あらすじ
名画の前で自分の感性に自信が持てるようになる実践ガイド
「絵は好きだけど、どう見ればいいのか分からない」。
その戸惑いは、ロマン主義以降の “心で味わう鑑賞” と、現代アートの “意図を読み解く鑑賞” が同じ空間に並び立つ二重構造に理由がありました。本書はまず “見る喜び” に立ち返り、歴史の流れを踏まえて二つの鑑賞法をやさしくひもときます。次に、「経済的・社会的・本質的」という三つの価値軸でアートを整理。名画の前で自分の感性に自信が持てるようになる実践ガイドです。
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【目次】
第1章 人はなぜアートに惹かれるのか
ホモ・サピエンスだけが持っていた共感力が文化を作った
脳科学が解き明かす「美」を感じるしくみ
アートが教えてくれる、世界を深く味わう方法
アートがくれる、自分と向き合う時間
アート鑑賞がもたらすストレス軽減とリラクゼーション効果
アートが情操教育に不可欠と考える富裕層
ストーリーによって価値が上がったウォーホル作品
第2章 なぜアートをわかりにくいと感じる人が多いのか?
アートには二つの鑑賞法が存在する
宗教に縛られていた中世
ルネサンス──人間を取り戻す
バロック──光と闇の美術
啓蒙主義──理性を信じすぎた時代
新古典主義──理性の美学
ロマン主義──感情と想像力の爆発
ロマン主義に登場した芸術家像
ロマン主義から現代アートへ
写実主義──ロマンではなく現実を見る
写真とチューブ入り絵具の二大発明
印象派──光を描くという発明
ポスト印象派──内面表現への回帰
ゴッホ──気の天才というロマン主義的物語
芸術の都パリが花ひらく
キュビスム──一点透視図法の解体
抽象絵画の誕生──もう一つの20世紀の大革命
戦後美術の大転換──「アンチ・イリュージョン」が開いた新しい地平
グリーンバーグの理論 ──フォーマリズム(形式主義)
アクション・ペインティング──行為としての芸術
カラーフィールド・ペインティング──色彩としての芸術
ミニマル・アート──物体としての芸術
リキテンシュタインとジョーンズ──平面の自律を示した作家たち
ウォーホルとポップアート──市場と表面の時代
コンセプチュアル・アート──芸術=アイデアそのもの
アートの本質と市場価値のねじれ
アートが難しい理由──鑑賞法の二重構造
誰にでも開かれたアート鑑賞へ
「目で観る喜び」と「頭で考える喜び」について
「目で観て喜ぶ」系と「頭で考えて喜ぶ」系の違い
画家は職人か、それとも芸術家か
第3章 アートに宿る見えない価値
508億円? アートはなぜ高額になるのか?
アートの価値を増幅させる「物語」の力 ― 作品の来歴と作家の神話
アートはなぜ高額なのか?「所有」と「物語」が紡ぐ、もう一つの価値
見た目以上に重視される「背景」と「物語」
ストーリーと共感が作品を輝かせる
アートのコレクションに教養が必要な理由
第4章 アート所有の楽しみ
空間を変える、一枚の絵の力
毎日観るという体験の意味
美術館とは違う、私的空間で出会う感動と発見
自分と一緒に歳を重ねるアート作品
日本で絵は売れているのか?
第5章 資産としてのアート
アートと金融の交差点
資産ポートフォリオにアートを組み込む富裕層
価格が上がる作品の特徴とは
資産としておすすめの作品とは
アート作品はなぜ高額なのか
美術品は「課税対象」か「文化資産」か──公益財団法人を活用した相続対策
第6章 アートの買い方・選び方
アートの選び方には正解がないという自由
自分らしさの表現としてのコレクション
アート購入者は何が違うのか?
アートはお金だけでは買えない
アート購入の深層心理
アートとの出会い方
実際に始める、絵画の買い方・選び方
アートの値段はどうやって決まるのか
購入者にとってのプライマリーとセカンダリーの違い
失敗しないアートの買い方
信頼できる購入先の選び方
市場に出回る贋作に注意
多くの人が被害を受けた「贋作版画」事件
画商は贋作にどう対処しているか
美術商の覚悟──信頼と責任に基づく商いの哲学
税制面から見た「絵を飾る」メリット──法人の絵画購入費は経費に
第7章 これからの時代のアートの価値
台頭するAIアート
人間だけが持つ「問い」を立てる力
AI全盛の時代にこそ人間の手によるアートが見直される
おわりに
参考文献
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髙橋芳郎(たかはし・よしろう)
翠波画廊 代表。愛媛県生まれ。多摩美術大学彫刻科(現・彫刻学科)に進学、卒業後、現代美術の専門学校Bゼミにて現代アートを学ぶ。卒業後、都内の美術展覧会の企画運営会社に就職、1990年に独立、美術品販売会社「株式会社ブリュッケ」を創業。現在、東京・銀座と大阪・梅田に自社店舗「翠波画廊」を運営。創業以来35年の長きにわたり、ピカソ、マティス、藤田嗣治など近代絵画からウォーホル、キース・ヘリング、バンクシーなど現代アートまで絵画愛好家なら誰もが知っている巨匠の作品を数多く扱う。著書に『値段で読み解く魅惑のフランス近代絵画』(2017年)、『アートに学ぶ6つのビジネス法則』(2019年)、『画商が読み解く西洋アートのビジネス史』(2022年)がある。
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★再読
2026/09/19
フランスとかでは普通な感覚だけど、日本人で絵を買う発想がある人ってハイソサエティな人ってイメージ。森博嗣さんは初任給と同額のカシニョールの絵をローンで買ったっていうのかっこいいと思った。初任給その使い方する人見た事ない。
シュルレアリストの中でダリはハブられてたらしいけど、なんか分かる。それなのにシュルレアリスムと言えばダリみたいな世間のイメージがある気がする。ダリはシュルレアリスムにしては意味を与えすぎてる気がするんだよな。
多摩美卒業後に画廊を経営されてる方の本。美術史概要が上手くまとまっていて、美術史沢山読んでるけど、改めてその著者なりに言語化された美術史を読むと新しい発見がある。
ピカソに関してこの意見よく聞くけど、ピカソ作品を実際に実物見て、ナチュラルなクリエイターとして目を見張るものがあると思えない感覚はよく分からん。ものづくりしてる人でピカソを凄い人だと思わない人はいないんじゃないかな?そんな世界とは無縁な人には分からんかもしれないけど。
髙橋 芳郎
(たかはし よしろう、1961年 - )は、日本の画商。株式会社ブリュッケ代表取締役[1]。愛媛県出身。1983年に多摩美術大学彫刻科を卒業後、専門学校Bゼミに通い現代美術を学ぶ。1985年、美術展覧会の企画運営会社である株式会社アートライフに入社する。1988年にアートライフを退社して、独立美術商になる。1990年、株式会社ブリュッケを設立する。1996年、故郷の翠波峰から名前を取って、翠波画廊を銀座に開店(2001年に京橋に移転、2025年に再び銀座に移転)[2]。2023年2月、翠波画廊大阪支店をオープンした[3]。
「つまり、脳は美しいものを、生命の維持に不可欠な食事や愛情と同等の「ご褒美」として認識しているのです。芸術鑑賞が、ときに食事以上の満足感や幸福感をもたらすのは、このためかもしれません。 興味深いことに、この働きは文化や人種の違いを超えて普遍的に見られる現象です。どんな背景を持つ人でも、美しいものに触れたときには、共通して脳の報酬システムが作動するのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「 アートを鑑賞しているとき、私たちの脳は非常にユニークな働きをしています。 目の前の作品の色、形、筆のタッチ、そしてそこから醸し出される雰囲気に意識を集中させると、私たちは自然と「今、この瞬間」に没入していきます。 これは、過去の後悔や未来への不安といった雑念から解放される「マインドフルネス」の状態と非常によく似ています。 アートを鑑賞することでストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールの濃度が低下するという研究結果も報告されており、アートには科学的根拠のあるリラックス効果が期待できるとわかります。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「あるとき、私はその社長に「アート作品を買い始めたきっかけは何だったのですか?」と、お尋ねしたことがあります。すると社長は、少しも気負うことなく、こう話してくれました。「いやいや、そんなに深い意味はないですよ。物心ついたときから、家にはいつも絵がありましたし、父や祖父も気にいった美術品があれば買っていましたから、たしなみのようなものです。また父からは常々こういわれて育ちました。『本物や良いものに触れることは、人生を豊かにする。そして、それは心の教育にとって、この上なく大切なことだ。だからいい展覧会が開催されていれば必ず観に行きなさい』とね」 その社長にとって、アート作品とは特別なものではなく、生活の一部として当たり前に存在する風景だったのです。 その家に受け継がれる教えは明快でした。 それは、所有しているかどうかに関わらず、美術館でもどこでも、良いものに触れる機会があれば積極的に足を運び、とにかく「目を肥やしなさい」というものです。 幼い頃から日常的に本物のアートに触れ、その価値や美しさを肌で感じる──この経験の繰り返しが、豊かな感受性や美的センスを育む教育になると信じられていたのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「 ところがルネサンスでは、人間のなかに宿る創造力そのものが尊ばれるようになり、個々の才能が大きく花開いていきます。 そして後期ルネサンスには、ミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド・ダ・ヴィンチといった稀代の天才たちが登場しました。 彼らは神に与えられた秩序をなぞるだけでなく、人間の理性・感情・肉体美を極限まで探求し、芸術をかつてない高みに押し上げました。まさに「人間の可能性」が、神に匹敵するほどに讃えられた時代だったのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「18世紀末のフランス革命やナポレオン戦争は、ヨーロッパ社会を根底から揺さぶりました。「理性があれば社会はよくなる」という信念は、血なまぐさい現実の前で裏切られます。 理性だけでは説明できない人間の激情や恐怖が、否応なく表面化してきたのです。 啓蒙主義の思想は人間を解放した一方で、理性だけに依存する社会の危うさを露呈しました。 そこから、人間の本質は理性よりもむしろ「感情や想像力」にあるのではないか、という逆方向の思潮が強まっていったのです。 こうして 19世紀初頭に登場したのがロマン主義です。 ロマン主義は、 18世紀の啓蒙主義とフランス革命の余波という歴史的背景から生まれました。 啓蒙主義の思想は「人間は理性によって社会を進歩させることができる」と唱えましたが、革命の混乱や戦争の悲惨さを経験した人々は、理性万能の考えに疑問を抱くようになります。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「印象派の誕生を後押ししたものとして二つの技術革新があります。 一つが写真の発明です。 現実を正確に写す役割は写真が担うようになり、画家は「見たままを忠実に描く」という束縛から解放されました。 ところが同時に、写真の登場はとりわけ肖像画家にとって大きな脅威となりました。 これまで人々の姿を残すことは画家の重要な役割でしたが、その仕事は瞬時にして写真に取って代わられてしまったのです。 そのため画家たちは、自らの存在意義を問い直さざるをえませんでした。 肖像写真が「見たまま」を正確に写し取るのに対し、画家はその人の内面や魅力を強調し、より理想化された姿として描くことができる、単なる外見の複製ではなく「その人らしさ」をとらえる力こそが絵画の価値だと主張し、自らの立場を守ったのです。 それにより、彼らは写真には決して再現できないもの──光の揺らぎ、空気の透明感、時間の流れ、そして心の動き──をキャンバスに刻むことに挑戦し始めました。 こうして絵画は「写実」から解放され、新たな表現の可能性を切り拓いていくことになったのです。 写真の出現は絵画を危機に追い込むと同時に、逆説的に「芸術としての絵画」の独自性を開花させる契機ともなったのです。 もう一つの重要な発明が、鉛のチューブ入り絵具の普及です。 絵具が持ち運びやすくなったことで、画家たちはアトリエを飛び出し、戸外で自然光を浴びながら描くアン・プレヌ・エール(戸外制作)を可能にしました。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「戸外に出た印象派の画家にとって、真の主役は「対象」そのものではなく「光」でした。 リンゴは常に赤いわけではなく、朝は青みを帯び、夕暮れにはオレンジに輝く、物の色は不変の「固有色」ではなく、刻々と変化する光によって見えているにすぎないことを、彼らは直感したのです。 そして、この「光がもたらす瞬間の色彩」をいかにキャンバスに写し取るか。その答えとして生まれたのが筆触分割(色彩分割)でした。 純色のタッチを細かく並べ、観る者の目のなかで色を混ぜ合わせることで、移ろう光の効果をそのまま表現しようとしたのです。 影も黒ではなく青や紫で描かれ、画面全体が光に満ちました。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「ロマン主義が生んだ「芸術家 =天才」というイメージを、最も象徴的に体現した存在のひとりがゴッホです。 彼の作品は色彩と筆致の力強さによって、観る者の心を直接揺さぶる魅力を放っています。 絵そのものが圧倒的に素晴らしいのはいうまでもありませんが、ゴッホが「狂気の天才」として語り継がれるのは、作品だけの力ではありません。 彼は社会とうまく折り合いをつけられず、孤独や貧困に苦しみながらも、燃え上がる情熱に突き動かされるようにして絵を描き続けました。 その生涯は常に破滅と隣り合わせであり、最後は精神的な苦悩のなかで命を絶ちます。 この「苦悩と情熱の物語」こそ、多くの人々がゴッホに強く共感する理由です。 作品だけでなく、その背後にある壮絶な人生そのものが、まさにロマン主義的な芸術家像と重なっているのです。 私たちがゴッホを「狂気の天才」として評価するとき、そこにはロマン主義以来の「芸術家は天性のひらめきと苦悩を背負う存在だ」という物語が反映されています。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「また同じパリの空気のなかで、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックはキュビスムを生み出します。 19世紀後半の印象派が「光の移ろい」という視覚体験を描き出したことで、絵画は「目に映る世界をどう捉えるか」という方向へ進みました。 しかし 20世紀に入ると、画家たちはさらに一歩踏み込み、「世界は本当に目に見える通りに存在しているのか?」という根源的な問いを抱くようになります。 その探求の果てに生まれたキュビスムは、ルネサンス以来 500年続いた「一点透視図法」を根底から覆し、絵画を「観る芸術」から「考える芸術」へと転換させた歴史的革命だったのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「つまり、キュビスムは三つの革命を起こしたのです。 一つ目は、一点透視図法の崩壊です。絵画を「窓」から解放し、複数の視点を同時に描き出す新しい世界観を提示しました。 二つ目は、絵画の自立化です。絵画は「現実を模倣するもの」ではなく、平面上に構築された造形として自立した存在であることを宣言しました。 三つ目は、現代美術の出発点です。コラージュや抽象表現、構成主義、シュルレアリスムなど、 20世紀の前衛美術すべてに影響を与えました。 印象派が「視覚の革命」だったとすれば、キュビスムは「知覚と概念の革命」でした。 つまり、絵画は単に「観て楽しむもの」ではなく、「考えて理解するもの」へと変わり始めたのです。 この転換は、後の現代アートに大きな影響を与えました。 私たちが、ロマン主義的に「感情移入して共感する」鑑賞法ではうまく読み取れず、「現代アートはわかりにくい」と感じられるのも、まさにこの流れを引き継いでいるからです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「キュビスムをひらいたピカソは、しばしば「どこがいいのかわからない」といわれることがあります。 確かに、彼の作品は従来の美的感覚からは理解しづらいかもしれません。 けれどもピカソの偉大さは、その技巧や作風の多様さだけでなく、芸術の概念そのものを変えてしまった点にあります。 キュビスムを発明し、美術を「目に見えるものを描く」段階から「知覚や概念を表現する」段階へと導いた功績だけでも、美術史に消えることのない痕跡を刻んだ偉大な画家であることが理解できるのではないでしょうか。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「一方で、キュビスムの流れとは別に、まったく対象を持たない抽象絵画が誕生します。 その先駆けとなったのが、カンディンスキーです。彼は色彩や形を「音楽のように純粋な感情を表す手段」と考え、対象を描かずとも絵画は人の心を揺さぶることができると示しました。 同時期にモンドリアンは、縦横の直線と原色の組み合わせによって「宇宙的な秩序」を表そうとし、マレーヴィチは《黒の正方形》のように形を極限まで単純化することで「純粋な精神の象徴」を追求しました。 こうして絵画は「目に見えるものを描く」ことから完全に解放され、抽象という新たな地平を切り拓いたのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「この理論を最初に実践したのがジャクソン・ポロックでした。 彼はイーゼルを捨て、床に広げた巨大なキャンバスに絵具を滴らせ、飛び散らせ、身体全体を使って描きました。これはアクション・ペインティングと呼ばれます。 そこに表現されたのは、風景や人物ではなく、画家の身体の動きという「行為」そのもの、重力や流動といった「物質の作用」そのものでした。 画面には中心も奥行きもなく、全体が均質に構成されています。これはまさに、グリーンバーグの唱えたアンチ・イリュージョンを、絵具と身体で実践したものでした。 ポロックの作品は、従来の「観る喜び」ではなく、「行為を想像し、概念を考える喜び」へと鑑賞の軸を移しました。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「 同じ頃、もう一つの重要な流れが登場します。 それがアンディ・ウォーホルに代表されるポップアートでした。 ウォーホルは「ぼくについて知りたいなら表面だけを見ればいい。裏には何もない」と語り、芸術作品に「内面」や「精神性」を読み取ろうとする態度を否定しました。 彼がファクトリーでスクリーンプリントを用いて作品を大量生産したように、アートは唯一無二の手仕事ではなく、市場で流通する商品へと変貌します。 ここでも絵画は「イリュージョンを映す窓」ではなく、「大衆文化や消費社会の表面そのもの」を映す鏡となったのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「さらにもう一つ、多くの人がアートを「わからない」と感じる理由があります。 それは、アートの鑑賞法が二重構造になってしまっていることです。 ロマン主義以降の伝統では、作品を前にして自らの感情で受け止め、そこに心を投影して鑑賞する方法が基本でした。 一方、現代アートでは、作家が込めた意図やコンセプトを読み解くことが求められます。 ところが現代の美術館には、感情で味わうべきロマン主義的作品と、知的に解釈することを前提とした現代アートが、同じ空間に並んで展示されているのです。 見る側は、どの作品をどのように鑑賞すればよいのか戸惑い、結果として「アートは難しい」「よくわからない」という感覚を抱いてしまいます。 つまり、感情で味わう方法と、意図を読み解く方法という二つの鑑賞法が併存していること自体が、アート理解を複雑にしている大きな要因なのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「こうした問題意識は、美術批評や哲学の世界でも繰り返し指摘されています。 私は「目で観て心が動く」という直接的な体験こそ芸術の基礎であり、すべての鑑賞の出発点だと考えています。 そこからさらに作家の感情や意図を読み解くことで、より深い理解や共感へと広がっていくのです。 つまりアートの楽しみ方は、「感情を味わうこと」と「作り手の意図を考えること」という二重構造に加え、第一に「観ることの喜び」という根源的な体験が土台として存在します。 ロマン主義の偏った「感情移入的な鑑賞方法」も、現代アートの「作者の意図を読み解く鑑賞方法」も、それぞれに意味はありますが、極端に傾きすぎれば本来のアートの姿から遠ざかってしまいます。 大切なのは、まず作品を前にして「綺麗だな」「面白いな」「自分は好きだ」と素直に感じることです。 そのシンプルな心の動きこそがアート鑑賞の第一歩であり、そこから自然に理解や共感が深まっていくのです。 難しく構える必要はありません。肩の力を抜いて自由に作品に向き合えば、アートは決して難しいものではなく、誰にでも開かれた喜びの体験となるのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「 現代の画家がすべて「頭で考える喜び」系になったわけではありません。 何事もそうですが、 100%左とか、 100%右といった人は存在せず、左右の幅の広い中間地帯にグラデーションで多くの人が配置されています。 現代の画家の作品は「目で観て喜ぶ」系と「頭で考えて喜ぶ」系の混合になっていて、鑑賞者の好みもそれぞれなので、さまざまな画家がいるという状況は、鑑賞者にとっては自分に合った画家を探しやすいともいえます。 たとえば私の経営する翠波画廊で専属契約している画家のうち、「現代の印象派」と呼ばれるギィ・デサップなどは、古き良き時代のパリの街並みやニューヨークの風景、そして華やかな花々を、ノスタルジックかつ色彩豊かに描く作風です。 デサップの使う、鮮やかでありながらもどこか懐かしさを感じさせる色彩は、夕景や雨空と絶妙に調和し、詩情豊かな雰囲気を醸し出しています。特に、パリの風景画では、街灯やカフェの灯りが温かい光として描かれ、観る者をロマンティックな気分にさせます。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「実は、「偉大な芸術家」として語られる人々の生涯も、そのような英雄神話とよく似た構造を持っています。 ゴッホでいえば、画商としての挫折、伝道師としての挫折、そこから画家への転身という苦難。 あるいは、画家になってからも絵がぜんぜん売れなかったという悲劇。 画家のコミュニティに憧れてアルルに移住したけれども、なかなか人が集まらず、ようやく来てくれたゴーギャンとも喧嘩して仲違いして、最終的にはゴッホが自分の耳を切り落とすという事件がおきます。 精神療養院に収容されたゴッホは、最終的に拳銃自殺とも伝えられる謎の死を遂げました。 私たちは、こうした「苦悩しながらも情熱を失わず、命を削って作品を生み出した天才」という物語に感動します。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「たとえば、画家ジョルジュ・ルオーが描くキリストの顔。 その表情は一見すると能面を思わせます。能面は、角度によって微妙に表情が変化し、上を向けば喜びや安らぎを帯び、下を向けば憂いや悲しみをにじませます。優れた能面には、悲喜こもごもの人間の感情が一面のなかに込められているのです。 ルオーのキリスト像もまたそれに似ており、鑑賞する側の心の状態に寄り添うように、あるときは微笑んでいるように、またあるときは深い悲哀に沈んでいるように観えてきます。まるで一つの顔のなかに、人間のあらゆる感情が凝縮されているかのようです。 ルオーが時間をかけて幾度も手直しを繰り返し、その結果として必然的に厚塗りとなった画肌は、そうした多層的な表情を一枚の絵に閉じ込めるための必然のプロセスだったのかもしれません。 だからルオーの魅力は、単なる宗教画という枠を超え、人間存在そのものを映し出す鏡のようだといえるでしょう。私たちはそこに、自らの喜びや悲しみ、希望や苦悩を見いだし、その時々の心のあり方によって表情の違いを感じ取るのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「もしかするとそれは、アートとの「対話」ではなく、ただの「確認作業」に近いのかもしれません。 しかし本来アートは、ゆっくりと時間をかけて向き合うことでこそ、その真価を現します。 立ち止まり、じっと眺め続けるうちに、最初は見えなかった筆致や色彩の重なりが目に入り、やがてそこに新しい発見や驚きが訪れるのです。その一つひとつが、作品との関係を深め、私たちの心を豊かにしてくれるのです。 だからこそ、自宅という私的空間でアートと向き合う時間がいかに贅沢で、価値あるものかと気づかされます。 一日を終え、好きな椅子に座り、誰にも邪魔されることなく一枚の絵を静かに眺める時間──朝の光のなかで見る表情と、夜の灯りの下で見る表情は全く異なり、その日の自分の心模様によっても、絵は全く違う顔を見せてくれます。 昨日まで気づかなかった小さな発見があり、画家の想いに心を馳せ、作品と自分だけの対話を重ねていく──美術館の喧騒のなかでは決して得ることのできない、この静かで濃密な時間こそ、アートがくれる本当の感動と発見に満ちているのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「これは、普段から絵を購入した経験がない方が大半であり、身近に美術品を買っている人も少ないことから、「絵は特別な一部の人だけのもの」「画商は別の事業で収益を上げているのではないか」と考えられがちなためでしょう。 しかし実際には、美術品がお好きで購入される方は、みなさんが想像されるよりも意外と多くいらっしゃいます。 なかには、絵の収集を趣味として継続的に収集される方も少なくありません。 そうした方々に支えられて、私たちは長年にわたり事業を継続することができたのです。 実のところ、絵はよく売れています。 10年ほど前は市場の動きが活発で、年間 2300点ほど、つまり一日に 6 ~ 7点というペースで作品をお求めいただいた時期がありました。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「では、絵はいったいどのようにして売れるのでしょうか。 この問いは、実はアートの本質に深く関わっています。 絵画は、食料品や衣類、家電のように生活に直接役立つ「実用性」を持つものではありません。 壁に飾って楽しむという点では実用性といえるかもしれませんが、時計や宝飾品のように身につけて周囲に示すこともできず、体験としてはむしろ極めて個人的なものです。 だからこそ、絵を購入する方の多くは「役に立つから」ではなく、純粋に「好きだから」「所有したいから」という動機に基づいています。 つまり、アートは実用のためではなく、心の充足や感情の高まりのために選ばれるものなのです。 では、その「好き」という感情はどこから来るのでしょうか。 それは、作品の前に立ったときに感じる、言葉では説明しきれない感動や、心が揺さぶられる感覚に他なりません。 作家が人生を賭してキャンバスに込めた情熱、葛藤、そして世界に対する独自の視点。それらが、絵具や線の一つひとつを通じて、私たちの心に直接語りかけてくるのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「さらに重要なのが、美術館との関わりです。 美術館で個展が開催されるということは、その作家が単なる市場の人気だけでなく、美術史的な文脈においても重要であると公的に認められたことを意味します。 なかでも、作品が美術館に収蔵されることは決定的な意味を持ちます。 それは、その作品が後世に遺すべき文化的価値を持つと判断された証であり、市場における絶対的な信頼の基盤となります。 こうした専門機関による評価に加え、その作家がどれだけ多くの人の目に触れ、語られているかも価格を左右します。 メディアで頻繁に取り上げられたり、影響力のある美術評論家が繰り返し論評したりすることで、作家の知名度と評価は社会に広く浸透していきます。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「同じように、 20世紀初頭のピカソやシャガールも、まだ無名の時代には決して高額で取引されていたわけではありません。彼らの才能をいち早く見抜き、初期の作品を手にしたコレクターや画商たちは、その後の大きな価値上昇を目の当たりにしました。 たとえばピカソの「青の時代」の作品や、シャガールの初期の幻想的な絵画は、当時は比較的手の届きやすい価格で入手できましたが、いまや美術史を代表する傑作として世界中で高額取引されています。 こうした事例は、現代の若手作家を応援することも将来の価値形成につながる可能性があることを示しています。 もちろん誰もがモネやピカソのような巨匠になるわけではありませんが、「自分が好きで、共感できる作家」を選んで購入することは、その作家の活動を支えることになり、同時に将来の思わぬ成長に立ち会うチャンスにもなります。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「アート購入で最も避けたいのは、ご自身の「好き」という気持ちをないがしろにして、流行や評判だけで作品を選んでしまうことです。 アートは長く付き合う人生のパートナーですから、心からの愛着が持てない作品では、いずれ色褪せて見えてしまいます。 また、飾る場所の雰囲気やサイズを考えずに購入してしまい、部屋にしっくりこないと後悔するケースも少なくありません。 短期的な投機感覚での購入も失敗のもとです。 アートは短期で値上がりするものではなく、売買の手数料を考えれば、すぐに利益が出ることはまずありません。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「美術品の真贋が明らかになるのは、多くの場合「売却を試みるとき」です。 高額で購入した絵画を手放そうと買取業者に持ち込むと、業者は必ず真贋の確認を行います。その鑑定の過程で、初めて偽物であることが判明するケースが少なくありません。 しかし、その時点では購入から長い年月が経過しており、購入先が不明確であれば、責任を追及することもできず、泣き寝入りせざるをえない状況に陥ってしまいます。 だからこそ、購入時点で確かな鑑定書があることや信頼できる画廊、百貨店などを通じて作品を手にすることが、後悔のないコレクションを築くために不可欠なのです。 画廊の仕事とは、優れた作品を未来へつなぐこと、そして、お客様が安心してアートを楽しみ続けられるよう、責任を全うすることです。 お店が長く存続しているということは、その責任を果たし続けてきた証でもあります。大切な一枚と末永く付き合っていくために、そして心からの安心を得るために、どうかそのお店が刻んできた時間の長さに、目を向けてみてください。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「 フランスなどでは、贋作は発見され次第没収されて処分されますが、日本ではそうした法整備が追い付いておらず、一度市場に出た偽物が、偽物と判明した後もこっそりと流通し続けてしまうのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「2021年、美術業界を揺るがす大事件が起こりました。 有名画家の版画を偽造したとして、元画商と版画作家が著作権法違反容疑で警視庁に逮捕されたのです。 偽造されたのは、東山魁夷、平山郁夫、片岡球子といった人気作家の版画 10点で、逮捕されたのは、大阪の画廊「かとう美術」の代表 Kと、奈良で版画工房を営んでいた版画作家でした。 彼らによって作られた贋作版画は真作と見分けがつかないほど精巧でした。 事件としては 10作品が対象とされましたが、実際にはこれ以外にも、国内外の著名作家の偽造版画が市場に出回っていたことは業界内で広く知られていました。 Kは百貨店に直接卸すだけでなく、業者間のオークション(交換会)や美術商同士の取引を通じて大量に流通させていたため、業界全体が大混乱に陥ったのです。 マスコミで名前が出た作家の版画は、当然ながら美術商が取り扱いを避けるようになりました。 さらに「かとう美術」の偽版画は海外作家の作品にも及んでいるとの見方が強まり、多くの百貨店が版画そのものの販売をやめてしまいました。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
「チェスや将棋に比べて、囲碁は人間の持つ空間的・抽象的な認識能力が不可欠なゲームであり、 A Iには不向きだと考えられていました。 A Iは論理的な積み上げは得意ですが、盤面全体を俯瞰し、何手も先の漠然とした状況を読んで布石を打つような打ち方は、人間ほうが上手だとされてきたのです。」
—『なぜ、人はアートに惹かれるのか』髙橋芳郎著
Posted by ブクログ
アート鑑賞=共感力である。
脳は美しいものを、食事、愛情と同様に、ご褒美と認識する。
何が美しいと感じるかは、人によって異なる。
個人の経験というフィルターを通して、作品を解釈するからだ。
美に触れることは、ストレス軽減、共感性の向上、脳の活性化と認知機能の向上など、非常に効果がある。
好きなものに囲まれることは、心身をリラックスさせることにつながる。
アートを購入することは、自らの人生観や美意識を反映した、極めてパーソナルな自己表現である。
アートには正解がないという自由。
自分だけの答えを見つけ出す、喜びを教えてくれる。
Posted by ブクログ
芸術は怖くない!
画廊を運営する著者によるアートとの付き合い方。美術館を見に行くというより、絵画を所蔵することについて詳しく述べられている。さすがにアートを所蔵しようと思ったことはないが、気に入った作品の絵葉書を買って部屋に飾るタイプなので、好きなものを自分のそばに置くことの意義はわかるつもりだ。
AIとアートの話も印象的。アートに共感やストーリーを求めるのなら、やはりAIはツールにしかならないのではないかと。生み出す人がいてこそではと。でもAIを擬人化して人格があるようにストーリーを付け始めたら、その問題もクリアするよなぁとは思った。以前から動物が絵を描くか、それは芸術かという問いもあるから、これから考えられていくのだと思う。