【感想・ネタバレ】感情教育(下)のレビュー

あらすじ

故郷で悶々とした生活を送るなか、フレデリックに思わぬ遺産がころがりこんできた。パリに舞い戻ったフレデリックは愛をうちあけ、ついにアルヌー夫人から媾曳きの約束をとりつけることに成功する。そして、運命のその日、二月革命が勃発するのだった……。フローベールがみずからの青春時代に材をもとめ、多彩な登場人物を配して時代の精神史を描こうとした、自伝的作品にして歴史小説の傑作。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

アルヌー夫人に冷たくされてはロザネット(高級娼婦マレシャル)の方へ、ロザネットに愛想をつかしてはダンブルーズ夫人の方へと、フレデリックはまるで「1848年のピンボール」のようだ。
八方美人の高等遊民=フレデリックは二人の女を手玉に取って、いっぱしのドンファン気取りだ。/

【ある日、たまたまフレデリックが自宅にいると、女ふたりがほとんど同時に訪ねてきた。母親が来ることになっているからと言って、マレシャルを外にだし、ダンブルーズ夫人には隠れてもらった。
やがて、そうした嘘が愉しく思えてきた。いっぽうの女に誓ったばかりのことを、もういっぽうの女にくりかえす。双方におなじような花束を贈る。ふたりに同時に手紙を書く。で、ふたりの女をあれこれ比較してみる。─そうしたときでも、もうひとりの女性が脳裡から離れなかった。その女性を自分のものにできないことが、こうした不実な行為を正当化した。しかも、ふたりの女を交互にあざむいていることがいっそう快楽をかきたてる。どちらの女も、騙せば騙すほど、ますます自分を愛してくれる。あたかも、ふたりの女はたがいに愛を煽りたててはげしく張りあい、もういっぽうの女を恋人に忘れさせようとしているかのようだった。】(本書。【】内、以下同様。)/

あくまでも、フレデリックにとってはマレシャルやダンブルーズ夫人はふたりの「女」であり、「女性」と呼べるのは風に靡かぬ花、アルヌー夫人だけなのである。/


◯繰り返される「頭髪」と「塵埃」のモチーフ:
蓮實重彦が『『ボヴァリー夫人』論』で指摘していた「頭髪」と「塵埃」のモチーフが、なんと『感情教育』でも描かれていてびっくり!凄いな蓮實先生!
ひるがえって、映画ではこの「頭髪」と「塵埃」のモチーフがどのように描かれているのかを、がぜん確認してみたくなって来た。/


《ここでの「塵埃」と「頭髪」という主題が初期の習作から後期の傑作にいたるまで一貫して特権的な意味作用の磁場をかたちづくっており、作者も充分すぎるほど意識的にその語彙を選択しているという事態が存在するからである。さらにいうなら、(略)砂漠の隠者アントワーヌや『感情教育』の主人公にとどまらぬフローベールの多くの作中人物が、「塵埃」と「頭髪」という語彙とそれらが喚起するイメージに憑かれており、エンマやシャルルもそうした一人にほかならないからでもある。》(蓮實重彦『『ボヴァリー夫人』論』上 Ⅵ 「塵埃と頭髪」 /ちくま学芸文庫/2026年)/


◯「塵埃」のモチーフ:
【たいてい、ふたりは屋外の階段のうえで語りあった。眼前には、秋のおとずれで黄色く色づいた木々の梢が、不揃いな突起となって蒼白い空のへりまでつづいている。並木道のはずれに離れ家があって、そこへいっしょに行くこともある。家具といえば灰色の布張りの長椅子が一脚あるばかり。鏡には点々と黒い斑点がつき、壁は黴くさかった。─ここで、ふたりは自分たちのことや他人のことを、そして、思いつくままにありとあらゆることを、時の経つのも忘れて語りあった。ときおり、鎧戸のすきまからさしこむ陽ざしが、さながら竪琴の弦のように天井から床の敷石にかけていく筋もの線をえがき、そうした光の縞のなかを埃がゆるやかに舞っている。夫人は手をのばし、その光の縞を切っておもしろがった。】/

このくだりから、「後光」を想起した。

・「後光」:
暗い環境、たとえば厩や納屋、森などで、木漏れ陽や戸の隙間から漏れ入る光などを背にした対象人物を、その人物と光の来る方向に向かって仰ぎ見れば、空気中に散乱する埃によるチンダル現象で、その人物に後光が出現するだろう。/

これに対して、『ボヴァリー夫人』の「塵埃」のモチーフを描いた文章は次のとおりである。

《エンマはまた腰をおろして縫い物をつづけた。白木綿の長靴下をつくろっているのだった。彼女はうつむいて針を運んだ。黙っていた。シャルルも黙っていた。ドアの下から吹き込む風が石畳の上にかすかなほこりを立てた。シャルルはそのほこりが床を走るのを見ていた。彼の耳には、こめかみが脈を打つ音と、遠くの庭先で卵を産む雌鶏の鳴き声しか聞こえなかった。エンマはときどき両方のてのひらを当てて頬を冷やし、それからこんどはそのてのひらを大きな薪掛けの鉄の頭で冷やすのだった。》(前出の蓮實『『ボヴァリー夫人』論』より。/フローベール『ボヴァリー夫人』(山田? 訳/河出文庫/2009年))/


◯「頭髪」のモチーフ:
【夫人は母親のようにフレデリックの額に接吻した。
それから、夫人はなにかを探しているようなそぶりを見せ、鋏を貸してほしいと言った。
櫛をはずすと、白い髪がばさりと垂れた。
夫人は荒あらしく鋏をいれ、長い髪のひと房を根もとから切りとった。】/

次に『ボヴァリー夫人』の「頭髪」のモチーフを描いた部分を引用しよう。

《翌日、シャルルは青葉棚の下のベンチへ行って腰をかけた。日の光が格子のあいだからふりそそぐ。ぶどうの葉は砂利の上に影を描き、素馨の花はかおり、空は青く、咲き乱れた百合のまわりに芫菁(はんみょう)が羽音をたてている。そしてシャルルは、そこはかとない恋の香に切ない胸をふくらませ、まるで青年のようにあえいだ。
七時にベルトが夕飯に呼びに来た。昼過ぎから父親の顔を見ていない。
父親はあおむけに頭を塀にもたせ、目を閉じ、口をあけて、長い黒髪のひと房を両手に持っていた。
「おとうさま、いらっしゃいな!」
そして父親がわざと聞こえないふりをしているのだと思って、ベルトはそっと突いた。
彼は地面に倒れた。死んでいた。》(同前)/


フレデリックはやっとのことでアルヌー夫人との逢引きの約束に漕ぎつけるも、
アルヌー夫人は訪れず、なんと革命が勃発してしまう。/

【突撃の太鼓が打ち鳴らされた。するどい叫びがあがり、勝利の歓声がわきおこる。群衆は波うつようにたえまなく揺れうごいている。びっしりとおし寄せる人の波にはさまれ、フレデリックは身動きできずにいたが、こうした光景にすっかり魅了され、われを忘れてうち興じていた。負傷して倒れる者がいても、死者がそこかしこに横たわっていても、ほんものの負傷者、ほんものの死者とは思えなかった。まるで芝居でも観ているような気がしていた。

─中略─

歩兵部隊は姿を消していて、衛兵隊だけで詰所をまもっている。向こうみずな連中が玄関まえの石段にどっとおし寄せた。これらの人びとが倒れると、たちまちべつの一団がやってくる。

─中略─

建物のいたるところから煙が噴きだした。(略)欄干の小柱のあいだから、するどい音をたてて大きな炎がたちのぼる。パレ=ロワイヤルの二階にはいまや国民衛兵があふれていた。広場に面した窓という窓から、銃が火を吹く。弾丸が空を切ってとびかい、壊れた噴水からながれだした水が血と入りまじって、地面に水たまりをつくっている。】/


なにせフランス革命という圧倒的なスペクタクルがあるので、たしかに面白さでは断然『感情教育』の方かもしれないが、僕の心にいつまでも刺さって抜けないのはシャルル・ボヴァリーの「痛み」の方なのだ。

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2026年09月08日

Posted by ブクログ

上巻の前書きに書かれていた通り、第三章はすごい勢いで進んだ!
それまでゆるゆる読んでいたのに、最後の100ページは驚きの連続で、読むよりページを捲る指の方が早い!

革命の中で女性たちの本性が表れて、今まで一番最低と思っていたフレデリックの方がまともに見えた。
最後に宝物として残るのは友情ってことなんだろうか。

フランス革命勃発から1830年の七月革命、1848年の二月革命までの、フランスの歴史の流れを何度勉強しても覚えられない。
でも、ここを押さえておいた方が、もっとこの物語を味わうことができそう。

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2025年11月26日

Posted by ブクログ

ついに…読み終えてしまった…!めちゃくちゃにおもしろくて、素晴らしい作品…

①ダンブルーズ氏の葬式における描写。
・フローベールの死に対するあっけない滑稽な描きかた。『ボヴァリー夫人』でも死人の扱いはさっぱり、淡々と扱う。死にゆくまでの肉体的な苦しみは丁寧に描くものの、死そのものに対する厳かな目線はない。
「小石まじりの土がかけられた。これでもう、だれひとりとしてこの男のことなど気にかけないのだろう。」
という文章に見られるように、死んでしまえばおわり、という達観した死生観がみられる。⇔だからこそ、生きている間の滑稽なまでの生にしがみつく動き、がおもしろい
・葬式の「形式」を批判。参列した人はみな葬式のことなんてこれっぽっちもわかっておらず、口ぐちに俗物てきな話ばかりしている。
②フレデリックのアルヌー氏化
フレデリックはアルヌー夫人に恋をし、はじめはそんなアルヌー夫人を妻としてもちながら外で遊び歩いているアルヌー氏を軽蔑している。しかし物語がすすみ、アルヌー夫人と思い通りの関係になれないと、むしゃくしゃして他の女性に手をだしてしまう。
まずフレデリックが手を出すのが、ロザネットだ。ロザネットは、もともとアルヌー氏の愛人だった。フレデリックはアルヌー氏への当てつけの意味もあり、ロザネットと関係を持つ。
その後も故郷のルイーズや、上流階級のダンブルーズ夫人など、さまざまにタイプのちがう女性にあっちへこっちへ気がおもむくままに手を出す。結局、四人の女性の間で身動きが取れなくなるが、フレデリックが最後に出会い、最後まで想いを寄せていた相手はアルヌー夫人であった。これはアルヌー氏も同じである。

しかし決して、フローベールはそんなフレデリックやアルヌー氏を非難しているとは思えない。

「どれほど心を開いたうちあけ話でも、相手にたいする気がね、思いやり、憐憫の情などから、かならず口にだせないことがあるものだ。相手の、もしくは自分の心のなかに懸崖や泥沼を見いだして、それ以上さきへ進むことができなくなる。話したところでとうてい理解してはもらえまいという気持ちになる。どのようなことであれ、それを的確に言いあらわすのは至難のわざだ。人と人との理想的な結びつきがめったに見られないのも、そのためである。」

から見られるように、人と人が一対一で完璧につながり合うことなど不可能であるのだ。フレデリックも、アルヌー夫人に寄せた恋心は本物であるが、相手が既婚者なため理想的な関係にはなれない。ほかの女性でも、ここはよくてもあそこは欠点だというように、完璧に好きになることができない。それが人間関係の当たり前のことだと、フローベールは理解していたのだろう。
それでも、最後にはアルヌー夫人と再度恋心を確認し合う、しかしその時にはアルヌー夫人の白髪をみて、フレデリックは一瞬幻滅してしまう。恋というもののもろさを暴き出し、そして最後にはデローリエとふたり、まだ恋というものを知らなかった、夢見ていたころ、友情こそが第一だったときを思い出して「あのときがいちばんよかった」と語り合うのだった。

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2020年02月20日

Posted by ブクログ

フレデリックとともに二月革命のパリを体験する第3部だけど、後半一気に展開する。それに合わせて一気に読み進めてしまった。それにしてもフローベールの文章は読み落としを許さない文章で、読み落とした文章が重要だったりする。今でも読み落とした文章はあるだろうから、もう一度読まないとと思う。

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2017年04月10日

Posted by ブクログ

恋愛小説として見ると,フレデリックという人物の軸のぶれが作品の強度をやや損なっている。一方で,革命下における人々の言動が多様なかたちで描き出されている点は特筆すべきである。

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2026年01月10日

Posted by ブクログ

上下巻、まとめての感想です。

『感情教育』はフローベールの主要作品中、もっとも自伝的要素を多く含んだ小説←解説より

二月革命から、ルイ・ナポレオンのクーデター事件までのパリの街が舞台。主人公フレデリック(田舎からパリに出てきた青年)の波瀾万丈恋愛物語。生き生きとした、歴史的事件の描写もあり。

フレデリックの恋愛対象は、4人。(アルヌー夫人、ロザネット、ロックの娘ルイーズ、ダンブルーズ夫人)

心中に本命の女性がいるものの、あっちの女性、こっちの女性と心変わりして、さあ大変。二股どころじゃありません。女の立場から言えば、“何なのこの人?”という感じ。でも、世のおじ様の中には、“若い頃の男はこんなものだ”という方もいるのでしょうか。ある女性との間には、子供もできてしまうし、私としては、かなりよろしくない男性の印象です。主人公には共感できないけれど、恋愛感情の振幅を読んでいく面白さはあります。フレデリックの男友達の関係も、けっこう波乱に満ちています。

心理描写、情景描写、女性の美しさについての描写が洗練されていて、すごいと思います。女性については辛辣な表現もあります。例えば、ロザネットについて“29歳、もうお婆さん”なんてあるのです。私なんて、化石になっちゃいます。自分がもうちょい、二月革命のことなど分かっていれば、小説の中に入れたかなという気がしました。

下巻は人物の動きがあって面白く読めたのですが、上巻は展開がまったりしているように感じ、☆印をつけづらかったです。まあ、☆3.7ぐらいでしょうか。

建造物などの写真や図が載せられていて、とても丁寧なところ、光文社文庫いいなと思いました。

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2026年01月06日

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