あらすじ
弘安三年(一二八〇)十一月、ひとりの貴族が馬に乗り、わずかな随伴者とともに東海道を京から鎌倉へと向かっていた――。中世の旅路は潮の干満など自然条件に大きく左右され、また、木曾三川の流路や遠州平野に広がる湖沼など東海道沿道の景色も、現在とはかなり異なっていた。本書は鎌倉時代の紀行文を題材に、最新の発掘調査の成果などを取り入れ、中世の旅人の眼に映った風景やそこに住む人々の営みを具体的に再現するものである。
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Posted by ブクログ
中世の東海道を中世に書かれた文献からルートや景観を再現していこうという内容です。こういう話は好物です。
室町時代の東海道は干潟を干潮時刻に合わせて突っ切ったり、川を浅くて流れの緩い場所を選んで突っ切ったりと中々ワイルドです。
あと江戸時代になって本格化する湿地の干拓が行われる前なので様々なところが干潟だったり湿地帯だったことが文献からも見えてくるというのが面白い。静岡県磐田まで太平洋から船で行けたとは驚きです。
ちょっと当時の地形を地理院地図のフォーマットで描いてみたいなどと思いました。
Posted by ブクログ
中世の東海道。近世とはまた違った風景。特に地形の観点から探る。
東海道53次。確立されたのは江戸時代。それまではまた異なる複数のルートが存在したという。
本書は中世の紀行文を基に当時のルートを再現する試み。
木曽川などの乱流地帯、淡水湖だったとの説が根強い浜名湖。近世でも難所であった天竜川、大井川、富士川は流路が一つでなく扇状地を複数の小河川だった事実など。
現代とも近世とも異なる沿線風景。歴史が専門の筆者。ことのほか地学が多い科学的な視点は新鮮でした。
Posted by ブクログ
昔の紀行文などの資料に基づき、中世の東海道の景観を復元していく。資料の記述について当時の潮汐時間や日の出時間を現代の技術で算出し資料の記述の必然性をあぶりだして行く。
なぜ、その時間にそこを通過しなければならなかったのか、なぜそこに泊まる必要が在ったのか
当時の東海道の状態も合わせて、納得させられる。
浜名湖が明応地震によって大きく姿を変え津波によってそれまでの東海道も大きく姿を変えた事が本書でのべられているが、
Posted by ブクログ
40年くらい前に新城常三氏が展開して以降、進んでいるとは決して言い難かった中世交通史の研究領域を広げていくのにいいキッカケになるんじゃないかなぁ、という感じの本。
鎌倉時代の貴族飛鳥井雅有の旅日記を元に木曾三川や浜名湖の変遷を地理学的にも判断しながら追っており、中世の東海道が近世以降に整備された人工的な道とは違い、自然環境にあわせて通り道や宿場ですら変わっており近世東海道交通史を研究していた私としても目からウロコの場面が多かった。
近世交通史を研究していて、制度的な事と絡めて考えたい人はそれがどれだけ大変なことだったのかと言うのを思い知るために読んでみてもいいかも。(笑)
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
弘安三年(一二八〇)十一月、ひとりの貴族が馬に乗り、わずかな随伴者とともに東海道を京から鎌倉へと向かっていた―。
中世の旅路は潮の干満など自然条件に大きく左右され、また、木曾三川の流路や遠州平野に広がる湖沼など東海道沿道の景色も、現在とはかなり異なっていた。
本書は鎌倉時代の紀行文を題材に、最新の発掘調査の成果などを取り入れ、中世の旅人の眼に映った風景やそこに住む人々の営みを具体的に再現するものである。
[ 目次 ]
序章 干潟をゆく―鳴海
第1章 旅立ち―京・近江
第2章 乱流地帯をゆく―美濃
第3章 湖畔にて―橋本
第4章 平野の風景―遠州平野・浮島が原
第5章 難所を越えて―天竜・大井・富士川、興津
第6章 中世の交通路と宿
終章 中世東海道の終焉
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