18回連載を加筆修正して5章に
各個人が考えたり感じたりする判断となるその前提ができる精神作用や言葉の仕組み等を、たくさんの読書を経てまとめている
Posted by ブクログ
理解した、と思う時、人はじつは決めつけている
「ベキ論」によって人は、世界や他者を操作できると思い込んでしまう。(コントロール幻想)
感情に突き動かされて行動することは選択肢をまずから手放すことであり、「自由」からもっとも遠い
世界でひとつだけ選択可能なものは、できどことに対する自分の態度である。p.178
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タイトルから、小説について何らかのことが書いてある本かな、と手にとった
想像していた内容とは違って、最初は戸惑ったが、どんどん面白くなった
例えば。昨今の宗教被害の問題など、なぜ人はそういう世界にはまってしまうのか、
今一つピンとこなかったのだが、「物語」をキーワードに説かれていて、
非常に参考になった
物語のいいところも悪いところも知ることができました
Posted by ブクログ
物語の成り立ちについて勉強したくて読んだのですが、人間が物事を認識する上で因果関係を求め、物語として捉える。また思い込みなど「何故自分だけ」という理想の物語を描き苦しむ習性やストレスへの対処なども簡潔に説明している良い本でした。
わかりやすく説明してくれているため章ことにスラスラ読んでしまうのだけれど、印象に残った部分以外ポロポロ抜け落ちてそうなので気になったところを再読してメモを取っておこうと思う。
内容とは関係ないけど、ちくまプリマー新書の紙質…好き。
Posted by ブクログ
「共感」について考える中で派生的テーマとして「物語」について関心を持っているときに見かけて購入した本。
ストーリーとしての「物語」が持つ構造的な類型や構造がストーリー受容の仕方にどのように影響し得るか、という辺りを考えたかったのだが、結論としてはその辺りの考えはあまり深められなかった。
物語の構造論としては
(平衡状態→)非常事態→あらたな平衡状態
というごくベーシックなものについての解説がなされているぐらい。
後半は、「物語」が私たちの認知スタイルに大きな影響を持っていることや、それがときにマイナスの影響を持ってしまうことに話の中心が移っていく。移っていく、というか元々著者はそうしたライブストーリーとしての物語のあり方について述べることが主題だったのかと思いますが。
物語論について述べる本だからなのか、本書全体の論理構造やリサーチクエスチョンの在り処をあまり明示せずに進んでいくため(元がWebメディアでの連載記事のようなのでそもそも全体を貫く筋がないことが主たる原因かもしれませんが)、著者の主張を掴むのがなかなか難しく感じる本だが、一貫性が無いように感じるのはむしろ個人的には良かったようにも感じる。
各章では、物語論自体について、文学論や各種の小説、認知心理学、社会心理学、発達心理学、神経科学、道徳や宗教など多様なテーマに触れられており、関連する書籍からの引用も豊富であるため、著者の主張の行き来にあまり引っ張られずに(特段違和感のある主張がなされている訳でもないが)、あれこれと思考を飛ばしたり、自身の関心に近そうなテーマを知る機会になった。
文末の読書案内を含めて考えがいのあるテーマのリストとして読むには良い本だと感じる。
特に、個人的にはライフストーリーの受容や編集というテーマについては、対人支援やキャリア論との関連で考えを深めたいことではあったのでとっかかりを得られたのは良かった。
元々は「共感」や「物語」に関心を持ったのはマーケティングやファンドレイジングに関わるテーマとしてだったが、自分自身の世界観構築や日常生活やその中でのコミュニケーション、それらにおける認知のあり方まで「物語」というテーマで考えることのできる範囲が広いことを改めて感じた。
Posted by ブクログ
「様々な出来事をストーリーとして認識する」、設計図の無い進化の過程でこんな能力を獲得したのは、本当に驚きです。
ただし、マイナスの面も有ります。物語が見つからないと不安になり、何でも無理やり関連付けてストーリー化して納得しようとします。そのせいで、しなくても良い苦しみを味わう事が多いのも事実です。
そういう事を意識しておくと、より良い生き方に繋がるはずです。
Posted by ブクログ
「人間は物語る動物である」。
それは好むと好まざるとにかかわらず、人の思考の枠組みを築き上げ、しかもそこから簡単に逃れることはできない。
物語は人の信念=beliefとして深く内面化されるが故、「自分の感情の赴くままに行動すること」は(逆説的だが)「不自由」であることとなる。
物語の理論を知ることは、より良き生き方を知ること。
Posted by ブクログ
久しぶりの新書。
もしかしたら養老孟司さんの『バカの壁』以来か。
一体何年前だよっヾ(--;)
『人はなぜ物語を求めるのか』
新聞の書評欄で紹介されていてこのタイトルが気になり、書店を数件巡ったが置いておらずネット書店で購入。
最近、「なんか世の中って‘物語’だらけじゃないか」と思い、息苦しさを感じていたのでジャストタイミングだった。
自分の頭の中まで‘物語’だらけだもの。
本書を読んで思い返したのは軽い認知症の祖母のこと。
「あれをしてくれないから私のことなどどうとも思ってない」と言ったり、不都合や不具合があると自分勝手に家族を責めたりする。
私の不幸=家族のせい
という強固な‘物語’が頭の中に鎮座しているのかな。
それで自分を苦しめているのかなと思った。
これも私自身が勝手に解釈した‘物語’に違いないけど。
中身は私にはちょっと難しいところもあり、時折「は?」と二度三度文章を読み返したりしながら読んだ。
でも『自分のぼんやりした考えを、豊富な文献と読みやすい文章で形にしてくれた!グッジョブ!』と思ったり、考えが私には思いもかけぬ方向に着地したりして読み物として楽しかった。
まあ『わかった』と『分かった気になる』と区別がつかない
そうなので自分がどこまで分かったのかわからない。
他のひとからみれば「あいつ、わかってないなー」なのかも(* ̄∇ ̄*)
それに千野さんのハナシに納得したのも『彼の提示する物語』と『私の思う物語』が合致しただけかもしれない。
Posted by ブクログ
印象的な箇所のまとめ
・世界にたいする何故とその回答が物語の物語らしさを生む。
・人は生きる意味を求める。生きている原因より意味(目的)を知りたがる。
・人生に期待すると失望する。期待しなければ希望がもてる
・人生に期待するのでなく誰かの人生の期待に責任を持ってこたえる自覚を持つ。
・物語の前後の因果関係は運命だと言える。物語とは運命を認識する方法。
・自分達が現実たと思っていることの多くは、自分達が無自覚なまま構成させられてしまった物語である。
・無根拠で不適切な一般論から脱する。
・べき論、コントロール願望を捨てる。
・感情行為直結説(こう感じているからこう行動する)から行為選択可能説(行為は自由に選べる)へ。
・人は知らないことを自分の解釈の格子で埋めていく。
・自分が知らないということを知る。
・正しい私は報われるべきだ、評価されるべきだという被害者意識の物語は極めて無責任。他責的ストーリー。
・人間はストーリーを不可避に合成してしまう。
Posted by ブクログ
ストーリーは人間の認知に組み込まれたひとつのフォーマット(認知形式)
状態と出来事=地と図
筋に逆らってまで隣接連合によって叙述の密度を高めるものを「リアリズム」的な要素と考える(ロマン・ヤコブソン)
世界に対する「なぜ」という問と、それへの回答(原因や理由)とが、ストーリーのストーリーらしい滑らかさを生むのです
因果関係が明示されると、なぜ物語としてなめらかな感じがするのか?それは、できごとが「わかる」気がするからです。どうやら僕たちは、できごとの因果関係を「わかりたい」らしいのです
わけがわかると、ストーリーが滑らかに感じられ、「わかった」という感情が芽生える
人間は時間の中で前後関係にあるふたつのことがらを、因果関係で結びつけたがる習性を持っている(ヒューム「人間関係論」)
前後関係の誤謬をいわば体系的に濫用するのが「物語」(ロラン・バルト「物語の構造分析序説」)
わかる、というのは秩序を生む心の働き。秩序が生まれると、心はわかった、という信号を出してくれる。つまり、わかったという感情。その信号が出ると、心に快感、落ち着きが生まれる。(「わかる」とはどういうことか 山鳥重)
ストーリーは個別の問題(存在命題)ですが、それぞれの理由や「因果関係」が「わかった」気がするときは、その背後には実は一般論(普遍的な話題、全称命題)が存在している
一般論は「類」
説明付きのストーリー(プロット)は類の一例、「種」
一般論=人は、悲しみのあまりみずから死期を早めてしまうことがある
ストーリー=あるとき、ある女王が悲しみのあまり死んだ
一般論とストーリーの関係は、「タイプ(人間一般に関すること」と「トークン(物語の登場人物である特定のこと)」の関係にある
ことわざや格言は、「一般論」
読者が物語に求めるものは、ひとつはしかるべき論理一貫性、そしてもう一つは「なぜと問う」必要をなくしてくれる権威である
「自分が不愉快な状況にあるのは、☓☓だからだ」というストーリー的な説明が起こるのは、人間が「なぜ自分は不本意な状況にあるのか?」と問うて、その問に答えようとするから
人はAのあとにBが起こると、AのせいでBが起こったと思う傾向がある(前後即因果の誤謬)
前後関係だけでなく、因果関係が加わると、ストーリーが滑らかになる
人は個別の事例から一般論を帰納し、その一般論から演繹して新たな事例の原因・理由を説明したがる
不本意な状況に置かれると「なぜ私が?」という実在的な間が起こり、ストーリーがそれに無理やり答えようとする
Posted by ブクログ
「将来の夢は?」とか「弊社に入ったら何を(達成)したいですか」とか、そう聞かれて「特にありません」と答えると、つまらない・取るに足りない人だと思われる。その人が物語を持っているかどうかで判断されることは少なくない。それも、聞いた側が納得できる物語を持っているかどうか。
物語をそのまま生きていけるならいいけど、それができないと生きるのはとても苦しくなる。この本が登場するのはここ、その苦しさが現れた時。自分が苦しんでいるのは誰の、何のせいなのか。それは自分が作った物語のせいかも知れないよ、という視点をもたらしてくれる。
もしも、自分を苦しめているこの物語は自分が作ったのではない、周りが要求するものなのだと思っていたら、その時点でその物語を受け入れてしまっているのと同じこと。この本の内容に抵抗があると感じたら、自分の物語に“こだわり”を持って自ら苦しんでいる人かも知れない。
物語に巧妙な仕組みがあることを知れば、その枠組みの外側に立つこともできる。物語の便利なところはおいしく利用し、そうでないところはさっさと放棄して楽に生きよう。“自分らしく”生きることにムキになって苦しんでいた何年か前の自分のような、この本の言葉が届かない届きにくい人にこそ届いてほしい。淡々としてドライに思えるかも知れないけど、こんなに優しい本はないよ。
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ヒト (他人) はどうして考え方が凝り固まったりするのか,というのを検証していくうちに,自分の考え方もまた凝り固まってるから生きづらかったりするんだよ,っていう印象。
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内容はほんとそうだよな、最近考えていたことが体系的にまとめられていると思ったが、私の読解力ではうまく理解できない箇所も多々あった
わからないことを受け入れるのは体力がいることだなあ
すぐに物語にしてしまう
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個人的には読みにくく、内容もタイトルで期待したほどではなかったけど、第4章で書かれていた内容についてはSNS社会の中で思うところが日常的にあり共感した。
人はそれぞれに違う人生のストーリーを持って生きており、それが歪んでしまっている人もいる。他人に自分のストーリーを押し付けたり、攻撃したり。
社会の中で生きて行くことは大変だし、人間関係も面倒なことは多い。自分にとってうまいことばかりではない世の中だけれど、自分の選択だけは、自分で下すことができる。
自分はどうありたいか、どんなストーリーを描いていきたいか。考え直すきっかけにもなった。
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語られていること自体は、いわゆる月並みな、何度も耳にしてきたフレーズであるが、それらに著者の視点から理由付けをしている点が面白く感じた。中でも人は世界をストーリーとして捉える、という見方は自分にとって斬新でハッとさせられるものだった。
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私たちはとにかく「なぜ」か知りたい(正しさは二の次で)生き物だから、世界をとらえるために物語の形を取らざるを得ない。でも、そのストーリーを作るための一般論が歪んだものなら、出来上がるストーリーも歪んだものになって自分を苦しめる。特に黒子のバスケ作者を脅迫した事件の犯人が犯行理由を自分の中にある少ない一般論にしか当てはめられず、うまく供述できていなかったという話が面白かった。
Posted by ブクログ
人が生きていることや、何かが起こることに原因はあっても、必ずしも意味や目的があるとは限らない。人はそこに意味や目的があると思いたい。この行為が物語化なのだ。
「前後即因果の誤謬」
「わかる」と思う気持ちは感情以外のなにものでもない。「わかった気になる」と「わかる」のあいだには本質的な線引きができない。
「出来事が君の欲するように起ることを望まぬがいい、むしろ出来事が起るように起ることを欲し給え、そうすれば君はゆとりを持つことになるだろう」ギリシア ストア派哲学者エピクテトス「提要」『人生談義』下巻、岩波文庫
物語、ストーリー、世界解釈。
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物語消費の話を想定していたが、そうではなくて人間の認知の話が主軸。認知、認識する上での因果関係の推定、それによるいわゆる「物語」の構築、依拠が発生するというような論旨。ソフトな文体で読みやすくありつつ、種々の文献を引いて印象論に終わっていないのが好感だが、認知という側面では物足りなさも感じるので、認知科学あたりの本を並行で読んでみると理解が深くなりそう。本書で引かれていた『生ける屍の結末』は読んでみたい。
Posted by ブクログ
物語つながりで続けてこの本を手にしましたが、物語を通じてものごとを伝える不思議さや難しさを語る内容。何となくはわかった気がしますが、それ自体が物語の陥穽に落ちている感があります。
Posted by ブクログ
私達が生きる意味や理由づけ。
なぜ生きるのか。どうしたら良く生きられるのか。タイトル『人はなぜ物語を求めるのか』から単純に得られる答えだけでなく、「物語る動物」である人間、私がどうして生きるうえで、色々と思考や感情が動くことを説明している。因果関係を作ってみたり、すっきりする決着を求めたり、目的や意味に振り回されたり、考えてみれば思い当たることばかり。物語に振り回されるのでなく、良く生きるために物語ろう。