あらすじ
一九六二年八月、マリリン・モンローが死んだ。睡眠薬の大量摂取による「自殺」と報じられたが、多くの謎が残った。それからほぼ四十年、彼女と親交のあった人々の声が「今だからこそ言える事実」として初めて伝えられる。検死官トーマス野口、最初の夫、写真家、共演者など十三人の知己が語る愛すべきマリリン。人気女優の素顔に迫る渾身のノンフィクション。
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Posted by ブクログ
605円
298P
目次
Ⅰマリリンは殺されたのか?
トーマス野口(元ロス郡検死官)
スーザン・ストラスバーグ(女優)
ジーン・カーメン(友人)
Ⅱノーマ・ジーン大好き
ジム・ドアティ(マリリンの最初の夫、元警察官)
ビービー・ゴダード(義理の妹)
Ⅲ誰も知らないマリリン
シドニー・ギラロフ(ヘア・スタイリスト)
ジェームズ・ハスピール(元マリリンのおっかけ少年、作家)
エヴェリン・モリアーティ(元マリリンのスタンドイン、女優)
ジョージ・バリス(フォトジャーナリスト)
Ⅳマリリンへの伝言
シェリー・ノース(女優)
キース・アンデス(俳優)
ドン・マレー(俳優)
ダグラス・カークランド(写真家)
井上篤夫
(いのうえ あつお、1947年[1] - )は、日本の作家・翻訳家。アメリカ、英国を中心に、時の人物を深く掘り下げた評伝を数多く執筆。翻訳の分野でも活躍している。1947年(昭和22年)岐阜県岐阜市に生まれる[1]。地元の小学校、中学校、高等学校を卒業[要出典]。早稲田大学在学中から、週刊誌記者を始めた[1]。1976年、集英社「週刊プレイボーイ」のアメリカ建国200年企画「VIPインタビュー」で、1か月間にわたり全米各地を取材した[1]。ビートルズのジョージ・ハリスン、元米大統領ジミー・カーターの息子などをインタビュー[1]。その後も英国のベストセラー作家ジェフリー・アーチャー、女優のブルック・シールズ、元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ、米の元陸上競技のスーパースター、10のオリンピックメダリストのカール・ルイスなどをインタビュー[1]。1982年11月、渡英、ストロベリー・フィールド、リバプール、ビートルズ・メンバーの生地など、ビートルズの「足跡」を訪ねる[1]。1986年、マイクロソフト社のビル・ゲイツ会長、CNNのテッド・ターナー会長などをインタビュー[1]。1987年10月16日、ソフトバンクの孫正義社長をインタビュー[要出典]。以後、「時代を作る男・孫正義」を取材続ける[要出典]。
1990年から4年間、ボストンに滞在して執筆活動をした。『ボストンに友人あり』を出版[1]。
1998年、マリリン・モンローゆかりの人々13名を取材した[1]。
2004年、『志高く 孫正義正伝』を出版[1]。
2007年、ニューメキシコでネイティヴ・アメリカンの生き方に触れ[要出典]、ナンシー・ウッドの『今日という日は贈りもの』を訳す。
2008年渡英、ハリウッドと大統領との密接な関係を描くにあたって(『ポリティカル・セックスアピール―米大統領とハリウッド』)ロンドン大学のマーク・ウィーラー氏と対話を重ねた[要出典]。
2009年、ミシェル・オバマの育った町、シカゴ各地を取材[1]。
2010年、『志高く 孫正義正伝 完全版』(改訂・文庫化)配信サイト「アップストア」のダウンロード数が最初に1万を超えたのは、『志高く 孫正義正伝』(実業之日本社)の1万3千本[要出典]。
2011年、日本で初めてのフランク・キャプラ監督の評伝[要出典]『素晴らしき哉、フランク・キャプラ』を著す。
2011年、NHK-BS「永遠のヒロイン」で放映されたヴィヴィアン・リー、マレーネ・ディートリッヒ、キャサリン・ヘプバーン、イングリッド・バーグマンの4大女優の番組内容に加筆した『永遠のヒロイン~ハリウッド大女優たちの愛と素顔』を著す[1]。
2012年、マリリン・モンロー没後50年、遺稿集『マリリン・モンロー 魂のかけら』を訳・解説する[1]。
2017年、 『とことん 孫正義物語』(フレーベル館)が刊行される。
2021年〜孫正義育英財団の評議員を務める。
「さらにマリリンは向学心に燃えていて、大学の授業を受けたり、読書なども熱心にしているにもかかわらず、大衆のイメージは変わらず、「少し足りないブロンド女」のままだった。それに対するイライラや不満が鬱積していた。」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「モンローは睡眠薬を常用していたために、その錠剤は胃に残らなかった。それで充分に説明がつくのです」 しかし、その後、野口を悩ます噂が流れたのである。有名作家のノーマン・メイラーなどが「マリリン・モンローは殺された」と書き始めた。 マリリン謀殺、他殺説である。 ジャーナリズムがそれを主張する根拠の多くは、毒物検査の不備である。 毒物分析官に検査を依頼していた野口は、驚くことを聞かされた。「腸の内容物の毒物検査をするように」と指示を出してあったのだが、毒物分析官の返事は「先生、すでに処理しちゃいました。捨てちゃいました」というものだった。問題がない、だからもう処分してしまったというのである。毒物分析官は、血液と肝臓の検査を行っただけで、これ以上の検査は不要と考えたのである。」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「最近では、「私はマリリン・モンローの娘です」という女性が現れた。ひとりやふたりではなく、ロサンゼルスにもメキシコにもマリリンの娘がいたという。マリリンの娘なら筆者も会ってみたい気がするが――。「でも、それについては私には『あなたは娘ではないです』と説得する必要はない」 と野口は断言する。「医学上、子どもを産んだ形跡はモンローにはありません」 出産をすると、子宮口が横に裂けるようにして開く。それが出産後は、魚の口(フィッシュ・マウス)のような形で治ってくる。「そのために病理学者は、その女性は子どもを産んだかどうかがわかる。彼女の場合はその痕跡がないんです」 マリリンは何度も流産をしていると言われるが、出産とは明らかに違う。流産では子宮口は切れない。中絶などは子宮口の形には表れてはこないのである。「小児病理学が進んできて、流産というのは大部分は体質によるものだということがわかってきました」 マリリンが流産を経験したのも、心理的な要因も大きいだろうが、あるいは体質とも考えられるのだ。 また、マリリンは奔放な男性経験を繰り返し、不感症だったという噂も流れた。これなどはマリリンのからだの特徴になって現れていたのだろうか、筆者は野口に聞いた。」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「最近は、世界中から来た演劇の生徒たちを教えています。なかには、自分はマリリンの生まれ変わりみたいに感じている人もいます。しかし、それは絶対にありえない。マリリン・モンローは彼女ひとりです。生まれ変わるならマリリン自身でしょう」 しかし、生まれ変わるときには、愛される家族の元で、彼女が望むことをしてあげられる人がいる星の下に生まれてほしい、とスーザンは願っている。 ほとんど知られていない事実だが、晩年のマリリンは、心霊にとても関心を持っていた。「生まれ変わりとかそういうことにとても関心があったのです」 一九五五年から亡くなる一九六二年までの七年間、マリリンはスーザンと実の姉妹のようにして暮らした。初めて会ったとき、スーザンは十六歳、マリリンは二十八歳。」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「最近は、世界中から来た演劇の生徒たちを教えています。なかには、自分はマリリンの生まれ変わりみたいに感じている人もいます。しかし、それは絶対にありえない。マリリン・モンローは彼女ひとりです。生まれ変わるならマリリン自身でしょう」 しかし、生まれ変わるときには、愛される家族の元で、彼女が望むことをしてあげられる人がいる星の下に生まれてほしい、とスーザンは願っている。 ほとんど知られていない事実だが、晩年のマリリンは、心霊にとても関心を持っていた。「生まれ変わりとかそういうことにとても関心があったのです」 一九五五年から亡くなる一九六二年までの七年間、マリリンはスーザンと実の姉妹のようにして暮らした。初めて会ったとき、スーザンは十六歳、マリリンは二十八歳。」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「しかし、マリリンは二度流産をし、そのショックを癒すためか、薬を飲みその結果、ますます精神の安定を欠くようになっていった。頻繁にカウンセリングにも通うようになった。「マリリンは、突然、開放的になったり、また急に自分の中に閉じこもってしまうということを繰り返しました。お酒を浴びるほど飲みました。そしてますます深みに嵌まっていったのです」 周囲の心配をよそに、彼女はアルコールだけでなく薬に頼るようになった。」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「 私はアメリカという国を高く評価しています、とても自由です。でも、政府はいろんなことを隠しています」 マリリンが殺されたのかどうかはわからないが、いつも危機に晒されていた、怯えていたとスーザンは考えている。 マフィアやケネディなどいろいろな説がある。むろん、薬を飲んで、それを何錠飲んだか忘れてしまったということは考えられる。誤って飲み過ぎた事故死かもしれない。「でも、私はマリリンが自殺するはずがないと思います。いっぱいすることもあったの。パパとテレビのスペシャル番組の計画を立てていたし、新しい家も気に入っていたのよ」 新しい家のためにメキシコで買った青い皿と台所用の籐椅子などをあんなに気に入っていたのに。 そして、スーザンは話題を変えて、マリリンの暗い過去への不安についても語ってくれた。「彼女はとても怖がっていました。自分の中にある遺伝的な素因による精神的な異常の再発を恐れていたんです。自分もいつかは異常をきたすのではないかという恐怖です」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「マリリン、あなたは充分に美しいから、化粧なんてしなくてもいいんじゃないの?」 とスーザンが言ったことがある。 スーザンはマリリンのようになりたいと思っていたし、マリリンはスーザンのようになりたいと思っていた。 ふたりでファイア島に行ったことがある。マリリンがニューヨークに来たばかりで、スーザンがブロードウエイの芝居に出始めた頃のことだ。マリリンは海に向かって裸になって歩きだした。 スーザンはそれを見て叫んだ。 「『まあ、綺麗!』あのとき、ああいうふうになりたいとほんとにそう感じたのです」 するとマリリンが振り返った。スーザンは当惑した。「ごめんなさい。じっと見ちゃって。でも、私はあなたみたいになりたいと思うから」 するとマリリンは悲しそうに言った。「そんなこと言わないで、スージー。私はあなたみたいになりたいのよ。みんなはあなたのことを尊敬しているでしょ。私はそういう女性になりたいの」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「みんな彼女のモンロー・ウォークしか知らないから、まったく気づかない。そういうものなのよ。ハイヒールを履くときは、ああいう歩き方になるけれど、普通はそうじゃない、当たり前だけど」 とスーザンは笑う。「それにマリリンはノーメークのほうが、もっと綺麗よ。白くて透き通る肌、輝いているの」 スーザンの話はまた、父リー・ストラスバーグとマリリンとの関係に戻った。 父はとてもスーザンには厳しかった。マリリンには優しかったのに。「おまえはどうしてそうなんだい!」 いつも詰問されたり、怒鳴られてばかりだった。「でも、パパはマリリンには一度もそんなことはなかったわよ」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「 マリリンにはいろいろな伝説がある。 初めて重要な役についたときマリリンはこう言った。「もう、これでイヤなあれをくわえなくてすむわ」 モデルや駆け出し女優の頃は、売春婦に近い生活をしていたとも言われる。いわばセックスを知り尽くしている女性。あるいはマリリンはオーラルが好きだったという噂もある。特に、背中の悪いジョン・ F・ケネディとのセックスではそうだったと書いた作家もいる。「それは私にはむろんわからないわ。でも、少なくとも当時は彼女は変わった形のセックスはあまり知らなかったわ。彼女、本当にびっくりしてたもの。そして、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてたのを覚えているの」 スーザンにウソをつく必要はない。「私もその頃は、ヴァージンで何も知らなかったの。彼女もそれに近かったと思うわ。私は十六歳、彼女のセックスの知識もそれに近かったわ」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「カーメンはマーメイドラインのぴったりとしたドレスでシナトラを誘惑した。カーメンがバーで座っていると、シナトラがやってきて言った。「なぜ、きみはそんなに綺麗なんだい?」「綺麗でいるのって、簡単じゃないわよ」 ふたりはそれで波長がぴったりと合ったのだという。 これまで、カーメンは映画スターとは長続きしなかった。スターたちは自分が注目を集めたいから相手のことをかまわないのだ。カーメンはそれで、すぐに飽きてしまったのである。「シナトラは少年みたいなんです。私は彼の家に行って座って、じっと彼の音楽を聞いていました。それに耐えなきゃと思っていたんですが、しだいに退屈し始めていました。私はそのとき十九歳だったし、彼は三十五歳になりかけていました」 カーメンにかかっては、プレイボーイの誉れ高いシナトラも形無しである。「セックスパートナーとしてはあまりよくなかったわね。まるで、何も知らない少年みたいに、じっと横になってされるままなんですから」 さらに、マリリンが『荒馬と女』でも共演し、最も愛した俳優のひとりであるクラーク・ゲーブルともカーメンは関係があったと告白する。マリリンは「クラーク・ゲーブルに触られると、鳥肌が立っちゃうの」というほど彼を好きだった。「私はクラーク・ゲーブルともデートをしたわよ。彼のペニスは小さくてよくなかった。ゲーブルは、『風と共に去りぬ』を撮ったあと、みんなからレット・バトラーであることを求められてきたの。でも、彼は女性の期待と実際の自分とは掛け離れているので、傷ついていました。それで酒に溺れたの。酒を飲んだら、ますます何もできなくなっちゃうでしょ!」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「マリリンは、自分がものを知らないって思われるのがイヤなんです。だから、好奇心で何でもメモをしたのです。マリリンは、もっと教育を受けたがっていて、語彙を増やしたがっていたのです」 その日記がマリリンの死後に消えた。「赤い日記がどのようにして消えたか、私にはわかりません。死体のそばから消えたとも言われています。マフィアの手先が部屋に侵入して持ち去ったという噂もあります。私にはわかりませんが、その日記を最もほしかった人物、それはボビーだとしか思えません」 さらに、カーメンは暗黒街のボスであるサム・ジアンカーナとマリリンやケネディ大統領が親交があったと明言した。「ジャックから紹介されたの。私とマリリンとジアンカーナは少なくとも三回はいっしょに食事をしたわよ」 ジアンカーナとマリリンが特別に親しい男女の関係にあったことも、カーメンは否定しなかった。「マリリンの死にマフィアがからんでいた、とは断言できません、私には。でも、私はフレディ・オタッシュという私立探偵から脅されたのです」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著
「「夫はユダヤ教で、私はカソリックです。いい組み合わせとはいえませんね。案の定、私たちの結婚生活は長続きしませんでした。私は子どもを産むことにして、ロサンゼルスに戻ってきました。結局、子どもが二、三歳のときに離婚しました」 ビービーはそこで、二度目の夫と出会ったが、この結婚も幸せにはなれなかった。「私は専業主婦になったことはありません。二度目の夫と離婚した後、オフィスでの仕事に飽きて、給料のいいウェイトレスの仕事を始めました」」
—『追憶 マリリン・モンロー (集英社文庫)』井上篤夫著