【感想・ネタバレ】名人のレビュー

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不敗の名人、本因坊秀哉について描かれる。一芸に打ち込むことは美しい、たたえられるべきことに思われるが、本人にとってもそうなのか。客観的にみればそれは悲劇なのかもしれない。しかし、そんな生きざまにあこがれてしまう部分もある。川端康成の文章の静謐さと、名人の碁の凄みには共通するところもあるかもしれない。

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2016年09月07日

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 平野啓一郎の『葬送』に、「創作とはもっとも死に近づく行為である」というようなことが書いてあったのだけど、ここで言う「創作」という言葉を「芸術」と置き換えても差し支えないだろうと思う。芸術はおしなべて俗な人間の生活を離れた行為だ。名人もまさにそういう人だったのだと思う。この引退碁は文字通り命がけの勝負だったし、対戦相手の大竹七段が家庭人であったのとは対照的に、名人夫妻には子供もいなかった。
 名人が敗れたとき、囲碁が芸道だった時代は終わりを告げた。剣道も柔道も、武道からたんなる競技の一種目になってしまったように。川端は文学の人だけど、それももともと芸道にちかいものだっただろう。ほかにも音楽や演劇なんかもそうかもしれない。「道」と呼ばれるものが商業化または大衆化していくと、みんなで楽しめるものになるかわりに、そこにあった崇高な精神は失われていくのだろう。良し悪しだよな。
 しかし川端先生すばらしい。仕事帰りの電車の中で読んでいると、電車が最寄駅に着くのが腹立たしいほどだった。私の三昧境を邪魔しないで~。いや、どっぷりはまって降りないでいると、終点の埼玉県まで行ってしまうわけですが……。
 ちなみに私は囲碁超弱いです。ちょーう弱いです。

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2011年06月25日

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囲碁史上、類を見ないほどに圧倒的強さを誇った本因坊秀哉名人の引退碁観戦記。代表作とはまた違った面白さがあって力が入った。囲碁に留まらず時代や潮流が大きく変わっていく息吹きが感じられた。諦念とも希望とも違うクールな視点も良い。

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2023年08月06日

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◆読書メモ
・時代の変わり目、棋道からプレイするテーブルゲームとしての碁に変わる時代が描かれているように思う。今はもう見ることができない、棋道であった時代を知ることができた。
・変わる時代、変わるルールと共に名人の時代が終わりゆく、失われていく哀しみが美しく描かれていた。
・最初に結末である名人が負けたこと、そして亡くなった場面から始まる。それによって、結末に向かって何が起きるのか、何が描かれるのか、ぐっと心が集中させられたように思う。
・七段の121手、名人敗着の130手の辺りは、非常にキューッと心に迫るものがあった。
・碁のルールがわからないので、肝心の棋譜の手順の部分は全然わからないのだが、人が描かれている部分で十分面白かった。
・121手は、実際のところどのような意図であり、どのような手であったのだろう?

◆惹かれた心に残った部分
・「それは一芸に執して、現実の多くを失った人の、悲劇の果ての顔だからでもあろう」(p.26) → 現実の多くの一般的な楽しみは得ていなかったかもしれないが、生き切った深い満足のある人生であるように思うが、なぜ悲劇の果ての顔なのだろうか?
・「こんなにしてまで打たねばならないのか、いったい碁とはなんであろうか」「碁は『無価値と言えば絶対無価値で、価値と言えば絶対価値である』」(p.79)

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2019年08月15日

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死んで思い出として残る人になりたい。それにしても子や孫含めてもせいぜい95年。その先は誰も覚えていない。諸行無常

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2014年10月08日

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実際にあった本因坊秀哉名人の引退碁試合をベースに描かれた小説とのこと。名人の死を微細に描く始まりから、時間を引退碁興業試合時点にまで戻し、その死に至る試合をなぞることで、碁の盤面上の世界を無機質に表現している。
ここで描かれる秀哉名人は、物腰が柔らかい半面、囲碁・将棋・連珠・競馬といった勝負事に狂う餓鬼道一直線の人物である。いにしえの芸道の頂点としての「碁名人」として、そのクライマックスを賭けて戦う姿は、勝負と芸能美が一体となった前近代の達人そのものだ。
これに対する大竹七段は、現代碁の試合を生きる繊細で研究肌の人物として描かれ、名人最後の試合相手として対称となっている。
半年にわたって継がれた一局の対戦を、秀哉名人の前近代名人の発想と死と隣り合わせの病気、そして試合の申し合わせを簡単に反故にすることの憤りから対戦停止を言い張る大竹七段という図式の中で、とにもかくにも進んでいく。
あまり囲碁を知らなくても読めるかなと思ったのですが、終盤は試合内容の細かい描写が続くので、やっぱり囲碁を知っていないと少し苦しかったです。(笑)
死を賭けた無機質な勝負の世界を、人間世界の思わくに彩られながら、筆者自身が仮託した人物の目を通して硬質な文章で描く。ところどころに挿入される色彩感覚も見事です。

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2011年11月14日

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最後の世襲制名人、本因坊秀哉の引退碁を描いた川端康成の作品。碁好きで知られる川端が、東京日日新聞で観戦記を書いた後にまとめたもの。秀哉名人の人となりはもちろん、引退碁の相手となった大竹七段(木谷實)の性質や、戦前の囲碁を取り巻く環境などがよくわかる作品。

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2011年05月24日

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囲碁がまだ芸術だった時代の最後の名人の引退試合を追った短編小説
囲碁は本来、名人が見ていたもので間違いないのだろう。
それは芸術であり、神聖なものなのである。

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2010年01月15日

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 本因坊秀哉名人と、木谷実七段との引退碁を取材したノンフィクション。囲碁観戦記だが、その微に入り祭に穿った描写はさすが。名人が死ぬ二日前、夕食を一緒にと強く勧められて振り切って帰ったことが、実は川端さん、相当心にあったんじゃないかな。それがこの本の出来に寄与している部分もあるのでは。

 構成もおもしろい。冒頭に名人の死んだ時の話から引退碁の観戦記者をした話。そこから引退碁の最後の場面で名人が五目で負けた瞬間の記述。大竹七段の人となり、家族のことなどの説明。
 次に打ち初め式からうち次がれる間のいざこざ。死に顔の写真を撮る話。そこから打ち初め式に戻り、名人の一本だけ長いまゆ毛の話。観戦記が順番に続く。最後に亡くなる直前の最後の逢瀬の描写が切ない。

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2009年11月22日

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囲碁最高位、本因坊名人の引退碁。
持ち時間40時間。打ち掛け14度。半年に及ぶ、世紀の一局を川端康成が観戦記者として描いた作品。

両者へのインタビューは無い、ひたすら第三者の川端の視点から描かれた。
インタビューを用い、競技者の心境を描くことが第一と考えられている現代。
作者の場面場面を切り取った描写の連続は、「本」というより写真展にいるかのよう。
こういうノンフィクションの描き方もあるのだなと感じさせられる。

○名人引退碁…名人の病気、衝突する現代と前近代、紛糾するルール、敗着。
1つのノンフィクション・ドラマとして。
○場面場面を目に浮かぶように切り取る筆者の描写。
○囲碁を「芸術」とする名人。と「ゲーム」「競技」として勝負に拘る挑戦者
前近代と現代のぶつかり合い、時代の移り変わり

囲碁。歴史モノ、ノンフィクション、人間ドラマ…どのジャンルとして見ても引きずり込まれます。
☆☆☆☆。

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2009年10月04日

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平成20年12月12日購入

そんな打ち方をしていた時代があったのか、
などと感心しつつ
面白く読んだ。

できれば観戦記も加えて一冊にしてほしかったが
なんにしても囲碁にある程度興味のある人なら
かなり面白く読めると思う。

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2009年10月04日

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古い時代の話ですが、囲碁を取り扱っているという事で興味深く読めました。川端の筆が、思ったより気遣いのある優しい感じです。

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2009年10月04日

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ひりつくような美学尊厳

囲碁のルールも
当時の社会情勢も
知識ゼロの私でも
「読ませる」事の
出来る筆力...!
さすがだなぁ

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2023年09月05日

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碁がわからないなりに読んでみたけど、
名人に対する尊敬の念が溢れている書き方だった。

私の祖父も囲碁が強かったけど
教えてもらえずに亡くなってしまって
祖父を思い出しながら読んだ。

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2022年05月15日

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世襲制最後の本因坊、本因坊秀哉。
本書は秀哉が引退碁の前後と人柄等を
記者の視点から描いてる。
実力制になってから自分の名前一時プラス自分で選んだ雅号を名乗っている。

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2022年02月26日

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囲碁のルールが全く分からない私が読んでもなかなか面白い小説だった。序盤で対戦結果が分かるので変なハラハラドキドキ感もなく一語一語落ち着いて読み進めることが出来た。
長さも長すぎず短すぎずで読みやすい。

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2017年07月15日

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名人と同様、挑戦者の大竹七段もまた、難しい立場で、懊悩しながら碁を打っていたことが印象に残った。

碁界の最上位に位置する名人は、棋士として有終の美を飾らんと、病を押して打ち続ける。文字通り命を削って碁盤に臨む様には頭を垂れずにはいられない。その反面、自身の碁をとりまく周辺環境に関しては自らを中心に廻っていたと言っても過言ではない。対局日や場所等、全てが名人の意向をまず忖度される。些か身勝手と思われる要望も道理を除けて通っていたりと、碁を打つことそのものに対するストレスは殆ど無かっただろう。

一方、大竹七段にしてみれば、真剣勝負の最中にあっても相手の体調への気遣いや配慮の情を持たざるを得ず、やり辛くて仕方なかったであろう。かといって、次代を担う数多くの棋士達の代表としてその場に臨んでいるという義務と自負もあり、浦上記者が言う通り、おいそれと勝負を投げてしまうわけにもいかない。大病ではないものの、常に身体不調を抱えていた七段もまた、極限状況の中で戦っていたといえるのではないだろうか。

それでも、決着に向けて歩みを止めない、止められない両者の姿は、求道者が持つある種の神々しさすら感じさせる。碁に命数を捧げ、碁を取り巻く係累から脱けられなくとも、一意に前へ進まんとするそのストイックさには只々敬服するばかり。

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2017年04月25日

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本因坊秀哉名人の引退碁の話。勝負の世界も突き詰めると美しさがあって、それが無くなるとただのゲームやスポーツになってしまう。

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2014年10月29日

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【出会い】
美術館でこの本からインスピレーションを受けた作品を見た

【感想】
私は碁を知らない。
そのため、筆者が伝えたかったことの10分の1もわかっていないのだと思う。
それでも、昔風の名人と現代風の7段との相違点を感じることはできる。
最近のマンガでもこのような描写はあるが、この本はそれらのベースとなっているのだろうか。

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2014年07月17日

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川端康成を読んだのは十数年ぶり。名人の死に顔を写真に撮る場面の静謐さ。名人と挑戦者の心理を追う緊迫感。全体を通じた描写の丹念さに、安心して身を委ねることができる読書であった。

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2014年06月15日

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本因坊秀哉名人の引退試合の模様を綴る。もちろん棋譜より、対局者の鬼気迫る勝負に対峙する姿と描写。無駄をそぎ落としたような文章。14.2.23

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2014年02月23日

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高校時代、囲碁部だったころに何かの参考になると思って読んで、別に実践書じゃなかったことが自分自身恥ずかしかった。名人が病身をおして最後の戦いに向き合う姿勢にプロの極みを見た心地だ。側で見届けた川端康成はより強く受け取ったのだろうなぁ。

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2013年09月02日

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昭和13年、本因坊秀哉名人の引退碁となった対局がおこなわれた時、川端康成は観戦記者としてその場に居合わせていた。この「名人」は、その時の様子を描いたドキュメンタリーだ。
名人は、この対局の時、体を病んでおり、そのために試合は度々中断され、たった一局の勝敗がつくまでに、なんと半年もの期間を費やした。一人の持ち時間が40時間というから、これほど気の長い試合も珍しい。現代では、ここまで長時間の対局というのはあり得ないだろうが、当時は、時代的にも今よりのんびりした風があったのだろう。
この作品の中では、碁そのものの内容についてはほとんど触れられておらず、徹底して、対戦中の二人の対局者の心情と、その、半年にも及ぶ長い対戦の舞台裏についての描写に終始している。白(名人)の130手目に、勝敗を分かつ大きな意味を持つ手があり、この一手をめぐる解説では、そこに隠されたドラマが語られていて、真剣勝負の世界のシビアさを伝わってきた。

この写真は非現実的にも見えるが、それは一芸に執して、現実の多くを失った人の、悲劇の果ての顔だからでもあろう。殉難の運命の顔を、私は写真にのこしたのであろう。秀哉名人の芸が引退碁で終わったように、名人の生命も終わったようであった。(p.31)
中国で、仙人の遊びとされ、神気がこもるとされ、三百六十有一路に、天地自然や人生の理法をふくむという、その智慧の奥をひらいたのは、日本であった。外国模倣、輸入を、日本の精神が超えたのは、碁に明らかであった。(p.107)
名人はこの碁を芸術作品として作って来た。その感興が高潮して緊迫している時に、これを絵とするなら、いきなり墨を塗られた。碁も黒白お互いの打ち重ねに、創造の意図や構成もあり、音楽のように心の流れや調べもある。いきなり変てこな音が飛びこんだり、二重奏の相手がいきなりとっぴな節で掻きまわしては、ぶちこわしである。碁は相手の見損じや見落としによっても、各局を作るぞこなうことがある。(p.148)

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2020年07月15日

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