あらすじ
2025年度ノーベル文学賞を受賞したクラスナホルカイ・ラースローのデビュー作にして代表作。
ハンガリーのある寂れた農場で、住人たちはかつての村のリーダーが戻ってくるという知らせを受ける。彼らは居酒屋に集い、酔って踊ったり、牽制しあいながら男の帰還を待つ。ある人妻はこの来訪を不遇からの救いとみなし、ある男はこの英雄に疑いのまなざしを向ける。
泥濘に沈む村を舞台に、死んだはずの男の帰還が見捨てられた人々を狂乱の渦へと突き動かす。
永遠に続くかという雨の中、裏切りと救済、陰謀と悲劇が交錯する。
終わりのない強靭な文体が描く、絶望の果ての世界とは。
タル・ベーラ監督により7時間の叙事詩的映画に変容された、空前絶後の傑作。
2014年ベスト・トランスレイテッド・ブック・アワード、2015年マン・ブッカー国際賞受賞。
【書評の一部】
「終末的な恐怖の渦中で芸術の力を再確認させる」——ノーベル文学賞選考委員会
「現代ハンガリーの黙示録的な巨匠」—— スーザン・ソンタグ
「クラスナホルカイのビジョンの普遍性は、現代文学の小さな関心事をはるかに上回っている」——W・G・ゼーバルト
「その時、私は思ったのです。何かを書かねばならない。もっと深い層における「世界」そのものについて書かねばならないと」
——クラスナホルカイ・ラースロー(2012年8月24日、『ガーディアン』紙)
装丁:松本久木
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
停滞と絶望に慣れ、倦み、恐れ慄き、別れを告げんと足掻く。
救済と進展を諦め、嘲り、希い、我が物にせんと縋り付く。
内心では己を殊更に特別視し、他者を見下し切り捨てんとする醜い傲慢。
なけなしの金を刹那の慰めに使いきり、将来のことなど一顧だにせず。
悪魔の囁きと救済の手の区別がつかない——いや、実は両者は本質的に同じなのかもしれない。
現状から抜け出せると喜び勇んだものの、実際には何も変わらず堂々巡り——そして、本人は決して気付かない……。
2025年にノーベル文学賞を受賞したKrasznahorkai Lászlóのデビュー作。
暗澹な人生を這い回り続ける人々の、滑稽で愚鈍だが生々しいその描写に圧倒された。これはいつ、どこの誰にでも当てはまる——いや、いま読んでいるわたしのことではないか、と。
2026年どころか、わたしの生涯で一二を争うほどの傑作。作者、翻訳者、出版社——本作に関わった全ての人に感謝したい。
また、わたしは翻訳者が勧めるとおり2周した。たしかに「円環」だった。
Tarr Béla監督の映画版(1994)も有名。わたしも以前観たが、7時間超えの長大さには敵わず早々に寝入ってしまった。何がなんだか分からず終いの映画体験であったが、原作を読んだ今なら最後までいけるかも?
“ここを出たところで、容れ物が替わるだけ、罠のなかに捕らわれていることには何ら変わりないのだ”
(第2部第5章)
Posted by ブクログ
じめじめドロドロとした白黒世界。
タルベーラの「サタンタンゴ」で映像化された世界がここにある衝撃。(といっても映画7時間は耐え切れずウトウトしっぱなしだったが)
この貧しく寂しい、たぶんいやーな臭いのする小さな片田舎の中から出れず、物語がぐるぐると回り続けるのは何の因果だろうな。そりゃー、パーリンカばっかり飲むほかないわ(ちなみに本邦では飲めるところ少ないらしい)。
ノーベル賞とらなければ邦訳されなかったとするなら感謝しきり、「ヴェルクマイスターハーモニー」の原作も邦訳されるのかなあ、楽しみだ。
あとがき曰く、2度読まないと真価はわからないらしいので、もう一回読みますか。