あらすじ
戦史研究の第一人者が日米の世紀の決戦を描く
今、もっとも読みたい軍事史の第一人者、『独ソ戦』『天才作戦家マンシュタイン』の著者、大木毅による初の語り下ろし作品!
太平洋戦争のターニングポイントとなった「運命の海戦」をあらゆる角度から語り尽くす。
圧倒的に有利だった戦いで無残な敗北を喫したのはなぜか。
生き残った海軍士官たちによる周到な「隠蔽工作」によって「神話化」され、真実からほど遠いところで論じられてきたミッドウェイ海戦を、内外のさまざまな史料を駆使し、何がわかっていて、何がわかっていないのか、その研究の最前線を紹介する。
真珠湾攻撃の巨大な勝利によって、“勝利病”――驕りと慢心――に蝕まれた機動部隊司令部は、危機を示唆するあらゆる兆候を無視し、握りつぶしたまま戦場へと突入した。虎の子の四空母を失うという「すべてが失敗した」海戦は、いつの間にか人間の力を超えた「運命」によって負けたという話にすり替えられていった。
澤地久枝氏の孤軍奮闘によって明らかにされた「運命の五分間」の欺瞞も、海外の最新研究が明かした事実を交えて再検証。
「現代のマハン」と呼ばれる米海軍大学の名教授が「離心的(エキセントリック)」と批判する、目的が分散していく作戦構想の欠陥など、今、わかるミッドウェイ海戦のすべてがここにある!
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Posted by ブクログ
ミッドウェイ海戦(1942年6月)と言えば、アジア•太平洋戦争に於いて、日本が初戦の勝利から一気に敗戦に向かう転換点として、陸のガダルカナル(1942年8月)と並び称される戦いだ。日本側は真珠湾攻撃にも用いられた空母赤城をはじめとする4隻の空母(他に加賀、蒼龍、飛龍)を失い、300機近い戦闘機、3000名を超える人員を失った。その中には開戦以来、戦果を上げ続けた熟練のパイロットも含まれる。そして空母飛龍と命運を共にした帝国海軍きっての猛将である山口多聞を失う結果となった。開戦前の戦力比ではアメリカに空母数も搭載する飛行機数においても勝っていた日本であったが、結果的に見事なまでの負け戦となった理由としては様々な要因が挙げられる。一つに戦略の不一致としてミッドウェイ島の攻略とアメリカ空母撃退の優先順位のブレ。緊迫し刻一刻と戦況の変わる戦場に於いて、この戦略のブレは戦術のブレにつながり、運命の5分で有名な「兵装転換」に繋がる。加えて、その戦況を大きく左右する敵との位置関係や距離の把握の問題。不十分な体制での索敵活動や報告の不十分さが、戦場に欠かすことのできない先手を打つタイミングに遅れをもたらす。
現在の様々な研究の中では、前述した様な「運命の5分」は作為的な話というのが通説となっているものの、無駄な兵装転換があったことに違いない。戦闘後半になって唯一反撃を加えた山口多聞が、艦と命運を共にする必要は無かったのではとも言われるが、そうした戦略不備を生まれさせる日本の中央の意思疎通の不味さや、アメリカとの圧倒的な国力差を認識したその後の敗戦に向かう姿を憂いて、死を選択したのではないか、こんな意見もある。
主力空母をほぼ失った日本は、その後、太平洋での制空権・制海権を失い、徐々にアメリカの反撃により脆くも崩れ始める。陸の転換点と言われるガダルカナル島の戦いなども、ミッドウェイのすぐ後の話だ。海軍がこの敗戦状況を国民に正しく伝えなかったのも、その後の現実とはまるで異なる大本営発表に繋がっていく。太平洋戦争開戦前に、山本五十六が言ったとされる、半年や一年程は暴れてみせるという言葉が示す様に、わずか半年で息切れを起こし始めた日本。その後1945年8月の敗戦までよく持ち堪えたというしかないが、かけがえの無い国民の命と優秀な人材の多くを失った。そして沖縄戦の様な想像に絶する戦闘では中学生の年代に至る若い命も多く失われている。
ミッドウェイ海戦に関しては多くの書籍や映像が出ており、題材にした映画も多くつくられている。当時の戦闘に参加した人物が描く様な日本側視点、そして対するアメリカ側の視点など、様々な視点で見ていく事で、より広く深い知識を得られる。そこから新しい発見や気づきが生まれ、改めて平和の価値・尊さを噛み締めることもできる。毎年この時期(夏)になると書店に並び始める戦争関連の書籍。新たな斬新な発見はもうそろそろ(戦争経験した世代が鬼籍に入る中)見られなくなってきたものの、繰り返し心に深く刻む必要性を感じる。特にウクライナやガザ、イランなどの状況がニュース報道される度に、そこには人が人を殺すという人間の実態、事実と多くの罪のない命が失われている事を決して忘れてはならない。