感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
ー彼らが今もオウムに留まり続ける理由、そのメカニズムは、オウムの内ではなく、オウムの外、すなわち僕らの社会の中にある。
ー真実は一つしかないと、いつから僕たちは思い込むようになったのだろう。
オウム事件関係の死刑執行があってから、村上春樹のアンダーグラウンドを読んで、被害者の言い分は理解できるけど、加害者の言い分になんかしっくりこないところがあった。そこで止まってた時間を動かしてくれた出会いには本当に感謝。オウム側にはオウム側の考えがあって、そこからみたら、私の考えの方が理解しがたいのかも。
森達也に共感できるのは、ただ、純粋に、自分が納得できるような真実が欲しいということ。マスコミが捏造したのでもない、信徒が尊師を信仰しながら言ったのでもない、でも、どちらも、事実で真実を含むことは重々承知で、その上で自分が納得できる根拠のある「真実」が欲しい。傲慢な知的欲求が止まらない。
オウム側から見たら、世間はなんて残酷か。オウムの被害なんてないと感じているから、そう言えるのかもしれない。知れば知るほど、あの時代にオウム側に歩み寄れた森達也ってすげーなって思う。そして、なんであれ、麻原の精神鑑定が行われなかったこと。世間の評価、常識、制度、なにもかも今とは違っていたんだなぁと思う。でも、もし、今同じことが起こったら???時代は変わりゆくけど、人は変わったように見えるけど、根本的にはきっと何も変わってない。同じことが繰り返されて、きっと、平和なんていつまでも訪れないのだ。こういう社会だから、いっそ清算してしまおうなんて思想も、厭世的な私は場合によっちゃ支持するのかもしれない。何か信じるものがないと、人は不安定なのだ。絶対的な神がいて、思考停止できるなら、そんなに楽なことはないでしょう。
ー世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい
いろんな側面を見た作者がこう言ってくれるのは、せめてもの救い。考え続けたい。
Posted by ブクログ
私たちの中に確かにあるオウムへの「得体の知れない恐ろしさ」。
当時のマスコミはオウムのカルト的側面のみを強調し、オウムを「麻原彰晃」とほぼ同義で扱っていた。
信者だって一人ひとり異なる人格をもっているはずなのに「オウム」と一括りにされて画一的にしか報道されない。著者はその報道に感じる欠落感を求めてドキュメンタリーを撮り始める。
広報の荒木をピンホールとして「オウムの中から見た外の社会」を照射しようと試みるが、結局オウムについては「何もわからないことがわかりました」。
非常に示唆に富んだ題材であり、また個人的にこういった「人を信じ込ませてしまう」ものに興味を持っているので、大変面白かった。オウムだって政府だってマスメディアだって、根源的には同じものが流れていると思う。そのことを、著者は撮影を通して自身の立ち位置に戸惑いながら描き出してくれた。
ベルリンの映画祭で、「本当にドキュメンタリーなのか(台本なしの、リアルな日本なのか)」という観客の問いに対しての答えの中に以下のくだりがあった。
「ほとんどの日本人に共通するメンタリティがあります。共同体に帰属することで、思考や他者に対しての想像力を停止してしまうことです。その危険さを僕は描いたつもりです。」
今の日本の現状に照らしてみると空恐ろしくなる。