感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
“「言葉」が指示しているものやことがらの意味についてというよりは、「言葉」が隠蔽しようとしているものが何であるかについて書いてみようと思ったのです。”
という著者の思い。
荒地派、W.H.オーデン、鮎川信夫 etc. etc.. これまで触れたことのない詩人の作品を引きながら、言葉についての思索が繰り広げられる。
We must love one another or die.
(われわれは愛し合わなければならない。しからずんば 死あるのみ)
という詩の最終行を、
Because we are going to die anyway
(われわれはどっちみち死ぬんだから)
と書き換えたW.H.オーデンについての章が、今のこの時代に響く。著者は、
「世界は愚劣さに満ちており、その世界を構成している人間も希望を語れるような存在ではない。希望を語る語法ではなく、絶望を語る語法が必要なのだ。何故なら、われわれにはまだ絶望が足りないからだ。」
と突き放すが、耳に心地の良い響きだけが真実ではないという、著者なりの「思いやり」なのだと思う。
翻って、昨今巷に溢れかえる情報にしてもそうだろう。
われわれは自分に都合のいい声にしか耳を傾けようとしない。我々に届くその言葉は果たして本当のことを伝えているのだろうか? 言葉は意を尽くそうとすればするほど、— その意、そのものも疑ってかかる必要もあるが — 言葉の表面上の意味とは異なるものが上塗りされていくようで、非常に気味が悪い。
むしろ、伝わってこないコトの中にこそ真実があるのかもしれない。
著者も警告する。
「言葉が何かを明らかにするよりは、何かを隠蔽することもあるのです。いや、こちらの方が、言葉の本来の役割であるかのように感じるときもあります。」
言葉は発する時もそうだが、読み取る時にも、その能力を鍛えておかないと、容易にその言葉を操る輩の意のままの場所に連れていかれかねない。