【感想・ネタバレ】不可触民と現代インドのレビュー

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最初『不可触民と現代インド』読んでよく分からなくて挫折したんだけど、『アンベードカルの生涯』⇒『マハーバーラタ』読んだら分かるようになった。日本史YouTuberもこの本勧めてたし、この本は現代インドの明るい部分と暗い部分が均等に書かれてて良いと思った。

山際素男
1929年三重県生まれ。作家。’98年、古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』の翻訳で第34回日本翻訳出版文化賞を受賞


一九二〇年前後から一九四〇年代始めにかけての独立運動時代、ヒンズーの支配体制、カースト制の強固な擁護者であり、〝神〟のごとく 崇められていたマハートマ・ガンジー(一八六九~一九四八)は、自分の偽善性を鋭く批判し、不可触民解放のために自分に楯ついてやまぬアンベードカルと会見することになった。その時初めてアンベードカルが〝不可触民〟であることを知り、大層驚いたという。その時まで彼をブラーミンだとばかり思っていたのである。〝不可触民〟風情が、こんなにまで崇拝されている〝マハートマ(偉大)〟たる自分に逆らうとは夢にも考えられなかったのだ。

アンベードカルによって 播かれた種である仏教と不可触民解放運動は、他の低階層にも広がり、それらの階層一般を広く指して使われるようになったヒンズーの〝ダリット〟(倒れし者、虐げられた人びとの意。指定カースト民、指定部族民、その他後進カーストが含まれる)民衆にもインドの歴史の秘められた真実が明かされるようになってきた。

こうした疑問は、アンベードカルが驚くべき知識と努力で解明しようとし、提出してきた。  彼はアメリカのコロンビア大学に留学、経済学博士号を取得したのを皮切りに、ロンドン大学政治経済学院、グリーズイン法曹学院で弁護士の資格を取り、社会活動を開始した。彼の学識は多岐にわたり、後に法務大臣となり、新憲法草案者に選ばれたのは、彼において他に適任者がいなかったからだといわれる。

この国、いや外国においてすら、アンベードカルほど波瀾に富み、刺激的でロマンチックな人間は稀であろう。牛糞にまみれた不可触民の子として生まれ、不治の業病のように忌み嫌われた少年時代を送り、床屋、宿屋、寄宿舎、寺院、役所といった社会的施設の総てから拒否され、飲水、食物も与えられない過酷な人生を歩まされ、やがて世界的最高学府で学位を取りながら、その一歩一歩を徒手空拳、血と汗を流し、一つ一つ獲得してゆかねばならなかった。  有力な政党、新聞、ジャーナリズム、財力の一切を持たず、むしろそれらと戦いながら、その実力によって法曹界、政界に地歩を築き、遂にインド憲法の父と崇められるに到った。

アンベードカルは新聞も編集した。経済学、社会学、歴史、政治の分野に健筆を揮い、膨大な著作を残した。幾つもの学校、大学を興し、労働組合運動のリーダーとなり、政党を創設と、その一つだけを取り上げても普通の人の一生の仕事となるような事柄を次々と成し遂げていった」  また著者は別のところでいっている。 「マハートマ・ガンジーを不可触民の父といっているが、これは正に歴史の 捏造 である。アンベードカルこそが不可触民の父なのだ」  著者はブラーミン出の著名な伝記作家だが、彼の公正な目は出身カーストの壁によって少しも曇らされていない。

 一九三二年、イギリスはインド社会の分断を狙って、多岐にわたる職能、宗教階層に対してそれぞれの属するグループ 毎 に選挙権、被選挙権を与えた。医者は医者、教師は教師、イスラム、クリスチャン、それぞれの社会成員を選挙し、国会、州議会に送っていいというわけである。イスラムはこれを機にインドからの分離独立の機運を具体化してゆくことになる。

今、アンベードカルの播いた種は見事に開花し、仏教徒は一億人を超すといわれる。そして、その最先端に日本人僧がおり、何百万ものインド仏教徒に慕われ尊敬されていることを今回の滞在で改めて実感した。

話しているところへバハル氏の奥さんが現れた。熱気がむんむんしている大会場の演壇の後ろのテントで話をしているからお互いに大声でないとよく聞き取れない。バハル氏の声はよく通るがミセスの方もはきはきとしていて聞き取り易い。絹の美しいサリーに大柄な体を包んだ彼女は、控え目な様子で腰を下ろす。バハル氏に劣らぬ立派な顔立ちである。  四十前後だろうか。大きな目、形の良い鼻、口、どうみてもかなり上層カーストの奥さんといった感じだ。バムセフのメンバーは指定カーストや後進カーストといった人びとを中心としているから、そんなに高いカースト出身とは思えないが、見た目といい物腰といい、気負ったところもなければ、成り上がり、といった感じは少しもない。自然で〝堂々〟としていた。

〝バンギー〟(清掃人)という言葉の重さがずっしりと伝わってくる。  目の前の夫婦と、〝バンギー〟という言葉は余りにかけ離れていて結びつかないのだ。しかし、厳然たる事実なのだ。恐らく周囲の仲間も、その言葉からイメージするものとバハル氏夫妻の姿とのコントラストが面白かったのかもしれない。  カースト社会の中で最も忌み嫌われる人びと、それが〝バンギー〟だ、といっても過言ではあるまい。

私は昔見た光景を今もまざまざと思い出す。  四十年程前、ビハール州のパトナ大学に留学していたことは前述したが、ある友人の家に遊びに行った時、内庭にふと目をやると、頭に大きな壺を載せた女性が庭を横切っていった。  よく見ると、壺には人糞が山盛りになっていた。彼女は壺を両手で支え、足を踏ん張るようにして外へ出て行った。異様な光景だった。思わず後から表へ出てみると、道の脇に大きな箱車が止まっていた。荷台の屋根の一部が開くようになっていて、彼女はその中にどさっと中身をぶちまけ、再び壺を頭に載せ、トイレに戻しにきた。箱車の上の籠の中には幼児がちょこんと座っていた。 「あんな〝バンギー〟なんかに興味があるのかい?」  友人は苦笑しながらいった。しばらく言葉が出なかった。都会の〝バンギー〟の赤裸々な姿を見たのはそれが最初であった。

 私が滞在していたインド人の家は 宏壮 な邸宅で、トイレは水洗式だった。しかしその頃は水洗といっても地中に浸透させる方式が大半であった。ホテルやレストランも大体がそれらしい設備のところが多い。都市の貧しい住居のトイレは、直接壺の上に垂れ流すのをその時に知った。田舎へ行けば、トイレは 無い のが普通である。朝早く小さな真鍮の水壺を片手に近くの草原に用を足しに行く男女の姿はどこでも見かける風景であり、その方がむしろ自然に思えた。素手で糞壺を頭に載せる姿の方がずっと衝撃的だった。

「どんな人間にも何か才能があるものです。長所があるものです。それを生かすチャンスとチャンスを成功に導く努力です。私はそう信じています。  そして何よりも勇気です。生き抜く勇気です。  自分たちが切り拓いた道の上には、自分を生かしきれなかった、あるいは生かそうと必死になっている仲間が一杯いるのを知っています。バムセフの活動はそういう仲間に呼びかけ、励まし、共に歩むためのものなのです。アンベードカルの説く同胞愛、それを支えるブッダの教えが私たちの日常生活の土台になっているのは、それが本当に正しいのだと信じられるからです。〝バンギー〟というこの世で最も卑しめられ、虐げられてきた者にはそのことがよく分かるのです。アンベードカルも仏陀も、私たちを救うために生まれてきたんだと素直に〝実感〟するのですよ。虐げられている人びとへの共感とその共感を深め、広めるのが自分の使命だと素直に思えるのです」

「ガンジーがいったように、カースト制度がなくなったらインドではなくなる、というのはある意味で当たっています。では代わりにどんなインドが生まれるのか?  今、RSSを基盤とするBJP(インド人民党)政府は、ブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャ三上位カーストは元々インド人だった。我々も先住民族だったのだと、途方もないことをいいはじめています。彼らの歴史感覚は一体どうなっているのでしょうね」

バラモンの聖典とされるヴェーダを教えることのできるのはバラモンだけであり、クシャトリヤ、ヴァイシャたちは学ぶことを許されていただけで教えることは禁じられていました。今でも大学などの教授をはじめ、教育者の大半をブラーミンが独占しているのもそのためなのです。ヒンズーの聖典をシュードラが〝立ち聞き〟していたというだけで耳に煮えたぎった油を注ぎこまれる罰――死刑ということです――を受けたことは、〝マヌ法典〟にくり返し出ています(マヌ法典=前二~三世紀に成立した最古の法典。マヌは〝人類〟を意味しインド人の生活法規の基準となってきた。その中で〈不可触民〉は徹底的に 貶められ、不浄な存在として人間的尊厳を奪われてきた)。

アンベードカルがヒンズー寺院を〝不可触民〟にも開放せよという運動を進めている最中、寺院の門前で〝マヌ法典〟を焼いたのは有名な出来事であり、そしてその時実際に〝マヌ法典〟を焚書の刑にふしたのはブラーミンでした。

「バラモン教典、マヌ法典など一切の文献は女性を〝シュードラ〟として扱っています。インドではどうしてこんなに女性一般を〝奴隷〟として扱ってきたのか不思議といえば不思議です。  結婚制度が何故こんなに厳しく、同族結婚制を強制してきたのか。上位カーストの男性と下位ヴァルナ――色の黒い先住民の意――の女性との結びつきを大目に見、生まれた子供を父方のカーストに帰属させながら、低ヴァルナの男性と比較的上位ヴァルナ(高いカースト身分に属する女性がカースト制度が確立された後生まれてきたわけだから)の女性との結びつきを極端に忌み嫌ったのは、結婚を利用して低位カーストの男性が上位に昇るのを避けたからだと考えられるでしょう。  こうして考えてみると、インドに侵入してきたアーリア人はほとんどが男であり、女は先住民しかいないのだから強引に先住民の女を自分のものにしてゆくしかなかったはずです。

西ユーラシアの白人種の男たちは先住民の女性を片っ端から略奪し、強姦、暴行を働き征服していったはずです。すべての女性の地位が一様に低く、自分たちの妻となってもシュードラとして扱ってきたのはこのインド侵入時の状況が生み出した帰結といえるでしょう。

ブッダは生涯を歩いて歩いて歩き通し、教えを説いて回ったとアンベードカルはいっています。ですから私たちも毎日、毎日、一つの所に留まらず、一年中歩きつづけることを実行してきました。バムセフの〝使者〟は常に休むことなくどこにでも現れる。そういわれることを誇りにして生きてきたのです。

 我々の目的は単純で明快です。我々が奪われていた自由と平等、友愛の精神を我々の間に甦らせ広めてゆくには行動しなくてはならない。ブッダとアンベードカルの言葉をくり返し伝え、共鳴させてゆくのです。そしてやる気を起こさせていきました。カンシ・ラムも実によく働き、動きましたが、我々はもっと働きました。彼は持病がありましたが、週に三日は旅を続け 行脚 していました。それを私は週六日やり通しました。その位歩かなくては信頼を勝ち取れないと思ったからです。

ブッダの説いた教えが、高い教養、王侯貴族のような人びとに受け入れられたのは、誰よりも深い苦悩をなめた人びとの心に向かって、その人びとを救う教えだったからこそ権力者の心にも届いたのだと思います。その逆では決してありえません。  そういう意味で、仏教は絶対者への帰依を求める信仰の教えではありません。幸せになるためにはどう生きればいいのかを説いた教えです。現実的で実践的生き方を説いているのです」

「アンベードカル博士の説くブッダの教えは、私たちや私たちの仲間のような人びとの心に一番早く届くことを私は知ったのです。ブッダも、アンベードカルも人の苦しみ、苦しんでいる人はどういう心なのかを誰よりも理解していました。ですから、誰よりも苦しんでいる人びとの心にその言葉は真っ直ぐ届いていくのだと思います。そういう意味で、『ブッダとそのダンマ』は我々ダリットに最も 相応しい、心に届きやすい書なのだと感じます。

「仏教には前から関心があった。でも仏教について教えてくれる人は身近にはいなかったんだ。アンベードカル博士のことは噂で知っていた。同じ〝不可触民〟出身で、政治、経済、法律に通じる大学者で、初代の法務大臣になっていることも知っていた。たまたまある街に講演にきていた彼の演説を聞きにいき、直接会うチャンスに恵まれた。

「カビールを若い頃から信奉しとったから自然と女性と距離を置く癖ができてしまったのかもしれないな。カビールは〝女には魔性がある〟といって女に近寄らなかったようだ。だからといってわしは女性を蔑んだりはしてこなかった。  仏教というものは本来、人間を性の違いで差別するものではない。男も女も同じ仏性を生まれながらに授かった同胞なんだ。ヒンズー教はカースト差別だけでなく、その上女性差別が徹底しているからインドの、特に下層カーストの女はいつもひどい差別をされてきている。ただわしの生き方には女性と特別な仲になることを避ける何かがあったのは確かだ。でもそれが差別だとは思わんがなぁ」 「アンベードカルは二度結婚しましたよね」 「あの方は、僧ではなかったし、サズゥでもなかった。世俗人として生き、苦悩する同胞を解放するためこの世に送られてきた、〝 菩薩〟だったのだよ。形にこだわることはないと思う。そういう姿で全身全霊をもって生き抜いた人なんだ。結婚していようといまいと、仏教は男も女もそういう人間を〝菩薩〟と呼んできたのじゃないのかな」

イギリスが十九世紀の初めに〝サティ〟を禁止したのも、それが余りにひどかったのと、その当時盛んになってきたブラーフモ・サマージという運動に逆に影響されたことがある(ラーマ・モーハン・ロイというベンガルのブラーミンが興したヒンズー教の改革運動。彼は幼児婚、女性の社会的地位の向上、教育の機会均等、離婚と再婚の自由、特にサティの風習を激しく攻撃した)。  だから私は女の患者に未亡人や、夫と別れた女がいると再婚をどしどしすすめている。ブラーミンなんぞのいい出した、離婚は罪だの、寡婦の再婚は亡き夫と神への 冒瀆 だなどというたわ言に耳を傾けるなってね」

ヒンズー教は未来永劫になくならないようなことをいっているが、インドには非ヒンズー的思想が大きなうねりをもって流れはじめているのだ。イスラム教、キリスト教、仏教も入って、特に一番保守的といわれる南インドのヒンズー社会に大きな変化が生まれはじめている。

 女も勉強しなくてはいけない。女性が目覚めなくては女性の惨めさは永久に変わらないんだと子供心に刻み込んだのでしょう。その思いが、私を社会改革運動に突き動かしたのかもしれませんね」  彼女は頰を緩め、脇にいる小学六年生の娘に温かい眼差しを向けた。娘さんは素敵な美人で、利発さが溢れんばかりだ。話の途中で、結婚制度に話が及び、「親の決めた結婚に従うばかりが能じゃないよね。自分で相手を見つけ、恋をし、一緒になるんだ」と私がいうと、うん、うんと深く 頷き、ぐいと片腕を伸ばし、ぎゅうと力こぶを作ってみせた。頼もしい小学生である。

インド社会はカースト制によって分断された縦割り社会であり、各階層の横のつながりというものが古くから培われていません。アンベードカルもいっているように、窓のない各カースト別に分かれた塔のような社会で、互いの連帯感、共通の意識に欠けた建物のようなものです。それが、〝正しい〟社会秩序、世界観なのですから人間全体の平等観というものが全く育たなかったのです。  ダリットの女性が、男のダリットより更に低い、男のダリット社会からも一段と低い地位に止められている不平等さが、社会の〝正しい〟秩序なのです。  ですから女性への不平等、差別は〝当たり前〟なのであって、それを改めるべき〝悪〟だとは女性もひっくるめて誰も考えてこなかったのです。別に誇張していっているわけではありません。それが〝正しい〟倫理、道徳観だったのです。ですから男が女を殴ろうが、蹴り倒そうが、男がそうしたいと思えば誰も文句はいいません。当然だからです。それに抗議すること自体が反社会的、反道徳的、反逆者的行為とみなされ厳しく罰せられてきたのです。

「ともあれ、カースト社会における最大の犠牲者は女性なのです。カースト間の争いで犠牲になるのはいつも女性です。男ももちろん狙われますが、 凌辱 の対象は女性です。  英字新聞や高級週刊誌などにはほとんど出ませんが、ヒンズー語、あるいは地方紙には今でも 度々 掲載される記事で、 ありふれた 事件です。カースト争いの見せしめに、頭を坊主にされた上、素っ裸にされて村中を首にロープを巻かれ引き回される女性の話などです。  こんなことは昔から日常茶飯事であり、事件ですらなかったのです。最近ですよ、こういうことが〝犯罪〟として報道されるようになったのは。

逆毛結婚(低カースト男性と上位カースト女性との結婚)は特にタブー視され、それでも一緒になった若い男女が徹底的に追及され、遂に探し出されて双方の両親の目の前で村の広場で吊され焼き殺された、などという記事によくお目にかかります。ウッタル・プラデシュ州でも実際あった話で古いことではありません。  最近も、マッディヤ・プラデシュ州の田舎で、異カーストの男性と結婚した女性が、彼女の村の長老の命令で〝競売〟にかけられています。村の伝統的掟を破ったからです。

また同カーストなのに親の許可なしに自由結婚、つまり恋愛結婚をしたというだけで、父親が娘を木に吊して焼き殺してしまいます。こういう残酷なことをするのは主に農村地帯で、しかも低カースト民の間で密かに行われ、警察にも知られず、闇から闇に葬られていくか、警察も知りつつ手を出さないかなのです。インドには二つのインドがあります。進んだインドと遅れたインドです。後進的インドでは恋愛結婚は未だタブーであり、進んだインド…

結婚問題をはじめ、インド社会は今もすべての決定権を男に握られていて、女性の立場をいくら訴えても変わりません。その大きな原因は一番虐げられている女性が声を上げないからです。上げようとする前に支配勢力によって抑え込まれてしまうのです。  社会的に有名になったり、マスコミで活躍している女性は増えていますし、経済力を身につけてきている女性も幾らか出ていますが、ダリット女性は地面に押さえつけられっ放しです。それは宗教的イデオロギーが大きな要因です。インド人は信心深い。どこの家に行ってもヒンズーの神々の像が見られるほどです。

しかしこれがダリット民衆、特に女性の自覚を妨げています。悩みが大きくなるほど信仰心の方へ傾いていくのは大昔から少しも変わりません。どこへ行っても、家では男に押さえつけられ、社会に出ていけば、残酷なまでにひどい対象の的になり、黙って神さまに祈るしかないと思いこまされ てしまうのです。  これは彼女たちの せい ではありません。教育を与えず、物事の理非を判断する知識も与えず、字も読めない状態を改善しようともしなければ、どうやって人は正しく世界を見ることができるでしょう。

アンベードカルその人の思想、仏教観に私は共感しますが、アンベードカル信奉者やアンベードカル運動家のやり方には全面的には支持し難いものを感じます。やたらアンベードカルの像を…

像だけ建てて、その前で時々集まって祭祀めいた行事をするだけでいいのでしょうか。アンベードカル信奉者、特に指導的立場にある人びとは、民衆と遊離しているように思います。アンベードカルの思想を広め、深めてゆくために働くのではなく、その名声や権威を利用し、自分の社会的地位や利欲に動かされている人が増えています。これでは彼らが批判するブラーミン的上層カーストのやり方と変わりがないではありませんか。アンベードカルの像を建てることが、目覚めたダリットの存在を象徴し、誇示しているのだというのも認…

インド女性の社会的地位が極めて低いといいながら、故インデラ・ガンジー首相をはじめ、州首相や重要な社会的地位についている女性は珍しくない。しかし、〝指定カースト〟出身で高い人気を保っている女性政治家は稀だ。

マヤワティーは一九五六年、チャマール(北インド一帯の最大の指定カーストグループ)の家に生まれた。父は電話公社の中級職員であった。彼女は学士、修士、博士課程へと進み、一九七七年、教師になった。そこで彼女は露骨なカースト差別の洗礼を受けた。彼女ほどに高い教育を受けていても、ブラーミンたち上位カーストグループの露骨な差別は容赦なかった。アンベードカルの書物は砂漠にまかれた水のように心に沁み入り、彼の著作をむさぼり読んだ。そして仏教への関心も増していった。  彼女の住んでいるカロルバグにバムセフのオフィスが生まれ、小さな事務所の窓から地面に届かんばかりに垂れ下がっている大きな看板を横目で見ながら通り過ぎていた。三年余りたって、IAS(上級国家公務員)受験の準備をしている頃、ある会合でカンシ・ラムと出会った。その日から彼女の運命は大きく変わってゆく。

「インドはイスラム、特に石油産出圏のイスラムなくしては立ちゆきません。パキスタンとは積年の歴史的関係と反感から 歪みきっていますが、元々は同じインド人なのです。宗教的違いを除いて同じ人種、文化を基盤にしてきたのですから和解できないはずはありません。

インド社会はどこを切ってもカースト制度が顔を出します。  リザーブシステムについても、国家公務員でありながらリザーブシステムを適用していないのはインド軍隊だけでしょう。ですから士官クラス以上にダリット出身者はほとんどいません。警察にはもちろんリザーブシステムは適用されています。この制度がなければ、ダリットには向上してゆくチャンスが与えられないのです。古代からのカースト制度は今もがっちり三上位カーストが押さえており、ブラーミンは教育、司法分野、クシャトリヤは軍関係、ヴァイシャは経済界を支配しつづけています。

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2024年02月15日

Posted by ブクログ

いままでのインドのいろんなイメージを壊された。

インドの侵略者であるアーリア人が自分たちの地位を確固とするためだけに作られたヒンズー教、そしてカースト制度。

インドの人々がこんなに辛い生活を送っているなんてショックだった。

マハトマガンジーにしてみても、わたしはてっきりインドのヒーローだとばかり思っていたが、彼も結局はカースト支持者だったのだ。

10億近くの人口のインド。
カースト別人口はブラーミン(僧侶など)5%、クシャトリヤ(軍人等)7%、ヴァイシャ(商人等)3%、シュードラ(前上位3カーストに奉仕するカースト)約60%、残りの25%がカーストにも属せない「不可触民」らしい。

前にも書いたプーランですらシュードラだったらしいから、それ以下の不可触民はいままでどんな扱いを受けてきたのか・・・

考えるだけでもぞっとする。

この本によると、今までヒンズー教を刷り込まれてきた人たちも、不条理に気づき始め、どんどん仏教に改教する人たちが増えてきているらしい。

もともと頭がいいといわれているインド人。

こういう差別をなくし、どんどん世界で活躍してほしい。

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2011年11月28日

Posted by ブクログ

著者が冒頭で語るインドでの体験――同乗する自動車のひき逃げ事件は、著者の衝撃的な「原体験」であり、それ以来、インド不可触民をはじめ最底辺民衆に関心を持つようになったという。

この本からこれまで知らなかった多くの事実を学んだ。インドのカースト制度は有名だが、では現代インドでカーストが現実にどのように働き、政治的、経済的にどのような意味をもっているのかなど、よく見えていなかった。この本では、不可触民の側からカースト制によるインドの支配と被支配の実態が明らかにされる。

ブラーミン、クシャトリア、ヴァイシャの上位三カーストで人口の15パーセント、指定カースト、その他後進階層85パーセントと言われるが、正確な数字は、1930年にイギリスが調査して以来、一度も公表されていないという。しかし実際にこの上位15パーセントが、今も政治権力、官僚制度、マスコミ、経済、議会等々、あらゆる分野で支配的地位にいるのは紛れもない事実だ。

日本の教科書的な記述でははっきりとは書かれないが、インドの不可触民を中心とした人々は近年、次のような歴史認識を持つに至ったという。つまり、ブラーミン、クシャトリヤ、ヴァイシャたちは、もともと侵略者であり、先住民を追いやり、カースト制を作り、下層民として押し込めた。下層の人々は、その事実を口にすることすら許されなかった。教科書的な記述でカースト制をアーリア人の侵入との関係の中でとらえるにしても、ここまではっきりと述べた記述には出会ったことはなかった。

山際氏は2002年にインドに取材してこの本を書いている。そのインタビューには、この国になお厳然と残るカーストの実態がかかれている。

ある不可触民出身の政府職員は言う、「私たちがどこかに転勤になると、我々のカーストがいち早く次の職場に伝えられます。新任者のカーストが何であるかによって対応の仕方が決められるからです。その人間によってではなく、所属のカーストによって扱いが決まるからなのです。」

別の不可触民出身の女性は、インドの最近の経済自由化について次のように語る、「貧困層は一層貧しく、金持ちは益々肥え太る政策以外の何ものでもありません。これは個人的成功、失敗のレベルの問題ではないのです。‥‥1990年から始まった、世界銀行、IMF主導の経済改革は、結論的にはダリットという弱者社会に大きな打撃を与えるにすぎません。社会主義的経済を資本主義的私企業形態に変えてゆくことは――銀行その他の政府系企業の私企業への移行――リザーブシステムで保証されていた職能分野の縮小を意味します。」

現代インドについて全く別の視点から語る本をと思って、『インドを知らんで明日の日本を語ったらあかんよ』竹村健一、榊原英資(PHP、2005年)のカーストについて触れた部分を読んでみた。

案の定というべきか、
「‥‥巷間でいわれているほど、カーストが問題になることはないようです。ビジネスのネックにはならないでしょう」(榊原)
「カースト制度がどうのこうのっていう話ではないわでですね。インドというと厳然としたカーストをイメージするのは、情報が古い。新しい情報が入らないと、子供のころから聞いている話で、インド観が固まってしまっているということですね。」(竹村)
「実際に、企業が採用についてカーストを云々することはまったくありません」

おそらく最先端のIT関連企業などでは、業種・職種が伝統的なジャーティにないこともあるのか、上のように言える面もあるのかも知れない。しかし、上のような言い方をしてしまうと、山際氏が報告したような深刻な現実は、まったく視野の外に置かれてしまうのだろう。自分が住む国でも、抑圧された人々の現実をあるがまま見るのはむずかしい。まして外国であればなおさらなだろう。この竹村、榊原の対談も、山際氏によるインタビューもそれぞれの立場から見た現実が語られているので、いちがいにどちらが正しいとは言えないだろう。しかし、少なくとも先の対談で語られているほどことは単純でないことは明らかだ。

ところで、カースト問題を低カースト民が自由に触れることすら許されなかった時代は、アンベードカルによって打ち破られたという。ガンディーに対立してヒンドゥーの差別と闘い,インドに仏教を復興した不可触民出身の政治家であるアンベードカル。同著者の『アンベードカルの生涯』(光文社)も併せて読むべきだろう。

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2010年08月30日

Posted by ブクログ

正直、インドほどよく判らない国はそうそう無い。学生時代は世界史を専攻していたので、インド史は覚えづらい人命やら王朝がわんさか出てきて苦労したのをよく覚えている。漠然と記憶しているインドとはヒンドゥー教の国である事、それによるカースト制度が存在する事、長らくイギリスの植民地支配下にあり東インド会社を中心に世界の貿易拠点となっていた?事ぐらい。人命ならマハトマ・ガンディー、初代首相のネール(ネルー)、チャンドラ・ボースにパール判事あたりだろうか。私はインドカレー好きだから周りにインド人も沢山いるが、彼らの国がどんなものか気にした事も無かった。近年は著名なIT企業(グローバル)の社長や役員に必ずインド人が含まれており、流石数学の得意な国だ、と漠然と感じる程度。
本書はインドに暮らし学んだ筆者が記す、生のインドの声を集めたものだ。前述の通り厳しいカースト制度は未だインド国民の心を支配し、社会・政治・経済はカーストの厳しい身分制度の影響を強く受ける。バラモン(ブラーミン:僧侶)、クシャトリヤ(戦士・軍人)、ヴァイシャ(商人)に属する上位カーストは国民全体の15%足らず、彼らへの奉仕者であるシュードラ(奉仕者)が60%、それらカースト4姓制度よりも更に下位に位置する下位カースト・指定カーストと呼ばれる「不可触民」が25%と、下位層は85%を占める社会構造だ。海外から見たインドはヒンドゥー教の国であるが、それは身分制を維持したい上位カーストが何とか支えているものであり、実態は身分制の下位に甘んじ、就きたい職業にも就く機会さえない国民はそうした身分制を心から支持する事はない。然し乍ら、アーリヤ人が押し寄せた時代から侵略者達によって作られた(遺伝子調査で上位カーストはヨーロッパ系)身分制度は何千年と人々の心を支配したし、植民地化したイギリスにとっても、社会秩序維持のために好都合な制度だった。そうしてインド人の心の中に深く根差した身分に対する考え方がそう簡単に無くなる事はない。そうした考え方を制度面からも改善しようとしたのが、本書の中心的な存在となるアンベードカルである。不可触民出身でありながら様々な学問を修め政治の世界に身を投じた人物で、あのガンディーとも闘っている。ガンディーはインド独立の父ではあるが、それはヒンドゥー教上位階層が作り出したインドに都合の良い人物像とし、不可触民やシュードラなどの下位層を含まないインドの父であるとする。そうすると、下位カーストが85%を占めるインド人の大半はヒンドゥーの教えに則り自由が存在しない。アンベードカルはこうしたインドの現状を訴えガンディーとも対立するのである。
アンベードカルはひたすらに身分制度撤廃に向けて活動を続けるし、初代法務大臣として下位カーストの社会進出促進のために様々な法を整備する。これにより学問さえ積めば公務員になる道も一定程度保障されるようになった。また身分制を根底とするヒンドゥー教を捨て仏教に改宗するとともに、その後のインド内における仏教回帰への力強い支えになる。その後日本人の佐々井秀嶺へと引き継がれ、インドの仏教復興へと繋がっていく、本書はこれをブッダのインドに始まり、中国・日本を経て再びインドに戻る回帰と表現している。
それら社会的な風潮の根底にあるのは、人は誰でも自由平等であり身分による差別を受けない、という先進国の憲法に必ず含まれる当たり前の権利だ。インドという国が不思議に映る理由の一つがそれなのだが、女性に対する権利の低さは身分制に更に輪をかける。社会においても家庭内においても女性の立場は更に虐げられており、政界・経済界のリーダーも少ない。本書後半はそんな中で台頭した初の女性州知事マヤワティーにも触れる。女性の社会進出が身分制を超える以上に如何に大変で困難を伴う事か、そして改革するには極端にでもルールを変えていく強い信念が必要である事が伝わってくる。因みに本書中盤では、一時期書籍で話題になった女盗賊プーラン・デヴィを始めとした地方の盗賊にも触れており、インド社会の複雑さを理解する助けになっている。
本書を読みインドへの理解を深めると共に、何も知らずインドへの投資を考えてしまった自分を恥じてしまった。

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2023年06月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

この本が出版されたのが2003年。

16年とちょっと経った今、SDGsという国際目標が広まる中でインドはどう変わったのか読み終えた今は気になってます。

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2020年02月12日

Posted by ブクログ

大学時代に読んだ本をもう一度読みたくなった。

知らないことがたくさん。

ガンジーは聖人のように習ったけど、実態は全然違う。

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2013年10月20日

Posted by ブクログ

インドにカーストが生まれた理由と、カースト制度の現在を聞き語りで取材している。

聞き語り方式なので、いつ誰がどこで話したのか以外にも、個々人のフィルターがかかっているので、実際の所どこまで正しいのかわからない。

が、客観的なデータ自体が存在しない以上は、このような書き方になるのはしょうがないだろう。

冒頭で不可触賤民をひき逃げしても問題がなかった1970年台の著者の体験が書かれているが、いまだにそうなのだろうか?

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2013年05月03日

Posted by ブクログ

インドのカースト制度がどのようなもので、どう変わりつつあるのか、というお話。
全体が著者の経験や、著者がインタビューした、カースト制度に対抗している人達の語りなので、大変読みやすいのも嬉しいです。

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2010年12月28日

Posted by ブクログ

 インドカースト問題における日本人第一人者の山際素男の「不可触民」続編。ショッキングな現状よりも、現代インドの、目覚めた不可触民たちがいかにしてその歴史文化的ジレンマと戦い進んでいるかのレポート。
 これを読んで正直自身の理解の足りなさ、関心の低さに失望する思いだった。アンベードカルを全く知らなかったし、聖人ガンジーとは何者であるかと再考せざるを得なくなった。歴史と宗教、そして人の生命に対して思いを巡らす時間になった。

17/2/27

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2017年03月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

日本人には理解できないインドのカースト制度。不可触民とはなんなのか、なぜヒンドゥー教なのか、踏み込んでいく。

 バラモンが独占したもの、それは富や権力よりも「知」である。人がなぜ「知」を求めなければいけないか。インドから学べる。


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p19 権力者は己の正体を暴かれるのが怖い
 真実が暴かれれば支配者はその存在が危ぶまれる。ヒンドゥー教のバラモン階級はまさにそれだ。
 異民族が支配に利用した宗教がヒンドゥー教であることを明るみに出せないのだ。

p19 ビームラート=アンベードカル
 バラモンの正体を見破り、公然と彼かの権威と偽善性に挑戦した不可触民の指導者。
 こんな人知らなかった。ガンジー・ネルーと並ぶインドの偉人である。

p44 浄・不浄
 ヒンドゥー教は「浄・不浄」の観念で、人間だけでなく自然やすべてを差別する宗教である。

p45 インドのトイレ
 インドのトイレは便器でない。外で排泄用のツボに用を足す。都心の外国人のいるような土地では水洗設備もあるが、田舎ではトイレがないのがふつうである。
 この糞壺を回収するのが不可触民である。

p57 ヒンドゥー教VSイスラム教
 東パキスタンでは元来宗教対立はなかった。しかし、イギリスからの独立後の分断で宗教対立が意図的に起こされ、大虐殺や原爆所持にまで至る対立になってしまった。

p63 政府の嘘
 インドの人口85%がヒンドゥー教であるという政府発表があるが、それは支配階級が自分たちの特権が脅かされないように発表しているプロパガンダであり、仏教・イスラム教・キリスト教に改宗する者が増えている。2,30年もすればヒンドゥー教はマイノリティになるかもしれない。

p66 イギリス人の罪
 インドにカースト意識を甦らせたのはむしろイギリス人だった。イギリス人が導入した郵便制度が村落の各人の姓名を明らかにし、人々のカースト意識を意識させるようになった。
 
p69 ガンジーとヒンドゥー教
 ガンジーはインドの独立はカースト制度の中で行われるべきと考えた。カーストはインドの自然な状態であり、それが人々に生きる意味を絶えず与え、幸せをもたらす。と考えていた。
 ちなみにガンジーはヴァイシャ(商人)階級出身である。ガンジーはヒンドゥー教支配階級の絶大な支持を受けたし、ガンジーが独立の父として強烈な存在になるようになった。
 後年カースト制度に反対するようになった。

p87 先住民
 不可触民は自分たちのことをダリットと呼ぶ。彼らはアーリア人がインドに侵入してくる以前から住んでいた先住民である。
 ブラーミンの広めたヒンドゥー教以前は、ダリットは仏教かジャイナ教だった。
 カーストはバラモンたちが作ったもので、不可触民たちから知識や知的能力を奪い取り、正しい判断力や価値観を根絶やしにした。バラモン階級は知識を独占した。
 知識を独占されると、こういう格差社会が出来上がるのだ。だから、教育はすべての人間に与えられなければいけない。

p104 侵略
 アーリヤ人は鉄製武器と騎馬を用いて一気にインドを侵略した。アーリア人が徐々に移動してきて土着したという研究もあるが、政治的圧力の気配がしてならない。
 完全にヨーロッパ系のアーリア人は侵略者で、その支配と差別政策がいまだにインドでは残っているのである。

p109 悟の不要
 ”不可触民の父”アンガードベルには悟りがない。本当に必要なのは、自由・平等・友愛だから。それなくして悟りなんてない。周りの人間の不幸を無視して一人だけ悟りを開くのは真実ではない。周りの人間の幸福を実現して悟りの境地を開くのが真実である。

p155 ヒンドゥー教
 アンガードベルの演説「ヒンドゥー教の神は人間から自由を奪い、バラモンに隷従することしか教えない。」
 
p188 女
 インドは男性優越社会の最大国である。女性は男性よりも地位が低く、不可触民の男性でもさらに差別する存在である。それ故におそろしいDVが絶えない。

p221 インドとイスラム
 インドはイスラム国家の石油資源が無ければ成り立たない。イスラム諸国もインドの安価で膨大な労働力が無ければ成り立たない。
 パキスタンの問題で両国は仲が悪いように思えるが、それは間違いで、両国家の宗教原理主義者が扇動しているだけである。

p231 ヒンドゥー教の定義
 ヒンドゥー教を定義できる者はいない。聖書のようなものがないからである。ただ、聖書がないから、バラモンが自分たちで解釈を独占して、良いように解釈を変えてきたからである。
 
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 内容はすごいが、話がまとまっていない感はすごいある。その点は減点だと思う。

 インドを語るうえでやっぱり大事なのは、カーストだよね。

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2014年12月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

[ 内容 ]
今日まで続く、厳しい身分制度であるカースト制はなぜ三千年にもわたり保たれてきたのか―。
かくも長く、圧倒的多数の民衆が“奴隷化”されてきたのはなぜか―。
仏教発祥の地で仏教が抹殺されたのはなぜか―。
今、“歴史的真実”の扉が開かれ、塗り替えられようとしている。
大国・インドで何が起こっているのか。
現場からの迫真の書。

[ 目次 ]
第1章 この国の本当の主人公は誰か
第2章 目覚める人びと
第3章 インド史上最大の謎を解明する
第4章 仏教の白い花
第5章 インドは世界の有望な市場か?
第6章 インド史上初、不可触民出身の“女帝”州首相
第7章 暗黒時代の再来

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年04月07日

Posted by ブクログ

インドの人々の意識に抜きがたく残るカースト制と、その中で搾取されてきた指定カースト層の人々について個々人の例を取り上げて紹介した本。

こういう現状が存在していることを知る「入り口」としては良い本なのではないかと思うが、この問題について真剣に考えようとする上では「偏って」いるのは否めないかも。

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2009年10月04日

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