あらすじ
男子普通選挙とともに訪れた本格的政党政治の時代は、わずか8年で終焉を迎えた。待望久しかった政党政治が瞬く間に信頼を失い、逆にそれほど信望の厚くなかった軍部が急に支持されるようになったのはなぜか。宮中やメディアといった議会外の存在、大衆社会下におけるシンボルとしての天皇、二大政党による行き過ぎた地方支配など、従来の政治史研究では見過ごされてきた歴史社会学的要因を追究する。現代日本の劇場型政治と二大政党制混迷の原型を、昭和戦前期に探る試み。
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普通選挙制度が政党政治に与えた光と影が詳しく書かれている。戦前の政党は汚職や不正といったイメージが付きまとうが、実際の事例が多く描写されていて実感が持てた。
政党政治が潰えた理由の大きな要因のひとつに政治の劇場化やメディアの政党政治観を挙げており、今でも政党政治を続ける上で避けて通れない問題となっていることは考えさせられる。
政党政治には権力闘争の面があるのが当たり前であり、できるだけ寛容であるべきだという著者の意見には目から鱗が落ちた思いがした。政治においては最小悪を選択し続けることも大切な選択肢だと感じた。
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男子普通選挙とともに訪れた本格的政党政治の時代は、わずか8年で終焉を迎えた。待望久しかった政党政治が瞬く間に信頼を失い、逆にそれほど信望の厚くなかった軍部が急に支持されるようになったのはなぜか。宮中やメディアといった議会外の存在、大衆社会下におけるシンボルとしての天皇、二大政党による行き過ぎた地方支配など、従来の政治史研究では見過ごされてきた歴史社会学的要因を追究する。現代日本の劇場型政治と二大政党制混迷の原型を、昭和戦前期に探る試み。(2012年刊)
・はじめに
・第1章 護憲三派と政党政治の新生―政友会の分裂から第二次加藤高明内閣まで
・第2章 「劇場型政治」の開始―第一次若槻礼次郎内閣
・第3章 天皇・非政党勢力・メディア―田中義一内閣
・第4章 ロンドン軍縮会議という岐路―浜口雄幸内閣
・第5章 満州事変と政党政治の危機―第二次若槻内閣
・第6章 政党政治の終焉―犬養毅内閣
・まとめ
・あとがき
本書は、昭和戦前期の本格的政党政治の時代を分析したものである。原敬暗殺後、後継の高橋是清内閣が行き詰まり内閣は総辞職、加藤友三郎、山本権兵衛、清浦奎吾と非政党内閣が続く。1924年に政友会が分裂。第十五回総選挙の結果、大命は憲政会総裁加藤高明に降下する。以後、若槻、田中、浜口、若槻、犬養と二大政党制が機能したが、犬養亡きあと、斎藤実(海軍軍人)への大命降下となり政党政治が終焉するまでを論じている。
これまでは、政党の汚職や党利党略により争いが激化し、軍部に付け入る隙を与え、政党政治が自滅したものと理解していたが、本書を読むと、事情はより複雑であることがわかる。
当時の社会的な背景としては、普通選挙を導入したことにより、政策論争だけではなく、政治シンボルの操作が最も重要な政治課題となる劇場型政治が始まる。それが政権交代を実現するための手段として意図的に用いられていく事がわかる。(朴烈怪写真事件、不戦条約問題、統帥権干犯問題、天皇機関説問題)
また、この時期、軍人の社会的地位が著しく低下していた事も無視できないという。背景には行財政整理にともなう軍縮がある。政府はマスメディア(新聞)の後押しを受けて軍縮を進めるが、この時期の政党側の軍人軽視傾向が軍部台頭の真因であったという。
満州事変後、マスメディア(新聞)世論は、事変前と変わって大旋回する。戦争報道によって大きく部数を伸ばした新聞は、新聞経営の立場を優先させ軍部台頭の片棒を担ぎ、政党政治の崩壊に手を貸すこととなる。
いくつか興味深い点がある。元老西園寺公望の加藤高明の高評価、ロンドン海軍軍縮問題を巡る考察(条約批准には成功したものの、政党外勢力への政党政治の依存の危険性)、最後の元老が果たした超法規的役割や宮中勢力による天皇の輔弼(天皇の宮中の満州某重大事件の処理を巡って天皇は田中首相を叱責するが、これは個人的意思で偶発的に行ったわけではなく、宮中のアドヴァイザーのアドヴァイスを受けつつ行ったことだという。)など、戦前期の政治を理解する上で参考になった。
著者は当時のマスコミについても厳しい見方をしているが、現在に至っても本質に変わりはないのではないか。社会の木鐸たる見識もなく劇場型の報道に終始する現状をみると既視感を感じずにはいられなかった。
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昭和戦前期における二大政党の成立と崩壊を扱った歴史書。戦前のこの時期は、日本史でも流されることが多いので詳らかに読んだのは初めて。非常に興味深かったし、天皇のシンボル的利用やメディアの弊害など今日的課題にもつながっている、素晴らしい新書。
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この前、陸軍もの読んだので・・・
その流れでチェック・・・
大正末期、政党政治が日本で花開く・・・
加藤高明内閣から約8年間は政党政治が続く・・・
そして昭和初期、政党政治が没落し、軍部が力で権力を握り、日本を戦争へと引きずり込んでいく・・・
何でだろう?
やっぱり悪い軍部がいけないの?
いやいや、そんなに単純じゃあございません・・・
加藤高明<1><2>内閣から・・・
若槻礼次郎<1>、田中義一、浜口雄幸、若槻礼次郎<2>、犬養毅と歴代内閣の経過と評価を辿りながら、政党政治がどう変遷して没落していったかを確認できる・・・
劇場型政治ってのは戦前から存在し・・・
マスコミは煽るし、主張もコロッと変えるし、政党批判ばっかするし・・・
国民も政策で政党を選ぶのではなく・・・
政策なんかより、人気や、スキャンダル、その時の空気によって政党を選ぶし・・・
政党も疑獄だの、議員の買収だの、分裂したり、くっついたり、悪いことして暴露し合って、妨害はするは、乱闘はするわ、だし・・・
政友会派と民政党派で日本中どこも割れちゃうし・・・
まぁ、今とそんなに変わっておりません・・・
今と違うのは、それらに天皇や元老、宮中などが、さらに絡むことですね・・・
それがまた一層ややっこしくするのだけど・・・
結局・・・
政党、政治家自身が政党政治というものを貶め・・・
国民やマスコミ、宮中ががむしろ、政党よりは期待できる、と言う感じで、軍部や近衛文麿や大政翼賛会などを迎え入れていくことになるという・・・
なんとも、ええ・・・
これ・・・
今の平成ジャパンだって・・・
政党が全然当てにならない状況が続いていれば・・・
どうなることやら?という思いを抱かずにはいられないでしょうに・・・
軍はないけどさ・・・
ただ・・・
何かやってくれそうな人なりグループが出てきた時に、簡単に乗っかっちゃうとか、出てくるよね・・・
そういうの怖いよね・・・
著者としては・・・
自由で民主主義的な政治とは議会政治であり、議会政治とは政党政治である。政党政治は政党が自らの政策を実現するために、それを選挙民に訴え、反対党と政争を行いまた合従連衡を行う政治である。それは自派の政策を実現するために、他派と不可避的に闘争・競争を行う。ところが、日本社会ではこれらをすべて「党利党略」として忌避し批判する傾向が強いのである。
買収や不正な政治資金の融通などはもってのほかだが、選挙で当選するために、また反対党との競争に勝つために政党が様々な方策を用いるのは当然のことであり、そのことにできるだけ寛容でなければ政党政治は維持できない。この観点が未成熟である。
となっている・・・
ボクたちも、そもそも政党政治ってーのはこういうもんだ、と学び、クールになり、政党と向き合っていかないといけんのかもしれませんなぁ・・・
Posted by ブクログ
選挙前なので、昭和の二大政党に関する文献を読んだ。その一冊が本書。もう一冊は井上寿一氏が最近出した本。これについては次に読む予定。
それはいいとして感想であるが、現在と状況がかなり似ていると感じた。たとえば行財政改革を行ったり、あるいはマスコミが扇動的な報道を行ったり(これは現在の方が幾分かマシに思えるが)するところは現代と類似しているといえよう。ただその一方で状況が全く異なるものもある。具体的には天皇を政治シンボルとして使うことや軍部の存在というものが挙げられよう。
史料に基づき、詳細な分析がなされているところに好感が持てる。また、現代の議論に使える論点や主張もあるので、二大政党を考えるにおいて、大いに参考になるだろう。
筆者の見解が最後に述べられているが、これについては全く同感であり、自分も気を付けないとと思った。
Posted by ブクログ
民主主義への可能性をもっていた政党政治がなぜ崩壊したのか?
それは単純に軍部のせいというわけでもなく、政党自身の問題、それを選挙で選んだ人々、マスメディア、そして天皇周辺の勢力のさまざまな動きのなかで生じたこと。
もちろん、背景には世界大恐慌というのがあるわけだけど。
未熟な政党政治の問題を批判しているうちに、民主主義自体の価値がさがっていって、より純粋に国をよくしようとしている軍部に国民の期待がうごいていく。
そして、そのイメージとして、天皇が使われていき、反対陣営の議論を封じ込めていく。
で、満州事変によって、世論は大喝采をおくり、その勢いをもって、急速に陸軍が政治の中心になってしまうという構造。
う〜ん、これって今でもやっていそう。なんかちょっと暗い気持ちになった。