あらすじ
凄まじい憎悪と彼らはいかに闘ってきたのか――。ここ20年、サッカーの本場ヨーロッパでは、どのような人種差別事件が起きていたのか。サッカーは差別といかに闘ってきたのか。差別を受けた選手の足跡、差別と闘う団体の活動などを追いかけ、スタジアムと私たちの社会から差別をなくすためにはどうすればいいのかを考える1冊。
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Posted by ブクログ
2014年3月8日の浦和−鳥栖戦で埼玉スタジアムに「JAPANESE ONLY」の横断幕が掲げられたことは記憶に新しい。この問題の処分としてJリーグ初の無観客試合が行われた。著者はこの本で、ここ20年くらいの間に起きたサッカーにまつわる差別と差別に対する闘いを紹介している。なぜ20年かと言えば、1995年の「ボスマン裁定」以後、今まで「外国人」とされていた「ヨーロッパ人」の選手たちがEU内のチームを自由に移動できるようになり、その結果空いた「外国人」枠に非ヨーロッパ圏の選手たちが移籍するようになったからである。
非ヨーロッパ系の出自を持つ選手たちは、サルの鳴きまね、バナナの投げ込み、横断幕などで差別を受けて来た。そして選手たちはその差別に対してどのように闘ってきたか。
2005年の10月末から11月にかけてフランス主要都市の郊外で、若者たちが暴走し、数万台の車を焼いたことがあった。「フランス暴動」と呼ばれた緊急事態に対して、元フランス代表ディフェンダーのリリアン・テュラムはテレビ番組で発言している。「私も郊外で育った。もし誰かがゴロツキを一掃しなければならないと言ったとしたら、私はそれを私に向けられた発言と捉えるだろう。」「かつて私も、お前はゴロツキだと言われたことがある。でも、私はゴロツキではない。私が望んでいたのは、働くことだった。サルコジ内相[当時]は、この微妙さが判っていない。デリケートな問題なんだ。人はいま困難な時代を生きている。はっきりとした不安を感じている。安全に生活したくない人間などいるだろうか?(中略)彼らには仕事が必要なんだ。いちばん扱いにくい連中は、そのことを攻撃的に表現しているだけなんだ。」
差別はどこから生まれてくるのだろうか。「人はレイシスト(人種差別主義者)に生まれるのではない。人はレイシストになるのだ。」テュラムは続けて言う。「レイシズムは、何よりも知的な構築物だから。われわれは、世代から世代へと受け継がれていく歴史において、人を黒人や白人、マグレブ人あるいはアジア人として見るよう条件づけられてきたことに、注意を向けなかればならない。」
ジャマイカ出身でのちにイングランド代表となったジョン・バーンズは彼の自伝の中で教育の重要性を強調する。それは特に未来のために必要なのだ。「40歳のレイシストが考えを変えるのは遅すぎるが、彼の息子には遅すぎることはない。白人は自分の祖先を奴隷にしたから大嫌いだと考える40歳の黒人の考えを変えることは遅きに失しているが、彼の息子には遅すぎるということはない。」
さらにジョーンズは白人にも黒人にも正しい認識を持つことを訴えている。「白人たちは、人種差別が奴隷制から始まったことを理解していない。奴隷制そのものは、偏見の問題ではなくて、経済の問題である。もっとも安い労働力が黒人だった。奴隷制は、強欲に由来しているのであって、敵意から生まれたものではない。だが、結果的に、黒人たちは第二級の市民となった。黒人たちはまた、奴隷制に対して別の視点を持つ必要がある。自分たちの父祖は同じ黒人によって奴隷として売られたことを正しく認識しなければならない。黒人のほとんどは、すべての奴隷は白人によって捕らえられたと考えているが、95パーセントは黒人によって売られたのだ。西アフリカの海岸線には黒い王国が点在しているが、英国やポルトガル、スペインの貿易業者たちは、許可なく上陸することはできなかった。奴隷を買うためには、銃や金を代価として支払わなければならなかった。」
サッカーにおける人種差別は、FIFAが反人種差別キャンペーンを行い制裁を科しても、未だに撲滅することはできていない。しかしテュラムやバーンズが訴えるように、歴史的事実を知り、差別の根源にあるものを知ることが必要であろう。次の世代のために。
Posted by ブクログ
クールな文に、熱い気持ちが入ってます。
所属するけど、違う視点を持つこと。コスモポリタンっていいとおもいます。あと、寛容と余裕とジョークかな。
Posted by ブクログ
サッカー界に今も蔓延るレイシズムの問題をとりあえげた本だけど、著者もそして取り上げられてる選手権も言及してるけど、これは社会の問題で、社会で普通に起こってるから今もサッカー界でもなくならないという図式。正直言って自分は体感としてそれを経験したことがないから実感として語れないんだけど(とはいえ日本サッカー界初の無観客試合はマイチームから起こってるんだけど)、読んでてもワジワジーしてくるような酷い話がたくさん。知ってたものも、知らないこともたくさん。
そして何より。自分はレイシストではないしそんな思考は少しもないと思ってるけど、僕がハーフの子や選手たちを見て、「その生まれ持った身体能力は武器になるな〜」とか思ってることが、著者のいう「身体的特徴を彼らの属性に還元する」という「愚かな本質主義」であるという指摘が胸に刺さる。これも「彼は自分とは違う」という思考の端くれなのかも知れない。考える。
2014年の本だけど色褪せずに読めたのは社会が変わっていない証左か。ヨーロッパでは試合前に片膝ついてる。今もまだ。
Posted by ブクログ
「サッカーと人種差別」
サッカーの裏の世界。
サッカーと人種差別は切っても切れない関係にある。バロテッリがどれだけカッコいいゴールを決めても、アウベスが見事なアシストをしても、観客の中には、彼らの血を馬鹿にしたチャントを歌ったり、バナナを投げたりする。
サッカーは、昔より沢山のスターが誕生し、プレーの質も高まり、クラブやFIFAを始めとする組織や各リーグは、市場的にも莫大な利益を生み出すようになった。儲かっている分、不正行為等の問題は発生しているものの、総合的に見ればサッカーは前に進んでいる。しかし、足を引っ張っているものもある。
それは、未だにサッカーに蔓延る人種差別である。選手がいくら素晴らしいプレーを見せようとも、肌が黒ければまたは黄色系であれば、差別用語ばかりを壊れたおもちゃのように繰り返して叫ぶものがいる。それは昔はウルトラスであったが、今は普通の観客ですら行う。
さらに人種差別を広義的に捉え、差別の側面からサッカーを見ると、女性差別や同性愛嫌悪、ヒジャブ禁止、移民を根底にした差別等、サッカーは多くの差別と戦っている。
もちろん、戦う訳だから相手がいるのだが、彼ら差別を行う者が、何故差別を平気でするのか?と問われたとしても、まともに考えて回答を寄越すとは思えない。長く根付いた思想を簡単に退ける事は出来ないし、彼らにその意思があるかどうかも疑わしいのが現実だと思う。さらに、政治的背景を踏まえると、そもそも根絶は可能なのかとすら疑ってしまう。しかしながら、その状況をほっておくサッカーではない。
例えば、アウベスがバナナを投げつけられた時は、ネイマール等がバナナを食べる動画を差別への抗議メッセージとしてSNSから世界に拡散した。この一連の運動の前提には、まずバナナを食べる(その後、投げ返す!)機転を利かせたアウベスの行動があるが、今の選手はインスタ、ツイッター、フェイスブックと言ったメディアよりも早く且つ自分の意思を正しく伝えることが出来る武器を持っている。その武器を上手く使えば、差別が如何に問題視されているかを素早く正しく伝えることが出来る。
一方で、この運動はアウベスが差別をする者達に怒りや悲しみではなくユーモラスで対応した例であり、それを拡散することで差別なんて笑って流せば良い、と言う風潮だけが取り上げられていくことに意を唱えている選手もいる。
ユーモラスに対応したアウベスは素晴らしく、選手が動画を拡散したのも一つの手段であるが、メディアを含めて私達が目をそらすべきではないのはそうやって笑って流さざるを得ない差別が現実問題としてあると言うこと。アウベスを始めとする選手は差別的なチャントを受けながら、プレーせざるを得ないと言うことだ。その現実を見ることなく、バナナ動画がユーモラスでナイスだ!と言う観点だけで人々に広がってしまったら、動画で伝えるべき本来の意図が埋もれてしまう。確かに、その選手の視点は正しく思う。
では選手達が対応するパフォーマンス以外にはどんな対処で差別と戦うのか。難易度はかなり高いと思うが、やはり私もバーンズやテュラムが考えるように人種差別を根絶するには教育を改めるしかないと思う。
歴史的背景や政治事情が長く続き、それらの影響をもろに受けて出来上がった教育を改めることが出来るのか。ニグロを当たり前に使う国が、その意味を理解して決して使わないようにと指導する大人が出てきて、子供達は正しくそれを学べるか。又、ヒトラー政権を示唆するパフォーマンスをするべきではないと正しく教育出来るのか。
色々不透明な点はある。更に厄介にさせるのは、政治的な意味合いを含むパフォーマンスや差別的発言で罰せられるのは、何も観客だけではないところだ。ゴールパフォーマンスだったり、接触プレーだったり、審判に抗議する際だったり、問題点は選手側にもありふれている。サッカーには中にも外にも対処すべきものがあるのだ。
つまり、教育は観客だろうが、選手だろうが、全ての人間に行う必要がある。それはかなり難しいと一発で思ってしまった。だから教育を改めるのは正しいと理解出来ても、改めた後の姿がなかなかイメージ出来なかった。
それだけこの問題は根が深いのだと解釈したが、だからと言って何もしない訳にはいかない。もしかしたら差別を受けて、サッカーを続けることを辞めてしまう天才少年が世界のどこかにいるかも知れないし、勿論、今後更なる悲劇が起きかねない。サッカーは昔より遥かに経済的なパワーを持っているのだから、仮にFIFA等組織のトップが差別的な発言をすれば、その影響は一気に拡散されるし、眠っているウルトラス予備軍等を刺激することもあり得る。
とにかくほっておいて良いことはない。だから、少しずつでもサッカーには差別があり、その差別は根絶していかねばならないと認識していかねばならないと考える。テュラムの様な偉大なプレイヤー達に任せるしかない部分はあるものの、私は一観客、一人間として出来ることを考えていこうと思う。
Posted by ブクログ
最近日本でも、サッカーにおける人種差別的な行為がニュースになっている。人種差別を問題視して声を上げる人が増えれば増えるほど、馬鹿げた行動も増えている気がしてならない。スポーツの力を無邪気に肯定することは難しいけれど、それでも行動は無駄にはならないと信じたい。無知から生まれる差別を防ぐためにも、まずは知ることが必要だと感じました。
Posted by ブクログ
差別に対する自分の認識の低さを実感するような内容でした。
自分は日本の田舎で育ち、外国人が身近でない環境でずっと生活してきたこともあり「 Black Lives Matter」などに対してもあまり興味を持つことがありませんでした。
最近ではF2のユーリヴィップスが差別的な発言でレッドブル育成プログラムから外れるということがありました。ゲーム中のキャラクターに対して、一言発した程度で厳しすぎるというのが自分の考えであったのが、この1冊を通して変わりました。
そこまでやる必要のある問題だったのだとはっきりと考えるに至りました。
サッカーの歴史を、普通とは違った捉え方を出来るのでシーンに興味ある方は読んで損のない1冊だと思います。