【感想・ネタバレ】いねむり先生のレビュー

あらすじ

最愛の妻である女優と死別し、ボクは酒とギャンブルに溺れる日々にあった。そんな折、友人のKさんが、初めて人を逢わせたいと言った。とてもチャーミングな人で、ギャンブルの神様として有名な作家、色川武大(阿佐田哲也)その人だった。先生に誘われ、旅打ちに一緒に出かけるようになる。先生の不思議な温もりに包まれるうち、絶望の淵から抜け出す糸口を見出していく。自伝的長編小説の最高峰。

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自分は、自分の頭がこわれているという実感を大事にしている。


まず、私には"いねむり先生"に似た師が存在する。

登場するサブロー君視点で物語を読み進めて行くのだが、妙に納得してしまう箇所が多々ある。
「こうも狂人は似るのか?」と驚く反面、もし私がサブロー君なら違ったアプローチをするとさえ感じた。
一つの物語を違った解釈で幾重からも読み解ける今作は秀作と言っても過言ではない。

この物語が内包する"人間の危なさ"みたいなものに憧れつつ、到底辿り着けない雀聖たちとの出会いは特別であり、羨ましい。

そんな人物が身近に"たまたま"いるが、それはとても頭を悩ませる事であり幸運な事だと常日頃から感じる。

素晴らしい作品である。

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2024年09月26日

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本書の題名の「いねむり先生」とは、色川武大(阿佐田哲也)のことである。妻である夏目雅子を亡くした主人公である伊集院静は、自暴自棄的な生活を送っていた。その時に知人から紹介されたのが、「いねむり先生」である色川武大だ。先生との付き合いを通じて、伊集院静立ち直ってゆく。
小説は、伊集院静が妻を亡くして2年後くらいから始まり、色川武大が亡くなって1年後に終わる。夏目雅子がなくなったのは1985年のことなので、小説の始まりは1987年頃のことであり、日本がバブル景気に向かおうとしていた時代だ。色川武大が亡くなったのは、1989年のことなので小説の終わりは1990年のこと。バブルの絶頂期のことである。伊集院静は1950年生まれなので、小説は、伊集院静が37歳から40歳までのこと。本書中に暗示されているが、この後、伊集院静は小説を書くことを再開し、現在のような高い評価を受ける小説家となる。また、この小説は小説すばるの2009年8月号から2011年1月号まで連載され、単行本として発行されたのが2011年4月のことであり、それは、色川武大が亡くなってから、20年以上の時を経てのことであった。
文庫本で400ページを超える、比較的長い小説である。多くの人に慕われ、好かれた色川武大について、また、色川武大の影響を受けて、伊集院静が少しずつまともになっていく様が書かれている。伊集院静が色川武大のことが好きであり、また、大きな感謝の気持ちを持っていることが400ページを使って表されている。

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2021年12月19日

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とても楽しい(苦しい)時間の記録。
最後はそうだろうねえ。
陳健民さんが歩いてきてもそう思うでしょう。

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2016年03月17日

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ネタバレ

 伊集院静の自伝的小説。
 妻(夏目雅子)が壮絶な闘病の末亡くなり、その後アルコールやギャンブルに溺れ、心身ともに病み、2年も働かずに放浪している主人公サブロー。彼を心配したKさん(黒鉄ヒロシ)に「会って欲しい人がいる」と言われ、酒場で眠りこけている『先生(阿佐田哲也・色川武大)』に出会う。
 ナルコレプシー(すぐ眠ってしまう病気)でどこでも突発的に寝こけてしまう先生。だらしなくて、大食漢で、ギャンブルに目がなくて。それでいて驚くべき記憶力を持ち、人に麻雀をさせている横で原稿を仕上げる。自分のことは大事にしないくせに、弱い人間にはどこかやさしい。先生の周囲にはどこからかそんな人間が寄ってきて、自分のそばに少しでも長くいて欲しいと願う。その現実離れした憎めない存在は、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」での太っちょのオバサマのような、どこか神がかった愛すべき存在なのである。
 主人公サブローと先生は、恐らくドラッグのフラッシュバックも関与しているであろう「発作(幻覚・幻聴)」に悩まされている。先生との「旅打ち(ギャンブル旅行)」で精神の安定を保っていたかのようなサブローも、たびさきでの映画館のポスターで妻の笑顔を見てから、その均衡が崩れる。
 世間ではそれこそ神格化している、彼女の早過ぎる死。私も父親を亡くしてわかったことだが、愛する存在が消えたとき、その悲しみは何度でも唐突に甦り、何も手につかなくなってしまう。その時期をやり過ごすため静かに喪に服し、亡くなったことから目を背けようとしても、彼(伊集院静)はマスコミや興味本位のデバガメにに追い回され、何度もその現実を眼前に突き付けられたことだろう。
 はじめは先生の面倒をみている主人公は、いつしか先生に心配される存在になっている。同じ作家として、小説を書かなくなった彼を憂い、どうして書かないのかと気にかけてくれる。弥彦(日本で唯一の村営開催による競輪場がある新潟県の村)に旅打ちに行った際、先生と主人公は妻子を事故でなくした男と酒を酌み交わす。そのうちに男が持っていたドラッグを、先生と男が飲んでしまう。薬が効いてきた男が、妻子の名を叫びながら棚田の中に入っていく。その彼を宥め止めようと泥まみれになる先生の姿に、主人公を発作から掬い上げようとする先生の姿が重なる。
 私自身はギャンブルが苦手で、自分には才も運もないと思っているので単純なゲームですらのめり込めない。酒に弱い生前の父が「酒を飲めない者は飲める・飲みたい人の気持ちがわからない。だから宴席などでもてなす際には人の気持ちを汲め」と言っていたが、ギャンブルもそういうものなのだろう。そういうわけで私は子供にゲームをさせるのもあまり好きではないが、この本での先生の考えになるほどと思った。日本全国で同じような時間に子供たちがゲームをしていて、屋根をはぐって俯瞰してみると、ひとりではなく皆でゲームをしているのと同じだ、というのである。先生はギャンブルにそのつながりのようなものも求めているのでは、と思えた。
 人間は弱い。そんな弱い人間同士だから救われることがある。私も父が死んで2年目に入るが、つらいとき、先生の丸い手が「大丈夫だよ」と私の前にも現れてくれないかなあ、などと埒もないことを思う。

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2015年09月20日

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“サブローくん”の“先生”に対する愛情のフィルターが心地よくて、読んでいると暖かい春の日にそよ風が吹いているような感じを覚えます。
阿佐田哲也氏の本をまた読み返したくもなりますが、心地よさが懐かしくなってまたこの本に帰ってきそうな気も。汐湯の後、ベンチで居眠りしている「あんな風な先生」の方が私も好きです。

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2015年02月03日

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僕はギャンブルをやりません。すごく弱いんですよ。パチンコも麻雀も、少しやってみたのですがビギナーズラックすらなくて、まったく勝てる気がしないんで、ハマらずに済んでいます。

で、博打打ちの話にはどこか憧れを抱いてしまうのです。自分にはないスケールの大きさとか大胆さとか。なんか自分がつまらない人間のような気持ちにもなるんですけどね。

妻を亡くした「ボク」は精神を病み、アルコールとギャンブルに溺れ、小説を書くのも辞めてしまいます。そんな時に出会った「先生」〜あの阿佐田哲也その人なんですが〜の魅力に惹かれていき、やがて二人で「旅打ち」と呼ばれる博打旅に出かけるようになります。その中で次第に明かされる「先生」の心の傷。同じ傷を抱えた二人はギャンブルの旅の中で癒しあっているような、哀しさとあたたかさがじんわりと伝わってきます。

久しぶりに、小説で心をぐっと掴まれた気がします。

僕の故郷の街の競輪場が出てくる場面もあり、そこの食堂の女将の一言が懐かしい尾張弁で。こういうの、ちょっと嬉しいですね。

読後感がとてもいい小説でした。

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2014年01月30日

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伊集院静 『いねむり先生』 (2011年4月・集英社 / 2013年8月)

サブローと先生。
この二人の距離感が素晴らしい。
互いに敬愛しあう二人ではあるが、べったりではない。
先生はサブローに手をさしのべるが、ずかずかと踏み込むわけではない。
二人はただ寄り添うのみである。
お互いに病や孤独、喪失を抱える二人の、流れるような2年間の物語。

同時にサブローの成長譚ともなってるのがなんとも心憎い。
「狂人日記」を読み小説家の道を諦めたサブローが、先生の死後わずか1年で「三年坂」を書き、「乳房」「海峡」「受け月」を書くことになるのだから。

当時の自分、そして先生との思い出と向き合うのに二十数年という時間を要したのも納得。

作中の先生の言葉が胸に沁みる。

『人は病気や事故で亡くなるんじゃないそうです。人は寿命で亡くなるそうです』

あのときからのサブローの作品はすべて、消えてしまった先生に向けて書かれたものなのかもしれない。

90点(100点満点)。

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2013年09月06日

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伊集院静の自伝的小説。伊集院静の自伝というよりは、むしろ色川武大の知られざる人間的な魅力を描いた小説というべきかも知れない。

サブローこと伊集院静は女優の妻・夏目雅子を亡くし、肉体的にも精神的にも落ち込んでいた。そんな時、Kこと黒鉄ヒロシの紹介でサブローは、先生こと色川武大と交流を深めることになる。先生との交流でサブローは少しづつ快復して行く過程が良い。

何ともデカダンスで、奇妙な病気に悩まされながらも遊びも仕事も徹底する先生、多くの人に慕われる先生が魅力的だ。何かを教える訳でもなく、遊ぶ姿を見せることで、サブローに生きることの意味をも教えてしまう先生。本当に魅力的だ。

この作品の評判は以前から耳にしていたのだが、なかなか手を出せずにいた。読んでみると自分が住んでいる街と所縁の深い色川武大のことを描いており、非常に驚いた。読もうと思ったのは最近、能條純一の漫画化された作品を読み、非常に興味を持ったからである。

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2013年10月27日

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妻を亡くして自暴自棄になっていた主人公が、「いねむり先生」に出会い、その人柄に触れていくとともに、少しずつ落ち着きを取り戻していくが、やがて先生の内にも深い悩みがあることに気づく。
妻である夏目雅子さんを亡くされた伊集院静さんが、色川武大さんとの交流を通じて、立ち直っていく姿を描いた自叙伝的作品。個人的に博奕の世界の描写はあまり好きではないので五つ星にはしなかったが、伊集院静さんの人生を垣間見つつ、深い余韻が残る良い作品でした。

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2025年06月16日

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なぎさホテルを久々に読み返し、物語の続きを読みたくなって。結婚間も無く妻を亡くし、失意の底で酒と博打に溺れるサブローくんに寄り添い、再び立ち上がるのを支えた先生。かつては雀聖と呼ばれ、いまは人気作家でもある先生との旅打ちを重なる中で、痛みを知る人の優しさにふれたことが、サブローくんの心を解いた。伊集院静さんの、人に寄り添う文章はこうした体験から生まれたのだと感じた。

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2025年01月19日

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伊集院静氏の昭和の温かさ、厳しさ、無秩序、秩序が人との関わりでじわりと沁みてくる。
ギャンブルの世界で名を馳せた人を私は知る由もなく、それでもただただいつの間にかいねむり先生の人柄に惹かれていった

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2024年05月10日

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昔から幅広い作家の本を分け隔てなく読んで来た自負があるが、中には確かに「この作家は特異だ」「コイツにだけは敵わない(まあ誰にも敵うはずもないのだが)」と、ある種「別格」の畏怖と云うか敬意を払う作家も居るには居る。
例えば椎名誠や中島らも、そして本書の著者・伊集院静が、その数少ない例となる。
敢えてその共通点を一言で云い表すなら;自分では真似の出来ない(真似したいとも思わない)想像を絶する原体験や実経験、もしくは超絶した感性や才能を有していると思われる人たちだ。
本書でも、読みながら随所にそれを痛感しながら、そしてその作者への畏怖・敬意を味わいながら、一気に面白く読み終えることが出来た。さすが伊集院静。
「先生」のモデルである色川武大/阿佐田哲也のことは風聞でのみ知るも、彼の著作は実はまだ一冊すら読んだことが無い。なのに、本書を読んで猛烈に興味が沸いた。同時に、彼もまた、伊集院静と同じく、ぼくにとっては畏怖・敬意を表すべきタイプの人物であるとの確信を得た。
「先生」と「ボク」の二人は、文字通り「同病相哀れむ」二人であり、突き抜けた才人同士にとっての「類は友を呼ぶ」関係であったことがしみじみ良くワカル。
その伊集院静も逝ってしまった。あの世でまた二人「旅打ち」していることだろう。
合掌。

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2024年04月22日

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「先生」の魅力とミステリアスさが詰まっています。

今も一流として輝いている人にも、浅草の場末のチンピラにも違う表情と同じ怖れのなさで対峙している「先生」はみんなに好かれています。

実物を見てみたかったなぁと私も魅了されました。

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2021年10月04日

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このタイトルは突然寝てしまう色川武大(阿佐田哲也)の持病であるナルコレプシーを指しているタイトルとのこと。 筆者の、雀聖と言われた博打うち阿佐田哲也への敬慕と愛溢れる作品。 勝負の世界に生きる人間の、あくまでも自然体でそれでいて見返りを求めない本当の優しさ、本当に豊かな人間関係とは何かということを考えさせてくれます。優しさというものは陽だまりの中で感じる柔らかなものだけではなく、人の涙、汗、血を拠り所に集う人々の中で生まれるものでもあるのだと気づかせてくれました。

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2019年10月28日

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80年代の色川武大と著者との交流を軸に書く自伝的小説。人付き合いにおいてとことんまで無防備な色川の姿が強烈。エピソードはほぼ事実だと思うけれど「書いてない」ことはあると思う。

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2016年05月01日

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ネタバレ

似た者同士なのか、否か。わからない。
でも、ボクの中に何かを見出していたのは確か。
結婚してすぐに病気で妻を亡くしたボク。酒と博打におぼれ見守るしかない人たち。その時には気が付けない、本当は優しい人たち。
その中で、引き合わせてもらった「先生」。
偉い先生であるはずの先生は、偉ぶることなくボクに接してくれる。旅打ちをすることで救われていく。
幻覚から救う場面は、お互い同じ悩みを持つものだけしかわからない話かと。どちらが偉いなんて、関係ないもの。

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2016年01月29日

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著者の自伝的小説。
最愛の人を亡くした「ボク」は、酒とギャンブルに溺れ、自暴自棄の日々を送っていた。
そんな中で出会った「先生」は、ギャンブルの神様と呼ばれる作家。
「先生」に誘われ一緒に「旅打ち」に出かけるようになる。そこで描かれる二人の友情が、とても切なくて優しくて、温かい。

奇妙・チャーミング・子供みたいな不思議な「先生」は、全てを寛容に受入れて認める愛深い人。
優しくて純粋な眼差しでそっと、絶望から抜け出せない「ボク」を包み込んでくれた。
「先生」との出会いで「ボク」は生きる気力を取り戻しはじめる。

言葉少なくとも存在する信頼関係と互いの想いやりが、行間からもにじみ出ている。
痛みをわかってくれる懐の深い情愛。じんわりと癒されます。

「先生」(色川武大/阿佐田哲也)の作品も読んでみたくなりました。

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2014年04月03日

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妻に若く先立たれ、アル中になった主人公がギャンブルの神様(いねむり先生)に会い、心の交流を持つことで、立ち直っていく話。

あまりこの著者の書は好きではないが、素晴らしいと思った一冊。

死と再生の物語だと感じる。
人生どんな所に落とし穴が待ち受けているが、分からないがまたひょんな事でも再生のきっかけになるし、助けてくれる人も表れるとも。

先生の言葉、慰めにならないこともない。「人は病気や事故で亡くなるんじゃないそうです。人は寿命で亡くなるそうです。」

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2013年12月04日

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身近な人の死による喪失感から立ち直るには、人との出会いが必要なんだということを教えてくれる小説です。読後に、いねむり先生のモデルとなった色川武大の映像をユーチューブなどでみて、確かに存在感のある人だと感じた。色川のエッセイを読んでみようとネットで注文してみた。

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2013年09月10日

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著者の代表作である。私小説である。いねむり先生の魅力が切々と描かれている。この先生に会うと、誰もがチャーミングと感じ、好きになる。実際に会ってみないと分からないかもしれない。著者も当時精神的な病にかかっており、先生も同様な病を抱えており、お互い引合うものがあったのだろう。いねむり先生の苦悩を描くとともに、著者自身の苦悩を描く。本書を執筆した時には、当然病を克服した後であり、その時になって初めて書けた小説なのであろう。苦しい日々であったろうが、反面先生と旅した昔を懐かしむような筆致である。

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2013年09月08日

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ネタバレ

この著者の魅力とは何だろう。
いねむり先生=阿佐田哲也のことを描いているのだが、阿佐田哲也はじめ、みな著者のことが好きで、常に気を掛けているのである。
阿佐田哲也も魅力的だが、著者も本当に魅力的な「大人の流儀」が備わった男だったんだろう。

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2025年01月05日

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は麻雀をしないので、高名な阿佐田哲也先生よりも先に色川武大先生にはまった。『麻雀放浪記』を読んだのは随分あとで、ゲームを知らなくても十二分に面白いことを知った。漱石を描いたミチクサ先生とは違い、伏せ字にしていても実在の人物を描いているから、随分と趣が違う。「女優」であった妻を亡くして間もない「作家」が苦しい時期に先生と出会い、闇の中に少しずつ光を見出していく様子が描かれている。

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2023年05月29日

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伊集院さんの本母もハマってるらしく買って読んだのを貸してくれるけど、なんとなく他の本でどういうタイプの人がわかってきた中でこの本を読むと、若い頃はこんな感じだったのか、と思った。


寝かしつけしながら何回も私も寝落ちしたけど(笑)実話に基づいた本だったのですね。他の方の感想を読ませてもらってわかりました。主人公は伊集院さんなのかなぁと思ってはいたけど、先生も実在されていた人だとは。

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2022年08月18日

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伊集院静さんの自叙伝的小説。
最愛の妻である夏目雅子さんが亡くなったあとの、お酒とギャンブルに溺れていた日々の中でKさんから紹介してもらった、いねむり先生 色川武大/阿佐田哲也 。チャーミングで深い影も持つ先生を尊敬し、一緒に過ごした時間と、別れまでを綴った小説。


先生の言葉
リズムですよ。正常なリズムで過ごしているから人間は普通に生きていられるんです。

先生の小説の文章
自分のどこかぎこわれている、と思い出したのはその頃からだ。漠然と感じる世間というものがその通りのものだとすれば自分は普通ではない。
他人もそうなのかどうかわからない。他人は他人で違う壊れかたをしているのか、いないのか、それもよくわならない。

自分は誰かとつながりたい。自分はそれこそ、人間に対する優しい感情を失いたくない。

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2016年10月11日

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友人が良かったよ、と貸してくれました。
伊集院静氏の本は一冊だけ、読んだことがあり優しい文章を書く人だなぁと思った記憶があります。この本も寂しいけれどもなんだか優しい本だと思いました。とは言えこの先生のことをよく知っている世代の方が面白く読めるんだろうな、とは思いました(11PMとか、番組名しか知らないし)。

主人公のサブローさんはけして悪い人ではないんだろうけど近くにいる肉親は大変そう。友人だったらまだ遠慮があるからなんとかなりそうですが近親者だったら大変だったろうなぁ…。そりゃあ新婚の妻を病気で亡くした無念や悲しみは想像出来ないものがあると思うけど前妻との間に子供が居る、というセリフがあってちょっとびっくりしました。そうか、突然の妻の死は乗り越えられないけど前妻と子供は既に自分の人生から切り捨ててるんだろうな、みたいな。
まあそういう選択をして行かなければヒトは前に進めないんでしょうがそれでも自分で決めて、選択できるのだから幸せな人なんだろうな、となんとなく思いました。

悲しみも苦しみも嘘じゃないんだろうけどそれはきっと個人的なものであって、誰かと分かち合ったり、慰め合ったりすることは出来ないんだろうな、とも。反対にそう言う生き方を選べる人が作家になれるのかな、とか。とにかく一言でいうとセンセイという人物に惚れこんだ、ということなんだろうなぁ… 

一冊まるまる先生への感謝状、もしくはファンレターのような小説だと思いました。

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2016年02月23日

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20140517 作家の再生の物語。感性が合うかどうかで肩透かしされた気になるかも知れない。静かだけど激動しているような感じ。

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2018年12月30日

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これほど人が人を敬愛することなんてあるんだろうか?というくらい深い絆を感じさせる作品だった。自分はなかなか年上の人を尊敬する気持ちになれない。素直に「ありがとう」と言えない。この作品を読んで、もっと人を好きならないと人生がつまらなくなる、と思えた。

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2014年03月12日

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打算的ではない男同士の友情物語っていいなぁと思いました。私には経験のない「賭けごと」を介して、気持ちが通じて悲しみがだんだんと癒されていくというところが新鮮でした。考えてみれば、お金の絡んだ勝ち負けの世界なのにそこで友情が成立するっていうのは不思議です。ただ私は、保守的なのでこの本を読みながら借金してまでそれをやる友達のことは止めなきゃ!と心の片隅で心配な気持ちになりながら読んでいました。自伝的小説で実在の人物たちがモデルのようですが、先生のモデル色川武大さんのことも著者のことも詳しくは知らないためかえって純粋に読めました。

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2013年10月24日

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今から約30年前、山口瞳の「草競馬流浪記」の中で益田競馬場の話に登場した色川武大は、その魁偉な容貌とナルコレプシイという奇病をもって、その本に登場する数多の人物の中でもひときわ異彩を放った存在であった。
私は麻雀はしないけれども、既に阿佐田哲也もまた名も馳せており、最後のレースで出目を読んで乾坤一擲の勝負を仕留めた件りは、流石にその名に恥じぬ登場っぷりと思わせた。

さて、この本、妻を亡くし荒んでいた時期にあった作者が、色川武大との出会いと繋がりを通じて再生していく物語。
伊集院静の文章は、実はスポニチの競輪競輪の予想でしか読んだことはなく、この本もある意味、色川と伊集院の旅打ちの話と読める。
旅の先々での些細な出来事と町の人々との出会いを語りながら、時にギャンブルの深淵を垣間見させる。
『なぜギャンブルをするのか。その問いに答はない。ギャンブルは、これをする人としない人がいるそれだけでしかない』とか『ギャンブルはマイナスの領域に身体の一部を入れている時期が圧倒的に多い』など。

あるいは世間の裏にある様々な恐ろしい世界に飄々と身を置くことができる色川武大の怖さの物語。
『針の先ほどの微小なものであれプラスの領域に身を置けると信じて、平然と打ち続けるのだ』とか『博奕が打てるならどこでも平気なんだ…』とか『要はそのリズムが狂わないようにするのが肝心です。私の場合は知らん振りを決め込みます』など。

ただ、随所にそれらしい雰囲気は感じるのだけど、全体を通じては私にはどっちつかずに読めて、文庫になるのをずっと待っていたのだけど、期待していたところからは多少外れた感じで、ちょっと残念。

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2013年09月23日

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ネタバレ

先生、Kさん、Iさん、ボクことサブローくんという名前で
小説には登場するけれども、色川武大さん、黒鉄ヒロシさん
井上陽水さん、そして伊集院静さんを想像しながら読む
途中、ちょっと出てくる落語家は立川談志さんなんだろうと想像
伊集院静さんは、色川武大さんのことを書きたかったんだな
ツラかった時に出会えた宝物なんだなと思った・・・な

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2013年09月08日

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