あらすじ
社会・経済から文化・自然まで森羅万象をつづった名エッセイ。実業家としての見識と経験をベースに、本、猫、ラン、写真への偏愛も垣間見える上品な語り口の数々。朝日新聞be連載「道しるべをさがして」の書籍化。
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Posted by ブクログ
羅針盤としての社史
数年前、企業史料協議会という団体からの依頼を受け、講演をした。聴衆の多くは企業内の記録・保存業務にたずさわる方々で、言ってみれば「どうやって社史をつくるか」という専門家だったのだが、私は経営者として「なぜ社史は必要なのか」ということを中心に話した。
企業は社会の要請に応えながら歩みを重ねる中で、それぞれの特色をもった知的・感性的価値を生む。それが企業文化だ。研究開発によって得られたノウハウ 、 製品や広告のデザインや会計処理の仕組みに至るまで、企業内の人間の営みすべてが企業文化をつくる。さらにそこで醸成される雰囲気や特有の思想、行動様式が企業風土となる。
そう考えると、創業して1年の新しい企業にも1年分の企業文化があり、それを積み重ねれば独自の企業風土も生じる。そういう無形の文化資本に光を当て、次の世代に受け継ぐのが社史の役割だ。
中国の『史記』や我が国の『日本書紀』は、単なる記録でなく、国家や国民という概念のよりどころとなり、その後の社会創造に役立った。
同様に社史も、単なる事実の羅列ではなく、連帯感を強めながら業界や企業の歴史的位置を確認し、理念と使命を表明するものだ。よって、そこに記される歴史的事実は先導的な記憶でもあり、社史には未来のための羅針盤ともいうべき重要な役割がある。
先が見えない時代に重要な判断を下すには、どうしても歴史観の裏付けが必要だ。 チャーチルは「過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう」という言葉を残した。今日明日のことを考えるためには昨日の記憶だけでいいが、長期的なビジョンを描くためには、先人から受け継がれた組織的な経験知に基づいた深い哲学がモノを言うのだ。
しかし、それは、過去の物差しをそのまま現在や未来に当てはめることではない。
過去の出来事や経営判断の記録と同時に、それがどんな社会的背景のもとで行われたかが記されていなければ、未来を示す羅針盤にはならない。
これは企業だけの問題ではない。学校も役所も国家も、それぞれの歴史を通してつむいできた経験や知恵が何らかの形できちんと残されているか、それを未来のためにどう役立てられるか、もう一度点検してみるべきだろう。
最近、家庭用品で有名なライオン株式会社から社史『ライオン120年史』をいただいた。同社を創業したのは、明治期の社会運動家・実業家の小林富次郎氏だ。 氏の葬儀の記録映画は、日本で撮影された最初期のフィルムとして国の重要文化財に指定されている。その社史も、社会的責任を重んじる企業風土を反映し、事業だけでなく消費社会の動向も示唆するものだ。近現代史の資料として、この先も読み返されるだろう。
高い志で編まれた社史は、過去だけでなく未来も照らすのだ。
(2014年11月2日)