あらすじ
2011年3月11日、東日本大震災発生。妊娠9カ月の妻、4歳の娘と手を取り歩んだ激震からの30日間を綴りました。物資不足、原発事故、今なお続く余震…それでも粛々と生きています。3千万人がかたずをのんで見守った被災ブログまんがの著者が緊急描き下ろし! 被災地より、日本中の皆様へ、迫真のコミックエッセイ!
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Posted by ブクログ
平7阪神の数千倍のエネルギーの動いたことだから前兆もあり、余震も震度6ザラ。妊婦の妻は「あと一日」で産休の予定だった、兄の車で迎えに行ったが道路は割れたり段差ができたりで渋滞して真夜中、同僚や近隣の商店の配慮が身に染みる/著者の周囲では、停電のコンビニで電卓で計算して信じられないほど秩序だった行動。平和ボケは次の震災で自警団を作れるか?自転車泥棒目撃、「海岸では略奪もあった」と噂。韓国班は震災死でない遺体発見/バイク装備はトータル有用、「持ち運べるものだけが所有」遊牧民感覚/最後に原発事故の不安が語られる
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本書の元となったブログはとても有名なものなのだそうですが、僕は初めてその存在を知りました。『3・11』を自身が在住する宮城県で経験した筆者の生々しい体験記です。とてもリアリティがあって面白かったです。
本書を手にとって読んだのはまったくの偶然で、筆者は陶芸作家であり、イラストレーターとして活躍されていることも初めて知りました。読み終えたあとに筆者の主催するブログやHPをさっとではありますが見ることができ、とても面白かったことを覚えております。
『3・11』この日はそれぞれにとって忘れられない1日であったことは言うまでもありませんが、ここでは筆者と4歳の娘。そして震災当時妊娠9ヶ月であった身重の奥様とともに被災地である宮城県にすむ彼らが、親戚の家族とともに震災後の余震におびえながら、それでも懸命に自身のHPでつづった自らの体験を書籍化したものです。ここでは大手のメディアでは報道されなかった震災の『現実』が筆者の視点を通して描かれており、車上荒らしやコンビニなどで発生した略奪。震災価格で高騰した野菜や、物が一気になくなったスーパーやコンビニ。さらにガソリンを求めて長蛇の列を成していたというな話がとても印象に残っております。
そんな彼らを救ったものは実家の両親をはじめとする近親者や地域の絆でありました。さらに、自らの貴重な体験から、いざ有事になったときに本当に必要なものは何かに至るまでも記されており、現在これを読んでもとても参考になるであろうかと思われます。筆者の日記は現在進行形で更新されておりますので、僕も折りに触れてはチェックをしてみたいと思います。
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コミックエッセイ。ブログに掲載されていたものに、加筆したもの。震度7の仙台で、断水や停電を経験したというところ以外は、おそらく関東の我々と同じような、共感できる不安、心配、安心、ありがたさをとても上手く綴っている。でもまだちょっと一つ一つが重い。
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貴重な証言。
昔、地元の大洪水の証言集めをしていて、ほとんどの証言に、
「私は、その日はたまたま…」
という言葉が多くて、不思議に思ったことがあった。
でも、それは考えてみれば当たり前で、たまたま、助かっていない人は、もう亡くなっていると言うことだと気づいて、何とも言えない気持ちになったことがあります。
そう、実は残された証言というのは、これですら、まだ最悪のことは伝え切れていないのだということを想像しながら、受け止めていかなければなりません。
人と人との結びつきが、なによりも大切だと思います。便利なときは、煩わしく感じたりすることも多いのですが。
Posted by ブクログ
(No.11-53) コミックエッセイです。
オビより
『被災地より、日本中の皆さまへ。
2011年3月11日、東日本大震災発生。
妊娠9ヶ月の妻、4歳の娘と手をとり歩んだ激震からの30日を綴りました。
物資不足、原発事故、今なお続く余震・・・それでも、粛々と生きています。』
家で仕事をしている(イラストや漫画)著者の平井さんは、3月11日に4歳の娘と宮城県の自宅にいました。翌日から産休に入る予定だった妻は仙台駅近くの職場でした。
自宅が倒壊したり津波の被害にあったりもせず、予定通り4月から娘は保育園に通っています。
被災地から遠く離れた地に入ってくる情報は、津波で根こそぎ持っていかれた地域のことや、家族を亡くした人たち、体育館に避難したり、やっと仮設に入れた人など、とてもひどい被害のことが主になっています。
でもそうでない人たちがもっともっとたくさんいて、平井さんはそういう普通の被災者のことを描いてくれてます。とても貴重な話だと思いました。
地震慣れしていた平井さんは、地震というものをナメていたところがあったこと。未知の規模の地震を体験した時、最初は娘を落ち着かせるため必死で平静を装ったこと。どんどん揺れが大きくなってついに言葉も出なくなり、そういう父を見て娘が泣き出したこと。
本当にそうだろうなあと思いました。
山の上の実家からお兄さんが車で迎えに来てくれたことは、やはり親族としての普通の行動なんだなと思います。津波で亡くなった人たちの中にも、親族を迎えにいって被害にあったケースもありました。それをやってはいけないことだとは言えないです。
実家に娘を預けた後、連絡がつかない妻を会社に迎えに行くのにもお兄さんが運転してくれました。平井さんは動揺していて運転が危ないだろうと。
一時的には平井さんの兄弟姉妹一族全員と、妻の両親まで、平井家の実家で避難生活。
電気がダメだからと冷蔵庫や冷凍庫のものを全部出して、買い置きの食料品も使って、自分たち家族だけでなく知り合いにも食料を配っていく平井家母の言葉は「みんなが困っている時は持ってるもんが出すんだ!」。
きっとあちこちでこうやって切り抜けた人たちがいっぱいいたんだろうなあ。
4月7日の大きな余震・・・「ふりだしに戻る」って感じで大震災はまだまだ終わっていないけれど、力を合わせて乗り切って行こうとしている平井さん。お元気で!
テレビや新聞ではあまり報道されない、普通の被災者の方の生の声を聞かせていただけました。いろいろ参考になることも多かったです。
この本の売り上げの一部は「国境なき医師団」へ寄付されます。
Posted by ブクログ
平成23年3月11日に起きた東日本大震災の前後の様子を描いたコミックエッセイ。
著者は、仙台市の比較的被害の少なかった地域に住んでおり、内容は、大震災が起きたとき、被災者はどのように動き、感じるのか。といったところ。
幸いにも著者の身内は全員無事で、エッセイの焦点は、ライフラインの断絶された非常事態をいかに切り抜けるか、に絞られている。
漫画なので読みやすい。また、震災前後の衝撃的な映像や写真にトラウマのある人でも、残酷な、悲惨な状況はほとんど描かれていないため、取り掛かりやすいと思う。