あらすじ
誰が「ふつう」を決めたのか?
私たちは折に触れて「自分は普通だろうか?」「体形や知能は正常か?」と気にしたり、ノーマル(普通・正常)でないことに不安を覚えたりする。だがそもそも「ノーマル」は誰によって、どのように決められたのか。
近代統計学の発展とともに、人間の心身や行動が測定の対象となり、身体、知能、精神状態、性的指向や子供の発育などがノーマルかどうかを判定されるようになった。だがその評価基準には、当時の科学者による差別的な偏見と価値観が色濃く反映されていた――。
気鋭の歴史研究者が科学と社会が交差する200年の歴史を読み解き、現在も私たちを縛り続ける「ノーマル」の幻想とその裏に潜む真実を暴き出す。
推薦の辞
「世界を違った視点から見させてくれる、稀有な書」デイリー・テレグラフ紙
「ノーマルという概念が社会の核心に徐々に浸透していく様子を魅力的に描き出している」タイムズ紙
「普通というものは存在するのか、なぜ皆がそれを気にするのか。改めてそれを問い直すべきだ」メール・オン・サンデー紙
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Posted by ブクログ
現代において、いわゆる"normal"とされているものが、何故"normal"と見做されるのか、見做されるに至ったのか、そもそも"normal"とは? 歴史を遡り、語の定義と変化を追いかける。
結局のところ、今世における"normal"、何かしらの「基準」とされるものは、WEIRD=Western, Educated, Industrialized, Rich, Democraticなシスジェンダー男性によって、時に作為的に恣意的にかたち作られたものにすぎない。バイアスかかりまくりの"normal"に縛られる必要はあるのか。
日本はそもそもWEIRDの側には属せないが、「日本」というコミュニティの中で唱えられる「普通」が存在する。どこかの「普通」はどこかの「異常」、誰かの「異常」は誰かの「普通」、ということなのかもしれない。身を置いている環境で「普通」とされる状態に固執することの無為性について考える。