【感想・ネタバレ】いのちのハードル 「1リットルの涙」母の手記のレビュー

あらすじ

「生まれてきてよかった、生きていてよかったと一度でいいからこの子に感じさせてあげたい」難病という重い障害を背負いながらも懸命に生きる娘、亜也。母の私はいったい何ができるのだろうか……。ついに娘の命が尽きようとする時、亜也の夢を叶えるため天国へ嫁がせる結婚式を行うことを決意する。母と娘の絆、生きる意味を問う、感動の手記。

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ネタバレ

姉妹書の「1リットルの涙」が闘病中本人の目線で書かれた本なのに対し、こちらは介護者の目線で書かれたエッセー。

著者が医療介護系の仕事に就いていた、ということもあり、「どうやってよりよい介護をするか」という観点でみれば読み取れるものも多かったんだろうけど…看護・介護を実感を持って理解できない人間にはそういう読み方は難しかった。

かなり闘病している娘の感情を理解しているようである母とはいえ、理解し切れていない部分はあったんだな、と感じたのは、普通高校から養護学校への転校のあたり。娘の感情に寄り添ってはいるんだけど、母の書くそれはあくまで客観的で分量もそれほどとは言えない。娘の日記は書き尽くせない感情に埋め尽くされている。
とはいえ、母親が「怒り」をむき出しにした文章を書いているのは、この普通高校から養護学校への転校のくだりと、病院の付添婦さんに関するトラブルのくだりの二箇所。書き尽くせない思いが、娘の中では悲しみに変わり、母の中では怒りに変わっただけかもしらん。

最後の「嫁に出す」のくだりはいろいろと考えさせられた。人は三途の川で隔てられた「別れ」をどうしても大きく受け止めがちで、それがとても大きな「別れ」であることは間違いないのですが…「別れ」というものの本質はそこじゃないんだろうな、と。

とにかくテーマが重くて…消化し切れてないな、という実感の大きい本でした。
また思い出した頃に読み直すと、違った面に気づけるかも知れない、そういう本でした。

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2013年11月26日

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1リットルの涙で亜也さんと共に賢明に病魔に立ち向かい、生き抜いた母、潮香さんの手記。
ある日、同室の患者さんから「亜也ちゃんは耳が聞こえないの?」と尋ねられる。亜也さんは一人で食事が出来ない、言葉が上手く喋れないなど、身体が不自由にはなっていたものの、脳や感覚器官などには異常は出ていない。母のいない時に家政婦が「この子ちっとも言うことを聞かない。頭が正常だと思っているのは親だけよ。ご飯をいつまでも口の中でもぐもぐと、どうしてさっさと食べれんの? あんたなんかおいて帰っちゃうでね」と本人を前にして酷いことを平気で言っていたと言うのだ。その時亜也さんはにこにこと笑っていたという。亜也さんは自分が悪い。私が失敗したんだからと答える。その他にも自分本位な医師など、意地悪と言う言葉では表せない、人間として何かが掛けた人物などが出てくる。しかし、けしてその人達が特別ではない、そう言う人間は実際、世の中には多く存在する。

実際の医療の問題や、家族のことなど、母と言う視点からみると、亜也さんの日記よりも、どうしても現実的な部分が見えてくる。
しかし、悪い面だけでは無い。人間の良い部分もたくさん見えてくる。俺はこの手記を読んでいて「ありがとう」と言う言葉の素晴らしさを知った。

亜也さんがある日、母に尋ねる「どうして私は生まれてきたの?」亜也さんだけでは無い。それは人間として生まれてきたならば多くの人が一度は疑問に思い、自分に問いかける言葉だ。しかし俺は、少なくとも亜也さんには生まれてきた意味があったと思えるのだ。亜也さんの残した日記によって、今も多くの人々が生きる手助けを受けている。

病気でどれだけ苦しまなくてはいけなかったのか、どれだけ悩まなくてはいけなかったのか。それは俺には分からないけれど、俺は亜也さんにこう言いたい。

「生まれてきてくれてありがとう」

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2009年10月07日

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亜也さんの懸命に生きる強さと勇気は、このお母さんの支えがあってこそなんだと思った。我が子の障害が進んでいくのをどんな思いで捉えていたのか痛いほどよく分かった。
「次の光を見つけなければ」その思いは障害の有無に関わらず、全ての人にとって生きていく上で根底にあるものだと思った。「1リットルの涙」はこのお母さんあってこそ。

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2025年03月23日

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難病の子供を支えるお母さんが
どんな想いで子供のことを考えているのか,痛いほどわかった。

医師や看護師の発言,家政婦さんの態度で,参ってしまう場面があった。みんながみんな,聖人みたいな人間ばかりではないから,難病の人にとってよくないことが起こるかもしれない。完璧じゃなくても,ちゃんと患者さんを思いやれる人になりたいなと,より感じた。

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2024年11月25日

購入済み

学ぶものが沢山詰まってました

1児の母です。先天性の障害をいくつも抱えた娘がおります。ひとつ治すとまた次の障害。次々と出てくる障害に母親が不安定になり子供にも不安定な想いをさせながら生きていかせていきたくない。そう思い障害を抱えた子にどのような接し方をしていらっしゃったのか気になり読ませていただきました。

一言では表現できません。学ぶものが沢山詰まっておりました。沢山の方に読んで頂きたい。それしか言えない素晴らしい本です。

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2019年11月19日

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近年続々と出版されている、「自己語りモノ」とは違って、味のある本である。何度読み直しても勉強になる。

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2010年09月05日

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これも号泣しました。タイトルの通りです。母の立場から娘の状況をより詳しく書かれてます。こちらには、奇麗事ではない部分も正直に書かれているので生々しい家族の気持ちも伺えます。

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2010年01月04日

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2005年くらいに、長崎か福岡で買って読んだ本。

木藤亜矢さんのお母さんの手記。


こうゆう、病気ものには弱いのです。


病気の子供を持つ、親の気持ち・・・。
私はまだ子供はいないから分からないけど、病気である本人以上に辛い部分もあるんじゃないかなって思う。
たぶん、親は、代わってあげられるなら、代わってあげたいと思うのだろう。
それが、できず、苦しむ我が子を見ているのは辛いと思う。


小中高大学大学院・・・と学校に行けて、一人暮らしもできて、好きな国にも行けて、好きなお酒もたくさん飲める。
そんな自分はとても幸せなんだろうなーって事に気がつかされますね、こうゆう本は。
そして、親より長く生きなきゃ・・・って思わされます。

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2009年10月07日

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「1リットルの涙」の作者、木藤亜也さんのお母さんの手記です。
家族の目線で「1リットルの涙」が描かれています。

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2009年10月04日

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泣きそうになったけど泣かずに読み切った本。(たぶん、実家で読んだからかな)
1リットルの涙の後、亜也ちゃんに何が起こり、どうなっていったのか。
私が母ならば、とてもじゃないけれど書けないであろう文章。

きっと、この本に、そして亜也ちゃんの本に救われた人が、大勢いるのだろうなあ。

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2009年10月04日

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2007/10/17
一年くらい前に「1リットルの涙」を読んで最近読み返したりしたので続きも。

脊髄小脳変性症である亜矢ちゃんが自分では文字をつづれなくなった後の母の手記。

前のものを読んだときにも思ったけれど
ただただ、恐ろしい。絶望感。
だからこそ、正直な感じがするというか…。
『私はなんのために生きているの?』
普通に生きている自分でも思うのに。

母の視点からみて、どこまでも前を向いて
次に出来ることを探す母の姿に感服。
娘を不安にさせないように。

電話をかけれなくなってしまったことに対して

「次に何を生み出せばいいのか、
 現実への対策を考えださなければ」

の部分ががつっときた。

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2009年10月04日

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購入者:梅村
こちらは主にドラマ化されていない最後の5年間の様子をお母さんが手記にされたものです。同じ生きるにしても周りの協力と拒絶で幾分かは楽になれたり、奈落の底へ突き落とされる気持ちになったり。読むのがつらくなるほど過酷な現実が描かれていますが、知るべきことなのだと思いました。

貸出:(2010.11.1) 返却(2011.1.18)
私もいつか子供を産むと思うので、こういう話の本は心に響くんだろうなと思いました。

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2011年01月18日

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有名な「1リットルの涙」のお母さん目線の「いのちのハードル」。
母親の私としては「1リットルの涙」よりも「いのちのハードル」のほうが入り込めました。

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2009年10月04日

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『1リットルの涙』の母、潮香が書いた本。亜也と共に病気と闘った12年間を綴ったこの本は、泣かずにはいられませんでした。こういう素晴らしい親になるにどうしたらなれるのか、とつくづく思う。1リットルの涙と共に読む価値は十分にある。新幹線で号泣。隣の人とか気になったけど、そんなこと知らんって感じに涙がこぼれて止まらなかった。

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2009年10月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

難病であるほど、闘病記録を読むのはつらい。
そしてそれは本人の手記ではなく、看護する側の親のものだとしても。

脊髄小脳変性症という運動機能が消失していき、最後医は呼吸運動の停止か衰弱による合併症のため、多くの場合死亡する。
未だ原因も治療法もわかっていない病。

自分も子どもがあるので、苦しんでいる子どもに何もしてあげられないじれったさはよくわかる。
励まさなければならないのに、心が不安でいっぱいのことも。
ましてや、最終的には死に至る長い長い闘病であることを考えると、著者の判断や行動には頭が下がる。

一番は、生きることを最後まであきらめさせなかったこと。
どんどん体の機能が失われていっても頭脳は明瞭で、だから余計につらい病気であるにもかかわらず、母子ともに今できることを考え、誰かのために何をしたらいいかを考え続ける。
「世の中のためになっている」ということが生きる励みになっていたことがよくわかる。

惜しむらくは、時系列に沿っては書かれていないので、わかりにくい部分が多かったこと。
例えば3歳だった末の妹が、次のエピソードの時は小6で、親に対して生意気なことを言ったりしていること。
本人のエピソードすら前後しているので、その時の病状がとっさにわからない。
そういうところに引っかかって、感動が一時停止になったことが多々あった。
これは、編集の人がなんとかすべき部分なんじゃないだろうか。

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2025年10月21日

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1リットルの涙の亜也さんのお母さんの手記。お母さんから見た亜也さんの病との闘い、家族の想い、支える者の苦難が書かれています。お母さんが亜也さんにかける言葉が本当に素晴らしくて、亜也さんにとってとお母さんの存在はどれだけ頼もしくなくてはならないものだったのかがよく分かります。亜也さんはもちろんのこと、お母さんの頑張る姿にも尊敬しかありません。最期のときの様子、とても泣けました。健康でいられることのありがたさが痛いくらいにささる本です。

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2025年02月19日

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1リットルの涙を再読した翌日の深夜に一気読み。

最初に読んだ小学生の時とは違い、母親も子供と同じ痛みや悲しみ、迷い、悩みを抱えた人間であり、決して絶対的な存在ではない事を知っている今読んだからこそ、感じることが多かった。

母親として、亜也ちゃんには障害を持って身体機能が失われていく毎日の中でも人生に希望を持ち、生き続ける意思を強く持っていて欲しい。一日でも一時間でもこの世で娘と一緒にいたい。
その為に、母親である自分は、娘と一緒に喜び泣いて同じ感情を共有しながらも、娘が悩み絶望するときには決して自分も悩んだり絶望する様子は見せない。
娘の精神的支柱として、娘の前では常に前を向いて、強い母親を演じ続ける。
そんな潮香さんの決意と、負の感情を押し殺して気丈に振る舞う様子が、読んでいてとても辛かった。

娘が若くして障害を抱えて日に日に衰弱していく様子を一番側で強い母親を演じながら支え続けることは、どれだけ辛いのだろう。
母親はすごいな、まだ母親でない私には想像を絶するほどの強い思いを感じた。

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2024年10月15日

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亜矢さんのお母さん目線で色々なことが書かれていた。山本先生の、「医者である限り、亜矢ちゃんを見放さないよ」という言葉…心のない家政婦さんとのバトルもあったから、亜矢さんもお母さんも、この言葉に本当に助けられたと思う。山本ドクター、本当に良い先生。
涙が出る印象的なシーンが3つあった。
●寝たきりになった亜矢さんが自分の分身である「1リットルの涙」が出版されたことを知り、「ウウー」と声をあげたシーン。
●出来上がった本を朗読してほしいと、お母さんに読んでもらうシーン。
●本の印税を何に遣うか答えるシーン。
「ワタシの為にどこへも行けなかった家族に旅行にいってもらいたい」

亜矢さんの、優しさや強さに本当に心がうたれる。
病気を経験することは、それだけ辛い人の気持ちに共感できる。とても勇気をくれた本だった。

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2022年07月08日

Posted by ブクログ

自分は生きたいから生きていると自信を持って言えないと思っていたけど、この世は結局は空なんだとか思ってたけど、感動モノだとおもって敬遠してきたけど、やっぱり、やっぱりいのちはいのちで、小学生の頃に言われてたような、いのちは一つしかないんだっていう陳腐な言葉がすごく大事だったんだなんて思った。素直に生きてけばいいじゃないか、なんて思えた。

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2016年12月07日

Posted by ブクログ

介護について深く考えさせられた。
寝たきりだったり、上手く身体が使えなかったり、話せなかったりする相手に、
どう接するか(ユーモアを忘れないこと)、
希望をもたせるか、
意思を尊重すること、
心地よい環境を整えること(家政婦や病院の理解)、
自分ひとりの問題ではなく家族の問題とすること、
自尊心を損なわせないこと(特に女の子としての)、
負担を感じさせないこと(化粧をし疲れ顔は見せない)
親は子供のことを1番に考えるとはいえども、
仕事に家庭に育児に病院通いにと、
どれも手を抜かず負けず頑張る潮香さん、
正にこの母にしてこの子あり。

特に印象に残ったのは、
食べられなくなった亜也さんに新人看護士が食事の量を問う箇所。
潮香さんは怒った。
例え無知であったとしても、無神経であり看護士として事前に予備知識を持つことはできると。
傍からみると、そのくらいで目くじら立てなくてもと思うが、食べられなくなったことは生命を維持する大切な機能を失ったこと、母親にとって決してささいなことではない。
自分を振り返ってみると、
あまり深く考えずに言葉を発することが多い。
これまでに気がつかずに傷つけてしまった人もいるかもしれない。
自分の言葉に責任を持って、相手の立場に立って、言葉を発していこうと思った。
一読の価値ありです。

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2014年07月27日

Posted by ブクログ

一リットルの涙を読む前に母に勧められて。
娘さんが弱っていく姿を逃げずに見、一緒に病気・偏見と戦っていて中学生だった自分の理想の大人像になった

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2012年03月03日

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母親の手記。母親、家族の痛みも伝わってきて涙だった。残された者として懸命に生きていくことが供養になるのだと私も信じている。

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2010年11月25日

Posted by ブクログ

Kodama's review
亜也さんも頑張った。お母さんも頑張った。人生を無駄にしてはいけないとあらためて思わされます。
(05.12.04)
お勧め度
★★★★☆

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2009年11月18日

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本人の手記は、文字が書けなくなるまでで終わりますが、母の手記は娘の最期までを書いています。あまりの過酷さに、時々読む手が止まりました。

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2009年10月04日

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絶望しているハズの母は、それでも尚強かった。どんな母親でも、究極は「死ななきゃそれでいい」と思ってくれているのだ。

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2009年10月04日

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突然病魔は少女の体から運動機能を奪っていく。わずか5年ほどで歩くことはおろかの字を書くことも出来なくなってしまう。その5年後にはその命をも奪ってしまった。「1リットルの涙」は文字を欠くことのできた5年間の少女の日記。「いのちのハードル」は少女とともに闘った母の手記。日記の中に「学校には養護があっても、養護の社会がないんだから」とあった。県立高校で将来を夢見ていた亜也チャンは障害が進み養護学校に転校を余儀なくなる。何とかこのまま普通に高校生活を送りたいと望み苦悩の末に決断し転校した養護学校もその1年後には「卒業したくない・・・私には次の光がみえないから・・・一人っぽっちになりたくない・・・」と思うほど障害は進行する。依然読んだ「お母さん僕が生まれてごめんなさい」の中にもあった。学校に言っている間は社会や他のひととの接点があるが、卒業すると障害が重度になればなるほど家に閉じこもることになる。そのかなしみがどうにも切ない。そしてそれを取り巻く家族の愛情、特に幼い兄弟たちの優しさにただただ頭の下がる思いがする。そのお母さんの手記には、健気に病気に向き合う娘に対する愛情があふれている。何とか励ましいっしょに障害に立ち向かおうとする姿、でもやがて命を奪っていく病気だと知りながら何をしてやれるかを時々精一杯にしている姿。共働き、子供5人、そのうち一番上の子は重度の病気と闘い、下の子は未だ幼い。そのパワーに敬服する。いま自分は何をしているのだろうと考えてしまう。生きることに一生懸命だろうか。誰かのために一生懸命だろうか。言い訳を探して怠慢に暮らしてはいないか。亜也チャンは18歳のとき自分が社会に貢献できるのは死んだあと、医学の進歩のために体を提供することぐらいしかないのかと考える。そして死んだとき本当に献体を望んだ。どうにかして何か社会に貢献できないかと考える姿勢は、きっとご両親や兄弟や周りのひとの愛情にあふれる姿を見ていたからだろう。私はそんな姿を子供に見せたことがあるだろうか。まず、明日は朝早起きして一つ一つ出来ることをやっていこう。元気が出る朝食を作り、家の中をちょっと普段より頑張って掃除しよう。気負って計画倒れになるよりも目の前にあることを一生懸命にやってみよう。そうしたら何か見つかるかもしれない。毎日を大切にしなければと思ってしまう。

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2011年07月16日

Posted by ブクログ

 「脊髄小脳変性症」という、現在ではまだ不治の病である病気と闘った木藤亜也さんの母親・潮香さんの手記。亜也さんが自分で書くことができなくなってからの様子なども記されている。

 亜也さん自身の日記「1リットルの涙」を読んだだけではわからない事実がたくさんあった。それは、周りの人間が亜也さん自身に余計な心配をさせないようにしようとする配慮が成功していたということでもあるだろう。病気と闘う娘を支える側としての配慮、苦悩、葛藤・・・。病院選びや家政婦さん選びにここまで神経を使い苦労されているとは、こんな経験をしたことがないものからは想像もできない。日に日に悪くなっていく身体に恐怖や失望を感じながらも、なんとかして生きていこう、そして自分にしかできないことをしようとしていた亜也さんは本当に立派だが、それをずっと支えてきたお母さんにも同じくらい拍手を送りたい。母親の愛情は本当にすごい。最後、自分の身体がほとんど言うことをきかなくなった後でも「他の同じ病気で苦しんでいる人のために」と、死後、献体となることをずっとお世話になってきた病院の先生に希望した亜也さん。このことでどれほど世の役に立ち、また、この本を読んで自分の命について考えた人がいるだろうか。

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2011年09月30日

Posted by ブクログ

平成元年(1989年)に出版された、木藤亜也さんのお母さんが娘の一生を振り返った手記。
本人の日記は恐怖と絶望と希望が渦巻いていて感情だけが伝わってきたが、「母の手記」からは生活の変化が具体的に書かれていて、状況とそのときの感情がつかみやすかった。
どんどん機能しなくなっていく自分の身体、考える能力はあるのにそれを表現できず、人に伝えられないもどかしさ。想像するだけで怖い、と感じた。
亜也さんのように、したいことができない人がいる。
私は社会に対して何ができるだろう。自分は無力だと考える時もあるけれど、歩ける私にはたくさんの道が開けている。

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2023年08月04日

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「一リットルの涙」を書いた木藤あやさんのお母様が書いた本。あやさんを囲むご家族は愛情に満ち溢れている。

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2015年08月14日

Posted by ブクログ

■難病と闘う娘を最後まで支え続けた母の愛情

難病という重い障害を背負う娘の命が、ついに尽きようとする時、夢を叶えてやるため、天国へ嫁がせる結婚式を行うことを決意する。母と娘の絆、生きる意味を問う、感動の手記。

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2013年07月25日

Posted by ブクログ

やっぱ人間腐ってんなと思ったり
これだから頑張れたんだなとか。
すごいとこに追いやられたときに見る人間像みたいななんかもあったり。

とりあえず、私も頑張って生きようと思いました。
それがもし生き地獄だとしてもさ。

ただ、なんかこんなドラマみたいなことが現実にあって、ホントなんだかなーって言葉にできない気持ちになりました。

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2009年10月04日

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