あらすじ
相手が離婚を言い出さなければ自分から言い出したはずだった。なのにこんなに悲しくて心にしこりが残ったままなのは何故なんだろう――。堂々巡りの自分から抜け出すために決めた沖縄旅行。がじゅまるが運んできてくれた出会いによって、私は自分自身を許すこと、誰かを自然に好きになる尊さを知った。
表題作「なんくるない」始め、「ちんぬくじゅうしい」「足てびち」「リッスン」を収録。沖縄を愛するすべての人々へ捧げる小説集。
感情タグBEST3
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再々再々再読。沖縄を舞台に描かれる家族、友人、バツイチ女性の人生の転機や振り返りを描いた三篇。
よしもとばなな特有のちょっとスピリチュアルな出来事を挟みながら、辛かった状態から自然体に戻ること、自然体に気付いて再生することの素晴らしさを語っていて、忙しい日常の合間に読むと、とてもホッとするし、自分も少し取り戻せるという、私にとってはお薬のようなサプリメントのような本です。
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ずっと読みたくてたまらなかった「なんくるない」
普段は行かない店舗のBOOK・OFFで見つけて即座に手にしました。
私は自分のものにした本には、鉛筆で線を引いたり折り目をつけたり、後々読み返した時や元気がなくなってしまった時に自分を助けるよう目印をつけるのだけれど、この本は線・折り目だらけになってしまった…それくらい、ココロにグッとくるものが沢山!沖縄の誰をも包み込むようなパワーや性とのバランス、人と人とのフィーリング。
長く長く、大事にしたい本です
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沖縄旅行のお供に読み始めたから、タイムリーに沖縄パワーに共感した。確かにあの地には、いろいろを受け入れてくれる寛大さがあるような気がした。夢とか憧れとか、もしくは何かからはみ出したものとかも。沖縄には移住者が多いが、みなそういうパワーに引っ張られて来たのだろうか?わたしもあの寛大な空気の中で、すごく自分でいられた。武器も鎧もいらなかった。
つまんないことがたくさんたくさんあって、力がなくなるようなこととか、生きててもしかたないと思うようなことがたくさんある、TVを観ても、なにをしててもいつでもたくさん目や耳に入ってくる。だから面白いことをたくさんして、逃げ続けるんだ。逃げ続けるしかできない戦いなんだよ。僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ。(p.214)
最近、嫌なものばかりを目や耳が拾うようになってしまった。それには嫌な感情もついてくる。そしてそんな自分こそ嫌になる。もう全てをバッサリ切り落としたいとさえ思う。
大変なこととか辛いこととか悲しいこととか、そういうのから逃げたいんじゃない。生きてたらそんなこといっぱいあるし、それは成長に繋がる。そうでなくて、自分が自分でなくなるような、息がしにくいような、そういう圧力みたいな嫌なものから逃げたいのだ。
トラのセリフと、今のわたしの頭の中が重なったようで、良き理解者に出会えた温かさなのか安心感なのか、涙が出た。
そういう重なりが、『なんくるない』にはたくさんあった。
悩んで、なんくるないと思っては、また悩んで。うまく進んでいかなくても、それでも進んでるんだ。読んだ後、“なんくるない”気持ちで心が明るくなった。
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東京の暮らしに疲れて、あーもうどこか温かいところに逃げたい、と思っていたので選んだ本。
求めていた以上に、沖縄の空気をふわっと持ってきてくれて、生ぬるい湿気のある風に包まれた気持ちになりました。
読み終わった頃には、恋したいなぁ〜なんてぼんやり考えられるくらいに充電されました。
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沖縄滞在中に読み終わった。
素肌を焼く太陽の力、すべてを洗っていく海の力などなど、あの島が思い出させてくれた自分の底力のような物が、そのまま描かれていた。
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1回目はすごくいい!私の人生の適切なタイミングで舞い降りた物語、と思った記憶があります。
でも今回読んだらなんだか遠い世界の話のような気がした。自分が変わったということ?同じ物語なのに不思議だ。
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・表紙のタムくんの絵が可愛くて大好き
・終始沖縄を感じれて、沖縄に行きたくなった。救いの土地なんだな〜早く行きたい。
・1話目、叔母さんの言葉で涙が出そうになった。この先辛いことがあったら何度も読み返そう
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そうそう、沖縄の素晴らしさって、こういうこと!
主人公はいつも旅人で、束の間の沖縄マジックを楽しむ。
ガイドブック見てるより沖縄に行きたくなる。ひとりで、ノープランで。
Posted by ブクログ
沖縄を舞台にした小説集。
表題作ではない1作が、
「身バレしないように脚色を加えた私の話かな??」
と思うくらい自分の過去とリンクしたので驚いた。
私は沖縄に行ったことがない。
けれど、私の母が鹿児島県の離島の出身で、もう30年以上も前にはなるがその島へ訪れたことがある。
その時の海のきれいさ、日の光、空気感、
もうずいぶん思い出してもいなかったものが読書中に幾度も思い出されたので、
おそらくその島も沖縄にかなり近いのだろうなぁと思う。
物理的にもだけど、海の温度とか空気とかそういうものが。
いつかは沖縄に行ってみたいなぁ。
Posted by ブクログ
なんど読んでるかわからないけど、この小説に出てくる人がみんな優しくて癒された。
ばななさんは時々、日本のいまの現状をとても辛辣に語るときがある。
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「台北には朝の五時までやっている巨大な書店ビルがあって、いつでも人でごったがえしていた。かふぇもあるし、ギャラリーもあるし、夕方まではちょっとしたショッピングセンターみたいなものも併設しているから、きっと働いている人はみんなうんと忙しいし、疲れ果てているはずだった。
でも、若い女の子たちはきゃっきゃっと声を立てて笑いながら働いていた。休み時間はお茶をして、いろいろうわさばなしをして、身も心も小鳥みたいに軽く見えた。
それはいっぱい、空気の中に自由な空間が生きているからだと私は思った。自由......それは日常の中の小さい自由に過ぎないのかもしれないけれど、みんなそれぞれの立場や収入に合わせて無限の可能性の中にいる感じだった。
なんだかこの国のあちこちに自由のつぶつぶが少なくなっていて、人々は水面でぱくぱくしている金魚みたいに見えた。自由はいつでも、お金だとか時間だとかなにか条件がなければ手に入らないものみたいだった。」
毎度妙に納得してしまう。日本のいま。
Posted by ブクログ
沖縄の自然とあたたかい優しさを感じた。夕暮れ近くなるとなんとも言えない海辺の癒しの雰囲気。
人懐っこい島人や観光客^ ^。サービス精神満載のタクシー運ちゃん。
よしもとばななさんの沖縄愛を感じた本。
孤独で不安で寂しい…孤独じゃ無いよー深く思い詰めるな大丈夫なんくるないさー(なんとかなるさ)
Posted by ブクログ
『人間ってそんなにはがんばれないものだから…。そして、がんばるために生まれてきたわけじゃないから』。
この世を日々生きていくことは大変です。それは主として人と人との関係性によるものではないでしょうか?もちろん、何もない無人島での暮らしが一番とも思いませんが、人と人とが関わり合う暮らしの中では常に利害関係から生じる軋みが発生してもしまいます。
学校で、職場で、そして家庭の中で、私たちはそれでも日々を生きていくために、さまざまに想いをめぐらします。その中で正しいと思う選択を日々繰り返していく私たち。とは言え、全てが思い通りになるわけではありません。どんなに思っても、どんなに願っても自分の力ではどうにもできない事ごとというものはあります。しかし、本当にそうでしょうか?どうにもできないと思うのが自分自身であるとしたら、それは自分こそがそれを解決することができる唯一の存在なのではないでしょうか?
さてここに、心に刻まれたつらい思い出を持つ人たちが主人公となる物語があります。『沖縄』を訪れる主人公たちを描くこの作品。リアルな『沖縄』の情景に心躍るこの作品。そしてそれは、「なんくるない」という『沖縄』の方言に込められた言葉の意味をしみじみと感じる物語です。
『宿の車が迎えに来てくれたのを、家族みんなで確認した』、『あ、あそこに見えてる』と『はしゃいで指さ』すのは主人公の『私』。『波は静かにゆらめき、真っ青な海の色をきわだたせた』中に『出迎える人々は郵便や物資を待ってにぎわってい』ます。『にぎやかな風景なのに、全体が奇妙な静けさに覆われていた』と感じる『私』は、そんな記憶を『今思えば、それが私の平凡だった少女時代最後の家族旅行だった』と思い返します。『宿の部屋にはぺったんこのふとんが無造作につみあげられていた』という部屋へと入り『こんなに陽があたったら布団を干す必要はないわね』と『畳に足を投げ出して母は言』います。それに、『あ、牛が見える。牛も暑そうだな』と『窓の外を見ながら』話す父親。そんな両親の『だらけたやりとりに退屈』した『私』は、『手を洗ってくる!』と廊下へと飛び出します。『じっと窓の外を見』る『私』は、そこに『白い風車』があるのに気づきました。『近代的な風力発電の、かっこいいデザインの風車』は、『同じリズムでぐいん、ぐいん、と回ってい』ます。『その光景は幻想的で、まるで夢で見る景色のように、私を一種の催眠状態にし』ます。『少し退屈で甘く切なくとんちんかんで、永遠に続くかと思われた平和な家族の夢。まだ子供の時だけに感じる独特の世界の味』。そんな時のことを『贅沢で無邪気な時期だった』という今の『私』は、『断片的にしかおぼえていない』、『その旅を象徴する光景は何よりもあの風車だった』と思います。そして、『島を去って本島についてから、私たちは父の妹、今は沖縄の人と結婚して那覇に住んでいるおばさんのところに遊びに行』きました。そして、『うわさ話で知ったすごくあたるというユタのところを興味本位でたずねていった』母親の一方で、市場へと出かけた父親と『私』。『ドラゴンフルーツ、マンゴ、パパイヤ…』と『海の中の魚のように色とりどりの果物の甘い味。おみやげにいくつも、持ちきれないほど買』った『私』。そして、『おばさんの家に戻ると、母はなんだか興奮した様子で必死におばさんに話しかけて』います。ホテルへと戻り、『おなか一杯になって』『寝てしまった』『私』でしたが、『何かいやな気配を感じて』目を覚まします。『前から思っていたのよ、あの、庭先の、池がね、全部いけないっていうの』、『すごくぴったりきたのよ』、『自分ではどうしようもないことって、あると思うの、目に見えない法則が…』と興奮する母親。『何の話かよくわからな』い中に『いやなことが始まっているのだけはわかった』という『私』。そんな『私』は、『トイレに行って、ふたりの話を中断させようか、それとも…』と逡巡する中に寝てしまいます。翌朝、『何事もなかったかのように笑』う両親でしたが、『母の中にくすぶっていたある雰囲気が、形を得てしまってどんどん力をつけてい』きます。東京へと帰ると『ボランティアのようなことをはじめ』た母親。やがて、『いつのまにか母は私たちの手の届かないところに行ってしま』いました。『この世の今目に見えている姿は全部まぼろしで、自分にはほんとうのところが見えていると言い張』る母親。一方の『私』は、『ものを食べなくなっ』ていきます…そして…と描かれていく最初の短編〈ちんぬくじゅうしい〉。沖縄への家族旅行の先に待つまさかの展開、『里芋の炊き込みご飯』という意味を持つタイトルの先に穏やかさと緊張感が同居する好編でした。
“沖縄には、神様が静かに降りてくる場所がある ー。なんてことないよ。どうにかなるさ。人が、言葉が、光景が、声ならぬ声をかけてくる。なにかに感謝したくなる滋味深い四つの物語の贈り物”という内容紹介が絶妙にこの作品を言い表しています。書名の「なんくるない」とは、”挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る”といった意味合いの沖縄の方言だそうですが、書名にそんな方言が使われることから想像される通り、この作品は主な舞台を沖縄に描かれていきます。”絶対、よしもとさんは沖縄好きですから!”と新潮社の方に声をかけてもらった先に沖縄へと旅し、この作品の成立へと至ったという展開。吉本ばななさんというと、「まぼろしハワイ」でズバリ、ハワイの地も描かれていますし、南の島に相性が良い作家さんなのだと思います。
では、そんな吉本さんが描く沖縄の描写、せっかくですから食べ物の描写を見てみましょう。『安里にある有名な小料理屋さん』へと出かけた主人公の食の風景です。
『名物の「魚のマース煮」を頼んで、ていねいに食べた。大味な魚なのに、夢のように繊細な味がした。塩と昆布だけで煮ているのに、甘くて、ふっくらとしていた。私は骨をしゃぶりつくして、汁もみんな飲んだ』。
恐らくは、吉本さんご本人が注文して味わわれたそのままの光景なのではないかと思いますが『魚のマース煮』という塩水で蒸すという沖縄ならではの料理、私も食べたことがありますが、これはいきなり食欲を掻き立ててくれます。一方で、さらにメジャーな食はこんな風に描写されています。
『オリオンビールを飲みながら…海ぶどうをつまんだり、おいしい!と言ってはサーターアンダギーをほおばった』という母親の一方で、『亀せんべいと塩とかつお入り味噌でのもろきゅうで泡盛を飲み始め』た父親。
メジャーどころはさらっと一気に表現してしまう吉本さん。誰もが知るものばかりですから、これだけで一気に沖縄ですね!食ばかりではなんですから有名な観光地も見てみましょう。『いつまで見ていても飽きない、光の中の熱帯魚たち』という『水族館』です。
『ジンベエザメが行ったり来たりしてるだけなのに、私は口をぽかんとあけて、いつまでもそれを見ていた。優雅なその姿はまるで空をゆく飛行船みたいだった。まわりでひらひらしているコバンザメはまるでかもめのようだった』。
海の生物を空に飛ぶものに比喩するという絶妙なセンス。なかなかこのようには比喩できないと思いますが、なんだかとてもワクワクしてきます。嗚呼、『沖縄』に行きたい!そう、一冊丸ごと『沖縄、沖縄、沖縄』どっぷりな本を読むのは、そうは言ってもとても行ける状況にない…という身には強毒ですね(笑)。
そんなこの作品には四つの短編が収録されています。それぞれに関係性はなく、また表題作の「なんくるない」が全体の半分を占めるなど作品によって分量もバラバラです。そんなバラバラな作品を一つにまとめていくのが上記した『沖縄』の描写でもあります。では、四つの短編をご紹介しましょう。
・〈ちんぬくじゅうしい〉: 『今思えば、それが私の平凡だった少女時代最後の家族旅行だった』と親子三人で『沖縄』へと旅した過去を振り返るのは主人公の『私』。『沖縄』の美しい自然とゆったりした空気感を満喫する三人でしたが、母親が一人で『うわさ話で知ったすごくあたるというユタのところ』に行ったことで空気感が変わります。『私たちの手の届かないところに行ってしまった』母親、そして家族は…。
・〈足てびち〉: 彼と『ちょっとしたハネムーン気分で沖縄旅行を決め』たのは主人公の『私』。ホテルで目が覚めると、『海と浜は一面の男子高校生で埋め尽くされていた』という中に歩き始めた二人は、『隣の浜にある私の友達の家』へと赴き、夫婦と『息子がわりだと紹介された』『若い青年』と時を過ごします。そして、今の『私』は『あの午後に戻れるなら何でもすると彼も思っているだろうか?』という時を生きていきます。
・〈なんくるない〉: 『離婚してから一年たった頃、やっと生活が落ち着いてきた』というのは主人公の『私』。『イラストの仕事を細々と続け』、『姉の家に居候』している『私』は、彼が『私と別れて数ヶ月後に』『再婚した』ことを知ります。『会いにくくなるのが淋しかった』という『私』。『離婚から来る、ぐるぐるした堂々巡りの考えから抜け出す処方箋を真剣に考え』た『私』は、『沖縄』へと旅立ちます。そこで…。
・〈リッスン〉: 『特に目的もなく浜を横切っていた』というのは主人公の『僕』。『人気の少ないビーチに出た』『僕』は、さらに先へと進み、『ひと泳ぎして浜に上がると』、『木陰でごろりと横にな』ります。そんな中に『向こうから女の子が歩いて』来るのに気づきます。『薄汚い女の子』、『顔はいかついけどわりとかわいかった』という『女の子』に『どこから来たの?』と声をかける『僕』。
四つの短編は最後の〈リッスン〉のみ、男性が主人公を務めますが、他は女性主人公の視点で展開していきます。それぞれの主人公たちは何かしら心に傷を負っています。それは、『手の届かないところに行ってしまった』母親であったり、『離婚』であったり、さらには『不慮の事故で死んだ』人への思いであったりします。そんな主人公たちの心を、その思いを沖縄という特別な地が癒していく。この作品には『沖縄』が見せる独特な空気感によって、そんな物語の展開を全く不自然に感じさせない物語が描かれています。しかし、そこには単に時の流れが解決するという物語が描かれるわけではありません。上記した通り、書名の元となる「なんくるない」という言葉は”挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る”という意味であり、その過程にある挫けない、努力するということを重視してもいます。そんな過程の先に安らぎを見る物語。
“沖縄という場所が私の人生に入ってきたことは、とても大きなことだった”
そんな風に語る作者の吉本さん。この作品には吉本さんの『沖縄』への深い思いが詰まっているからこそ万人が納得できる物語の姿があるのだと思います。『沖縄』のあんなこと、こんなことが鮮やかに描き出されていくこの作品。吉本さんらしく美しい言葉の数々が紡がれるこの作品。
『沖縄』という地の魅力を再認識させてくれる、吉本さんの想いを強く感じた、そんな作品でした。
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よしもとばななさんによる沖縄旅行者としての沖縄短編集。
沖縄の古本屋で買って、沖縄旅行中のゆっくり流れる時間の中で読みました。
分量のメインはタイトルにもなっている、「なんくるない」。主人公のバツイチ桃子が、長年の”都会的”な夫に合わせた生活からか、離婚を切り出されてしまった悲しみからか、都会での生活が息苦しくなり、沖縄旅行で新たな出会いをするお話。
感想を書こうとするとありきたりになってしまうけれど、ありきたりもっとのんびりと、どんくさく生きてもいいんだぁと思わせてくれる小説。
私が1番好きだったのは、「ちんぬくじゅうしい」。子供目線から親同士のすれ違いを不安に感じる様がすごくしっくりきた。好きな表現や文章がたくさんあって、また読み返したいと思う小説でした。
Posted by ブクログ
ばななさんの言葉で溢れてる。
ばななさんと沖縄が混ざると、都会の喧騒にいてもちゃんと作品のゆるさに浸ることができる。
登場人物はみんな、きちんとなにか決めたり、パキパキ動いたりする訳じゃないから、好みは別れるかもしれない。
沖縄に行ったことがないけど、素敵な場所だというのはすごく伝わる。
表題作の「なんくるない」は、自分的にタイムリーというか、、。何事も深く考えすぎたってしょうがないんだから、とりあえず今を楽しめばいいじゃない!って背中を押される作品だった。
ヘラヘラしてる人間だからかな、どれもしっくりきた。
Posted by ブクログ
とても良かった。
あとがきでもばななさんが書いているが、観光客が感じる沖縄って感じ。
ただ時の流れに身を任せ、独自の文化を築いている。素敵だと思った。何とも比べず、自分の心地よい人生を送りたいよな〜。
Posted by ブクログ
後期のスピリチュアルな顔も現れるが、基本初期のバナナの美しい景色、人、空気が感じられる作品。
沖縄という土地が、それぞれのあるがままの自分を賛美してくれる応援小説と私は感じた。美しい景色を感じられる文章は嬉しい。
Posted by ブクログ
「つまんないことがたくさんたくさんあって、力がなくなるようなこととか、生きててもしかたないと思うようなことがたくさんある、TVを観ても、なにをしててもいつでもたくさん目や耳に入ってくる。だから面白いことをたくさんして、逃げ続けるんだ。逃げ続けるしかできない戦いなんだよ。僕のちっぽけな人生を誰にも渡さないんだ。」(p.214)
わたしの人生は、生きるべきものだ、愛すべきものだという確証が揺らいでしまう瞬間というのはどうしようもなく訪れる。ここ数年は特に。
絶望や退屈、緩慢な死。
それらから目を背けるため、活字や音楽、居心地のいい他者と過ごす時間によって得られる幸福に目を向けるという「逃避」は、決して否定されてはならない。そうして過ごす時間こそ、わたしのちっぽけな人生の、一番大事なきらめきで、価値なのかもしれない。
いつもここではないどこか、を探している。
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沖縄が舞台の短編小説
読み手によって
または、そのときの状況によって
感じることが変化するであろう作品
何とも言えない、心がほわほわとする感覚
真っ直ぐに生きなくてよくて
自分なりに地に足ついてれば
流れに任せて生きてもいいんだと思える作品
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沖縄に行きたい!!
あの日差し、時間の流れ、夜の孤独感、全部が恋しくなった。
あの場所にいて感じたことが、言葉になって少しずつ腑に落ちてきた気がする。
恋の始まりっていいな〜
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沖縄を舞台にした物語が4つ。ふわふわした話なんだけど、次が気になる展開が続いて、ついついもっと読みたくなる中毒性がありますね。他の本も読んでみたくなってきた。
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なんくるないずされた。
よしもとばななさんの書く文章に比喩はない。
いや、ばななさんの目には比喩のような景色が実際に見えているんじゃないかということだ。ばななさんが実際に見た事を言葉に起こすと、実際にはそうは見えない人達には比喩表現に見える。
「コウモリであるということはどういう事か」
コウモリの部分をばななに置き換えたようなものだ。ばななさんの錐体細胞はきっと3種類以上あって、いろんな色が見えているのだと思う。ウニヒピリが見えている。と、そう考えなければ辻褄が合わない。比喩とは読者との共通項を探して、その人がわかる事柄に例えることだ。ところがばななさんの文章はトランスレーションなしに直接分かる感じだ。頭に直接語りかけられてる感じ。ちょっと大げさだろうか。
現実ってけっこう残酷だし、人間関係で事実のやり取りをすると傷ついたりする。浅い関係であれば事実のやり取りは諸刃の剣だ。だから人々は仮面をかぶる。都会の人は特に忙しく事実のやり取りをしないように虚構の中で生きている。ところがよしもとさんの言葉にはセイフティガードが付いているようだ。事実を突きつけられても、必要以上に切れない。もしくは沖縄が諸刃の剣を柔らかくしているのかもしれない。殺伐とした剣ではなく活人剣だ。
furuhon
古本屋で買った本は、前の人が引いた線や書き込みがあって面白い。古本屋の中でもさらに安売りをしているコーナーで買うことが多いのでなおさらいろんな本が手に入る。
この本も、"付録付き"だった。2008年7月に屋久島に行った人のメモが挟まっていた。この本を持って旅をしたのかな?やはり沖縄にも足を伸ばしたのかな?良い旅だったようです。
前にも、古本屋で買った何かの文庫にどこかのホテルのメモ紙が挟まっていたことがあった。カップルの旅行者が旅行ができて良かったというような感想が書かれていた。良かったねと思う一方で、そのメモが挟まったまま古本屋の本棚に並ぶ経緯に何かしらのドラマを空想してしまう。
何でそうなった?
Posted by ブクログ
よしもとばななさん作品5個目くらい。
共通してるのは根底にあるスピリチュアルな雰囲気と、読みやすくてやさしい文章ながらもはっとさせられる視点。表現を変えて伝えたいことを丁寧に描かれている印象。
『なんくるない』は沖縄が舞台で、都会で暮らす人が忘れかけていた大切なことを南国の自然とあたたかい人たちに囲まれて思い出すような、自分を取り戻すような前向きな作品集だった。
ほかの作品もいくつか先に読んでいたので、刊行順に読めばよかったかなという心残りはある。次のばななさん作品は『すばらしい日々』を読みます。
Posted by ブクログ
本が出た20年くらい前で、20代だったら、もっと入り込めたし憧れたのではなかったか…と感じた。
20年くらい前と今と、やっぱり時代感が違うと思う。そして、それは読んでいる自分も、あの頃とは違うと思う。
当たり前のことだけど、あの頃に夢中になって読んだ本が、今も夢中になれるわけではなくて…、でも、昔の自分も好きだった本も含めて大事にしたい。
Posted by ブクログ
「違うことをせず、時の流れに身を任せる」
というばななさんの小説で一貫して感じるメッセージ。
それを沖縄のあったかくて大きい空気で包みこんだ話。
私の感受性が乏しいのか、
所々表現がしっくりこない箇所もあるけど、
力を抜くにはもってこいの本。
ぎちぎちスケジュール観光ではなくて、
沖縄にぼーっとしに行きたくなる。
日差しとか、色の濃い景色とか、感じたい。
Posted by ブクログ
ずっっっと読みたかった、
よしもとばななさんのこの作品…!
沖縄に行ったときに湧く、
不思議な感情を気持ちよく表現されている〜。
なるくるないさ、あるべき方向に、どうにかなる。
表題作、過ぎた人生も悪くはないなと
思わせてくれるお話でした!!
Posted by ブクログ
内地の人が沖縄を訪れて…、という4つの短編。沖縄での「巨大な美しさの中に飲み込まれていってしまう」(p.26)体験の中で、それぞれの主人公が何を感じるかという話。「なにかに感謝したくなるような滋味深い四つの物語の贈りもの」と裏表紙には書かれている。
沖縄のことばで「なんくるないさー」というのは、英訳するとLet it be.くらいだろうか。コロナ騒動で絵に描いたようにピリピリしている今の日本と何とも対照的な感じ。おれはここ2年前くらい?に人生で初めて沖縄に行き、そこから沖縄に4回くらい行っている。それくらいあの独特な雰囲気というのに病みつきになっているが、海や公設市場の雰囲気が思い出されて、旅行後の余韻が本当に蘇る。そして個人の旅行ではなかなかできない沖縄の人との出会い、というのをこの物語で主人公と追体験できる感覚も、なんか良かった。4つの話の中では、最初の「ちんぬくじゅうしい」の話が、なんか一番いいなあと思った。おばさんみたいな人が世の中にはもっといればいいのだけれど。もちろん「なんくるない」のトラも好きだけど。
初めてのよしもとばなな。大学2年の日英対照の授業で『キッチン』の原本と英訳が課題図書だったが、当時は不真面目で、買ったものの読まず、ということになってしまった。まだ本棚を探せばあると思うので、読まないと。(20/03/12)