【感想・ネタバレ】「力の時代」を生き抜く 戦略的思考のレビュー

あらすじ

戦略は「毛沢東」と「孫子」に学べ!

ビジネス・交渉に使える! あなたの人生を切り拓くヒントにもなる!
――時間をあやつり、敵の認知を狂わせ、闘わずして勝つ――
戦略は、孫子、毛沢東、キッシンジャーに学べ!

高市早苗首相の台湾発言以来、中国はレアアース輸出規制などによって日本への報復を強め、じわじわと対日包囲網を狭めている。
そんな中国に、日本はどのように立ち向かえばよいのか?
中国共産党の恫喝に長年対峙してきた垂秀夫氏は、「戦略」の重要性を指摘する。
戦後の日本外交には「戦略」というものが存在しなかった。「善意の援助」をひたすら中国に貢ぎ、きっと日本によくしてくれるはずだという淡い期待を持ち、ことごとく裏切られた。
一方、中国は「弱者が強者に勝てる唯一の道は、時間を味方につけること」だという確信をもとに、戦略を組み立ててきた。
たとえば毛沢東は、国民党軍に追撃されて瀕死の中、「721指針」を共産党軍に発令する。
それは「1割の兵士は、国民党軍とともに日本軍と戦う。2割の兵士は、戦っているフリをする。そして残りの7割は温存し、日本軍を追い出した後の国民党軍との内戦に備える」というものだった。
日本軍と国民党軍を戦わせ、時間の経過とともに敵同士が疲弊してゆくのを横目に、漁夫の利を得ようという戦略だ。
孫子は「謀を伐つ」(智謀で勝つ)、「交を伐つ」(敵を分断する)を最上の戦略としたが、今の中国の戦略にもその思考は脈々と生きている。
一方、そんな中国を相手に難しい交渉を成し遂げたのが、キッシンジャー元国務長官だ。
リアリズムにもとづくキッシンジャーの外交戦略は、今も色あせない。

「弱者が強者に勝てる唯一の道は、時間を味方につけること」という戦略的思考は、外交だけでなく、さまざまなところに応用できる。
ビジネス・交渉、さらには人生を切り拓くヒントにも使える作品だ。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

p11 戦略とは本来、国家として何を目指し、どの時間軸で、どの手段を用いて実現するかを示す未来の設計図である

p14 戦争の対義語は平和でなく外交である

p16 同時の中国課長 浅井基文

p24 歴史は繰り返さないが韻を踏む

p29 戦略とhあ、国家として何を目指し、どういう時間軸で、どの手段を使い、いかに実現するかを、一貫性をもって設計し、運用することである

p39 日本は短期的な課題処理には優れているが、10年単位の時間感覚には弱い傾向がる
戦略とは本来、短期・中期・長期を貫く整合性を要求する

p47 だからこそ日本外交が求められているのは、善意でも調整能力でもない。必要なのは、国家としての一貫した長期戦略を持ち、それを運用し続ける力である

p53 1905 東京の大倉喜八郎邸で孫文を中心に中国同盟会が結成された
中国同盟会は孫文が中心の興中会(広東グループ)、黄興や宋教仁らの華興会、章炳麟、陶成章らの光復会などの革命派が大同団結
その誕生には日本の支援者たち(頭山満、内田良平、宮崎?天)などの強力なあバックアップなしには不可能だった

日本政府はこの関係を外交戦略に転換しようとはしなかった
日本政府はつねに正統政府との関係を最優先した(清朝、袁世凱政権)

p54 欧米列強は、一国の将来をきめるアクターは一つではないという現実を熟知していたため、中国政治を単一の主体として扱わず、多元的な勢力が存在することを前提に、それぞれと情報交換交渉をすすめていた

p69 視点を変えれば、日本が戦略的視野欠いたまま対中全面戦争へ突入したことが、蒋介石の共産党討伐を中断させ、結果として中国共産党の生存と拡大助けた

p70 辛亥革命時期に日本が示した単線外交、想像性の欠如、民間資産の不活用という構造的弱点が、その後20-30年の対中政策に連続して表れた

p73 日本が戦略的計算に基づき、報告書の枠組みを微修正しつつ受け入れていれば、満州の高度な自治と日本の特殊権益の国際的承認を確保しながら、戦線を収縮させる道も残されてたはずである。言い換えれば日本はここでもどこでロマルカを定める戦略的選択肢があっていたのである

p74 国際連盟は、制裁規定の存在を背景にこれ以上の軍事行動は容認しがたいと日本に自制を求めていたが、熱河侵攻はまさにその警告を踏みにじる行動であり、調停派の立場を弱体化させ、対日批判の声を一気に強める結果となた。調査団報告書が提案した妥協的枠組みは現実性を失い、日本は自ら妥協案を破棄した国とみなされ、連盟側は態度を硬化させた

p75 しばしば日本は孤立を選んだと語られるが、より正確には、熱河作戦によって自ら退路を断ち、制裁回避と面子の板挟みで他の選択肢を失ったというべきである。
日本は、妥協可能な出口が用意されていたにもかかわらず、その足元を自ら掘り崩してしまったのである

p76bここでも欠けていたのは、満州問題をどの範囲で収め、どこで引き下がるかという長期的な国家戦略であった。日本は、偶発事と既成事実に押し出される形で、国際協調の枠組みから滑り落ちていった

p77 塘沽協定は日本にとって連略的退却戦を引き、対外軍事行動の拡大を限定する最後の機会だった。しかし現実的には、塘沽協定は終点ではなく、次なる新たな膨張の足がかりとして解釈されたところに、日本の戦略文化の欠陥が凝縮されていた

p89 1980年代から2000年代初頭にかけて、日本は中国の近代化も最も包括的かつ持続的に支援した国であった。それにもかかわらず、日本はその支援を外交的影響力として利用することも、また経済的利益として十分に回収することもできなかった

p94 日本の支援は完璧な実務として評価されたが、戦略的外交資産としては十分に評価されなかった

p96 もともと中国経済の地ならしをしたのは主に日本企業だったにもかかわらず、制度設計の果実を得たのは米国系企業であったのである

p99 日本外交は、善意や強力の積み重ねが相手の認識を変え、関係の安定につながるとの期待に依拠してきた。中国が戦略をもって対日外交を行うのに対し、日本は戦略的善意で臨んできた。この非対称性こそが、日中関係が長期にわたり噛み合わなかった根本要因の一つである

p120 しかし、戦略とは本来、何をやめ、何に集中するかを選び取る作業であり、既存の枠組みを前提とせずに国家全体の利益を再定義する行為である。前例踏襲と法令遵守が自己目的化した瞬間に、創造的な戦略思考は強く抑圧されてしまう

p127 問題は何を行くかではなく、いつ、誰が、どの立場で、いかなる文脈において語るかである

本来、戦略とは主張の正しさや理念の純度だけで評価されるものではない。時期、主体、立場、文脈、そして相手がどう受け止めるかまでを含めて設計されて初めて、戦略と呼び得る。こうした感覚が欠けている限り、日本における戦略的思考が再構築されることは容易ではない

p143 浅井基文氏、谷内正太郎氏

p155 国家が戦略を描くためには、官と民の力を結集し、多層的に国際政治に関与する仕組みが不可欠である

p161 塘沽協定によって、日本軍は長城線まで退き、満州事変はいったん停戦の形を取ることになった

むしろ石原にとっては当然の帰結、すなわち満州以外には深煎りすべきではないという長期的合理性の表れであった

p162 軍部では拡大路線を主張する勢力が強かったが、石原以外には不拡大を主張する重要人物が存在した。当時参謀次長であった多田駿である 石原と同様に対ソ戦を主眼とし、中国との長期戦を避けるべきだという冷静な戦略眼をもっていた

p163 石原の不拡大論は、しばしば転身、反省と理解されがちだが、実際は違う。石原は一貫して、満州確保→中国本土回避→国力温存→最終戦争への備えという直線的なロジックに忠実だった。けっして平和主義者だったわけではなく、国家戦略の合理主義者であり、その意味で満州事変と不拡大論は矛盾ではなく同じ戦略論の裏表であった

p164
満州事変を短期的成功に導いた石原は、一躍英雄と持てはやされた。ここで本来評価されるべきだったのは、どこまで進みどこまで止まるかという戦略的限界線の設定だった。しかし実際に組織が学んだのは、若手参謀の果断な行動が国家をうごかすという表層だけであった。

p169
軍事よりも経済、対外的誇示よりも国力の内実、過剰な自立よりも賢明な分業。吉田は、日本を身の丈にあった国家として再建することこそが、国民を貧困から救い、将来の存在を保証する道であると確信していた


p203 孫子の特徴は、戦わずして勝つを最上とする点である。正面衝突ではなく、情報戦、心理戦、外交戦などを通じて相手の判断を誤らせ、主導権を握るやり方である

これは現代に置き換えれば、武力行使に至る前の政治・情報・法の戦いに当たる。今日の中国が三戦、すなわち興論戦、心理戦、法律戦といわれる手法を重視することにそのまま通じる

孫子は次のようにも教えている。最上策は、謀を伐つ(智力で勝つ)こと、次善策は交を伐つ(相手方の同盟を断つ)こと、その次が兵を伐つ(野戦で勝つ)こと、そして最下位は城を攻む(城攻め)である

p225 西洋のリアリズムは、国際政治は無政府状態にあり、国家は生存と安全保障を最優先するという冷徹な前提に立つ。その系譜は、トゥキディデス、マキャベリ、ホッブスといった古典を経て、近代ではモーゲンソー、ウォルツらに受け継がれてきた

p265 中国はイラン産原油の主要な受け手であると同時に、長期強調枠組みを通じで同国への関与を強めてきた。こうした中での米国の軍事行動は、単なるイラン問題への対応だけでなく、中東における中国の影響力拡大に対する牽制という側面をもつ

p268 戦略とは、最悪を想定し、備えを怠らないことである。起きないだろうと願うことは戦略でない。想定しないことこそが、国家にとって最大のリスクとなる
戦略とは善悪の基準でも、勇ましさでもない。

最悪を想定しつつ、最善を静かに準備する


p273 日本の失敗 3つのパターン
目的欠如の適応、主導権欠如の後追い、善意と戦略の近藤
ゲームのルールには忠実であるが、自ら主体的にゲームのルールを決めていくことは考えようとしなかった

p276 戦略とは賢さでも、強硬さでも、ましてや善悪でもない。国家として掲げた目標を実現するために、何を最優先し、限られた時間と資源をどこに分配するかを冷静に設計する知的作業である。国家が厳しい国債情景背生存し、国民の安全と経済的繁栄を確保するための、いわばメソドロジー(方法論)である

p277 西洋リアリズムであれ、中国の戦略文化であれ、そこに共通する前提は、国家は道徳や理念だけでは動かない、という認識である。現実の国債政治は、善意や正論だけでは動く世界でh内。自らの価値を否定されないためにも、価値を守り抜くてめの戦略が必要である。善意と戦略を混同した時、日本は選択肢をうしなってきた。この点を直視しない限り、いかなる制度改革も空回りに終わるだろう

p278 高坂正堯 国際政治を理解するための基本的な枠組みとして、力の体系、価値の体系、利益の体系という3つの体系を提示した

p301 日本には、すぐれた人材がいる。技術がある。国際的な信頼も、まだうしなわれてはいない。欠けているのは能力でなく、思考の順序である
善意の前に戦略を
同盟の前に国益を
行動の前に情報を
戦略を持つ国家とは、強硬な国家ではない。時間を味方につけ、選択肢を自らの手にとどめる国家である。日本はまだ間に合う。なぜならば、戦略とは新たな資源を必要とするものではになく、すでに持っている力と時間の使い方を変える営みだからである。本書が、そのための思考の起点となることを願ってやまない

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2026年08月23日

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