あらすじ
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白秋、朔太郎、達治、静雄、順三郎の詩と詩学を、著者一流の方法と視点から読み解く。
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Posted by ブクログ
萩原朔太郎を中心にして、北原白秋、三好達治、伊東静雄、西脇順三郎といった近代日本の詩人たちにかんする論考を収録しています。
白秋は、外界の対象を「見る」ことと、その奥にひそむ実相を「観る」ことを区別していました。著者は、ものの実相にせまることで内面の喜びも深められることを示した白秋の詩のゆたかさを認めつつも、ことばを乱用するきらいのある彼が、通りすぎていく情緒をただ受けとめるだけに終わり、朔太郎のようにそれを執拗に彫り込んでいくことはなかったと評しています。
こうして著者は、本書の中核となる萩原朔太郎論に移り、「愛憐詩篇」「浄罪詩篇」『月に吠える』『青猫』『氷島』とつづく彼があゆんだ道を順にたどっていきます。朔太郎は、病、憂鬱、虚無に落ち込み断絶をくり返し経験しながらも、溶解感覚ないし崩壊意識を見つめるなかから上昇志向ないし超越志向をつかみ出してきました。また、「日本への回帰」と評される晩年の境地にかんしても、著者は『氷島』における故郷への反発が受け継がれていることを指摘して、相反する二つの傾向にまたがって彼の詩が成立していると論じています。
三好達治は、こうした朔太郎の詩の継承者としての側面をもちつつも、どこまでもイデアを希求するよりも、平均的な情感に身をゆだねて、相反する二つの方向性を調和させることになったと著者は考えており、そこに彼の詩の親しみやすさの秘密を認めるとともに、その限界もあると指摘します。これに対して、イデアを希求する志向は、伊東静雄の詩に明瞭にうかがえることが論じられます。
また西脇順三郎についても、朔太郎の影響を受けていることがたしかめられたうえで、両者の相違についての考察が展開されています。朔太郎が地に沈み込みつつイデアの高みを見つめつづけたのに対し、西脇はそうした人間の矛盾を自覚しつつ、それを苦笑やおどけたしぐさとして表現していたと著者は述べています。