【感想・ネタバレ】裸のネアンデルタール人 人間という存在を解き明かすのレビュー

あらすじ

かつて地球には、
私たちとはまったく異なる人類が生きていた――

かれらはなぜ滅んだのか?
美意識はあったのか?
その精神構造とは?

現生人類(サピエンス)に都合のいい幻想から脱却し、人間という存在を「ありのまま」に理解しようとする情熱的探究の成果!

赤道直下から北極圏まで駆けまわり、30年にわたり洞窟の地面を掘り続けた、第一人者にして考古学界の異端児による初の一般書。

“この先で、もうネアンデルタール人を同類とみなさないこと、つまりかれらは私たちの諸側面を投影した存在ではないのだと考えることが、なぜ重要なのかを説明しよう。完全に絶滅したこの人類は、私たちの抱く幻想をすべて足し合わせても及ばない存在なのに、私たちの視線でがんじがらめにされてしまった。私たちはかれらを同類に仕立てあげ、ありもしない姿に作りあげた挙げ句、無理やり歪めている。だから、ネアンデルタール人に固有の異質さを取り戻すためにも、私たちが抱いているおなじみの親しみやすさを取り除かなければならない。”(「はじめに」より)

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Posted by ブクログ

かなり辛口。原著は2022年刊、原題は“Néandertal nu”、ありのままのネアンデルタール人。著者リュドヴィック・スリマックはネアンデルタール人の遺跡掘りで30年。なかでも、ロシア北西部、北極線近くのビゾヴァヤ遺跡(31,000-34,000年前)、フランス南東部のマンドラン洞窟(42,000年前)の発掘が有名。
ネアンデルタール人はどのような存在であったか。いま、彼らをめぐる議論がかまびすしい。彼らの遺跡にも遺物にも触れたことのない人たちが、勝手な想像と、過度の外挿、拡大解釈、そして現在の自分たちの投影をもとに、あれやこれやいろんなことを言う。困ったもんだ。この30年に限ってみても、ネアンデルタール人のイメージは、はるかにネガティブなものからポジティブなものへと大きく変わった。その振り子の極端なまでの振れ具合もまた、嘆息もんだ。
というのが第1章。第2章では、北極圏まで進出したネアンデルタール人について、第3章から第5章ではそれぞれ、狩りや食生活、儀礼、芸術と美意識について論じてゆく。読みどころは、ネアンデルタール人の寒冷地適応についての議論(スリマックは、寒さに慣れれば、北極圏でも裸足で大丈夫だというのだが、ほんまかいな)。
著者のスリマック、ご尊顔を拝すると、顔の半分が髭、どこかしら隠者を思わせる。古老かと思っていたら、意外にも1972年生まれだった。現在の所属はトゥールーズ第3大学。

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2025年10月05日

Posted by ブクログ

ネアンデルタール人はホモサピエンスより賢かったが、集団になる団結力でサピエンスに劣り、やがて滅んだ。しかし、彼らの遺伝子は一部サピエンスに継承されている。サピエンスとネアンデルタール人に平和的、あるいはその真逆の出来事が起き、いずれにせよサピエンスに取り込まれた。これまでの読書で身に付いたネアンデルタール人のイメージだ。本書を読んで少しイメージが変わった。

ー 私はここで、人間と動物の区別は一切ないなどと言っているわけではない。私たちとネアンデルタール人に違いはないとも言っていない。ネアンデルタール人の本質をめぐる問いが、墓の存在や集団内の弱者への気遣いを証明することを出発点として提起されるなら、その提起の仕方は根本的に間違っていて、過去の人類の構造を理解するにはまるで役立たないだろうと言っているのだ。つまり、ネアンデルタール人が死者に見せる気遣いは、ヒト亜科全体に共通する動物行動学に基づくのであって、私たちの人間性を特徴づける意識的・無意識的な概念にネアンデルタール人を結びつけるものではない。

ー ネアンデルタール人は、モノの美しさを意識していただろうか?私はネアンデルタール人の美意識の存在をまったく疑っていない。かれらの手による工芸品すべてが、あらゆる形で美意識の存在を伝えている。ネアンデルタール人が生み出した無数の道具類には、物質的生産において、かれらが機能性よりもまずバランスとエレガンスを追求したことが現れている。ネアンデルタール人の道具に見られるこのような特性は、一般に話題の中心にはならない。まるで、かれらの美意識は機能性の副産物にすぎないとでもいうかのようだ。これは損害の大きな二次被害である。なぜなら、このような扱いをするかぎり、ネアンデルタール人の精神構造について何の情報も得られないからだ。

ー 多くの同僚研究者とは異なり、私はネアンデルタール人が寒波で死滅したり、雪が日差しで解けるように蒸発したりしたとはまったく考えていない。そのため当然ながら、ネアンデルタール人が消えた理由は、基本的にはこの別の人類の登場と関係があると結論づけている。マンドランをはじめとする各地での両者の関係がどのようなものであったにせよ、明らかに極めて活動的だった現生人類の新たな集団はこの地域に住み着き、数万年前からこの土地に根を下ろしていた先住のネアンデルタール人に取って代わった。サピエンス集団は、ただ単に少しずつ移動し、数百年か数千年かけて西方へゆっくり移住してきたのではなく、まさに征服者だったといえる。

ー レヴィ=ストロースが一九四九年に発表した親族の基本構造に関する研究によって、女性の交換はあらゆる人間社会の組織に一貫して見られる基本的な要素であることが知られるようになった。二つの集団が友好関係を結ぶ場合、女性は決まって男性側の集団のなかで暮らすことになる。しかも、ネアンデルタール人の間でこの夫が居住」がすでに行われていたことは、遺伝学によって示唆されている。だが、この女性の交換は集団の生物学的存続を可能にするもので、基本的には「自分の姉妹をあげるかわりに、相手の姉妹をもらう」という相互性に基づく。両集団の遺伝的存続を保証するだけでなく、この行為によって集団間の友好関係を結んだり、永続させたりもする。末期のネアンデルタール人にサピエンスとの混血が見られず、逆にヨーロッパにおける初期のサピエンスには必ずネアンデルタール人との混血が認められるということであれば、その舞台がヨーロッパであれアジアであれ、この事実は両集団の間に存在した関係の性質に関する基本的な標識になりうる。つまり古遺伝学によって、「相手の姉妹はもらうが、自分の姉妹はあげない」という思いがけない非相互性が明らかになるわけだ。

私の言葉で語るよりはと、幾つかの本書の主張をそのまま引いた。ネアンデルタール人は死者に対する気遣いも美的なものへの感動もサピエンス同様だった可能性がある。似たような種でありながら、やはりサピエンスの登場が絶滅に起因する。

死人に口なしだが、その敗因が団結力の欠如なのかは分からない。白人が支配人種になっていたサピエンスの歴史を見ても、必ずしも優秀な種が侵略する側になるとは限らず、そこには多数複雑な要素が絡み合うからだ。確かな事は、我々はネアンデルタールの末裔でもあるという事だろう。

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2025年09月27日

Posted by ブクログ

 ネアンデルタール人が、ずっと気になっていて、定期的に関連書を追いかけて読書しています。
本書は、ネアンデルタール人を、なぜ滅んだのか?美意識はあったのか?その精神構造とは?といった点から解き明かしていく内容で、赤道直下から北極圏まで、30年にわたって洞窟の地面を掘り続けたフランスの考古学者の考察が書かれています。

 ネアンデルタール人は約40万年前に存在していて、約4万年前に絶滅しました。
本書では詳しく書かれていなかったと思いますが、サピエンスと交雑したということや、サピエンスとイヌがネアンデルタール人を絶滅させたという説や、彼らの遺伝子をマウスに導入するネアンデルタロイド製作プロジェクトについてなども、私は読んできました。

 どれも興味深い話で、面白かったのですが、そういった考え方自体が、著者によるとネアンデルタール人物語の消費のようなものである、と本書でいさめています。

 現場のネアンデルタール人調査は、かなり気の遠くなるシビアなもので、著者も一年間に2センチ洞窟を掘ってやっとこさ成果があったりなかったりで、かれこれ30年間調査続けてきたと書かれています。
さらにその洞窟も昔誰かが荒らした後だったりで、時代同定がしにくかったりする現状だそうです。

 なので現場の探究者にとっては、物語だけが先行してめちゃくちゃな現状に対して苦言を呈するようなところがありました。

 他にも、北極圏、ロシア連邦コミ共和国での調査の話や、カニバリズムについて、儀礼や象徴がネアンデルタール人にあったのか、絶滅理由が気候変動のためか?などについての考察は、興味深かったです。

 結局、ネアンデルタール人を考察するということは、我々サピエンスを考えることに直面するのです。


 著者は、こう書いています。(長い引用ですいません…。)
「それでも、私はネアンデルタール人について想像してしまいます。我々と似て非なる存在、何が違ったのだろう?考えるとキリがありません。ネアンデルタール人はサピエンスの代用品ではない。しかも両者は異なるだけでもないようだ。ネアンデルタール人は精神面の多くで、集団や個人の区別を求めるサピエンスの自我から本質的に解放された、尽きることのない完全なる独創性によって、サピエンスの上に立っていたに違いない。この意味で比較すると、私たちサピエンス集団の創造性は、非常に表面的で人工的である。創造性の分野では、サピエンスはきっとネアンデルタール人の足元にも及ばず、この観点から見ると、私たちの祖先の知性は明らかに劣っているだろうと言ってもよい。だが、世界の物質的合理化という点では、おそらくネアンデルタール人は、サピエンスに一歩譲ることになる。」


 どうやら、ネアンデルタール人は、独創性がサピエンスより上であったみたいです。そして我々は劣っていたとのこと。

そして、劣っていたが故に、サピエンスはネアンデルタールより生き残ったのかなとか考え出す・・・けど、これもまた物語消費になってしまうんですよね。

 うーん、ネアンデルタール人問題難しい。もっと証拠が欲しいと思いました。

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2025年10月01日

Posted by ブクログ

ネアンデルタール人の骨、遺跡は限られており、そこから彼らの文化考えを読み取ることはかなり難しい。
原始的なホモサピエンスに近く、文化が花開いていたと考えたいのはわかるがそれは願望の反映でしかなく、実証に乏しいという見方。ちゃんと史料を分析して、曇りのない目で見てから言えということ。

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2025年06月12日

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