【感想・ネタバレ】転落男性論 孤立、暴力、ホモソーシャルのレビュー

あらすじ


男性を縛ってきたのは、男らしさを達成したいという上昇の願望ではなく、ここから転げ落ちたくないという不安ではなかったか?
語られなかった男性たちの経験を〈転落〉の現象から見つめる、比類なき臨床社会学的試論。

単一のストーリーに落とし込まれて言葉の貧困に陥り、苦悩・葛藤する男性たちの経験を、社会的孤立、ホモソーシャル、加害者臨床、メンズリブ運動史、反差別への抵抗感、「有害な男性性」概念の批判的検討を通して見つめる。

集団内の序列化と排除および男性の行動に焦点を当てた第I部では、第1章「いかに男性は社会的孤立にいたるのか」において、集団から排除されて他者との関係を絶っていくメカニズムを考察し、第2章「脅威と承認のホモソーシャル」において、ホモソーシャルな集団性が男性同士のコミュニケーションを制限して暴力を導く力学を記述する。
差別・暴力・糾弾に怯える男性の課題を扱う第II部では、第3章「恐怖するマジョリティ、揺れるバイスタンダー」において、加害の引責の困難と第三者の介入による引責可能性を提示し、第4章「多様化するバックラッシュ」において、社会的公正に反対する男性たちの実践に着目する。
転落の恐怖への専門家の対応を論じる第III部では、第5章「とまどいを抱える――メンズリブ運動の再解釈をめぐって」ではメンズリブ運動の再検討、第6章「〈有害な男性性〉概念の陥穽、あるいは監獄」では心理主義的言説の功罪の検証、第7章「加害の地図を描く――DV加害者臨床における責任の生成をめぐって」では加害者臨床の現場から見える、男性の責任生成プロセスを分析する。

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Posted by ブクログ

私が男性学に興味を持つきっかけとなった『「非モテ」からはじめる男性学』(集英社新書)の著者である西井さん開さんの新刊『転落男性論-孤立、暴力、ホモソーシャル』である。

男性が男性自身を苦しめ、またそれにより女性や性的マイノリティが人権を侵害される原因として男性による“男らしさへのこだわり”というものがある。「男性の生きづらさは社会的に称揚される『男らしさ』へのこだわり―精神的に自立し、十分に稼ぎ、多くの女性と恋愛をし、結婚をして家族を養っていくこと―に起因する」、これを本書で西井さんは“達成モデル”と称した。

この“達成モデル”について私は納得する部分がありながらも、はたしてそれだけだろうかという疑問をうっすらと抱いていた。
イメージされるマッチョな男としての達成や成功、それらを求めている男性ばかりではないだろうとも思っていたし、女性にも様々な人がいるように男性にも様々な人がいるというのは当然のことだからだ。

本書の画期的なところは男性は“達成したい”ばかりではないということを示したことだ。本書内でも示しているが、近年の調査においても男らしくなりたいとは思っていない男性が存在し、または増加もしている。にもかかわらず、男性たちの自殺率は高止まりしており、過労によってメンタルヘルスの不調にいたる男性は数多い。
この事実は“達成モデル”だけでは男性たちの葛藤、男性たちを縛るものを捉えそこねているのではないか、という考えが本書のスタートである。

序章から第1部、第2部ではおもに男性は“達成”だけではなく、むしろ“転落”を恐れているのではないかという指摘と、その“転落”とはいったいどういうものかが西井さんの開催している「非モテ研究会」のメンバーによる個人の経験による語りでもって説明された。
社会から構築された「普通の男性」というイメージがあり、そこから“転落する”ことが何よりの恐怖や不安を与え、そうならないために、自分を苦しめる。この“転落”も男性個々人の生育や環境によってまるで違うもので、単一的なイメージをするのではなく、あくまでそこに存在する構造や社会を考察していく必要がある。
また“転落”を恐れる男性に「男らしさから降りる」というメッセージは崖まで追い詰められている者に落ちることをすすめるのと同じようなもので、この提言は意味をなさない。なぜなら“転落するか、しないか”のギリギリのところまで追い詰められているからだ。
私はこの一連の指摘と説明がすごく腑に落ちた。いわゆる「普通の男性」から“転落”してしまう。その恐怖はきっと私が想像するよりも何倍も切迫したものだろうし、コミュニティが限定されていればいるほどその恐怖や葛藤は大きいだろうと思う。
「有害な男性性」や「男らしさから降りる」という言説はたしかに必要なものであり、間違いではない。それらに固執するがあまり、女性や性的マイノリティの尊厳を踏みにじる振る舞いは枚挙に暇がない。
しかしながらそうではない、少なくとも、本人や他者がそう認識していない男性までもがここまで苦しそうなのは、性差別や偏見を指摘されたときに恐慌状態に陥り、加害にまで転じてしまうのはなぜか考えていた。
そこに正当性や正常性からの“転落の恐怖”があることは私にとって新しい事実だった。
フェミニズムの本もそれなりに読んできたなかで、やはりこの世を構成する属性のひとつとして男性もこの苦しさから逃れることができなければ、真のフェミニズムを達成するのは難しいと考えるようになった。
そこからフェミニズムと男性学を両輪のものとしていかないと、いつまでも私たちへの侵害はなくならない。
「有害な男性性」や「男らしさから降りる」では排除されていた男性たちにも、"転落の恐怖"は確かに存在する。女として生きていると、男性優位社会やそれを変えようとしない人たちへの憤りがどうしても募る。本書はその憤りをより遠くへ届く力に変えてくれる。その苦しさを視野に入れながらフェミニズムと男性学を両輪として持ち続けること。それが今の私にできる誠実な問いの持ち方だと、本書を読んで改めて思った。

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2026年06月20日

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