あらすじ
「変わりたい人は読むべきだ。
あなたはきっと変わる。
そのための知恵が詰まった本です」
進学、就職、結婚、人間関係……人生は分岐点の連続。
岐路に立って、私たちは優柔不断になったり、捨てた選択に後悔したり。
人はなぜ選択に迷うのか? 後悔するのか?
それは、自分の中に確かな基準がないから。
「怒る」「ねたむ」という不毛な選択をしてしまうのも同じこと。
私たちは一時の「感情」に流されてしまい、「迷わない」「捨てた選択に悩まない」「怒らない」ことがもたらす心の平穏を知らない。
だから、間違った選択をしてしまうのだ。
自我(=感情)とは錯覚であり、選択には理性だけが必要なのである。
そして理性は、世の中を知ることで誰でも蓄積していくことができる。
理性を活かせば、誰でも、最良の選択をすることができるのだ。
本書は、初期仏教の教えに裏づけされた、心穏やかに幸福に生きていくための実践的なレッスンを紹介します。
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Posted by ブクログ
<人生は選択の連続>
・生きることは様々な選択の連続である。
・悩み、後悔、不安の原因は、自分の感情、自分の想い、つまり自我である。
・友達がシャープペンシルを返してくれないとする。この友達と仲がよかったら、なかなか返してくれないのも楽しかったりする。この友達と仲が悪いと、自分の自我が侵害されていると感じる。
・人間社会のトラブルの原因のほとんどは、自我である。
・我々が楽しいと思うのは、自分の自我を認めてくれる人と一緒にいる時。
・自我というのは「自分が一番大事」という感覚だから、そういう感情を強く持っている限り、本当に他者と互いに認め合うことはできない。
・結婚を遠ざけるのは、もっといい人がいるかもと幻想すること。
・もっといい人がと思うのは、自我愛。そんな幻想を抱くより、目の前の相手と仲良く暮らすことを考えた方がいい。
・結婚したら、その結婚生活を幸せに生きるのが自分の仕事。
<正しい判断は理性から生まれる>
・感情の赴くままに行動していたら、99.9%間違った選択になる。
・感情に流されないようにすることはできる。衝動や執着の抑制を学習することで、感情の起伏に囚われない冷静な行動ができるようになる。
・感情よりも理性の方が勝っていれば、犯罪行為をするという選択はしない。
・生活習慣病は感情による選択の賜物。
・理性は育てていくもの。最初からあるわけではない。
・ポジティブな感情は、どんなに明るく前向きなものでも、やはり自己中心的でわがままなもの。
・理性を大きくすると感情はおさえられる。消えるわけではない。何かを判断したり行動する時に感情的なものが選択の条件にならなくなる。
・理性のレベルが向上すると、何でも理性に基づき判断できるようになる。感情を自分の利益と結びつける発想がなくなる。感情と行動を切り離すことができるようになる。
・理性を育てるためには、自我に気づき、客観的な視点を持つ。
<自我に気づくための思考レッスン>
・誰でも他人の行動は客観視できる。自分の行動は客観視しにくい。
・自分を観察する。
・苦を作っているのは自分。自分を観察し、苦の原因を見つける。原因の対策を作れば、問題は解決する。
・わざといろいろなことに自我を入れてみる。何かうまくやろうとして、できなくて失敗すると、苦しみが生まれることがわかる。
・自我さえ入れば、人間はほんのちょっとしたことで悩む。
・私達は自我のとおりにいかないと失敗したと嘆き、自我が満たされると成功したと喜ぶ。つまり、失敗も成功も自我の世界にある概念に過ぎない。
・失敗も成功も自分の心が勝手に作っている幻に過ぎない。
・自我に囚われた状態とは、自分サイドの一方的な視点。
・何事にも因果関係がある。悪い原因があれば悪い結果になる。それが自然界のセオリー。
・因果を理性で知る。
・怒りは自我に囚われた状態。
・生きるとは成長すること。成長に幸福がある。成長が止まれば衰退する。
・もう十分理性を学んだということはない。私達は理性を学び続ける。
<捨てた選択に悩まない>
・選ばなかった道のことは忘れなさい。
・もっといい生き方があると思うなら、今その生き方を実践すればいい。
・自分の「やりたいこと」ではなく自分に「やれること」は何かと考えると、苦しみから救われる。
・見栄とか意地といった自我が邪魔しなければ、その場所で自分の花を咲かせる方法はいくらでもある。
・音楽が好きなら、ステージで活躍する演奏家だけが道ではない。バックのサポートメンバーでもいい。
・好きなことにずっと触れられていることが幸せなら、自分のやれることを考えればいい。
・選択が人生を左右することはない。だから選択で迷わなくていい。
<愛は錯覚だ>
・仏教では愛はよいものと考えない。愛は個人の感情であり、主観的なものである。
・愛しているとは、欠かせない存在であるということ。欠けたら苦しくなる。
・愛の代わりに慈悲の心を持つ。
・愛という感情を超える大きな理性が、慈悲である。
・愛よりももっと大きな心を理性で持つ。
・どんな生命もその場所で精一杯生きているのだから、全ての生命の尊厳を無条件で認め、受け入れる。
・限りなく大きなやさしさを持つ。
・慈しみの心を持てば、好きな人以外にも寛容になれる。
・慈悲の心を持つと、まずその人自身が常に喜びの中にいる人になる。
<優柔不断から脱する方法>
・優柔不断は自我によるもの。
・選ばないとは、停滞すること。
・優柔不断の人はよくどっちでもいいと言う。
・選択しなかった方のいいところをあげる。
・失敗したくないという思いが強いから選択しない。自我の囚われである。
・本当に必要だったら迷わない。
・人に気を使って決められないと思うことも、自分が生きるために本当に必要なことなら、びしっとすぐ決められる。
・職探しで迷っているとする。明日生きるために働く必要があれば、目の前の仕事に迷わず取り組む。
・現代社会では、自分の行為一つ一つが命にかかわっているとは思いにくい。
・「失敗するなかれ」より「同じ過ちを繰り返すことなかれ」。
・迷ったら、気分爽快になる方を選ぶ。
・優柔不断は自分の喜びを考えてばかりいると起こる。相手を喜ばせたいと思うと、すぐ決まる。
・今生きている人は、一度も死んでいない。つまりこれまで命にかかわるようなことで一度も間違った選択をしていない。だから今こうして生きていられる。これまでずっと正しい選択をしてきた。自分を信じて、前を向いて、一瞬一瞬を生きる。
<みんな社会の一つのピース>
・私達が管理できるのは今だけ。
・将来をよくしたいと思うなら、今ここで成功すること。
・今この瞬間がよければ、次の瞬間もうまくいく。
・今のことなら自分でどうにかできる。明日やればいいやと思うことはだいたい実現までたどりつかない。
・管理できないことは考えない。
・今、この瞬間で力を発揮するには、常に入念な準備が必要。
・自分をよく磨いている人は人気がある。それは、自分を喜ばせることができ、他人を喜ばせることができているから。だからいっそう世の中から必要とされる。
・人間はどんな小さな選択をするときも、大きな選択をするときも、自分個人に閉じていてはいけない。
・「大事にすべき、尊重されるべきひとりの人間」といううがった視点で考えるのではなく、社会の、宇宙の、小さなひとつのピースとして考える。
・自分を喜ばせられても、他人を喜ばせられなかったら、それはいい判断、いい行動ではない。正しい選択ではない。
・自分もみんなも喜ばせる、それが正しい選択。
・そして一度選んだら、その選択肢を正しい選択肢にしていく。それが後悔しない最良の選択というもの。
Posted by ブクログ
仏教的価値観でさまざまな判断の正解を解説した本とでも言うべきか。
本質は「エゴを捨てる」であり、それも抑えつけるのでなく自然とわかなくするようにする必要がある。
これが頭でわかっていても難しいところであり、誰もが実践できない理由だろう。
(そもそもそれが出来るのであればブッダになれてしまう。)
とはいえそれを何千年も追い求めてきた仏教を人生かけて学んできた人が書いた本である点に関して、敬意を持つ必要はあるように思う。
特に瞑想やメタ認知など、今になって「仏教的価値観すごい」と科学的に実証されつつもあるが、一方で具体的にどう世界を見れば良いの?という点で実践しづらくもあった。
そういう意味で、より実践的で具体的に書かれたこの本の内容は非常にためになった。
Posted by ブクログ
特に刺さらなかった。当たり前のことが書かれていた。理想と現実の折り合いをつけずに、理想ばかり述べている感じがした。
著者の言うことに説得力を感じなくなってしまったので、後半は流し読み。
Posted by ブクログ
ー 仏教では「自分を観察しなさい」と言っています。自分を観察して、いまの苦しみの原因になっているのが「自我」のせいだと気づくと、それが自分の妄想の産物でしかないことがわかります。
輪郭を定める事で五感が接点を知覚するが
意識も「自我の輪郭」に心の痛みを感受する
その輪郭をほどき、メタに世界を眺めれば
纏わりつく因果への執着がリセットされ
我が身は何者にもなり得る
仏教的な「空を観じる」ことと
ハイデガー的な「存在了解」がせめぎ合い
自我と無我のあわいを波のように揺らぐ
そこを往還するテクニックが
瞑想や思索による忘我
無我の希求は我に戻る事を前提とした自我
その矛盾こそ輪郭であり、現存在
「欲があるとき、苦しみがある。
欲がなければ、苦しみがない。
怒りが生まれたら、苦しみが生まれる。
怒りが消えれば、苦しみが消える。
悪い行為をすれば、悪い結果がある。
善い行為をすれば、善い結果がある。」
AIには身体がないから輪郭がなく、自我がない。記憶を奪われた「水槽の脳」と同じ。仏教的な無我の境地は、実はそれが永遠ならばただの消滅であり、文字通り無であって、自らをAI化するようなもの。理想の境地とするものではないはず。
つまり、刹那安らぎを得るための世俗的な処世術。それ以上でも以下でもなく、仏教は本書のような、苦しみから解放される目的志向的なノウハウであったのではないか。
Posted by ブクログ
宗教家なので精神論が多いと思いきや、人生の数々の選択における真っ当な原理原則を教えてくれる。仏教が、盲目的な祈りには頼らずに、極めてロジカルに「よく生きる」ための教えなのだと感じた。
Posted by ブクログ
宗教色の強い本かなと思わせられる語り口で始まりましたが、まったくそのような本ではなく、物事をしっかりと合理的に捉えて、本質を見極めるということにフォーカスされた内容になっていました。
理性で物事を判断するというのは仏教の根源的な考え方で、それを実社会で応用できるレベルにまで落とし込まれた本なので、優柔不断でなにごとも自分で決められない人から意志決定などを任される重役の人まで参考になるエッセンスを得られます。
今の生き方に迷いがある人にもおすすめの一冊です。
Posted by ブクログ
置かれた(自分で置いた)場所で咲きなさい、自我(欲望?)が判断を乱すからいちいち悩まないで、人のためになることを考えなさいってことかなと理解。なんか本全体に一貫性を感じなかったんですが、自分の読み込みが甘いのかなあ。
Posted by ブクログ
怒りの感情の抑制方法を学ぶために読む。
感情、願望など心の情動のコントロールするためのヒントが満載。理性と感情とを一致させるには、価値観の変容が必要。価値観を変えるには、日頃の習慣を変える必要があると感じた。