あらすじ
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原爆の放射線を浴びて不治の病となって床に伏す父親と、近い将来間違いなく孤児になるであろう2人の幼な子――。この3人が生きてゆく正しい道はどこにあるのか。
本書は父親が考えたこと、子供たちの小さい頃の言葉や行動でもう忘れたであろうこと、今は分からないだろうから後で読んでもらいたいことが書かれた、父親の「遺言」である。
その遺言を父親永井隆は、〈如己堂〉で書き上げた。教会の神父、信徒たちの厚志によって建てられた2畳1室の家には寝台が置かれ、2人の幼な子が畳1枚に並んで寝る姿を見ながら、絶えず感謝の祈りを捧げる父。
遊びから帰ってきた娘は、頬を父の頬につけて言う。「……お父さんのにおい」
死を予告された父が愛情を込めて残した遺訓は、時間と空間を越えて、人々の心を揺さぶる愛と真実の教えに結晶する。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
爆心地から700mの長崎医大で被爆した著者は、白血病を負いつつ戦後の6年を生きた。
原爆投下の直後、医師である彼は、重傷を負いつつも、猖獗きわまる被災者たちの救護活動に明け暮れた。
明くる10日、帰宅した彼は、廃墟となった台所跡に、骨片だけに変わり果てた妻を見つけ、埋葬する。
偶々、祖母宅へ行っていた二人の子ども、兄と妹は原爆を免れ無事だった。
敬虔なカトリシズムと、放射線物理療法の医師という二面を併せもつこの高貴な魂は、自身の死期迫りくるなかで、この世に残しゆく幼い兄妹の身をさまざまに案じつつも、揺るぎのない信仰に支えられ、あくまで沈着に父からの二人への遺言の書として、日々の思いを綴っている。
それは、精神の桎梏が激しさを増すほどに、かえって高みへと昇華していく運動を示し、なればこそ、幼な児たちへと綴られた言葉は、狂おしいほどの愛となって、読む者に伝わりくるのだ。
青空文庫で読んだ。
Posted by ブクログ
著者が科学者であるのに、宗教心が強く地動説に異を唱えていたりと、あれと思ってしまった。が、宗教で人が救われるのであれば、それも良いと思えたし、厚い宗教心があったからこそ永井隆という人が立派だったのだと思う。
普段何気なく生きている我々だが、宗教心を持ちあわせていなくても、"神のみ栄の為に"と行動すれば有意義に生きていけそうな気がする。
Posted by ブクログ
長崎旅行で知った永井隆。
旅行から戻り2カ月経って読んでみた。
医者が書いたから、どんな内容かと思えば
実に情熱的な内容だった。
どこか鼻につく「自分は特別な人間」という意識。
自分とは相容れないキリシタン思想、原発理想論。
正直、こういった考えとして賛同できるとかといえば
それは出来ない。ただ、この本は自分という存在が
消えてしまう前に子供たちに父親という自分を形として
遺そうという願いから書かれた本なのだ。それに自分が
どうこう言うものではないだろう。
子供らへ呼びかけるように書く。
それは将来の子供への呼びかけだ。
子供らとの思い出を綴る。
それは子供らをどんなに愛しているかを遺すためだ。
自分が死んだ後の子供を不安を記す。
それは子供らへの愛情とともに、周りの人々へ「子供達を
宜しくお願いします」と伝えた思いだ。
原爆で亡くなった著名な作家(医者)が何を残したか
そう思って手に取ったが、この本はそういうものでは
なかった。ただ長崎で暮らした子想いのキリシタンが
子供らに残した優しい遺書であった
Posted by ブクログ
長崎の医学博士 永井隆の随筆。子供へのメッセージ、人生の目的、科学と宗教に共通する目標、戦争孤児への支援のありかた、医者の仕事とは何か、科学者の役割とは何か を伝えた本
Posted by ブクログ
終戦70周年の夏に読んでみる。
著者はカトリック教徒の放射線専門家。長崎の原爆で妻を失い、自らも被曝。原爆症に苦しみながら、自分の死後に残される子供のことを思って書いた本だが、不思議と悲壮感はあまりない。子供たちへの愛情が伝わってくる。
Posted by ブクログ
カトリックの医者の被爆闘病記。戦後の浮浪児の話題など、世相がうかがい知れて興味深い。子を残して死んでゆく(母親は戦災死)父の悲哀がにじみ出ていて悲しいエッセー。