【感想・ネタバレ】聖書vs.世界史 キリスト教的歴史観とは何かのレビュー

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Posted by ブクログ

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 キリスト教がどのように世界の歴史を認識してきたのか、という過程について論じた本。聖書の世界の歴史は”普遍史”(Universal history)と訳される。

 周知の通り、キリスト教はローマ帝国でその地位を磐石とするまで、帝国や異教徒から迫害を受けてきた。その対抗手段の一つで作られたのが普遍史で、教父・アウグスティヌスが天地創造→人々が原罪を背負う→救済→”神の国”実現の過程として作る。

 中世には神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世(バルバロッサという通称で有名)の叔父にあたるオットー・フォン・フライジンク司教がローマ帝国の後継者として中世普遍史を完成させる。

 普遍史の転換期が訪れたのは近世。天動説や自分たちの世界の外には化け物が住んでいるといった既存の価値観が否定され、聖書の世界観、歴史観が危機を迎える。モンテーニュが『随想録』で中世普遍史の絶対性を否定し、ヨーロッパとアジアを相対化したように。

 中国史を研究したマルティニは『中国古代史』で中国の神話上の伝説的存在だった伏羲の代から史実に認定するなどして普遍史を再編しようとしたが、この動きは時代の流れから見れば、蟷螂の斧に過ぎなかった。

 啓蒙思想家のヴォルテールの時代となると人間の理性、進歩史観といったことが強調され、19世紀にシュレーツァーが『世界史』で人類史を6000年とし、天地創造を否定することで、ようやく歴史の叙述と信仰が切り離された。

 全体として、キャッチーなタイトルと異なり、実直な内容の新書である。この本に登場する歴史の当事者たちは、自分たちの知りうる世界の外に別の文明、文化体系を持つ人々が存在するという事態に直面してきた。私はこの本を読んで、そういうことに思いを馳せた。

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2011年06月06日

Posted by ブクログ

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西洋古代~近代におけるキリスト教的歴史観、「普遍史」の発展と衰退とを解説した書。聖書に基づく人類史として生み出された普遍史が現実の歴史をどのように記述していったのか、その二者の間の齟齬をどのように処理しようとし、そして瓦解していったのかを詳説する。
本書は、聖書に基づく西洋の歴史観である普遍史を、主に近世~近代における動揺の時期を中心に紹介したものである。キリスト教的歴史・世界理解の方法とも言える普遍史は、天地創造やノアの洪水などの聖書の記述を軸に(西洋人にとっての)普遍的な人類史を組み立てて行こうとする試みであった。アダムに始まる人類の歴史は預言者ダニエルの説いた四つの帝国を経て黙示録の終末に至るものであり、その中においてキリスト紀元や「化物世界誌」といった概念が西洋人の世界観として構築されていった。
しかしその一方で、聖書の記述と現実の歴史との間には易々と解消することの出来ない齟齬・矛盾が存在していた。古くは創世紀元を大きく超過してしまうマネトのエジプト史に始まり、聖書の想定していない「新大陸」や中国文明の発見、果ては文献的研究の進展に伴う聖書の記述そのものの信憑性疑義など、歴史を経るにつれ普遍史の権威は大いに揺らいでいく。多くの学者がこの齟齬を解決しようと様々な理論・歴史記述を呈するも根本的な解決には至らず、遂に18世紀のシュレーツァーを以ってして普遍史は「世界史」へと瓦解していく――その一連の流れに焦点を当てて解説しているのが本書である。
本書の内容で興味深かったのは、「聖書に基づく」普遍史において聖書の記述の取捨選択が行われてきたという事実と、中国史など聖書の枠外にある地域・文明を聖書の記述の中に包摂しようとした諸々の試みである。聖書にも記述のあるはずの新アッシリア帝国や新バビロニア帝国が(『ダニエル書』に基づく四世界帝国論を説く)普遍史においては無視されている件や、また中国史の古さを解決しようと中国の歴代皇帝を聖書の登場人物に対応させていく(例:伏犠=アダム)といったことは、まさに自らの文化・価値観の下で他者をどのように描写するか(その過程で他者をどのように改変していくか)ということと深く結びついていると感じられた。

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2024年05月25日

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