あらすじ
そんなに国を死なせたいのか? 歴史はやはり繰り返すのか? リーダー不在と官僚組織の弊害、出口の見えない不況、未曾有の震災と東北の苦境……鬱積する国民の不満を受けとめられない政治は、相次ぐ国難にも右往左往を繰り返すばかり。近年、この国の有り様は、あの戦争前後の混迷に驚くほど通底している。国家が自壊してゆくプロセスを精察し、暗雲漂う現代の「この国のかたち」を浮き彫りにする。
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国の死に方 (新潮新書)
(和書)2013年07月27日 23:24
片山 杜秀 新潮社 2012年12月15日
地震 津波 原発事故 の三重苦の日本において
大日本帝国が滅び、そして日本国が滅ぼうとしているのではないか!ということが書かれている。
僕は、国が滅んでも人間は残ると思っている。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」---そして人間が残るのだ。
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著者曰く、日本という国は死につつあるらしい。3・11、福島原発を取り上げるまでもなく、明治時代から現在までリーダー不在の日本は迷走し続けている。
そんな日本という国を、時にナチスドイツやソ連、ゴジラなどと比較しながら、新書らしからぬ軽妙な文体で描写する。述べていることはヘビーだが、短編歴史小説のような読みやすさ。
映画「ゴジラ」で、日本政府は放射能まみれのゴジラに為す術がなかった。結局、ゴジラから日本を救ったのは、身を犠牲にした一人の民間科学者だった。今の日本にはそんな科学者が登場するような国ではない。じゃあ、原子力発電所については誰が責任を?
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江戸期に水戸学で確立された国体論(「君臣相和し頭を垂れる」)が第2次世界大戦以後まで続くのだが、その国体論を実践し維持するには必要不可欠な要素があった。「犠牲を強いるシステムとしての国体」の側面だ。国体論が語られる際に表だって言及されなかったが、これこそが無条件降伏をした後でさえも維持しようとした国体を陰で支える要素だった、と片山氏はいう。しかし、この犠牲を強いるシステムはポツダム宣言(から、日本国憲法の制定ももしかして入るのか?)における軍国主義の除去と平和主義の徹底により機能停止される。《みんなで仲間意識を持ち、天皇を愛し相和せ君臣一体となる国体》を維持するには犠牲のシステムが不可欠なのに、「新たな犠牲の論理」を国家が生み出さぬまま戦後の日本は歩んできている。映画「ゴジラ」のように、犠牲は国家が強いるものではなく自発的に行うもの、というのが戦後なのかもしれない。しかし、国体を維持不能にするような装置(=原発)を作り続けている国が、国体を担保する犠牲の論理を成立させずに時計の針を前に進めるというのはどうにもおかしいことではないか?という論調。それはつまり、第2次世界大戦さえもくぐりぬけてきた国体が、今回の原発事故、あるいは今後も起こる可能性のある原発事故によっていずれ死を迎えるのではないか?という予測でもある。
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これが2013年の「この国のかたち」なんだろうと思う。
今思えば大げさだが、大震災の津波の映像や原発爆発の映像をリアルタイムで見たとき、身近な社会に対して感じる自分の中の常識が吹き飛んだように感じた。
放射能を含めた震災に関するマスコミ報道やネット上の誤報やデマで社会の混沌を感じた。
身近な社会に対する不安は、それを取り巻くコミュニティーに対して同心円状に広がって行き、
最終的には国家というシステムそのものに対する不安になる。
そんなことを思い出しながら読んだ。
ゴジラのところは読み飛ばしたけど、
戦前日本の組織論的なところは未完のファシズムを読んでいたので大変素直に読むことができた。
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政治思想史が専門である筆者は、武家政権における執権、明治政府の元老、ヒトラー、ソビエト指導部などの例を引きながら政治権力の源泉について読者に考えさせる。
そして、豊富なエピソードをもとに、大正時代以降の権力が分断されてリーダーシップを発揮出来ない政府、普通選挙がもたらしたポピュリズム、関東大震災や米騒動、戦争でやり場のない大衆の怒りと諦観を浮き彫りにし、これらの事象、構造は平成の今とまさに繋がっているとリアルに感じさせるのだ。
この国はまた死ぬのではないかと3.11を契機に書かれたこの本の読後感は重厚な交響曲を聴いた後のように重い。
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「先づ労銀の引き下げを策し、労銀の引き下げの為には先づ食料品の引き下げを行なふのが順序」
日本人の国体に対する愛着というか執着は相当で、ポツダム宣言を受け入れるかどうかの判断においても、日本の国体が維持できるかどうかを気にしていた。国体とは天皇を頂点とした制度体制のことで、敗戦によって国体はついえたかというと、母が皇族ニュースを見ていたり、日本人の天皇家に対する好意を見ると、未だ国体は残ってる気がする。これは天皇が謙虚な姿を続けているからだと思う。
日本の軍人はは敗戦後の東京裁判で、空気に抗えなかったというような証言をしたそうな。戦局が日本軍に不利になった際には、ポツダム宣言を受け入れるという意思決定がなかなかできず、天皇に判断を仰いだ。空気によって開戦したけど、敗戦を受け入れるという空気はなかったようだ。最終的に、意思決定をさせてはならない天皇の判断を仰ぎ、ポツダム宣言を受け入れた。
明治期の政府は組織構造的に権力が分散しており、お互いが牽制しあうような硬直した組織だった。これは平安時代の摂関政治、江戸時代の大老のように権力が下に流れるのを防ぐためであった。日本的と言われる、みんなで意思決定するという習慣は、ずっと昔からの風潮といえる。
この権力の分散が適切な意思決定をはばんだ。国の死に方とは、非常時に迅速で適切な意思決定できない統治機構ということである。
組織同士いがみあい対立し機能しない政府において、元老という天皇の一声で生まれた超法規的な役職が調整を担っていた。権力を分散化した結果、例えば、帝国陸軍での陸軍と海軍の対立などが生まれ、平時はいいが非常時に適切な意思決定ができなかった。このような、硬直した統治機構だからこそ、暗殺による変革が頻発していたんだろう、日本も昔は暗殺が本当に多かった。
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逆説の日本史?世界史?読んだことはないが苦笑 ヒトラーは独裁ではなかった。戦争中の日本は軍国主義ではなかった。文体のテンポがよく、すいすい読めた。本書と未完のファシズムは大学時代のゼミの先生に貸してもらった本。さぁ、未完のファシズムを読もう。
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特に、第2章「国家をわざと麻痺させる」と、第9章「舌先三寸と気分の衆愚選挙」を興味深く読んだ。
歴史から学ぶべきことはたくさんある。そうあらためて実感させられた。
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大日本帝国、ナチス、ソ連の死に方、日本が死にかけた関東大震災、大恐慌とゴジラに象徴される現代をエッセイ形式で描いている。「未完のファシスト」と同様な意外な材料により説かれており何れの章も興味深かった。特に、昭和初期の東北農村の疲弊が、朝鮮産の米の導入によるとの話は、初めて聞いた。
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何か、明確な主張のある本を想定していたので、肩透かしを食らった気持ちはある。どうも連載ものをまとめた本とのことなので、自分の下調べ不足かもしれない。
ただ、要所要所で面白い論考はあった。
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3.11のあと被害規模が明らかになるにつれ、また、被災地とは離れた首都圏や西日本にまで影響が出てくるにつれ、"日本が非常事態に陥った"、"いよいよ滅びの一途を辿るのか、"と不安に感じた人は少なくないと思う。
非常事態、国の滅亡――「現在から想起される過去について書くことで、現在を思う糧が得られるようにやってみたい」(p.217)
・・という考えの元、行われた連載をまとめた一冊。
中世~近世~近代の日本、加えてナチスドイツ・ソ連の政治史をかいつまみながら、国家の衰亡をプロセスを辿る。
面白かったです。
特に6~8章の保険と関東大震災・戦災について書かれた部分は、こういう視座での考察には触れたことが無かったので新鮮でした。
あと、ゴジラ。
水爆実験がきっかけで覚醒した大怪獣は、口から放射能を吐き、野を被爆させる・・最終的には在野の研究者が自らの命を投げ出し、ゴジラを道連れに死ぬ――そんな話だったとは知らなかった。
日本の「『国体より重い命のない国』から『人の命は地球より重い国』へ」の捻転(p.213)・・という一文とも相まってとても印象に残りました。
ゴジラを語る部分や、3.11後の原発云々に揺れる日本を語る部分はやや叙情的すぎますが、"論考"というより"思索"と思って読めば良いかと。
大いに面白かったです。
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連載記事を集めたものなので、章ごとに内容の統一感はないが、昨年の衆院選前に掲載されたという「舌先三寸と気分の衆愚選挙、普通選挙で国滅ぶ」の章は興味深かった。
曰く、
有権者の判断能力が劣悪ならば、候補者のとる戦略は、まずは小口買収、次にどうせ実行できるはずもないその場しのぎの公約の連発。
判断能力のない有権者ほど、この世で危険なものはない。
うーん、昨今の選挙結果を見ていると、著者の意見に肯かざるを得ないのがつらい。
Posted by ブクログ
歴史を知ることで、色んなことが腑に落ちた。
韓国でお米を食べても日本と同じ味がするのは1920年からの「朝鮮産米増殖十五か年計画」のお陰かと思う。
しかし、裏ではたくさんの血が流されており、現代において最低限ご飯が美味しく食べられていることはとっても幸せなことだ。
冒頭から『ゴジラ』と東日本大震災〜原発問題を絡めて論じているのにもなるほどと思わされたし、
そんな前から予告されていたのに、この国では何も学んでいなかったのか……とがっくりきた。
また繰り返すか、今度こそ挽回するのか。
自分を含めた日本の人たちのこれからを見守っていきたいと思う。
バックミュージックは伊福部昭の曲で。
科学研究に携わっていた時に被曝し、戦後は
「科学よりも芸術に、産業よりも文化に、文明生活の追求よりも土俗的なものの復権に」と『ゴジラ』にもメッセージわ込めたようだ。