【感想・ネタバレ】スウィート・ヒアアフターのレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

Posted by ブクログ

どうしてあの災害を想いながらこんなに温かい作品が描けるのだろう、とあとがきを読みながら不思議でならない。
ただただ大好きな作品。

0
2020年12月01日

Posted by ブクログ

大切な人を失った悲しみを乗り越える様子をこんな風に書くことができるなんて。生きる輝き・美しさに満ちた本だった。

0
2014年11月20日

Posted by ブクログ

ゆっくりゆっくり読みました。
これからの人生、なにか 大変なことが起きたとしても
なんとか生きていけるのかも知れない…という
これ以上ないってくらい漠然とぼんやりしてるけど
確かな安心感みたいなものが、じわじわっときて
きっと大丈夫という穏やかな、心が静まるような気持ちになれました。

0
2013年08月21日

Posted by ブクログ

安心する文がたくさんあった。
自分の状態で見える世界が変わっているように見えたりするが、空とか海とか山とか空気とかの綺麗さが変化しているわけではないこと、見ようと思えばいつでもその綺麗さに触れられること、すごく良いことだと思う

0
2023年05月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

これぞ私の敬愛する吉本ばななの作品なんだよなあ。作品の中で、劇的な何かが起こるわけではない(今回珍しく恋人が亡くなるところから始まるというのはあるかも)。だけど、感情の動き方とか、物事の捉え方とか、日常的なやりとりとか、そういうものがすべて物凄く美しく、少しも悲しくないように表現されてる。悲しくないのに美しくて泣きたくなる。

最近自分自身のプライベートで、とても近い人の病気が分かったということもあって、この本で描かれてることに納得したというか、納得したいなと思った。

そしてあとがきでこの本を書かれたきっかけを知ってまた泣いてしまった。本当に、こういう出来事はすごく身近にあるということを、私たちは普段忘れて生きていたり、敢えて考えないように生きていて、それに向き合うのも向き合わないのも生きるということなんだよね。

0
2023年02月01日

Posted by ブクログ

あなたは、『幽霊』を見たことがあるでしょうか?

あっ!ウィンドウを閉じるのはちょっと待ってくださいね。あやしい話をしようというわけではありません(笑)。まあ、いきなり『幽霊』を見たことが…と言われても怪しむあなたの気持ちはよくわかります。はい、私も『幽霊』など見たことありませんし、”ツチノコ”も”UFO”も見たことがありません。これで、あなたと条件は同じですよね?(笑)

しかし、この世には古の時代から『幽霊』という存在が数多の書物に記されてもきたのも事実です。私は紫式部さんの「源氏物語」を読みました。今から1,200年も前の平安の世の物語ですが、そこには六条御息所という方の生霊が登場します。そんな物語を読むと1,200年の時を経ても、ぞくっとさせられる瞬間があります。『幽霊』という存在は現代の世でも小説、映画、そしてお化け屋敷(笑)にその存在を見ることができます。それぞれの場では、作者がその『幽霊』をどう扱おうとされているのか、その考え方次第で恐怖の存在になったり、不思議な存在になったり、そして涙を誘う存在になったりもします。『幽霊』にも多種多様な役割を演じる大変さがあるようです。

さて、ここに『窓辺にもたれて肩までのふわふわっとくせがある髪の毛をゆらして、にこにこしている』という『幽霊』が登場する物語があります。まさかの交通事故によって、『頭にケガしたせいか、私には事故後いつでもたえず変なものが見え』るようになったという一人の女性が主人公となるこの作品。そんな女性が『彼はいないけれど私は彼の仕事をしている、その充実感』の中に生きていく様を見るこの作品。そしてそれは、そんな女性が『人が死ぬってどういうことだろう』と思うその先に、大きな喪失感の中から前に進んでいこうとする人の再生を見る物語です。

『自分のお腹にぐさっと鉄の棒がささってるのを見たとき、ああ、こりゃどう考えてもだめだ、自分は死ぬんだと思った』のは、主人公の石山小夜子。『そのときまだ私は二十八歳で人生はまだまだほとんど永遠に続くような気分でいたのに、圧倒的なその光景は「死はいつもそこにある」』ことを突きつけました。『東京と京都に離れて遠距離恋愛をしていた恋人の洋一の運転している車に乗って、彼の住まい兼アトリエがあった上賀茂に帰宅する途中』だったというその事故。『居眠り運転』の『対向車をよけそこなって』川縁へと転がった車の中で、お腹にささった棒を目にした小夜子は、その棒が『彼が作品を創るために車に積んでいた鉄の棒』であることに気づきます。『洋一大丈夫かな、ふたりとも死ぬのかな、やっぱり車に鉄の棒を積むのはよくないよ』と思ったその時。『こうなっちゃったらしかたない。私はもう死んでもいいから、どうか洋一がぶじでありますように』と『反射的に静かにそして大いそぎで祈った』小夜子。そして、『よくある話だけれど、私はそのあとなんだか全部がつやつやした白いものに包まれた果てしなく美しい世界にしばらくいた』という小夜子は、『バイクの後ろに乗れ』と、『ハーレーの後ろを指差し』ながら、『死んだおじいちゃんが迎えにきた』のを見ます。『大好きだったおじいちゃんにまた会えるなんて』と思う小夜子に、『俗世でもっと修行してきなさい』と言うおじいちゃん。そんな『おじいちゃんが死んだ』『小学六年生だった』頃のことを思い出しながら、『おじいちゃんの背中にもたれているうちに』意識がなくなった小夜子は、『この世ではっと目を覚まし』ました。『あれ?おじいちゃんは?』と意識が戻って話す小夜子に両親は『ぞっと』します。それから『じょじょに私はよみがえっていった』という小夜子は、『三十になる頃にはふつうの生活ができるようになってい』ました。『洋一は即死だった』ことを知った小夜子は、『彼のご両親に頼まれて彼の遺した作品や彼の書いた本の管理を始め』ます。そんな中、『頭にケガしたせいか』『事故後いつでもたえず変なものが見』えるようになったことに気づいた小夜子。『幽霊を信じていなかったし』『興味があるわけでもなかった』という小夜子に見える妖しい存在たち。そんな存在を当たり前の日常に見る小夜子が、そんな経験の先にこの世に生き続けていく意味を見出していく物語が始まりました。

たくさんの人の姿がうっすらと描かれた表紙がどこか妖しい雰囲気を醸し出すこの作品。そんな表紙には、カタカナで「スウィート・ヒアアフター」と書名が書かれています。英語スペルは、”Sweet Hereafter”=”死後の世界”となるでしょうか。どこか独特な雰囲気感に包まれたそんな作品を二つの側面から見ていきたいと思います。

まず一つには、作品の舞台として『京都』が取り上げられているところです。かつてこの国の都が置かれた地でもある『京都』は、独特な雰囲気感を持つ地でもあります。そんな地を作品舞台とする作品は数多あり、私が読んできたものでも、七月隆文さん「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」、瀧羽麻子さん「左京区七夕通り東入ル」、そして綿矢りささん「手のひらの京」など名作、傑作揃いです。この作品でもメジャーなところ、通なところと『京都』の街並みが描かれていきます。そんな中から二つ抜き出してみます。まずは、通なところ。

『大田の小径を上れば、高いところからのすがすがしい景色が木々の間にゆったりと見えた。街は陽を受けて金色にきらめいて、雲の影が次々に流れていった』。

上賀茂神社近くの『大田の小径』、そんな『小径』が裏山に当たるという場所に洋一のアトリエがあったという設定で物語は書かれています。自然という側面で『京都』を見る描写です。そして次は、『大文字山に登』る場面です。

『送り火のときに火がつけられる床に座って、京都を一望…水をごくごく飲んで、私たちはじっと街を眺めた。あれが同志社の緑、あっちの山には法という字の火床、指差しながら金色の光にまみれる街が夕闇に沈んでいく直前の時間を味わう。風で汗が冷やされていった』。

『京都』の象徴の一つとも言える『大文字』の送り火、そんな火床へと上がって『京都』を一望するという印象的な場面は、瀧羽麻子さんの作品でも強いインパクトを作品に醸し出していましたが、この作品でもその感覚は同様です。

物語に独特な雰囲気感を出すための『京都』という舞台。しかし、この作品ではそんな『京都』を取り上げる意味が別にあります。それが、この作品のもう一つの側面にも繋がっていく部分です。それこそが、

『京都はところどころ夢の世界が混じっているみたいなところだった。彼岸に近い場所がいくつもひそんでいた』。

そんな言葉が意味するところにこの作品のもう一つの側面が見えてきます。“お腹に棒がささった状態から生還した小夜子は、幽霊が見えるようになってしまった…喪った恋人。元通りにならない頭と体。戻ってこない自分の魂。それでも、小夜子は生き続ける。涙あふれる書き下ろし小説”と内容紹介にうたわれるこの作品。上記した通り、まさしく死の淵から生還した主人公の小夜子が、『頭にケガしたせいか、私には事故後いつでもたえず変なものが見えていた』というまさかのファンタジー世界が描かれていきます。『幻覚なのか、私の頭がおかしいのか、わからなかった』という中に『変なもの』を見ていく小夜子。そんな存在を吉本さんはこんな風に描いていきます。

『今夜も私には見えていた。カウンターのいちばん向こうに座っている髪の毛の長い女がリズムをとって鼻歌を歌っているのが。でもそれがこの世の人ではないっていうことが』。

少しひんやりしたものも感じさせる表現ですが、さらに一行こんな表現が続きます。

『じっと見ていると女もじっと私を見つめた』。

思わず息を呑む表現ですが、不思議と怖いという印象は受けません。その後も『変なもの』を目撃し、まるで憑かれたようにそんな存在に近寄ってもいく小夜子の物語。そんな物語には、不思議なあたたかさを感じさせる雰囲気感が一貫して漂うのを感じます。それは、冒頭の『なんだか全部がつやつやした白いものに包まれた果てしなく美しい世界』でのおじいちゃんとの再会の描写の印象が大きいのだと思います。そして、全編に散りばめられた吉本さんらしい美しい表現の数々があるからだとも思います。そんな表現の数々は、小夜子が再生していく過程を描いてもいきます。そもそも『自分のお腹にぐさっと鉄の棒がささってるのを見たとき、ああ、こりゃどう考えてもだめだ、自分は死ぬんだと思った』という衝撃的なまでの冒頭の一文から始まるこの作品。主人公・小夜子は、そんな衝撃的な現実を前にして『私はもう死んでもいいから、どうか洋一がぶじでありますように』と『反射的に静かにそして大いそぎで祈』りました。しかし、その先に待っていたのは、『洋一は即死だった』という現実と、その現実を噛み締めながらこの世を生きていくことになった小夜子の運命です。そんな彼のことを思い、『運命は彼を、彼は運命を、双方が素直に受けとめあっていたのだろうか』と考える小夜子は、一方で『彼のいない今の空間の中に少しずつ自分がなじんでいくのがわかる。彼のいない人生にみんながうまくなじめないけれど、いないという今にはなじんでいる』と少しずつ洋一のいない人生を歩み出していきます。『人が死ぬってどういうことだろう。空を見ながらまた同じことをぼんやりと考える。もう会えなくなる。急にいなくなる、触れなくなる、体がなくなる…どれもしっくりとは来ない。自分はまだ生きているから』と、死ぬということに、生きるということに思いを馳せていく小夜子。物語は、そんな小夜子が、上記した不思議な体験の中に『私はこの世界にこんなに影響を与えている…こんなちっぽけな私がどういう気持ちでいるか、そんなことが世界を確かに動かすことなのだ』と、現実の世界を確かに生きていく小夜子の姿も描きながら、大きな喪失から魂が少しずつ、ほんの少しずつそれでも確かに救われていく、人が再生していく様が繊細に、丁寧に描いていきます。

そんな喪失から再生への物語に、作者の吉本さんは〈あとがき〉にこんなことを記されています。

“とてもとてもわかりにくいとは思いますが、この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです”。

2011年9月の日付が記されたその〈あとがき〉には衝撃を受けました。この作品が、2011年3月11日の”東日本大震災”を意識して書かれたというその事実。この作品全体から漂うなんとも茫洋とした雰囲気感、作品を包み込むなんとも言えないあたたかさ、そしてそこに描かれる恋人の死を乗り越えていこうとする主人公・小夜子の再生の物語。〈あとがき〉を読んでこの作品に込められた吉本さんの想いが伝わってきました。

バスの転落事故によって子供たちを失った親たちのその後の人生を描き、1998年にカンヌ国際映画祭グランプリを獲得した「Sweet Hereafter」と同名タイトルを冠するこの作品。そこには、そんな映画作品同様に、対向車との事故により転落した車の中で亡くなった恋人と、大きな傷を負いながらも生き残った主人公の小夜子のそれからの人生が描かれていました。吉本さんらしい美しい言葉の数々が全編に散りばめられたこの作品。まさかのファンタジー世界の描写が独特な雰囲気感を醸し出すこの作品。

“この小説はやはり命についての覚悟を描いたものだと思う”とおっしゃる吉本さんのあたたかい眼差しを感じる物語の中に、人の優しさに包まれる瞬間を感じる作品でした。

0
2022年12月28日

Posted by ブクログ


今日は日が暖かくて、窓を開けて布団に潜ると気持ちよくて、起きてるのか寝てるのかわからない意識をふわふわとさせるのにちょうど良い一日だった。
この作品もそういうちょうど良い気持ちよさがあった。
水彩絵の具が淡く滲んでいくような雰囲気。
希望とか絶望とかそんな極端なものはなく、何となく、がそこにあった
今日という日にぴったりで、今日という日のような作品だった。
読めて良かった。

0
2022年03月01日

Posted by ブクログ

『淡い人間関係』
毎日ちょっとずつ、気づかない程度に思いやりあっているだけでも、しっかりと信頼のお城ができること。

0
2022年02月01日

Posted by ブクログ

毎日ちょっとずつ思いやり合う、淡い人間関係。

そういうのが日常の中にあるだけで、生きていけたりするよね。

0
2021年03月14日

Posted by ブクログ

よしもとばななは甘くて明るい。上質な砂糖菓子みたいに、甘いんだけど、くどくない。
既読作品でも感じましたが、今作は特にそんなばななカラーを強く感じました。
薄明るいピンク色の世界に、キラキラ輝く金色の粒子が舞ってるような世界でした…。

のっけから不穏なセンテンスで物語は始まって、これは…重いやつや……と覚悟を持って読み進めたら、なんのなんの。失ったある人との記憶や温もりを糧に、軽やかに日々を過ごす主人公の姿が、ただただ眩しい。

大切な人を失った人間は、失うことの悲しみを知る人間は、その分優しく、強くなれる。
そうでありたい。
そうであってほしい。

そんな祈りのようなメッセージを優しく伝えてくれる物語でした。
大人のためのお伽話かもしれないな。

0
2020年02月14日

Posted by ブクログ

心情描写がメインの、ほんの短い期間の機微とか 世の中の理を描いたような本だった。
天国がこういう場所だったらいいなと思った。
小夜ちゃんのような姿勢で生きることができたら何が来ても大丈夫そうだなと思えた。
共感できる微妙な描写が多くあった。
心が静かな時に響くような癒しの本。

0
2019年09月22日

Posted by ブクログ

 突然の交通事故で最愛の婚約者を失った女性が、臨死体験から恢復し、周囲から見守られ周囲を見守りながら、「大切なひとを失った自分」を受け入れ、自らの生を肯定していく、というストーリー。

 作者お得意の「喪失→再生」もの。ここまで千篇一律に同じテーマを繰り返していること自体に敬服させられる。視点人物がこの世界の輝きと人間のあたたかさを改めて見出していく様子を描く表現はほとんど職人芸的で、掛け値なしで「うまいな」と思わせられる。欠落を抱えた人物どうしが出会い、スピリチュアルなものも含めて交歓を経て、互いが互いをケアしあっている様子をさりげなく描き取っていくさまもさすがの筆づかいである。
 
 問題は、これが東日本大震災の被災者を意識して書かれている、という新しい言葉をどう受け止めるかだろう。作者は何ひとつ新しいことはしていない、というのは簡単だが、「3・11」という出来事は、作者にどんな課題意識をもたらし、どんな種類のモチベーションをもたらしたのか。作者自身の発言とあわせ、慎重に吟味する必要があるのだろう。

0
2019年07月08日

Posted by ブクログ

生きることって簡単じゃない。
生きることって当たり前じゃない。必然じゃない。

この世に生まれることだけは、
人間の唯一の偶然だと思ってる。

簡単じゃない。当たり前じゃない。必然じゃない。

忘れないように。

0
2017年05月02日

Posted by ブクログ

かなり好きな一冊。

生きるということ、死んでしまうということ、死んだあとのこと、しみじみと考え、感じさせられました。目に見えないものって大切だなあ。

0
2016年08月02日

Posted by ブクログ

よしもとばななのスウィート・ヒアアフターを読みました。

婚約者洋一とドライブ中に交通事故に遭って瀕死の重傷を負ってしまった小夜子。
おなかに鉄の棒が刺さってしまった小夜子は死の淵をさまよいましたが、病院で意識を取り戻します。
しかし、婚約者の洋一は事故で亡くなってしまっていたのです。

小夜子は生死の間をさまよっていた間に霊の存在を見ることができるようになっていたのでした。
亡くなってしまった人への思い、そして死者と生者の境がやさしく語られています。

0
2016年06月09日

Posted by ブクログ

小泉今日子さんがテレビで紹介されていて気になり読みました。
彼女と周りの人の繋がりがとてもあたたかい。きっとその繋がりは彼女がつくったものでもあるし、彼が置いていった、遺品のようなものでもあるんだろうな。振り返って彼を思い出しても、何となく前に進んでいるような彼女。

0
2015年12月13日

Posted by ブクログ

人が死ぬってどういうことだろう。
残されたものは、どうやって生きて行けばいいのだろう。
失うものがあまりにも大きすぎて、ただぼんやりと、でも確実にゆっくりと歩んでいく小夜子。
失っても消えない光のようなものを教えてくれる。
ばななさんの言葉が、悲しみを優しく包み隠してくれる。

0
2015年11月23日

Posted by ブクログ

友達との待ち時間が長くなりそうだったので本屋で(再)購入。 ところどころ琴線に触れる言葉が散りばめられているところが著者の魅力なので、ストーリーはあまり気にせず読みます。 なので、再読だったけど新鮮な読後感でした。 「ハゴロモ」に似ていて、大好きだった人を失った主人公の心がズシンと胸に響いた。 みんな、悲しいほどにいろんなことを背負って生きているんだ、ということを優しい言葉で教えてくれる。

0
2015年08月30日

Posted by ブクログ

交通事故に遭い死の淵から生還した小夜子だったが、恋人は喪ってしまった。体は大きく損傷し、魂もすり減った。私が死んでいたらよかったのに……しかも事故の後遺症で幽霊が見えるようになってしまった。そんな小夜子はある日、アパートでずっと微笑んでいる女性の幽霊を見かけ―ー京都を舞台に、日常の中で命の輝きを見出し、ゆっくりしかし確実に再生の道をたどる物語。

前に借りようと思ったけどなかったもの(代わりにどんぐり姉妹読んだ)冒頭がいきなりショッキングな書き出しだったのでなんかサスペンスなにおい! と思ったけど全然そんなことはなく。何を期待していたんだ。
京都が舞台だった。ここんとこ、というかばななさんの作品はだいたい海外が舞台になるのが多いのでそれとは正反対な感じがすごく意外で新鮮。ばななさんは京都さえモノにしているのか……などと思う。京都に住んでたらいろいろわかるんだろうなあという書き方。京都久々に観光したくなってきた。
世界には全部ある。生きていることも死んでいることも。そういう考え方はおおらかですごくいいな。ただ自分はひねくれ者で年を重ねるにつれてますます度量が狭くなっているので、こんな風にさっぱり考えられない私は何だ、とか私は親からねたみぐせをもらっているけど……とかいろいろ考えてしまった。今は余裕がないからついこういう考えをしてしまうんだな…… だったらあんたも小夜みたいに臨死すればいいんじゃ、って、そういうわけじゃないけど
生き残った人が死んだ人を思い出す時、その人の一番いいところを思い出してくれる。それはとてもいいことだ……ああ、なんかすごく救われた気持ち。そうだよね。私も死んでしまったらそう思う。悲しむばっかりじゃなくて、笑ってるところとか思い出してほしい。ここにすごくグッときました。あと、洋一の家族にとって小夜子が既に家族になってて、たとえ別の人と結婚して子供が生まれてもずっと仲良しでいようっていうのもじんわりときます。

0
2015年05月10日

Posted by ブクログ

あとがきに書かれているように3・11で亡くなった人たちからも、感謝のメール(?)が届いていると思う。

0
2015年02月05日

Posted by ブクログ

読み終えてあとがきを見てわかったのだけど、これは3.11の震災のことを思って書かれた小説なのだそうです。
よく「死と隣り合わせ」と言うけれど、そうじゃない状態で生きている人なんてこの世の中にはひとりもいないと思う。
事故にあって1時間後に死ぬかもしれない、急病で明日死ぬかもしれない、だけどそのときはそんなことを少しも考えずに生きている。
みんな同じ条件で生きていて、特別な人間がいるわけではないと思う。

この小説は、冒頭で大切な人をなくした主人公が、自分も死の淵から生還したあと、半分生きていて半分死んでいるような人間に生まれ変わって、少しずつ自分を取り戻して再生していく物語。
でも、それを経験した前の状態には絶対に戻れない。
失ったもの、新しく得たもの、自分を見つめなおした結果。新しい自分として歩いていく決意。

大事な人を失って、そこから再生していく過程やスピードって人それぞれ違うけれど、自分のことを思い返すと自分のことが愛おしくなる。
もがいて苦しんで、だけど自分はきちんと生きるんだって思いを強くしたりして。
そういうのって過ぎ去ったあとに輝いて見えるものなのかもしれない。そのときは苦しい気持ちのほうが圧倒的に強いから。

物語の中に、「もしも自分が恋人や伴侶よりも先に死んで、その相手が自分とは別の人と結婚して子どもをつくって…っていうのが空の上から全部見えてしまったら?」みたいな話が出てくるんだけど、自分だったらどう思うのか想像してみた。
たぶん嫉妬するし何で自分じゃないの?って悲しくなるしむかつくとも思うけど(笑)、ずっと鬱々と死んだ自分のことを思って泣かれるのはもっと辛いし、たまに思い出してもらえるくらいがいちばん綺麗なのかもしれない。
想像でしかないけど。
死んだあと何も見えないのなら、ただただ幸せになってねと思えるんだろうから、やはり人間はエゴイストなんだろうな。(私がそうなだけか?笑)

沖縄のユタ、青森のイタコ。
幽霊を信じるか?信じないか?
それも人それぞれだろうし、証明する方法もないけれど、そういう世界の中で生きている人にとっては、真実なのだろうと思う。

0
2014年12月24日

Posted by ブクログ

心が洗われるお話。純粋で好きです。生きることについて考えさせられますが、さらりと読めてしまう。すっと心に沁み込む希望の光のような作品。

0
2014年04月19日

Posted by ブクログ

311の、後を書いた本なのだという奥付を見て、ぐっと胸を締め付けられる。
喪失を乗りこえなければならない、飲み下さなければならないという残酷さ。
その先にしか、見えないもの。

0
2014年01月11日

Posted by ブクログ

交通事故で、小夜子は恋人を失い、生死の境をさまよう。生還したものの、それまでとは違う感触のなかで生きていく。

0
2023年02月01日

Posted by ブクログ

요시모토 바나나의 작품에서 느껴지는 편안함이 있다.
잔혹하고 슬픈 상황 속에서도 감정의 격해짐 속에서도 모든 것들 속에 차분함이 스며 들어 있다.
그러면서 작가는 위로한다. 그런일도 있었구나라며 공감하고 가만히 둔다.
이번 작품 또한 그렇다.
남자친구와 여행을 가는 차안에서 교통사고가 나게되어 남자친구는 그 자리에서 죽고 혼자만 살아남게 된다.
남자친구 없이 혼자만 살아 남게되었다는 좌절감과 슬픔, 분노가 다양한 사람들을 만나가면서 사라져간다. 녹지 않을 것 같은 한겨울의 눈이 차츰 녹아 들고 서서히 봄이 오듯 아물지 않을 것 같은 상처에 새살이 돋는다.

0
2021年12月04日

Posted by ブクログ

主人公はとにかく前向きというか、悲しいはずなんだけど全然可哀想な感じではなくとにかく行動できる人でした。
読みやすかったです。

0
2020年07月05日

Posted by ブクログ

ぶつくさ言いながらも、ばなな作品を読んじゃう。傷ついた者の再生話であることにブレはないんだけど、スナックちどりと比べてリアリティがあって、スムーズに感情移入出来た。

0
2016年09月09日

Posted by ブクログ

大切な人が死ぬというのはどういうことなのか。彼を失った彼女の生活を美しいと思ってしまった私がいるのだが私は彼女のようにいられるんだろうか。よしもとばななの優しく包み込む空気感が素敵。

0
2015年08月31日

Posted by ブクログ

早かった。
というかまだ私が読むべき本ではなかった。
私はまだこの本を本当の意味で読めないほど、
荷物も軽いし業も浅いのだな、と。思わされた。

それでも言葉が美しすぎて、
この詩のように凛とした眩しい文章に目を奪われ続けていた。
どのページにも信じられないほど貴く清い光にあふれた言葉がある。
光ある方へ生きていこうと思わせてくれる。

0
2014年07月26日

Posted by ブクログ

久しぶりに読んだよしもとばななは、言葉が寄り添うように馴染む感じが懐かしかった。「まぼろしハワイ」「もしもし下北沢」もそのうち読みたぃ。共に幻冬舎文庫

0
2014年02月16日

「小説」ランキング