【感想・ネタバレ】新版 御堂関白記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典のレビュー

あらすじ

摂関政治の頂点を極めた藤原道長の日記『御堂関白記』。著名な「この世をば」の歌が詠まれた夜の狂騒、政敵たちとの優美な暗闘、自身の病――、華やかな王朝文学の背後で、政務に邁進し、苦悩する道長の人間臭い実像を活写する。ユネスコの「世界の記憶」にも登録された自筆本等の現存する膨大な記事から、研究の第一人者が真実を伝える鮮烈な条を抽出して現代語訳。絶頂期を築いた男の視点から、平安貴族たちの正体に迫る。

平安時代というのは、ともすれば『源氏物語』に代表される文学作品を基にして考える傾向が強かった。平安貴族が実際に恋愛と遊宴にばかり熱中しているように誤解している人が多かったのである。しかし、女房文学も一面での真実を伝えているとはいえ、平安貴族の真実の姿、特に男性貴族によってとり行なわれる政務や儀式は、古記録を読み解くことによってしか解明できない。
『御堂関白記』の現存三八二四条の記事のなかから、比較的短めで初心者の方にも面白いものを選んで、現代語訳、訓読文、原文で掲げた。原文は誤字・脱字や漢文の誤りも、原文のとおりにした。長い記事については、なるべく一部のみを抜粋して掲げた。興味を持たれた方は、現代語訳でも訓読文でもいいから、『御堂関白記』の他の条もご覧になっていただきたい。『御堂関白記』と道長、ひいては平安貴族のすごさを、きっと実感していただけるものと思う。【はじめにより】

...続きを読む
\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

感情タグはまだありません

このページにはネタバレを含むレビューが表示されています

Posted by ブクログ

ネタバレ

道長が政権を握った当時の公卿は、摂関家の一族が多くを占めていた。そのような中で、道長は父方こそ藤原北家の嫡流であったものの、母方は受領層の出身であり、決して家柄に恵まれていたとはいえなかった。このことは、道長にとって大きな負い目であったのではないかと推測されている。そのため道長は天皇の血を引く二人の妻との間にそれぞれ七人、六人もの子女をもうけた。二人とも最後の子を出産したのは四十代であるが、当時は四十歳で長寿の祝いが行われ、その後は老後と考えられていた時代であった。それでも子を産ませ続けたことから、身分の低い女性との間に生まれた子を除き、自らの血筋を後世に残そうとする強い執着が感じられた。後一条天皇の土御門第行幸では、三后(三人とも天皇の皇后になった道長の娘たち)と東宮敦良親王が対面し、やがて東宮妃となる六女・嬉子や、妍子所生の禎子内親王、さらに正妻・源倫子もその場に列していた。その光景を目の当たりにした道長は、「私は気を失うほど、生きてきた甲斐のある者である。言葉では言い尽くせない。未曽有のことである」と言ったそうだ。若い頃の道長は、漢文が苦手で母方の家柄にも負い目を抱えていたため、周囲から高く評価される存在ではなかった。しかし、そのような不利な立場から努力を重ね、最終的には天皇三代の外戚となり、自らも未曽有と記すほどの栄華を築いた。一方で、後継者の代では同じように子孫に恵まれず、摂関政治は次第に行き詰まっていくことを考えると、道長の成功は子宝と時運に恵まれたとも言える。本当に漢文が苦手なことがよく伝わる日記だった。

0
2026年07月10日

「小説」ランキング