あらすじ
日本の文化史において「呪い」とは何だったのか。それは現代に生きる私たちの心性にいかに継承され、どのように投影されているのか――。呪いを生み出す人間の「心性」に迫る、もう一つの日本精神史。
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紫綬褒章受章した、シャーマニズムとか妖怪論とか民間信仰が専門の研究者の本なんだけど、すごい面白い。こういう分野こそ日本が凄く表れてるなと感じる。狗神っていう天海祐希の映画に出てきた狗神の話も実話として出てきた。
小松和彦
1947年、東京都生まれ。国際日本文化研究センター所長。埼玉大学教養学部教養学科卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科(社会人類学)博士課程修了。専攻は文化人類学・民俗学。2013年、紫綬褒章受章
私が調査のとき出会った、村外から祈禱をしてもらうためにやってきた女性は、犬神に取り憑かれて二十年以上も苦しめられたという。その症状をくわしく聞くことはできなかったが、犬神が暴れるときには、自分の身体が自分の意志でコントロールできなくなるのだそうである。いろいろな病院を回り、評判の高い各地の祈禱師にも祈禱をしてもらったが、まったく効果がなかった。そこで、 一縷 の望みを託して物部村の祈禱師に憑きもの落としをしてもらい、やっとのことで犬神から解放されたという。 憑きもの筋のなかでも圧倒的に数が多いこの犬神統の起源について、物部村で広く語り伝えられているのは、次のようなものである。 むかし、ある人間に激しい恨みをもつ者がいて、その恨みを晴らすために、自分の飼い犬を首だけ出して土のなかに埋め、犬が空腹に苦しみだしたころをみはからって、「どうか私の恨みを晴らしてくれ」と頼んで首を切り落とし、その霊魂を憎むべき敵に送りつけて殺したという。その子孫が犬神筋だというのだ。
物部村の人によれば、犬神は神とはいっても犬の霊を神として祀り上げたもので、偉い神様にくらべればはるかに 位 が低く、頭もそれほど良くないという。だから、善悪の判断があいまいで、結果的に悪行を犯してしまうというのだ。そして、いったん人に取り憑くと、トランス状態に陥らせてふだんの意識を失わせ、その結果、憑かれた人は犬神の意識になって異様な言葉をしゃべったり、犬のように四つんばいになって動き回ったりするという。 こうした犬神をはじめとする動物霊を祀っているとされた家筋は、血を通じて広がるというので 婚姻 を忌避されることも多かった。差別された家筋だったのである。
しかしながら、物部村でも、人間にふりかかる災厄・不幸の原因がすべて呪いのせいにされるわけではない。「神秘的なもの」の一部に呪いがあるということなのである。村びとは、災厄の原因を知り、それを除いてもらうためにいざなぎ流祈禱師をやとう。祈禱師は、求めに応じて「神秘的なもの」についての信仰知識のなかから、いかなる「神秘的なもの」が災厄をもたらしたのかを確定したのち、その災厄を除くための儀礼、つまり「治療」を行なうのである。そして、その治療の基本にあるのが「 祓い」である。
「呪い」とは敵意の表明であり、殺意の表現でもある。もし、面と向かって誰かから「おまえを呪ってやる!」という言葉を浴びせかけられれば、誰だってなにがしかの不安感や恐怖心をいだく。
なにしろ、「神秘的なもの」に対して、科学的解釈は無力である。いや、「非科学的」というレッテルを 貼って、はなから相手にしない、といったほうがはるかに正確かもしれない。
まえにも述べたが、法は集団としての秩序維持のために、千差万別の感情をもつ人の行動を処するために生まれた。しかし、最初から、人は法と感情の 乖離 に悩まされることになる。法は、人間の感情までも処することはできないからだ。いままでみてきたように、支配者がいくら呪いのパフォーマンスを摘発し、処断しても、発生を予防することも裁くこともできない人の呪い心は、次々と新たな呪詛事件を生み出していった。
胸に手を当ててよく考えれば、あなたもこれまでに一度や二度は誰か憎らしい相手に「呪い心」をいだいたことがあるだろう。それが人間というものである。そうした呪い心をいだき、さらには実際に呪いのパフォーマンスを行なったとしても、それ自体をただちに不当で邪悪なことだとはいいきれないのである。 たしかに、たとえ自分に呪われてもしかたのない理由があったにせよ、呪われる側にとっては好ましいことではない。しかし、立場変わって呪う側にしてみれば、その呪いはけっして邪悪なものとはならないはずだ。正当な攻撃、つまり 復讐 なのである。
これは、これまでみてきた政治的呪詛事件でも同じことだ。もし、私たちが菅原道真を失脚させた側にくみするものであれば、道真が陰謀を恨んで怨霊となり、災厄をもたらしているとすれば、その祟りは邪悪な攻撃であり、防ごうと躍起になるはずである。逆に、道真の側に立てば、祟りは当然の報いであり、正当な制裁ということになる。
前章で紹介した高知県物部村に、次のような例がある。高知市内からやってきた人に呪いを依頼された、いざなぎ流の 太夫 から直接聞いた話である。それによると、依頼者が誰かに大金を盗まれた。だが、警察の調べでは犯人はあがらなかった。彼は犯人に対する復讐の念を消すことができず、呪いを引き受けてくれる者を探し回った末に、物部村にやってきたというのだ。太夫はいたく同情し、犯人に向けて呪いをかけてやったという。
さらに、それは、国家が個人の殺人は「邪悪」だと判定するいっぽうで、自分たちが遂行する大量殺人つまり戦争に対しては、つねに「正義」だと主張しようとするのと同じことである。
この両者の性格の違いによって、生者の呪いは否定的にみられてきたのに対し、死者の呪いはどちらかというと肯定的に、つまり為政者の悪政への批判としてとらえられてきた。菅原道真や崇徳上皇の怨霊が、たんに社会や自然の混乱・異変の原因としてではなく、人びとの世直し・御一新願望とドッキングして登場してくるのは、そのあらわれでもある。
蛇、犬、狐、 蜥蜴、 蝦 蟆、 蟷螂、 蜈蚣、 蝗 などの動物を何十匹もひとつの容器に閉じ込めて共食いをさせ、最後まで生き残ったものを呪術に用いる。生き残ったものの生命力と、殺されていったものの恨みの念を呪術的パワーに用いようというわけである。この先の具体的な呪法はよくわかっていないが、中国の 明 の時代に 著 わされた有名な『 本草綱目』には、生き残った動物を殺し、干して焼いた灰を呪うべき相手に飲ませる、と記してある。 用いる動物によって、蛇ならば 蛇 蠱、犬は 犬 蠱、狐は 狐 蠱 などと呼ばれていた。1章で紹介する 物部 村に伝わる犬神の製法も、これと同質のものである。
ほかにも、独特のテクノロジーを保持するスペシャリストがいる。たとえば、日本古来の巫女の流れをくむ口寄せ巫女・梓巫女の系統がそうである。口寄せ巫女というと、現在では死者の霊をこの世におろすことで知られる東北・下 北地方の イタコ ぐらいしか思い浮かばないが、巫女たちもまた呪詛を引き受けていたらしい。次のような話がある。 延喜 三年(九〇三)、 醍醐天皇の子どもを 身 籠った太政大臣藤原基経 の娘 穏 子 は、臨月のころ、しばしば邪気(物の怪)に悩まされた。見兼ねた兄の 時 平が、天台の験者として知られた 相応 和尚に不動明王法を修させたところ、無事、 東 五条 殿で皇子 保 明 親王を出産した。 このとき、陰陽師に難産の原因を占わせた。すると、この出産を妬んで 厭魅 している者がいるためとわかり、調べてみると、白髪の老婆が東五条殿の板敷きの下で 梓弓 に歯を立てて呪っているのが発見された。この老婆を引きずり出すと同時に、皇子が誕生したという。 まさしく梓弓を呪詛の道具にした梓巫女による呪いである。しかし、私の乏しい知識では、これほどはっきりした巫女による呪詛の記録はほかに見当たらないのである。それには理由がある。
男女和合の願い、その対極にある男女の縁切り、そしてそれがさらに過激となった恋敵への呪詛──そうしたもろもろの願い、とりわけ男性中心社会のなかの女性の私的領域で生じた呪い心を、神に仲介する役割をもつ者として巫女がいたのではないだろうか。だが、まえにも述べたように、文献のなかではその姿はあまりにおぼろげであり、歴史の闇に吸い込まれてしまっているのである。
恋の恨みをいだき、「無言電話」程度では気がすまないから、「丑の時参り」をしてまでも思いを晴らしたいと願う現代の女性がいたら、なにも江戸後期に形式化された作法にこだわることはないのだ。日本の「近代」が準備されたのは江戸時代であり、ポストモダンがプレモダンにつながるという考え方に立てば、いままで紹介してきた江戸以前のいろいろなやり方で、恋敵を呪えばいいのである。ブランド好みの人は橋姫風や鉄輪風がいいかもしれないが、てっとり早い無印良品を望む向きは、釘と金槌を用意して夜中に神社に出向き、神殿の近くの人目につかない木に釘を打ち込めばいいのだ。
さて、ここで注意しておかなければならないことがある。こうした儀礼では、天下の「ケガレ」、すなわち天下 触穢 が天皇に凝縮され、天皇の個人レベルの「ケガレ」のようにみなされているが、実は、天皇の身体の「ケガレ」は、国家の「ケガレ」と対応している。 つまり、天皇が病気を患うことは、国家が病気になっているということであり、天皇の死は国家の死を意味している。それゆえに、朝廷は異常とも思えるほど天皇の「ケガレ祓い」を行なったのだ。
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呪いや祓いについて凄く勉強になる本でした。。後半は小難しくなり読み続けるのが辛かった。
一章と二章についてはホラー小説で表現される蠱、蛇、猿、狗などが、どのように利用されてきたか興味深く読めましたし、呪詛や祓いなど好きなホラー小説との繋がりもあり、楽しめて読めました。
勉強の元の本として手元に置いておきたい本です。
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呪いを、日本の歴史や文化の観点に立って書き綴っている面白い本です。
陰陽道や密教などから呪いを紐解いたり、長岡京、平安京への遷都にまつわる共同体への呪いの影響、ひいては村単位でのミクロな共同体での呪いの有り様を描いたり…さまざまな呪いについての記述が面白い。
「呪い」について紙幅を取っているため、歴史に関しては簡単な知識がある方が理解が進むかと思います。
Posted by ブクログ
日本の宗教はシャーマニズムに分類される、という言説をみて、なんだろう?と思い購入。どうも日本の呪い信仰はあまり知られていないようだ。日本の三大宗教は、儒教・仏教・神道。しかし本書を読んでみると、呪い信仰が古代日本から近代まで信じられていたことが分かる。古代に伝来した仏教は、ほとんど呪術の文脈で受け止められていた。邪悪なものが存在する「外部」(=ケガレ)を、より強い呪力で攻撃する「調伏法」や逆にたたえることで鎮める「祀り上げ」によって祓っていた。これらは国家レベルだけでなく民衆にも浸透しており、これらは現代にまで影響していると著者は語る。「ケガレ」を祓う儀礼の特徴は、いかにして目に見えない「ケガレ」を人びとの目に見える(かのように思わせる)か、にある。現代では「呪い」そのものは消失したが、人間を互いに規制する倫理コードとして残っている、と述べる。
軍の命令によって日本のほとんどの寺院や大社で「鬼畜米英」に対する調伏が行われていたそうだ。そう考えると、戦後のアメリカ万歳は一種の「祀り上げ」に対応するのではないか、と思える。もっと突っ込むと面白い事実が浮かび上がりそう。
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光文社のものに加筆されているというのでやはり手に入れてしまった……orz。
すでに読んでいるものなのでレビューは割愛しようと思ったのですが、一言だけ。
人を呪わば穴二つ!
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職場の姉さんにお借りした、久々の小松先生の本。
学生時代、先生に憧れて文化人類学で妖怪学びたいと思ったこともあったけど、恩師の「文化人類学やるならタフで言語に明るくて(2、3カ国語は喋れるくらい)切れる(頭の)人じゃないと無理だよ」って言葉にあっさり挫折…
そんな懐かしい日々を思い出しつつ読んだのでした。
物部村(ものべむら)をずっともののべむらって読んでたことに気づいたり。
読みやすかったな。
2014年25冊目。でした。
Posted by ブクログ
当代一の民俗学者小松先生が昔書いた文章に加筆・修正した本。
個人的に高知県物部村における「いざなぎ流」の呪詛の事例が興味深い。
科学趨勢の現代で、村の「ケガレ」(例えば病気とか災害)を「ハラウ」ために呪詛「すそ」儀礼を在村の「太夫」(呪術者)に依頼して行っていることに驚く。
主な内容は、「祓い」の視点から見たら「呪い」は人の心性に関わる「穢れ」の一種と捉えられている。
要は誰もが「呪う心」を生み出し、その心を浄化するために「呪詛」を行ったりしていたとされる。
(「呪うパフォーマンス」=心の浄化作用)
『古事談』みたいな三次史料を歴史的考察に活用してるなど若干の問題もあるが、
史料や文学作品、聞き取り調査で集めた内容はまさに日本呪詛史の嚆矢でしょう。
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古代の為政者が、祭祀長としても君臨していて、呪術を管理する事で社会を治めていた面があったが、それが古代で収まらなく、近代現代になってもその残滓は受け継がれている。これは人間の性?
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奈良時代から平安時代にかけてよくもまあこんなに呪いが流行ったものだな、と感心。一般庶民は知らないが完全に生活の一部と言える。それにしても陰陽道はともかく、修験道や仏教(真言秘密)までこんなに呪いの方法があるとは思わなかった。人殺したり、蛙殺したり、犬殺したりで因果応報は??と突っ込みたくなります。
現在も一部の地域にいざなぎ流というものが残っているようですが、陰陽道から派生したものなのか柑子をネズミに変える話とか安倍晴明と同じなのでかなりいろいろ混じってるみたいです。
Posted by ブクログ
内田樹さんの『呪いの時代』を読んで以来、この、現在の日本を覆う「呪詛の念」とは何なのか、ずっと気になっていた。そこで手に取ってみた本書は、妙なテーマでばかり書いている民俗学者による一冊だ。
奈良、平安といった時代に脈打った「呪い」の歴史は興味深く、マンガ家などにとってもこういう本は参考になるのだろうなと思ったが、「呪い」そのものについての著者の分析的考察は少々ステレオタイプで浅いものだった。
「呪い」は日本固有のものどころか、世界各地の未開社会に見られる。そうした「呪い」が、民の宇宙観・歴史観・宗教といかなる関係をもち、コスモスを形成するのか。デュルケームの『宗教生活の基本形態』も、話が呪術に及ぶとすぐに、これは宗教の問題ではないとして中断してしまった。そして本書も、「呪い」が社会にとって果たす機能の根源的・哲学的意味を解明してはくれなかった。
日本の場合は「公」と「私」の領域を完全に隔離してきた民族性があるので、その「私」におけるどうしようもない孤独感が、社会や他者への呪詛の念を生成するのだろうととりあえずは推測している。本書の著者は「呪うことは、人間の本性からしてどうしても避けがたい」といったおおざっぱな解釈を繰り返すばかりなのだが、その情動の炎がもはや手が付けられないほどネットを中心にはびこっている現在を、どう生きたらいいのかは依然としてわからない。
Posted by ブクログ
今時は呪いを信じる人はいないと思いたいところだが、そうでも無く昔ながらの丑の刻詣りに似たパフォーマンスをする人がいるのである。
著者は呪うという行為が呪いをかける側の心証だけでも成立する行為だという。そして、呪う側と呪われる側の一方的な断絶した関係は、現代社会のさまざまな人間関係においても見られるものとする。
こうした現代の状況を踏まえつつ日本文化史に置いて「呪い」とはどういうものであったのか、それは現代に生きる私たちの心性にいかに継承され、投影されているのか、さらには呪いを生み出す人間の心性とは どういうものなのかなどといった問題について探っていくとするのが本書の趣旨である。
まずは、高知県に残るいざなぎ流という民間信仰での「呪い」のパフォーマンスを詳しく紹介し、日本史の中での呪いについて考察する。
その中で、日本で支配者とは、社会手段の秩序を脅かすあらゆる「ケガレ」を浄化する能力の持ち主でなければならないとする。確かにこのことで理解できる事象はたくさんある。
現代の日本でも穢れた議員さんは禊ぎを受けるのである。また、禊ぎをうけるとケガレが祓われるのである。
また、ケガレを祓うためにエスケープゴートを必要とすることもある。心が「ハレ」ないのはなになにさんのケガレのせいだからこれはなかったことにしなくては等
呪術的な発想で読み解くことができる事象も日本にはたくさんあるような気もする。
あとがきで書き残している著者の言葉も気になるところである。曰く
カタルシスのための文化が衰退するにつれて、個人の体内に溜まった「呪い心」が暴走し出しているのではないか。とすれば、日本の伝統的な呪詛法に身を任せることで、少しでも心の「しこり」を解消できるかもしれない。
存外日本では「呪い」はしぶとく生き残るのかもしれない。