あらすじ
俳句の特性を明快に示した画期的な俳句の本質論「挨拶と滑稽」や「写生について」「子規と虚子」など、著者の代表的な俳論と俳句随筆を収録。初心者・ベテランを問わず、実作者が知りたい本質を率直に語る。
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Posted by ブクログ
俳句の研究書をAIに推薦してもらった数冊の中の1冊です。著者のことを存じ上げず、また、収録されている評論が1946年から1983年に出されたもので、古いという思い込みゆえに、半信半疑で読み始めたのですが、私にはインパクトがありました。俳句の成立当初をみながら、切れ字が如何に重要か。そして、俳句はダイアローグであることを説いています。
それゆえにということもあるのでしょうが、著者にとって、芭蕉が如何に巨大な存在か。沢山の箇所で芭蕉に言及がありますが、以下の文章がその最たるものでしょう。
「「物の見えたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」(あかさうし) この芭蕉の言葉が、俳人たちの何より忘れてならないことだ。発句の中に、この「物の見えたる光」が灯っているかどうか、それが一番大事なのだ。言いかえれば、そこに「いのち」が輝いているかどうか。その瞬間のおのれの「いのち」が、句の中に移されているかどうか。」
Posted by ブクログ
『山本健吉俳句読本』の第一巻として刊行された本を、再編集したものです。
著者は、俳諧が連歌にその源流をもっているということに着目して、談笑の場における諧謔精神を受け継ぎながらも、それを芸術的に昇華したところに、俳諧の本質を見ようとしています。そのうえで、ディアローグにおいて成り立つ芸術として俳諧をとらえなおし、その本質を「挨拶」や「滑稽」ということばによっていい表わそうとしています。
著者のこうした俳諧論は、桑原武夫の『第二芸術論』とひとまとめにされて、俳句に対する批判だと誤解されたことがあったと著者は回想していますが、他方で著者は「純粋俳句」ということばで、俳諧のあるべきすがたを積極的に語っています。俳句が連歌からの独立を果たすにあたって、表現上の独立性を獲得するために、「切れる」ことが重視されたと著者は論じています。そして、このような背景にもとづいて、切れ字の意義についての考察が展開されていきます。
こうした立場から、著者は芭蕉の俳諧のもつ芸術的価値について検討をおこない、とりわけ蕪村との比較を通じて、連歌という源流につながりつつもそこから独立している俳諧独自の芸術的精神が芭蕉の句において十全に示されていると主張しています。